49

 時を、半日ほど進めよう。


 エリーゼ・リースが断罪された事件を起点に、王立リドミナ学園内は内部改革が行われる。実際、国王二人して管理についての静観をやめる姿勢を取っていた。未だごく一部の周辺人物のみしか知らないことではあるが、困り果てた人材の掃除はすぐにでも行われることを情報として受け取っている者は確かに存在するのだ。

 ただ。その事実を知っているだけではなく。初めからそうなるだろうと、確定した未来を見通していた稀有な者が今この世界に二人いた。一人は、ノア・マヒーザという山奥に住む平民。それ以外に、あと一人。

 ――王直属の傍仕えであり、王城内の執事長であり、稀少な魔法使用者であり、かつては王の護衛隊長や隊員の訓練士も兼任していたという何かと肩書きが多すぎる男ではあるが……その肩書き全てを背負うには相応しい働きをしてきた、労働の鬼とも言える男。


「それでは、また後日伺わせて頂きますね。本日は貴重なお時間をありがとうございます」


 ローズグレイの個性色、うなじの裏で結われた長い髪が流線の動きに沿って美しく揺れる。左目につけられた片眼鏡ときっちり整えられた前髪という容貌、黒い執事服を身に纏ったその男は、勤勉が服を着て歩いているような存在感を放っていた。王の傍使えである彼、ウィドー・バレスクは今現在も変わらず王の手足となり動き続ける。彼が動く理由の大半は王の為、自分の為に動くことなどほぼ無いとまで周囲の人間から言われる程の働きぶりで一目置かれている。…つい最近、ようやく出会うまでに至った、自分自身と似た青年を見つけるまでは己の過去を振り返ると言う行為ですら疎ましく思ったことだろう。それほどまでに、仕事を自分から掴んで絶対に離さない、忠誠一辺倒な珍しい男。その両腕は、両足は、声は、目は、脳は、全てが全て余すところ無く忠義を果たすという目的だけに使われていた。


「あ、あの。こちらこそ、その…本当に、お話、ありがとうございました。こんなありがたいこと、僕に起こることが、夢みたいです、」

「いえ。務めでございますので。我が王達は、心から貴方を歓迎する用意しか無い。勿論ワタクシとしても、貴方に来て頂けることが学園にとって良いことと思います。…本当に、貴方のように素晴らしい人を切り捨てる方が、おかしいと言うものです」


 ウィドーがコートを腕に、邪魔を致しましたと優しい声色で椅子から立ち上がれば。彼の目の前にいた人物が慌てたように言葉を出す、会話が始まる前からそんなに気を使わずともと何度か言ったのだが。なるべく心地の良い音程で声を出していたと思う、恐らくそれを上回るくらいに相手方の緊張がひどかったのだろうと結論付けた。結局最後まで緊張を取り除けなかったかもしれないことに申し訳無さを感じながらも、終わりまで気遣いを少しでも見せようと必死にする姿が不器用な愛らしさをこちらに思わせる。

 外は真昼だと言うのに、完全にカーテンを閉めている室内。

 黒いインテリアが空間を埋め尽くしていることもあり、本来人にとって必要な外からの太陽光の一切を遮断したとある散らかった民家の中。そこにウィドーはいた。薄暗いこの場を照らしていたのは、天井を動く星達だ。青白い星、赤い星、金に輝く星、それらひとつひとつが天井の空間に広がり、軌道を表す線まで丁寧に刻まれている。その光源を辿れば、狭い部屋の四隅にある水晶体から全体に転写されていた。まるで、プロジェクションマッピングされたプラネタリウムのようだとウィドーは思考する。この世では無く、前の世の記憶から引きずり出した雑学を浮かべて。

 客人が来るから急いで片付けた、と言う風に丸い中心の範囲だけ綺麗に掃除され、ごちゃごちゃしたものは部屋の隅に高く積まれた光景もここで数十分過ごせば見慣れたものだろう。王遣えの執事を出迎えるにしてはあまりに貧相で無礼な環境だと、古い人間は怒るだろうけれど。相対する人物に、まだ他人を気遣って掃除するくらいの元気がある証拠だ。むしろ、事前に調査した上では精神的に限界だったと聞いている。ウィドーの訪問が吉と出るか凶と出るか、などと言う問いには間違いなく「吉」となるだろう。どちらにせよ、これから起こることをウィドーは既に知っているのだから。


「また余裕が出来ましたら、ご都合よろしい日を再度お教え下さいね。手段は何でも結構です、ワタクシが最後まで対応させて頂きますので、貴方のペースで大丈夫ですよ。では、失礼致します、メテオール様」

「は、はい!僕なんかでよっ、よろしければっ、死ぬまでお使いくださいと王様にお伝えくださいっ!」


 ば、と思い切りその長身を勢いよく折り曲げて頭を下げる様子に苦笑して、すぐ近くにある玄関の扉に手をかけて外へ出た。暗い場所から太陽の下へ出ると、視力が悪い自分にとっては少しきつい。軽く片目を閉じながら扉を閉めると、糸でぶら下げていただけの表札がかたんと足元に落ちていく。

 ステラ・メテオール。

 これは、今日ウィドーが会った、ここの家主の名前だ。そして、後々”ヒイロ・ライラックの攻略対象”となる運命にある男の名。ノア・マヒーザと同じく、ある程度の情報を持っているウィドーは複雑な心境のまま、表札を元あった場所へ戻す。大丈夫だ、あまり深入りしても彼の為にはならない。カナリア王国にさえ来れば、彼も幸福な物語の中で動く人間になれるのだ。

 ボロ屋敷と表現するには十分に傷んだ家。外から窓を見ても、あの家だけはいつも夜の壁紙を纏っているからか中が確認出来ない。必要とされなくなった魔法使いが住む暗い家、今日自分はまた新たな流れに混じる登場人物に接してしまったのだと、慎重さを維持しつつも悪い事態にならないよう心が勝手に備えだす。踵を返して歩き出した足が向かうのは、今日最後の訪問先。まだまだウィドーの仕事は終わらない、けれど与えられ続ける役目に確かな喜びを感じながら、この街をあとにして行った。


 × × ×


 ウィドー・バレスクは、前世持ちの人間だ。

 基本、この世では前世持ちなど珍しくも無い概念であるが、公に口に出すことも出来なかった理由が彼にはある。それは、あまりに、前世が特殊すぎるということから来る悩みの種。


 ――前世の記憶を一部残して転生した先が、前世の世界にあったゲームの世界によく似ているだなんて、口が裂けてもこの世界に生きている人間には言えないことだろう。


 そう、ウィドー・バレスクは。かつて地球と言う星で二千年代の日本に生きていた記憶があり、地球人としての前世を持つ存在であった。そしてそこで「慈愛のマトゥエルサート」というスマートフォンの人気乙女ゲームアプリに触れた記憶もある。初めて前世の記憶がフラッシュバックしたのは、国王の片割れ…カナリア女王が生まれた時。奇しくも、今のノア・マヒーザとほぼ同い年の頃に、前世人の記憶が雪崩れてきたのだ。

 代々王家の使用人の家系に生まれたウィドーは、小さい頃から両親から十分な教養を与えられ、王家の忠誠を語られ。いつしか自らも王家の為に働けること自体に大きな感謝を抱いて毎日を生きるようになり、そんな幼少期を経て先代の国王がおわせた王城でも若いながらによく働いた。言われればそれがどれほど難しいことでも達成してみせたし、言われずとも先を読んで動ける使用人になり。主人の身を護る為の術として学んでいた対人格闘術では少年の時から異常な強さを見せ、生まれながらに持ったその個性的な魔法から、周囲から天才だと褒め言葉を浴びせられるくらい一執事としては異例の能力者であったのだ。しかしその実力を鼻にかけることもせず、自惚れにも陥らず、王の為という信念を掲げ、ただの使用人という器には収まらない大きさへと知らず知らずのうちに膨らんでいた。

 要人の護衛の際には、彼がついていれば絶対に命を落とさないと同盟国の者からも賞賛され。王国を狙う者あれば、例え領土の端の端だろうとその足音を聞き逃さずに、警史隊を追い抜かしてでも捕らえにかかる。ともすれば一介の戦士などよりも数段上の強者と認められ浸透し、いつしかその身ひとつで「音響兵器」とまで揶揄されるようになっていって。


 自分の使える魔法で、希少なもの。それが、音。

 ウィドーは、ノアの移動魔法と同じく、使用出来る者が少ない音魔法を小さな頃から徹底的に鍛え上げてきたのだ。目に見えないものを操る魔法程難しいとはよく言ったものだが、物心ついた頃からそれを持っていたウィドーにとって、ただ聞く鳴らすだけの使用方法には収まらなかった。音を無くすことも出来れば、人間には聞こえない音波を発してその力で物を動かすことも出来る。先日ノアと話す時に軽く使った魔法もその類のものだ、使い方の幅を広げれば音ひとつだけでも戦うには十分すぎることをウィドーはよく知っている。育ってきた環境が違いすぎるからか、ノアとウィドーの力の差はあまりに歴然としていて。同じ転生者同士、次また顔を合わせる頃にはあれを少しばかり鍛えあげた方がいいとさえ思う、ウィドーはそれほど魔法を自由自在に使える利便性をこの身をもって刻み付けていた。

 …地球からの転生者は二人揃って珍しい魔法の使用者らしい。いわゆる同類、だと完全に判明したノアを頭に浮かべつつ。あれがこれ以上様々な展開に巻き込まれないよう策を練ってみるものの、どうにも希少な魔法使いというものはそれだけで目立つ。回避は出来ずともせめて、自分達イレギュラーのせいで誰かの人生が悪い方に傾かない努力だけは続けていきたいと思うのだ。その点に関しては恐らく彼も同じだろう。

 とかく最近は、このようにしてノアのことを考えるという時間が明らかに増えた。不穏要素で無かったことが判明してもなお心配になるのは、自分が年上で彼がまだ未成年ということもある。彼の前世がどういう経歴でもってここにいるかは、彼が隠している部分もあることから全てを見切れてはいない。面倒なことにはなりたくない、と言うのは二人の本心を掠っているとは思うのだが、あそこまでエリーゼに執着を見せているとなると、主人公連中と対峙しないかと言う新しい心配事まで増えていく。いいや、いかんぞ、そういった展開の目は摘めるよう、やはり再会の折にはきつく釘を刺しておかねば。ウィドーは、ため息をついて頭の中を切り替える。


「…”ロジー・レイヴル”」


 これは、知らない名前だ。前世の記憶の中に無い名前だ。しかし、この世界ではよく耳にする名前。王から借りた名刺を頼りに辿りついた屋敷の前、少しだけうるさくなった心臓をいつもの拍動に戻していく。

 学園改革など、本編では数行で説明が終わったことではあるが、その数行の展開を完成させる為に今こうしてひっきりなしに動いているのがこの自分。いつだってこうだった、この世界によく似ているあのゲームアプリの展開をかろうじて記憶から引き出しては、これが本編で語られなかっただけの背景の群集キャラクターであるのか、はたまた本来の登場人物でも無いのに割り込もうとしてくる転生者であるのかの確認をして。それらの区別はつきにくい。如何せん、ウィドーには地球からの転生者というワードに不信感しか無かった。

 地球で流行っていた作品の流れに、無条件に貰い受けた理不尽な程の強さでたいして努力もせずあたかもそれが自分の力ですとでもほざいた態度で無双するだけの現実逃避の為の駄作というものが山ほどあった。ハンコ絵ならぬハンコ文章が大量生産され、純文学を好んだ前世の人物はとかくそういった作品群を毛嫌いする傾向にあったのだ。

 ウィドーの前世は、元から慈愛のマトゥエルサートが好きだったわけでは無い。イベントシナリオにコラボとして名を連ねたライターが、ウィドーの好きな作家の一人であったから文章みたさにアプリをインストールしたまでだった。チュートリアルとメインストーリーをある程度まで進めないと参加出来ないイベントであった為、急いで飛ばし読みしつつ、イベントシナリオを読む際に設定の確認をする為にもう一度きちんと読み漁り。そうして手に入れた知識が、今の自分に活かされている。

 しかし、あの有名作家のロジーと王が知り合いだったとは。こいつはアポ無しでも大丈夫だ、とおっしゃられていたのを思い出す。学園の新しい教師候補として是非推薦したい者がいる、と、二人の王が選んだ人物の中で一番の有名人だろう。何より、この世界にウィドー・バレスクとして産まれた自分も読書をすることが趣味であり、純文学を幾つも世に出しているこの作家のことは好いていた。


 学園改革は、もう始まっていた。リース家との会合、それから王への報告も済ませた直後から、主人公の攻略対象になる教師数名とも実際に顔をつき合わせ、学園へ誘う手筈を順調に整えている。皆色好い返事をすぐに返して頂いたのは、王の人望のお陰もあるだろう。…ただ、ひとつ前のステラ・メテオールという攻略対象だけは、どうにも記憶にある姿とのギャップが大きく心配してしまった。ウィドーの前世は、各キャラの個別ストーリーなどまともに進めちゃいない、好きなライターのシナリオを見るためだけに始めたからか、担当しているシナリオ以外には興味もろくに持たないような見方をしていた。楽しみ方は人それぞれだと思うが、そのせいで主要キャラの過去までは詳しく知らないのだ。まあ、元々普通に産まれた人間なんて他人の何も知らない。なまじ知識の箱を来世でも持ち越してしまった故に、こういった贅沢な愚痴まで吐いてしまう。

 確か、ステラ・メテオールは作中でも反則級の、星を操るという凄まじい能力持ちの筈なのだ。太古に存在していた星詠みの一族の末裔であり、その先祖がえり。リドミナ学園に来る前は別校の教師で、生徒からのいじめにより学校自体にトラウマがある、というところまでは知っていたのだが。……ストレスからか、痩せていた身体は細長く風が吹けば倒れそうなものだった。彼の担当教科は時代と共に必要が無くなっていたものであり、生徒からも軽く見られて真面目に勉強して貰えず、挙句の果てに代々世話になっていたその学校から切り捨てられてクビ。存在の何もかもを否定され、一人寂しく生きていた最中だったと聞かされた。おおまかな流れや人物を知っていても、詳しい事情までは知りようも無い。何故なら、この世界の彼らは拡張子ではなく、息をして生きる人間なのだ。予想通りに動く筈も無いし、意外な過去や行動をすることだってあろう。それは、リドミナ学園の新教師陣と知っていても、全員が承諾してくれる台本通りの未来に繋がらない可能性も大いにあるということを教えてくれる事実だ。だからこそ、失礼に当たらぬよう接することに尽力することが大切で。


「…どちら様で、」

「失礼致します、ワタクシ、王家からの使いの者です。王の傍仕えのウィドー・バレスクと申しますが、……我が王のご友人であるレイヴル様に、王直々の言葉をお伝えにあがりました。お時間は取らせません、少々お邪魔させて頂いてもよろしいでしょうか」


 呼び鈴を鳴らすと、威圧するような表情で出てきた存在が一人。洒落た屋敷の外観にはあわない、ラフな格好をしたがたいのいい虎の獣人だ。ただの人よりも一回りは大きい、長い体毛とその体躯、尾の色を見れば、アムールトラに近い種族だろう。動物が二足歩行をして衣服を身につけ平然と喋る世界に幼少の頃であれば驚きはしただろうが、こちらの世では生まれて三十年以上は経っている、獣人の存在にもすっかり慣れたものだ。

 借り受けた名刺を見せつつ挨拶をすれば、こっちだ、とぶっきらぼうにその方向に顎を動かしながらのしのしと動いていく背中に。ありがとうございます、と言って静かについていく。


 学園改革の後も、ややこしい事態が幾度も訪れることは、既に前の世で輪郭を履修済みだ。ただ、自分ひとりだけだと思っていたイレギュラーが増えた今現在、その輪郭ですらなぞれないこともあるだろう。同じ前世がある者同士とは言え、ノアはまだ子供の枠。大人であるこちらが導く立場だ。せめて彼の心配事でもある、エリーゼが戻る学園の土台を安全に建ててやることも、ウィドーである前に一人の社会人としての役目なのだろう。

 前途多難。しかし、ノアと話さねばならないこともある。やることが更に増えたというのに、どうしてか今のウィドーの心は不躾ながらも、久方ぶりの高揚を見せていた。

 こちらの準備は整えておいてやるから、なんて、不審と捉えていた人間相手に思うことが来るとは。山奥にいる青年を必要以上に考える人間が、これ以上増えないでほしいと。願わくばこの考えですら、先の出会いのように杞憂であったのなら良い。現実が自分の不安を良い方向に裏切ってくれることに期待してしまう。ウィドーは、らしくもなくそう願っていた。



「――御機嫌よう、お使いの方。相変わらず、ベニアーロくんも息災で何よりで、……え?」

「…………は?」



 直後。落ちた沈黙と、訪れた運命に。

 ああ!ノアよ!お前なんかまだマシだったのかもしれない!と、彼とは違う意味で想定外の出会いが襲い来る。


 ウィドーに新たな悩みの種が出来た。……それをノアが知るのは、距離的な都合もあり、あと数日先の未来になるだろう。きっと現実逃避とはこういう時に使いたくなる言葉なのだと、この日ウィドーは思い知ることになるのだが。その不安も、今はウィドー以外知る由も無い。

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