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  目と目が合うだけで通じるとか、すれ違っただけで何かを感じとるとか。にわかには信じられないようなその感覚こそ、この世界では現実として有り得るのだと言うことを思い出させられた。理論的に基づいたものからでは無く、それこそ第六感と言われるべきものが今だけやけに力を発揮しているようだった。最早魔法とも超能力とも区別がつかない領域のその力が、ただひたすらに叫ぶのだ。…目の前にいる男は、敵ではない、と。

 フィクションのようなそれは、僕が今生きるノンフィクションの中で当たり前のように存在する。そんなのあり得ない、なんて地球での限られた常識に過ぎないというのに。未知との遭遇、が最早過去の物になっているこの世界にいると言うのに、久しぶりだ。固く結んだ警戒心でさえ、溶けていくように緩んでいく程……今自分の直感が信じることの方が強い。恐ろしいという先入観ばかりが先走って、自分の目を曇らせていたのではと反省してしまうくらいに、今僕は目の前にいる彼と「通じ合っている」のだと思う。


「…悪役令嬢、ですか、」

「もう互いに誤魔化す必要など無いと分かっただろう。元より、ワタクシはお前を、…同じ世界からの来訪者だと、信じていた」

「はは……ご様子から伺うに、恐らく悪い意味で信じられていたのでしょうね…」


 少し冷静に戻った頭で思考すれば、瞬時に細やかな部分にまで目を通せる。この気付きは、地球で言うあの現実世界を知っている者でないと難しい。

 エリーゼ・リースに対し悪役令嬢などという呼称を使う人物はどう考えたってひどく狭い枠の中に限られる。何故なら、純粋にこの世界だけで産まれた人間ならば彼女をどう評するか分かっているのだから。彼女を表す言葉はただ一つ、悪女である。その名の通り悪い女、一般的な感覚を持つ者は皆そう言う。

 悪役令嬢などと言う、彼女が悪役に宛がわれている・・・・・・・・・・・・・ことを知っている言葉なんて、この世界を俯瞰した見方でもしない限り口に出せない言葉だ。普通の出自であるならば絶対に、知りえない情報。では何故ウィドーは知っているのか、それを知った上で僕に接触をして来たのか。カナリア女王様の言っていた妙に気になる諸々も、立場を置き換えてみたら確かに理解出来るかもしれない。


「貴方の方が、僕よりも事情を知っているようだ。それは、今の僕にも分かります。そして大きな誤解もあったらしい」


 ――慈愛のマトゥエルサート、に心当たりは?


 ぴったりと嵌るであろう最後のピースを埋めるには、この言葉での確認が一番だ。意を決した僕の言葉に、ウィドーは僕の予想に沿った形で返事をして来る。……いいや、僕自身がこうやって聞いてくるように、誘導されたのだろう。波打つ心臓の音が、興奮を全身に伝えていく。十七年の月日を経て僕は、まさか同類に会うことが出来るだなんて今まで思いもしなかった。


「まあ、ワタクシの場合はあまりに中途半端ないきさつだがな」


 心当たりしか無いと、溜息混じりで返され。そうして、僕は確信するのだ。

 ウィドー・バレスクは。僕と同じ、地球からこの世界に転生してきた人間なのだと。


「ノア・マヒーザ。お前と言う人間は、本当に…対策が甘すぎるのでは?違う世界のことを話題に出されただけであれほど心音を響かせては、未熟にも程がありすぎる」

「え、その、」

「そもそも異界からの召喚術が魔法として存在する世界だぞ、ここは。幅広く魔法の知識があればその程度のことで動揺はしないだろう、甘すぎる、あまりにも同類として油断しすぎているんだよお前は」

「……正論すぎて言い返せもしません」


 顔色が青白の繰り返しになったと思ったら今度は赤白の繰り返しになってしまう。ずばずばと遠慮なしに切り込んでくる指摘に、そうだった!と僕まで遅い気付きを与えられた。そうだよ、そうじゃん、この世界には召喚術と言う魔法がある、ウィドーの言う通りすぎた。召喚術は文字通り、異界との交信を果たして化生けしょうの者…所謂クリーチャーと言う意思疎通不可能な者達と契約し自らの戦力にするかなりの高等魔法。違う世界、異世界、と話題を出されたらその話を思い出して誤魔化せることも出来ただろうが、とウィドーは更に続けていった。


「書面上で見た時は気にならなかったと言うのに、ああクソ、転生者同士で通じ合うと言うのは非常に厄介だな。もう粗探ししか出来なくなるっ…!駄目だお前あまりにガードが緩い、体ばっかりワタクシに追いつくくらいだけじゃあなんともならんだろ!」

「いやもう本当こちらこそ、大変、申し訳なく思います……まさか同じ境遇の人に会えるとか思ってもなかったので……」


 い、いい人だ…。たじたじとしながらも、僕は確かにウィドーが本当に敵では無いという確信を得てから一気に安堵して。そして、言動はきついがその言葉ひとつひとつが乱雑ながらも僕に対しての助言であったことにようやく気付いた。少し前に、僕が彼を敵で無いと特殊な直感で信じたように…彼も僕を敵と警戒することはやめたのだろう。それ以降の言葉も皆、この世界の中の更に狭い狭い山の中で育った僕に対していい意味でも悪い意味でも突き刺さるものばかりだったのだ。


「ご助言頂けるような人がいなかったんですよ、まさか……この世界によく似たスマホアプリの恋愛ゲームを知ってますとか身内に軽率に言えます?」

「それはまあ、言えんな」

「ですよね」


 それは、この世界を現実として生きる僕自身も、他の皆全てをも否定する言葉なのだから。絶対に、言えるわけも無い。


「ワタクシがお前を注視していて良かったと今本気で思っている」

「あ、そうだ、あの…女王様から、僕に執着されてると伺っていたのですが、その理由もやっぱり、?」

「…お前がどこまでの記憶を持っているかは知らないが、ワタクシの知っている範囲では「悪役令嬢に助けは絶対に来ない」筈だった。筋書きを外れた登場人物等、今まで追った中には誰も存在していなかったからな。そんなわけも分からん、得もしないような令嬢を助けるなどと言う行動を起こすのは、元の流れを知っていて壊したい意思がある人間に違いないと山を張ったんだ。結果は大正解のようだったが」


 主要人物が王都に揃ってから、お前が現れるまでは台本を矛盾しないような範囲でそれぞれ過ごしていた。ぽつりと呟いた彼は、僕よりもずっと長い間、この国にいたのだろう。国王付きの執事長という立場であるならば、そして何よりあの女王様と王様がいる場所で働いていると言うのであれば確かにどこよりも情報が集まるのは早いに決まっている。台本通り進んでさえいれば、物語に支障は無い。そして、彼が仕える王達にも、なんら不安要素は生まれることは無かった筈。


「初めてだった、自分と同じ世界から転生を果たした人間がいるかもしれないという可能性が過ぎってからは――気が気で無かった。分かるか?台本通り進むことに安堵していた人間が、その流れが壊されるのを見て、被害がもしもあのお方達に行ったらと考えるだけで、過剰に心配をしてしまう。視野を狭くするなと己を律したところで、ワタクシもこの世界の範疇外にある同類を思えば幾重にも予防線を張っておきたくなると言う物だ」

「それは…そう、ですね」


 なるほど確かに、僕は執着されるには十分な行動をした。彼に悪いことをしたと思えるくらいには、混乱を招いてしまったようだ。

 彼の仕えるカナリア女王とベニアーロ王は、主人公のヒイロともよく関わる人物だ。物語の主軸に位置する重要な人間達だ。この世界に来て、生きている彼らの人間関係をウィドーも知ったのだろう……ヒイロとカナリア女王がエリーゼと浅くは無い交友関係を繋いでいると知って。そして、そのエリーゼが、目的も分からぬままに、物語の流れを周知した様で壊しに来た男に攫われたのならどう思うだろうか。

 それは勿論、仕える主人達を巻き込みたくない、という結論に尽きるだろう。僕が彼の立場であったのなら、絶対にそうする。予想もつかない異星人のような不穏分子に対して、過度な防衛線を引いてまで対応しようとするのは当たり前だ、それが初めての同類との邂逅かもしれないと考えがよぎったのなら、尚のこと何重にも思案しては策を破棄せざるを得なかったのかもしれない。不安を抱えて、それでもあくまで穏便に接する、という選択肢を選んだ彼の苦悩は今ここに来るまで消えては現れたのだろう。


「あの…肩の力、抜けましたか?」

「そりゃあ勿論。……もしかしたら、あどけない顔をしたサイコパスかもしれない、なんて突飛な考えまでやらかしたワタクシが大馬鹿でしたよ…!ああ、はずかしい…」

「まあ創作物の中じゃ不正なチート転生で異世界無茶苦茶にするサイコパスが山ほどいましたから…心中お察しします……紛らわしい行動して本当すいませんでした…」


 地球では大流行でしたからねそういう創作でのジャンルが。


「……この世界での僕の目的は。エリーゼを、僕の花嫁にすることです。ただそれだけなんです」

「そう、か」

「幼い頃に、この世界によく似たあのゲームの設定を思い出して。それで、もうその時から、本気で恋をしてたんです。…前世の記憶の抜けは僕にも相当ありますけど。それでもはっきりと思い出せるうちのひとつに、エリーゼが断罪されてしまう日があった。だから僕は、救いたいと思った。彼女を救って、求婚して、あの山で一緒に暮らしてもらいたかった、」


 ただ、それもエリーゼの家庭内状況までは詳しく描写されておらず、この世界でしっかりと把握する前の自分勝手な欲を爆発させた時の思いだ。今は、彼女の身内にも認めて貰いたいと思っているし、誘拐なんて手しか取れなかったことを心から謝りたい。そして、一時的とは言えど、彼女の信頼する長兄まで、彼女を救わなかった男として見て怒りを燃やしたことを、恥じるべきだとも。


「……エリーゼも、僕も、貴方も、皆も…この世界じゃ役割なんて記号でははかれないでしょう?だから、エリーゼのことを深く知りたくて。なるべくなら、穏便に、最善を選びたかった。だから…この話し合いを受けてくれたエドガー様には、今は感謝しか無いんですよ」

「ええ。もうわかりますよ、…貴方はどうしようもない方向に、まっすぐな人間らしい」


 ひっそりと話し合っていたこの場所で、ようやく状況は変化した。もういいでしょう、と言ったウィドーが、僕の肩をすれ違いざまに軽く叩いて物置部屋の扉を開いた。


「詰問してすみませんでした。ノア・マヒーザに危険性はありません。…話し足りないことばかりですが、今はそれさえ分かればいい。これ以上貴方の兄を気まずい空間に放り続けているのもそろそろ良心が痛みますからね」

「お心遣い、本当に感謝いたします…」


 聞きたいことは、山ほどあった。この世界に来て貴方は何を目的にして生きてきたのか、何時頃からこの世界に類似したデータの記憶を思い出したのか、どのような境遇を経てからここに立っているのか。ただ、今ばかりは時間があまりに足り無さすぎて。

 先程引っ張られた襟をささっと整えながら、服装や髪に乱れが無いかさりげなく確認しながら後ろをついていく。…僕より少し高い背、少し長い後ろ髪を尾のように結い、僕とは反対の目に肩眼鏡をつけたその容貌を追う。ああ、最初から、僕達は鏡合わせに似たような存在だったのでは無いかと。僕に良く似た後ろ姿を見て、今度こそ前世としては正しい意味での味方を見た気分になっていた。

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