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 一体どんな能力の魔法を使われたのやら、話し合いの場にようやくたどり着けた俺はエリーゼちゃんと共に後ろから突き飛ばされたような形で、綺麗とは言えない入室を果たしてしまった。まさか中にまで案内されてからノアだけ突っぱねられるとは思わないだろう、話し合いには不可欠な当事者が追い出されるなんて。背中の方から何か働いた力に押されるようにされ、些か強引では無いだろうかと苦虫を潰したような顔で、姿勢を整え室内と再度向かい合う。


「エドガー殿。……ここに来て再確認したくはありませんでしたが、あくまで穏便に、というお互いの誓約を破るおつもりは?」

「いいえ、全く。お返事させて頂きました通り、貴殿方を丸腰のまま全て受け入れさせて頂くと申しましたから」


 悠長に茶の準備をしているクロエの後ろ、部屋の奥に声を投げ掛ければしっかりとした答が返ってきた。同時に、その姿も見せて来る。……影武者と言う様子でも無いらしい、あっさりと姿を見せ淡々と話す様は一枚二枚、余裕の程で上手を行くことを示している。しかしそこに、嫌みたらしい慇懃無礼さは全く存在しなかった。

 そこにいたのは、銀。洗練されたかのような、しろがねの色。瞬きする度に雪のように煌びやかに光る瞳は、輝かしくも全くもって生気が無い。アンニュイな香を悟らせながらも、優しい声を出す…フェイスベールで表情を隠したこの邸の主の容貌に、場所と状況が違えばまず間違いなく見惚れていただろう麗しさを感じてしまった。


「彼には、この場を整えること以外にも大変世話になりましたから。その見返りです、貴方の弟についてどうしても気になることがあるそうで……ただの内緒話で終わるとよろしいですね」


 他人事のようにさらりと告げた後、エリーゼちゃんを心配するような声と視線が彼女に向かう。まあ、そりゃそうだ、向こう側の一番の本命はエリーゼちゃんなんだから、大事な妹が男に囲まれて来ましたってだけでも癪にさわるだろう。

 ……ノアが悩んでいた通りだ、彼らも間違いなく、エリーゼちゃんを「見捨てない」人。小さな頃から結婚したいと夢を見ていた、まだ顔も見ぬ彼女に恋をしたあいつが乗り越えるには、あまりに辛い相手達。なんせ、正しさという一点ならそりゃあ向こうさんが真っ当だ、俺達はあまりに薄汚れた手を取っている。弟夫婦の為とは言え、俺も今この場に来るまでに正攻法とは言いづらいことをしてきたものだから、後ろめたさが勝っていると言ってもいい。


「話し合いは、彼らが戻ってきてからに致しましょう。ええ。取って食べるわけではありませんので大丈夫でしょう。それまで、少しは落ち着ける時間を取ったのですから……息が詰まるでしょう、ここは」


 ラベンダーの香る紅茶がここにいる人数分だけ並べられる中、顔面の筋肉が引きつっていく。

 無事で早く戻ってきてくれノア、と。心細さをここにきて感じたのは言うまでも無い。


 × × ×


 もっと冷静に返答出来た筈だろうと後悔しつつも、いやあれは無理だと結論付けるしかあるまい。よく考えれば、動揺をするべきではなかったのだと言うことはよく分かるのだが、それは結局理想論。……僕の存在がここにある理由の大半をあの一言で言い当てられたようなものだ、それに反応しないように知らん顔が出来る程立派では無かった、外の世界の人間との交流が浅かっただけ。なんとまあみっともない姿を晒したことか!


「安心しろ、取って食うわけじゃあない。まずはその鬱陶しい震えをどうにかしないか」


 お前、よくそんな状態で暮らしてきたな、と。追い討ちをかけるようにグサグサと指摘してくるのは、僕の前にいるウィドー・バレスクと言う人間だ。まるで、とか、そんな例えはいらないくらいに僕の触れてほしくない領域の話をぐさりぐさりと突き刺してくるこの正確さに、薄気味悪さを通り越して感動すら覚えるレベルだ。

 …ほこり一つ無い、うっすらと明かりを落とされた物置部屋。遠くに行き過ぎてもあれらがうるさいからな、と、僕と二人が分断された応接間からそう離れたところには無いここに放り込まれるように連れ込まれてまだ十数秒しか無いと言うのに時間を長く感じる。ひどい目にあわせるわけでは無い、と言う範囲に、僕の前世を拡散するなどということも含まれないだろう。何がどうやって、僕を前世持ち…しかも、地球という異なる世界から転生した稀有な経歴持ちだと知ったかは分からないが、判断を下すのは早かった。何がどうあろうと、この男はやはり僕を知っている、のだ。


「…そりゃ、震えもしますよ。違う世界から来た、だなんて。――本当のことを、言われもしたら」

「ほう。…ノア・マヒーザ。馬鹿のふりをしているのか、本当にただの間抜けなのか、と考えてはいたものの。なかなか、物分りが良い方だったか?」


 まだ当たりの部類を引いた方か、と。非常に気になる一言を残しながら続けていく彼の姿を、目に焼き付けた。彼の左目にかかる片眼鏡、流して後ろに結んだ髪…ローズグレイの個性色を纏う執事の男に恐怖すると共に、妙な親近感をおぼえてしまったのも事実で。だからこそ、平然と言えたのかもしれない。あなたの言ったことは本当のことだと、それに関しては怯えもせず。

 知っているのなら、どれだけ嘘をつこうが無駄だ。それに、僕は今日ここへ、責任を取りに来た。であれば偽り無く答えを紡いで見定めて貰うのが、この場では一番なのだろう。ただその試練が、「前世」の記憶に関連するだろう物だと既に予想がついているのが地獄を極めているというだけで。


「ワタクシも腹を割って話す覚悟を決めた、ああ、いや、お前には分からなくてもいい。こちらが勝手に悩みすぎたことだからな、ぐだぐだと会話を長引かせてはここの主人にも悪いだろう。手っ取り早く聞こう、……お前は、エリーゼ・リースを”悪役令嬢”と知っていて、”この世界”で何をするつもりだ?」

「、っは、?」


 肝が冷える。…違う世界、と言われた時。もしも、万が一、との考えが掠ったのは本当だ。カナリア女王から、一方的に僕を知っているみたいだと忠告を受けていた時から違和感しか無かった。だって、僕は彼とも会ったことも無い、顔も名前も分からない。そんな状態だったのに、「執着しているみたいだ」と報告されたところで疑問しか浮かばなかった。その疑問が、今の、たった一言で晴れていく。同時に、それを聞いて彼は何を確かめたいのか、新たな疑問が生まれた。

 この不思議な感覚を、僕は理解出来る。――と、言うより、これは、僕自身がエリーゼに行ったことをフラッシュバックさせるようなものだと気付き、ハッと息を呑んだ。この世界で、会ったことも無い、名前も知らない、そんな男に執着され告白され、わけも分からないまま連れ去られた少女の名を知らぬわけが無いだろう。デジャヴュ、だ。拭い切れない違和感の正体は、デジャヴュ以外の何者でも無い。今日と言う一場面だけで無く、おそらく彼が僕を知っている経緯と言うのも酷似しているのではないか、と連想させた。無謀にも彼を目の前にして、脅されることは無さそうだなどという悠長なことを、妄想では無く核心として今はっきり捉えられたのだから。


「あ、なた、もしかして、?」


 …彼が知っているのは、正確には、僕ではないのだ。僕を知らないからこそ知っている、と言ったあの女王は、一体どこまで人の中を覗けるのだろうかと戦慄する。えも言われぬ奇妙な感覚だけが、今の心境を説明する為の手がかりになっていて。


「この世界の展開を、知って、」

「………どうせそうだろうな、とは思ったが。同類が直接会うと、ここまでシンクロする物とは思わなかったさ。悩んだ時間が無駄になるくらい、…あっさりと、察してしまうな、」


 今のこれは、そういうものなんだろうと、青い顔をすればいいのかどうかさえ分からなくなる。彼が吐いた言葉を理解出来るのは、多分、今のこの世界では僕一人だけしかいない。あれ程あった猜疑心でさえ、いともたやすく取り払われていくのを感じる。

 エリーゼを救うことを命運と定めた僕が、知らぬ間に結んでいた糸。遅かれ早かれどうあっても、気付くことになる存在が……彼、だったのだ。


「やっぱり……僕と同じ・・・・?」

「嫌になりますなあ。感覚だけで分かってしまうと言うのは、ひどく、気持ち悪い」


 こんなこと、地球ではありませんでしたからね、と。

 そう言って呆れた面持ちで僕を見るウィドーからは、ほんの少し険しさが抜けていた。 

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