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「…そうですか、こちらではそんな状況に…」


 ティーカップの底と、ソーサーがかちりと小さな音を立ててあわさった。軽くなった中身に、あたたかな紅茶がいつの間にかさりげなく注がれる。話したいことは山あれど、今だけは自分達だけの都合でこの状況をほっぽり出すわけにもいかないということを互いに分かっているからか、ウィドーの注いでくれた紅茶のお代わりに様々な感情が込められているのだろうなと思った。

 エドガーが一度言葉を止め、くつろぐように紅茶を嗜む。平和的に、穏便に、それがなんとか確約された頃合からそっとテーブルの間に出されていたのはタルトレット。小さな型でとられたらしき愛らしい姿の茶菓子は、僕の手で取れば相当小さく見えた。今現在、厳かな会合が夕方の茶会と称されるようになるまで、なだらかにゆるやかに進んでいた。

 その間、僕達三人は今の学園とこの家の状況についてある程度エドガーから教えて頂いた流れとなる。


 まず、僕が大立ち回りしたリドミナ魔術学園について。誘拐事件のすぐ後、一番早くに動いたのはエドガーだったらしい。詳しく言えば、ゲームの流れを著しく乱した存在を感知したウィドーが、エリーゼの身内であるエドガーに一報を届けたのがきっかけだった。

 リース家は国内での爵位持ちの中で、現在も王家と交流が最も深いのだそう。通りで、エドガーとウィドーの間に繋がりがある筈だ。最初、何で国王の傍仕えが僕に執着を?と首を傾げたがようやく納得出来た、そもエリーゼを贔屓したがっていたカナリア女王があの反応だったのだから気付けと言われても仕方ないが……。カナリア女王と個人的な知りあいだったのではなく、元々王家とリース家と言う更に一回り大きい枠組みで話し合う中だと言われては、スケールの大きさが違う。

 ともあれ、エリーゼをあの学園から連れ出した後即座に学園内には箝口令が敷かれ、その時の仕事の放り出して理事長や女王にも謝罪行脚を敢行したそうだ。……新聞の記事にすらなっていないことに疑問を抱いていた当初、なるほどこんなにも結構な大事になっていると分かれば全ての流れがハッキリと理解出来る。女王の発言と照らしあわせても矛盾も無い。

 聞くに、断罪決行を目論んだ生徒はエドガーの要請もあり全員等しく謹慎処分を食らい。主犯と思わしきリース家の身内はクロエから直々に「折檻」をされ続けて再教育中らしい。彼等が何故あんなことを企んだか、その後の彼等はこの家にい続けるのか、それは本人達次第だと。まあ、折檻だのその点については全くもって詳しく聞く勇気が出ないのでそこはもう見てみぬふりでもしようか。


「……何が原因とは言え、それを幸いとばかりに妹を攻撃されても私もたまりませんからね。……あの場から連れ出して頂いたことに関しては、感謝しています」


 私も仕事に追われていたもので、すぐに家の様子に気付けませんでした、と。しんみりと告げられると、何も言えない。この人には、自分自身を責めてほしくないと感じたから。エリーゼも、そう思っているに違いない。


 ……薄い茜色が濃くなった今、時系列を追って説明を受けた箇所は沢山ある。どれもこれもが情報到達の遅い山奥にいては当然知らないものばかりではあったが、特に驚いたのは僕達の動向の一部を完全に覗かれていたことである。探られたり襲われたりしたら怖いなあなどとはどこかで思ってはいたがよりにもよって白昼堂々、あの女王様の魔法で、二人で山奥にいる姿も会話も全部見せられたらしい。これには話の最中に流石のエリーゼもむっとした表情になっていて。つまりあのお方は僕の目の前に姿を現す前から、謝罪しに来たエドガーにあの光景を見せたわけだ……。確かに贔屓、とは言ってはいたが圧力のかけ方が強い。発言自体は全てを恐れずに堂々と言っていたものなので僕は聞かれる分には別にいいが、女王を苦手分野としているエリーゼや身内を誘拐されたエドガーにとっては下手をせずとも怒りたいだろう会話内容だろうに、こうして会話して貰えるのは頭が上がらない状況だ。

 エリーゼを連れていったその日のうちに僕の特定が済んでいたことも驚きだった。まあ、学園内に偽名も無しで律儀に本名で見学に行ったのだから露呈も上等、むしろ悪役令嬢を攫うのはこの僕以外に絶対いないと誇示するようなところもあったけれども。


「そして、ここまで来た以上。やはりもう一度問わねばなりません。――貴方は何故、出会いもしなかった私の妹を、花嫁にしたいと願ったのですか」


 傅いた日の心拍を、今も鮮明に覚えている。

 地に落とされた実がその姿を散らして色をつけていくように、あの時と同じ高揚感が心臓を汚していく。なんと不謹慎なことだろうか、それでも身体が覚えてしまった快楽とでも言うべきか、こんなに真面目な会合だと言うのに。ふいに浮かんできた光景がこの胸をいつだって揺るがす、そして僕自身を称えるのだ。お前は何を賭けても彼女に勝るものは無いと言い切れる男になっただろうと、齢十七程度でしか無いこの僕を。過去の僕自身が背中を押す。それは生易しいものではなく、突き飛ばす程に強すぎるものではあったが、それでも。その強さを表に出せるように覚悟をしたあの時の自分が、僕がこれからも死ぬまで在るべき姿だと思い起こさせるのだ。


「僕が、一番。話させて頂きたかったことです」


 王仕えの人間であり、家自体も王家と交流が深く。彼らの情報収集能力はずば抜けて高かった、ウィドーとエドガーにより僕の素性は完璧に暴かれ、書面の上で偽り無いものをさらけ出された。結果は当然、僕とエリーゼはあの大胆不敵な誘拐事件を起こすその時まで、一度として同じ場所に同じ時に踏み込んだことは無いという、細部まで綿密に調査し尽くされたことまで語られては僕に話せることはもうひとつしかない。書面では絶対見つからない、僕だけの秘密。


 ……エドガーも。エリーゼがしたことを知っている、と。平然と、そう話したのだ。


 それはそうだ、そこまで一人の人間のことを簡単に調べ上げられるのだから、身内の情報など僕以上に簡単に手に入るだろう。緘口令が敷かれた学園内部、エリーゼが攫われる舞台となったあの場所で。僕が利用した断罪の場面、その大元の原因となった、ひとつの事件。彼は顔を歪ませもせず、言った。エリーゼが、平民生まれを殺しかけたことを知っていると。そう紡がれた時のエリーゼは、意外にも反応が少なかった。…彼女も、自我で走ることをよしとする主義だ、そしてひどく聡明である。爵位を貰った一族として、ヒイロを襲ったその瞬間。未来の一族の評価がどうなるかわからなかったわけでは無いだろう。

 それでも僕らは青少年だ。…譲れなかった、ものがある。お互いに譲れなかったものがある。エリーゼは自己の矜持の為、僕は彼女を救いたいと言う欲の為。後と先を考えた上で、それでもどうしても伸ばしたかった腕がある。その未来に、咎められる自分達の姿があったとしても。きっと、どうあってもエリーゼはヒイロを傷つけたし、僕は罪を犯したエリーゼをその罪ごと愛しただろう。そして、その僕と同じことを先刻言い放ったのが、エドガーであった。


 愛する妹だ、と。それでいて、私が救えなかった子だ、と。後悔した口調で、僕に呟いたのだ。罪ごと愛するのは当たり前と、その為ならこうやって事態を停滞させ全てを動かす能力があると。罪ごと愛すると誓っている平民の僕の目の前でそう言うのだ。その意味は言わずとも察することが出来るだろう、火傷をしたような感覚が心の外側を鞣すように這う。つまり、「その程度ではエリーゼはやらない」と言うことだ。身内に出来ることしか出来ないなら、僕に価値は無い。価値の無い男に、彼女は渡せないと。全ての流れを誰よりも把握した上で、彼はそう言うのだ。


「その理由は。残念ながら、貴方様には話すことは叶いません」

「ほお、何故?」

「既に先約がいるのです。貴方様の隣の、マトゥエルサートに。」

「……」

「僕は。強欲にも、今日、僕を認めてもらうつもりでしか此処を訪れていません。幾ら身分の差があろうと、幾ら釣り合っていなかろうと、幾ら僕の素性が怪しかろうと。身の程知らずに厚顔無恥に、彼女のご家族に会いたいと心から願った。前科もありながら、それでもこうして言葉を出したくて、しかたなかった」


 前世から。彼女が未だ架空の存在だった頃から僕は、知っていた。有り得なかった筈の現実の中に生まれなおして、有り得なかった可能性に手を伸ばし、恋を知った。

 戻ってから話すと、彼女に言ったんだ。面白い話だと、言ってくれた。二人でいることが変わらず訪れることを、信じてくれていた目で。僕にそう、言ってくれたんだ。


「”エリーゼ・リースに似合う男になった”と。このノア・マヒーザは最大の賛辞を彼女に頂いたのです。僕はそれに恥じぬ生き方が出来る。貴方が愛する彼女の心の中で、僕は永遠に生き続けることが出来る。例え今日と言う善き日に引き裂かれようが、何を犠牲にしたって彼女の隣に戻り、彼女を護り通します。その為ならば、悪と成ることも厭わないでしょう」


 手に入れた魔法を、先祖代々の山を、たった一人の肉親である兄を、エリーゼと天秤にかけたとして。世界が傾き、反転しようとこれだけは変わらない。


「僕の天秤は、この身死したとしてエリーゼだけにしか傾きません。それは彼女にも理解されている。――理由を話せぬ代わりとして、この言葉は十分だと自負します。僕は、エリーゼ・リースを攫えた、ただ一人の男です」


 彼女を愛する花婿として生まれ落ちた男です。

 ただ、笑みを携えてそれだけを言う。全身を縛るような緊張感は、真実の愛を語る前では全て消えうせるのだと知った。きょとんとした様子で、僕を目に映したままのエドガーを見る。ああ、安心した。今の僕はもっとも自然体に近い。これが僕の中身だと、直に知って貰えるだろう。


「…それ、こういう奴なんだ、兄様あにさま。兄様と同じ愛し方をしながら、兄様と違う愛し方を、こいつは持っている、出来ている。……十数年過ごしたここでより、たった数日しかいなかったあそこでのアタクシの姿を見たんだろ。ねぇ、」

「エリーゼ…貴女も、本気と言う事ですね」

「アタクシは死ぬほど我侭だ。例えこの場で兄様から直々に処罰を食らおうが、気まぐれに逃げ出して迷惑をかけることはわかり切っている。…もっとも、兄様はそこまで見越していてアタクシを自由にしてくれているのだろうけれど。なぁ、アタクシは、檻の中より、野で過ごす方が似合うことを兄様も知っている筈さ」


 アタクシについて来れる男は、家の名目当てのクズより。何よりアタクシだけに忠実な狂犬が一番さ。

 にっ、と鋭い歯を見せながら不適に笑むエリーゼを横に。エドガーは深く息を吐いてから、そうですね、と言葉を出して。そこから先に迷っていたようだった。


「あくにんのこいびとがあくにんになりましたか」

「クロエ、」

「ゆうかいはんがひとごろしをおむかえに。はなよめに。まったくもってろまんちっくですねえ」

「クロエ、クロエ。少しお黙りなさい」

「はあい」


 …すごい勢いで刺し込んでくる。皮肉どころか抉りに来ている言動に、こちらまで目を丸くしたくらいだ。そこまで遠慮なく言葉を出せる程彼らは親密なのだろう。


「ノア君」

「はい」

「リースの家は。当主を失い、それ以来ずっと私が長い時を管理しています」

「……はい、」

「職務で、外交で、外遊で、愚かな輩をたんと見てきました。それと同じくらい、賢人も目にしてきた。弟妹の希望する婚姻相手も用意して、声をかけてきた名家に弟妹を薦めたことも」

「はい」

「しかし。こうも不徳と美徳を同居させる人種は見たことないと、今心から関心しているばかりです。…認めましょう。貴方は、私の一族と縁を結んだ者全てと比べても――最も愚かで、最も賢い」


 何故なら既に、生意気にもこの子を射止めた上で話しているのでしょう。

 エドガーのその言葉に、照れを含めた微笑でもって答える。


「咎めは無しと致しましょう。貴方達の不利益になるようなこともこれからはありません。和解は今ここに成立しましたと、これ以上学園で波紋が広がることも無いように処理いたします」

「エドガー殿、それでは…」

「弟の恋路の為に天秤からこぼれてもいいと全てを投げ出せる貴方がいた時点で、気付くべきだったかもしれませんね。ノア君は、過程はどうあれ……私の妹を、任せるに値する人間だと」

「え……エドガー殿っ!!」


 ぶわ、と両目に涙を溜めて感嘆の声を漏らす兄さんに。僕も、数秒遅れの喜びを噛み締めて、自然と涙が流れ出ていた。…好きな人の家族に、認めて貰えることが、こんなにも嬉しいのだと、身体が教えてくれている。


「ノア君。わかっているでしょうが、この子は誰よりもじゃじゃ馬で。誰よりも正直です。そして…今、私が一番心配している子、でした」

「はい」

「それも、ここで過去形にしましょうか」

「……ありがたき幸せに存じます」

「人を外れた行動でしか成し得ないこともあるのを、私は知っています。何故なら私も、人を言えぬ身。慈悲無く切り捨てた者達の上に立つ者。こちらの界隈にいると、どうしても直面することです。…それを、綺麗事にはせず、……この子に似た目で言われては、私も弱いと言うもの、」


 此度の会合は、これにて御開きと致しましょう。

 そうして息をついたエドガーの言葉には、春の兆しを感じ取る花のような、ふわりとしたあたたかさを纏っていたのを。この場にいる全員が、感じ取っていた。

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