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「そこではずっと、前世の貴女を窓の向こう側から見るような距離にいました」


 約束したから。戻ってきたら、あの話の続きをしましょう。

 兄さんにも詳しい話はしたこと無かったね、と。しかと三人の目も覚め、小鳥が外で鳴く朝食の時間帯。喉と胃を流れ、身体を内側からあたためていく熱い紅茶。その味を覚えた唇が、しっとりと話し出せるのを他人事のように俯瞰していた。世間話を始めるかのように、さらりと話題に入り込んだ僕に「俺も聞いていいの?」とエリーゼと僕の顔を交互に見る兄さんに、二人して何を当たり前のことを言っているんだと言うような目で見れば苦笑いされて。そういうところでもシンクロするんだもんな、と褒め言葉を貰う。

 昨日の今日。しばらくはまたエリーゼとの生活が保障された日、何を見てもプラスにしか捉えられないだろうくらいに明るい思考のまま僕が切り出した言葉はこうだ、――前世の話でも致しましょう、と。


「まあ、簡単に言えばストーカー紛いのことですかね。……うん。ストーカーかもしれない、ストーカーですね僕…」


 一人で勝手に頷く僕に、今と変わらないなと一蹴するエリーゼ。その通りすぎるので逆に自信満々でふふふと微笑んだ。全く、露骨でとんだ夢の無い話だこと。けれど、大げさに驚くでも無く、疑問を提示してくるのでも無く。ただ淡々と聞き入れてくれる姿勢をつくった彼女に甘えてしまいそうだ。


 …僕は、前世と今世は地続きでは無いと、とっくに割り切っている。前世が女であっただけで今の僕には全く関係無い。

 だって僕は、ただ前世の人の記憶がたまにちらつくだけの、人生一回目の、ただの男だ。どこかの小説みたいに精神年齢をあわせたら40くらい、なんてふざけたこともほざくことすら無い。一度きりしか無い僕の人生は僕のもの、前世の記憶はただ僕の生き方の為に利用出来る箇所をしているだけ。このノア・マヒーザは17歳の純粋なこの世界育ちの青年だ、彼女を攫うまでは自我の境界線でさえ稀に自分から曖昧にしてしまってはいたが完全に区別した今は別。前世は知らない人。、ただの別人。その人の見た景色を、知りえた情報を、僕だけが映画のように頭の中で再生出来るだけ。そう考えると非常に楽になった。まあ、前世持ちなんて正直地球でも珍しくなかった部類だし、悩むことが杞憂だったのかもしれないと言う事に気付くまで遅かった僕も僕だけれど。

 スマートフォンという媒体の向こう側から、ただ彼女に気付かれるわけも無く覗き込む日々。それらの映像を、僕の感覚に変換して話せばいい。そもそもこの世界でスマホだとか言うワード自体声に出して言いたくないと言うのもある。地球でのことを自分の中で思うのと、外に発信することは全く違う、後者には嫌悪感しか無い。それは僕が、前世の記憶を役に立つものとは思いつつも、同時にこの心に深く食い込んだ異物でもあるといつの間にか結論付けていたから。あの記憶のお陰でエリーゼに対する恋心が芽生えたのだから、良い点は良い点、悪い点は悪い点と切り離してそれぞれ考えねば。

 しかしどう表現したものか、あちらの世界では彼女は何も返さない物語上のキャラクターだっただけに。ただ、こちらが一方的に愛していたことだけを表す為に出た言葉がまあ、色々と情緒の無いものになってしまったのは申し訳なく思う。ふっ、と噴出した直後、呆れたように兄さんが笑っていた。


「ええ…身も蓋も無さすぎだろ」

「ほら、どこの世界でも綺麗事なんて存在しないもの」


 愛の形がどれも美しく欠けることの無い完璧な姿なわけが無い。そもそも自分の為では無く、他人に愛を持ってその人の為に生きるという道を選ぶこと自体異常だと思うのだ。その異常を正常と勘違いして生きるより、それを受け入れて生きる方がよほど実感する、この重く歪な愛を持つことに対する僕なりの誇りを。プライドを。


「そこでは貴女は魔法を使えて、僕は魔法を使えない子で。詳しくまでは、僕も言えませんが。貴女は……救われなかった。僕は、それを見てただ後悔していただけの、情けない存在でしたよ」


 前世がある人間だと、話すことさえ禁忌だと思い込んでいた幼少の頃。一度乗り越えてしまえばこんなにも素直に話せるものだなと思う。


「僕の記憶にある映像は、特にそれが強烈に印象付いていましたね。たった一人で居場所を追い出され、いなくなってしまった貴女を追いかけるでも無く。ただ貴女のいた場所だけを名残惜しく思うような人間でした。……そして、その映像を見た僕が、恋をした。……貴女は幸せになれるのか、僕でも救えるのか。そんなことを考えて、最初は映像の中の貴女に恋をしていました」


 架空の存在だった貴女。現実にはいなかった貴女。その質量でさえ、浪漫の無い話拡張子でしか無かったと言うのに。半信半疑だった、酷似しているだけの世界で、貴女が本当にいるなんて確証は無かったのだから。それでも僕は惚れたというだけで、この世界で手を伸ばした先の貴女がいなくても、あの場所に行けただろう。あの、忌々しい断罪の場へ。


「あの場の兄様には、確かに語れない内容だねぇ」

「これでも本当のことなんですよ?ただ、現実味が無さ過ぎるってだけで」


 今はここが、僕にとってのたった一つしかない現実なのだ。あの誘拐に至るまでの過程が、動機が、夢のようなものだったとしても。惚れてしまったから、仕方ないのだ。深い一念、岩をも天をも通ずるもの。やれるかもしれない、を、自分の手でやってやるという決意に変わるまでがあまりに短かったのも、きっと今を望んだからだ。エリーゼに、僕の苗字を受け取ってもらう為の未来という、今を。誰より望んだから。この子を、花嫁にしたいと、強欲を貫き通したから得られた現実。前世は、僕に情報を提供しただけ。決意をしたのも、覚悟を決めたのも、この子を愛するのも、ノア・マヒーザ以外にはあり得ない。そうなるとこの話をすることは、前以上に僕を前世から切り離す為の儀式とも言い換えが出来るのではないだろうか。

 彼女に触れていいのは僕だけだ。何ということだろうか、深く深く、掘っても底が見えない愛しさを感じる度に。僕は前世の人物にですら嫉妬してしまう、気の狂いそうな行動まで行ってしまいそうで。自分であって自分でない人間にこんな複雑な感情を持つ等本当に醜い話で、爆笑物。結局僕が余計に面倒くさい男になっていっただけと言われればそれで終わってしまうのだが。


「だが。今は、アタクシの方がその映像よりも勝っているからここにいるんだろう」


 そうで無くてはアタクシがいてやるものか、と。言い退けるエリーゼが今ここにいる。エリーゼが、今の彼女を誰より愛しているのは僕だと、自覚してくれている。それを目の当たりにするだけで、前世に対してはこの捉え方に辿り着いて本当によかったと思うのだ。


「そうですよ。貴女に負けるような女に、僕が恋をするわけないじゃないですか」


 僕を切り捨てた僕と、貴女に勝った貴女。そうであるからこそ、僕達はこの愛を抱えていらえる。これこそを、完全な幸せと呼べるのだ。


「もったいぶった割に短く終わっちゃいました、ごめんなさい」

「構わん。なかなかに面白かった」

「まあ過去より今が大事ってよく言うしな~。今日からは、久々にプレッシャー無しでのんびり過ごせそうだし。皆でのびのび過ごそうなー」

 

 …こうして前世のカミングアウトは、あっけなく終わって。

 しらっと、今日の家畜の様子に話題が移る。すぐに興味を示したエリーゼを見て、これくらいさっぱりとした反応をくれるからこそ、余計に惚れるんだよなあなんて。今もまだ大輪の花を咲かせ続ける恋心が、愛しさを叫び続けていた。


 × × × 


「そうか。であれば、そちらを尊重しご好意を全面的に受け入れる旨を伝えてくれ。そろそろ、内部改善を期待して傍観する無駄な時間も限界を迎えたところであったからな」


 務め御苦労、と。こちらを労う言葉を出しながら、記録水晶を幾重にも空中に同時多数展開し全ての作業を同時進行していく様子はいつ見ても身体を壊さないかひやひやする。例え、眼前の本人が「私は死なないように出来ている」といつも言っていたとしても、だ。忠義が厚く在る、だからこそ彼の強さを誇り。だからこそ、彼の支えに少しでもなることを放棄してはならないのだ。宙に転写され、スクロールされていく文字列は大きくひとつの塊が一国の情報をひたすらに流していて。全世界の情勢を一度に目にし、把握する脳も動体視力も人間を桁違いに外れた技だと思うが、これですら彼はひどく簡単で手ぬるいことだと称するのだから全ての概念が崩壊しそうだ。


「ありがたき幸せです、ベニアーロ様」

「リドミナ学園の案件は、王家とリース家の共同改善へと切り替える。教師陣の大半は灸をすえる形で退場としよう。下手に数世代前が王立等とつけたこともあって、カナリアがとにかく不機嫌に思っているのだ。…私の名が傷つくから、と」

「よくもまあ女王の慈愛の下に胡坐をかけたなと、ワタクシならあまりのおぞましさにぞっとしますよ、」

「私もだよ。…けれど、彼女は恐ろしいからこそ愛らしい。愛らしいからこそ、恐ろしい。相反する特徴だと言うのに、その両方が私の心を捕らえて離さない。素晴らしいことだと思わないかい、ウィドー」


 この国を統べる王が、また。彼の中での第一の優先事項である女王を語りはじめる。彼の世界は、女王で出来ている。同様に、女王の世界も彼一辺倒。若くして国を統べ、敵対視されている他国からも恐れられる二人の王が自国を守る理由など、国自体が互いに付随する要素であるからに過ぎないのだ。


 これはまた一悶着あるぞ、

 縁のある人間皆どうしてこうも歪な愛に傾倒出来るのだろうかと。つい昨日直に顔をあわせたばかりの同類を頭に思い浮かべ、ウィドーは国王の執務室の中早速仕事量の換算を終えたのだった。

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