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それは、物語にウィドーの献身的な働きが混じりだして、更に四日後のこと。
「揃いも揃って詭弁ばかり。いつから貴方達はこのように、相応しくない者になってしまったのでしょうね」
鈴を鳴らすような声が、愛らしく小さな唇からころりと室内へ送り出された。穏やかな声でありつつも全てに故意に棘を生やしたそれを、拾って返事をする勇気がある者は何とも情けないことに一人として存在しなかった。
音の持ち主は優しい笑顔を崩さないながらも、その根底に怒りを隠さない状態のままで。ここより先は下らない発言の全てを許さないという圧力まで感じる。
誰も彼もが到底話し出せぬ雰囲気の中、理事長の席に座っている人物を見ていた。本来であれば、会議室のその座席には名の通り理事長が座する筈なのだが。今その席を奪いこの場を進行するのは、全くの別人であり、そしてこの学園に非常に所縁のある者でもあった。
それは、太陽に髪を編まれた美しいひと。この学園にいることなど滅多に無い女神であり。そして、……相対する存在として選べば、絶対に敵わない化け物とも言える女。リドミナ学園には今、カナリア女王が降りたっていたのだ。
「貴方達を呼び出した理由に自覚はありますね。これで自覚も無かったり、惨めに誤魔化そうとするのであれば同盟国から尋問官を私情でお借りするところですのよ?ねえ?」
普段であれば、広大な敷地面積の数割をしっかりと埋める生徒達は今、どこにもいない。教室にも廊下にも図書室にも庭園にも誰の姿も無い。静まり返り、木の葉が擦れる音でも大きく聞こえそうな程の寂しさに溢れる理由は、臨時休校であった。生徒は決して期間内に学園に足を踏み入れるな、と言う命令が学長でも無く理事長でも無く、他でもない王家から昨日突然に下った結果がこれだ。生徒も教師も揃って騒がしくなったのも当然、学園の管理権限はここ数代王家側には無い。王立学園の名はそのままに、公務に集中せねばならない王族の負担を減らす為、以前の清く正しい経営陣が独立という形で管理を引継ぎ。王家はバックアップに徹するという体制が続いていた。
今までに学内状況の報告などは学園側から都度行っていたのだが、此度は何処をも通さず学園関係者の誰にも話されず、ただ命令として王家より直接の臨時休校の報せだけが届き。そうして、全ては王家主体で進行されている。
「お分かりですわね?……私の伴侶の名が大きく関わっている学園で、貴方達が一体どれほどの愚行を積んできたのか」
今日この学園にいるのは、その王家から直々に名指しで集められた教職員だけ。理事長、学長の他に十数人は集められた広い会議室。本来全体会議に使用されている此処は教職員の数と同じ四十五の席が用意されているが……今日はその三分の一程しか使われてはいない。いや、三分の一もいること自体が、女王から言わせれば異常なのだ。
後ろめたい事実があるからか、保身に走ろうとする発言すら出てこない。誤魔化せばどうなるかと言う未来を予想させるような言葉を彼女が出したと言うこともあるが、カナリア女王をただ恐れているのだ。これではまるで、女王が一方的に叱りつけているようにしか見えない点が厄介だ。彼女は何も悪くない、正当な怒りを持っているだけであるのに。
「何も、今回の不祥事が切っ掛けと言うわけでは無いのよ。隠蔽しようとした理事長や学長がそのままリース家に甘えすぎていると言うのもおおごとですけれど。……ここに集められた貴方達は、それを除いてなお、不正な働きをしたことがある者だからです」
女王が広げた書類の文字が、紙面からぺりぺりと剥がれるようにして、質量を持ち宙に浮いていく。ふわりと空中に浮かんだ文字列は、拡大や色の変化を繰り返す。見たくなくとも、分かってしまう。そこに書かれていたのは、ここに呼び出された教職員達の、汚職を示す証拠であった。
やりすぎな程ご丁寧に、ちかちかと蛍光色で様々な箇所の文字が強調して光っている。ただの後ろめたい行為も、洒落にならない罪状として名前を付けられれば声も出なくなるというもの。そんな筈じゃなかった、なんて子供でも使わない言い訳も、この重圧で殺されそうな場では出るわけもない。
真っ青な表情になる教職員達と対称的に、ただ人形のように乱雑に貼り付けられた様子の笑顔をもう隠す気もない女王がいる。
「私達はどんな者でも民なら愛するわ。けれど、その愛に胡座をかいて何でもしていいと言うわけでは無いの。……そんなことも、分からなかったなんて、とてもとても悲しいわ」
――王家が信頼して譲渡したこの学園に泥を塗るなんて、
カナリア女王の一言一言が剥がしていく。リドミナ学園にべとりと張り付いた汚泥を、その原因となった者達の前で。早く楽にさせてほしいと、身のほど知らずな願いをこの期に及んでなお抱える者達の心をその眼差しひとつだけで、割りにかかる。
貴方達に処罰を言い渡します。渦巻く文字の螺旋の中、女王が言い放つことに、内容も聞かずに早くも俯く者が多数であった。
……昨今のリドミナ学園では、誇れないことばかりが多くなっている。
例えば、女王が今見せつけているそれらの中身を追ってみよう。空気の中を泳ぐ魚のように、文字群がゆらりゆらりと蠢いている。ある文字列は海月のようにたゆたい、ある単語は勢いよく跳ねている。立体物として可視化されたそれら書面の内容を紐解けば「成績の売買」「賄賂」「過度放任」「指導放棄」等々、幾らでも文字が浮かんでくる。私人の設立した学園であるならばまたルールも違うやもしれないが、今一度思い出してみてほしい。
王立リドミナ魔術学園は、王の名を貸している状態なのだ。いわば、天下の学園で愚行を犯すとは、王家に対する侮辱に他ならない。この者達は国王二人の実力を知りながらにして、その実、現実離れをしすぎた二人に対してやっかみも抱えていたらしい。若すぎる国王が二人で即位するという異例ぶりは、称賛される一方で「たかが子供の癖に」という偏見の目がまだ取り除かれていないのも問題で。
勿論、偏見の目を取り除くなど二人にとっては秒で簡単に解決出来る、取るに足らないことではあるが。王と女王は知りすぎている、自分達が本気を出せば民の生きる意味すら必要無い。意思の統率も洗脳も、ベニアーロが声を上げ、カナリアが世界中の人間を覗けばそれですべてはしまいだ。
この星で、二人以外の全てを滅ぼしてしまってもなんら問題も無いのだ。それこそ世界を白紙に戻した上でたった二人で永遠の時を過ごすことの方が、守るものが互いしかいなくなる。
それをせず、強者としての風格を誇示する機会をわざわざ選んでいるのは、女王からの慈悲。何もかもをこちらがやってしまうと、何も出来ない民ばかり完成してしまう。恐怖で支配する国を作り上げるのは、先代達の本意では無い。
弱者の強がりなどとは比べ物にならない程の、人を外れた強さ。それを動かせば世界の情勢ですら玉座から一歩も動かずして手玉に取れるであろう、ベニアーロ・クラウリスをそのような男にしたのは他でもないカナリアであり。カナリアが彼をそう「作った」以上、ベニアーロは世界の脅威であり希望であるという両側面を持てるのだ。
悲しい程に規格外、この世界での二人には、星という単位ですら狭すぎる。それが、真実であるのだ。大きすぎる力を持つが故に、皆の手前人間を演じる必要があるのは大変難儀だと、友にだけは語るだろう。
「気付かれないとでも思っていたのか、それとも、私に叱ってほしかったのか。どちらにせよ貴方達は、ここには相応しくない人間となり果てました」
カナリア王国が全てを治めるこの大陸では、教育というものがどの身分の違いも関係なく浸透するように制度が作られている。貴族専用の学園や、平民専用の学園など領土内には多くの学園があるが、王立を謳うのはリドミナ魔術学園のみ。
学園の始まりこそ輝かしいものだった。眩しい強さ、経歴に憧れて。純粋に王を慕い、女王を信仰する者ばかりが集まった時代が長く続いて。
しかし、時間が経つと言うことは。発展もするが、朽ち衰える部分も出てくると言うこと。少しずつ、少しずつ。美しい葉を食いつくす芋虫のように、矜持も抜けた教師によって学園は内部を腐敗させていった。
……されど、王二人が手を出す必要も無いと思っていた 。王立学園が虫食い汚職となっていたとして、そして勝手に潰れたとして。王へ対する信仰は全く揺るがない未来が確定でそこに在ることを、カナリアは読んでいる。覗いている。放置してくたばれば、それは民の自業自得。
では何故今回直接手を出すことになったかと言えば、女王の友人が学園にいたからという理由が出来たからだ。それだけだ。
今もなお交流がある伯爵家の末娘、孤児院生まれの教会娘。学園改革のきっかけになった両名供が、カナリア女王の親しき友人であり……それを知らずして、隠すことだけに一生懸命になった者達に、そろそろ罰をくれてやる頃合いとなっただけ。
「家族と向こう五十年は遊べる金額を差し上げましょう。その代わり、貴方達の存在は今日限りで薄れていくことでしょう」
カナリアが手のひらを空へ差し出せば。浮かんでいる文字列の中から、彼らの名前だけがふわりとその中へ落ちていく。
それを、彼女が容赦なく、握り潰す。バラバラになった文字が、溢した墨のように空中に散らばり、ふっと消えていく。
「貴方達はこれから別人として認識されていきます。貴方達はこれから、ただの人間と認識されていきます。誰も貴方達を見ても、ここの教師であったことを気付かないでしょう。誰も貴方達のかつての経歴さえ思い出すことはなくなるでしょう。歪められた認識のまま、ただ普通に生きることを許可します。貴方達でありながら貴方達で無い、同姓同名の別人として扱われるよう」
金で解決出来るだろうとしか思われない程度の人間性を見せたのは貴方達ですからね、
「自殺を禁じます。口外を禁じます。亡命を禁じます。貴方達がしたことを悔やみながら寿命まで生きることを許します。その心に埋められない隙間を、今私がこじ開けて作りました。――せいぜい、生涯私に見張られている恐怖に怯えながら過ごすといいでしょう。それが、ここで勤め上げた貴方達への、最後の慈悲です」
リドミナ魔術学園が、大きく変わっていく。
変化を作る者、その変化に巻き込まれる者。それぞれの思惑を混ぜ込みながら明日へ進む。
不必要な者だけが、ストーリーという舞台から引きずり落とされながら。
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