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緩やかに過ぎ去る午後とも、穏やかに陽が落ちていく夕方とも、現在の時刻を過ごしている人間は外の様子を見てそう思うに違いない。夕方はいい、あたたかさと肌寒さ、昼と夜が一寸の間共生しあう瞬間の夕陽は何より綺麗で美しいから僕も好きだ。
「では、本題に入ると致しましょうか」
ただ、今の僕がいるのはイメージとしては極寒である。
震えはしない、ここまで来て怯えるような真似はそれこそ失礼にあたると言うもの。しかし、突き刺さるような視線を感じるのは僕の被害妄想から来る気のせいなのか、真っ当に視線を突き刺して下さっているのか判別は付きづらい。イメージでは何度も拭えた筈が、払っても払っても緊張と言う寒さが纏わりつくのをやめてくれない。…前世の僕の記憶や経験を覚えている分だけ洗わなくても十分わかる、だって、前世の僕は恋愛沙汰にはからっきし関係の無かった人間だから。狭い範囲で自己満足の創作活動で小さな幸せに満足しながら独身を貫いていた女性の経験を漁ったところでどうにもなるわけないだろう。つまりこれは、正真正銘、僕の場だ。愛する人の家族に会うという初めての経験が、あまりに重くのしかかる。しかも世間的には僕が誘拐犯、愛する人は被害者である。
出された紅茶に手をつけることも出来ず、しかしぴりぴりとした雰囲気だけは感じ取っていることを見せ。僕はひたすら、目の前に座る彼を…リース家を支える一番上の長男様から目を逸らさずに真摯に言葉を出そうと誓うのだった。
「改めまして。…彼の取り調べも終わったようですし、ここにいると言う事は「疑わしきは罰せず」と言う事ですので……ようやっと穏便にお話が出来ますね?ノア殿、アーク殿」
「…ええ、どうやら嫌疑が晴れたようで何よりです。なあ、ノア」
「はい。このように会合の場を設けて下さり、とても感謝しております」
…会合の場にウィドーと共に戻るやいなや、問題無しですと発言した彼に戦地ど真ん中でもあるこの席。テーブルを挟んではいるがエドガーの真ん前と言う位置の椅子を引かれて促され。僕の左隣に兄さん、エドガーの右隣には苦虫を噛んだような何とも言えない表情で座するエリーゼがいた。ノアー!と、小さめに声を上げて隣で迎えてくれた兄さんは表情からして「少し気まずかったので助かった」と顔に書いてあるくらいで、心労をまた増やしてしまったと思う。私設裁判所の被告人席か何かだろうか?と思える程、こちらに座りなさいと言うような目で命令してきたウィドーの感情が八つ当たりなのかはたまた目の前で話す権利を早く取れと応援してくれたのかは、分からないけれど。
伯爵家の実験を握るエドガー・リースを平民が眼前にすることなど、一生あり得ないことだったろうに。しかし、僕は。そのリース家の末妹をこれ以上無く、愛している。世界の中心では無く、彼女そのものを僕の世界だと主張してもいいくらいに、どうしようもない程に愛しているのだ。だから、向かい合いたいと心底思っている。膝の上に固まりそうな手のひらだが、しっかりと血管は通っているし血液も流れていて。ああ、大丈夫。僕は、話せる。…愛する人の身内にご挨拶、というものは、この世のうちに大きくある試練のひとつであると確かに言えよう。
「こちらとしても、逃げる気が無いようで大変安心しましたよ」
エドガーの言葉の後、傍に寄るクロエの眼光が非常に鋭くなった。口元だけ笑っている器用な様子に感服する。…あれは、脅し方が完璧に分かっている上に何かあっても潰せる程の実力を持っていますという誇示に他ならない。女王の話と、先程のエリーゼとの会話から推察すれば簡単だ、クロエという人は僕がエドガーに対して大迷惑をかけたことを何よりも気にかけ、怒りを笑顔のまま引き摺っている。エリーゼを心配する心も真実なのだろうが、この数十分だけでも垣間見た彼のエドガーに対する忠誠は並々ならぬものを感じるのだ。それこそ、エドガーが心配しているエリーゼだから自分も心配するスタンスだと言うことをひしひしと感じさせる…それはエドガーに対する執着、それしか考えられない。似た者同士は一箇所に集まりやすいとでも言うのだろうか、執着が強すぎる男が僕を含めてこの場に密集しすぎなのでは無いだろうか。
そんなクロエとは正反対に、死んだような目をしているのはエドガーの方だった。話しているこちらが心配してしまうくらいには、薄暗い。輝けば非常に美しい艶を見せると予想出来る銀色の瞳は、口惜しい程に濁りきっている。それは恐らく今回の件の心労だけが原因では無く、長年様々なことを目にして来た痕だ。ネームドキャラクターでは無いとは知っていたし、故に容姿も何もかも分からず、ただエリーゼに教えて貰った情報のみでしか彼を想像出来てはいなかったのだが…まるで、御伽話からそのまま抜け出してきたような見目だと思う。この邸宅に入り、彼らを目にした際の印象を例えるなら、まるでアラビアンナイトの中の住人だ。太陽に愛された灰色の肌だけでは無い、装いとしてのベールが揺れる様が、気品に溢れた所作のひとつひとつが地球に存在していたあの物語を彷彿とさせる。不思議だ、何も惑わされている自覚は無いと言うのにその振る舞い全てを妖艶に思える、正しく美しいからこそ恐ろしいとものと定義するような不気味さをあわせもつ様も、汎用的なファンタジーからは外れたアラビアンファンタジー要素に見える。
…相当数の兄姉を束ねている、一番の年長者であるにも関わらず、老いを知らない若々しい姿というのもその不可思議さを余計に引き立てているだろう。それが魔法によるものか、人間に見えて別の種族であるからという裏があるからなのかは流石に予測が出来ないが。
「場まで提供して頂いた挙句、更に深く口火を切って頂くと言うのも失礼な話。……この度は、あなたの大切な妹様を此処より攫ったこと、そのことより生まれた混乱に心からお詫び致します」
けれど、雰囲気に押し負けて口を噤むことなど、あるものか。空気を冷えさせる言葉を出したこの時から、僕には自信しか無い。彼女の全てを攫って、奪って、背負っていく自信だけしか。
「――しかし。僕は、その行動を、間違えたこととは今も思っていません」
今この場に僕がいれるのは、全て僕以外の人間のお陰だ。そもそも兄さんの名を借りて、兄さんの権力を借りて繋ぎ止めた貴重な機会。王都へ戻ることを是としてくれたエリーゼに、僕を誘拐犯として現状括っているであろう相手方が快く会合という条件を受けてくれたからこそ荒事無く、誰も彼も必要以上に傷つくことなく在るのだ。だからこそ、口を開くべき義務を持つ人間は僕以外に存在しない。僕の言葉で全てを釈明する責任がある、この役割だけは誰にも代わってもらってはいけない。
ぴりりとひりついた感覚が走る、空気の流れが針の濁流になったみたいだ。優しげな視線のままのエドガーを前に、それでも今だけは、引くことを知ってはならないと自分を叱咤する。傍仕えの二人をそれぞれが後ろにしながら、目をあわせていた。兄さんとエリーゼも、僕達の様子を伺いながら口数を意図的に減らしてくれているのを感じる。
「…ああ。便りにありましたね。私の大事なエリーゼを保護して頂いたようで何より。……そこで、あなたは終わらせたくないと言う訳で?」
「穏便に終わることは僕も望むところではありますが。……それでは、あまりに、僕に責任が無さ過ぎますから。僕の行為は全て、悪いことを悪いと知っていて行ったもの。結果的に見てそれがまだ善いものであったと評価されたに過ぎません。……僕はそれを自覚した上で、エリーゼ様を攫いました」
だって、あの場で彼女を救うものは、彼女に手を伸ばす人間は……誰一人として、いなかった。
「貴方の中で、僕は未だに犯罪者だと思われていてもおかしくない。それを、保護したから許せなんて不遜な態度で無かったことにしたくありません。僕も、あの日を無かったことになどしたくは無い。貴方にどのような人間と捉われていても、僕自身はあの日の全てを肯定します。――下手をうてば犯罪者として扱われる無謀を犯してでも、それほど本気で彼女を救いたかったと言う僕自身を、僕は失いたくない」
「…おかしいものですねえ。言い訳も無く、無かったことにもしたくない、と。この会合の根本を台無しにするような発言ですよ。…貴方の身を、危なくする言葉でもあると言うのに」
「貴方の目を見て、僕から貴方に直接言葉を届けなければ意味が無いと思っていましたから。…ですから僕は、全てを話したいのです。でないと、僕が本気で、…本気で彼女を愛しているということを伝えられないでしょう?それこそ、攫う前から、彼女の人生そのものを背負う覚悟でしたから」
深海にでも、沈んだようだ。水底のような静寂が、空気を撫で上げる。…冷や汗は、流れない。だって、今目の前にいる彼もまた、エリーゼを愛している者なのだから。以前にしていた誤解等、簡単に捨てられる。こうして近くで見たからこそ、分かる。
…あの場にいれば、彼も彼女の手を引いて導いていったであろうと。それほど深い愛を持っている人だと言う事が。
「………もし、連れて来られたこの子が、」
何秒の沈黙が流れたことだろう、瞬きを一回も出来た記憶が無い。それを破り捨てたのはほかでもないエドガーだった。しかと、隣のエリーゼを見つめてから、僕にもう一度その視線を向けて。その銀色の瞳はかたちこそ彼女と同じでは無いけれど。その中に輝くのは、きっと彼女と似たものだと確信をさせてくれる。
「…疲れた顔をしていたり。怯えた顔をしていたと言うなら。私はその時点で、全てに聞く耳を持たなかったでしょう」
「
「ですが。ああ、困ったことに。…嬉しいことに。貴女ときたら、エリーゼ。…とても、満ち足りた表情をしていた。私ではしてあげられないほど」
貴方の愚行を許すには、それだけで値しますよ。
そう、僕に言葉を投げかけたのだ。まっすぐに、僕を見て。僕の罪ごと、見てくれて。
「まずは、こちらの状況もあわせてゆるりとお話致しましょう。…ええ。とりあえずは、貴方を容疑者のくくりにはもう入れないでおきましょう」
エドガーの言葉に、兄さんとエリーゼが目に見えて安堵して。部屋に差し込んだ夕陽は、凍える夜さえも緩和させてくれるかのように、優しくあたたかな様子を見せていた。
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