33
本当に、男の体で良かったと思うことは多くある。やはり腕力があると言う点においては役立つ場面ばかりだからだ。
「は~い!いらっしゃいいらっしゃい!お一人様数を守ってお並びくださいね~!」
例えば、まさしく今。時間通りの放送が流れ市場が開いてから数分、出店スペースの奥の方だと言うのに一目散に来て頂けるお客様の回転の速さにもついていける体力は勿論のこと…相当の重量を積んできた木箱をせっせと動かしても体がきしんだりすることも無い。前世の身体とどうしても比較してしまうのだが、地球にいた頃の…正直剥離しすぎたからか前世と言うより最早先祖の感覚である。先祖の身体能力では絶対に出来なかったろう力仕事で役に立つと言うのは、僕にとってとても誇らしいことのひとつでもある。兄さんとエリーゼの声がお客様と向き合う中、僕もいつもの笑顔を欠かさず明るい接客をしながら運搬に包装に声かけに…と、限られた場所でくるくる回っていた。
来て頂いた人達の手元を見れば、他の店の商品袋なども持っていない人が多く。真っ先にお求め頂けることは幸せだな、と心に染み渡っていく感動を飲み込んだ。前の人を焦らせないで下さいね~と、優しく言葉を出しつつも待ち切れなさそうな人に釘をさしながら増え始めた人数を列にしていく兄さんは流石手馴れすぎたもの。……いや、地球の時の同人誌即売会よりも体力使うなこれ、だなんて冗談を自分の頭の中でいつも言ってみる。ここが地球の現代なら某スタッフの名言集の中に絶対兄さんが紛れ込んでてもおかしくないとは思った。
「はいどうぞ!また今度の出店の時も来て下さいね!次のお客様!はぁい!いらっしゃいませ!はい!花蜜二つにマーマレード一つね!ノアー!」
「はいはい!紙袋でよろしいですか?はい、すぐのお渡しです~!」
「釣り銭無し、ちょうどですね。ありがとうございます、またのお越しを」
商売することは、楽しいけれど過酷な時もある。災害並みの天候が来ればモロに被害を受けるのは僕達のような農家であるし、儲ける手段がたったひとつではそのうち死ぬのが関の山。まして、家族に大人もいないままで今も、若さを理由として強引に身体を使いまくっているのだから、下手をすれば無理が祟る。色んな面からリスクを背負うことは確かで、楽しいだけでは無いのが仕事だ。それでも少しずつ成果が出たり、ちまちまとした思いやりが誰かに伝わるだけでも充足感に満ち足りてくる。季節やタイミングによっては鬼のように忙しいこともあれば閑古鳥が鳴く程さっぱりの時もある、その様々な想定を全て乗り越える気概で行ってこそ、後から報われるのだ。
伊達に王都から相当離れた山奥にずっと住んでやしない。幼かったあの頃から比べれば、僕も随分仕事に真面目に向き合えることが出来ていて。兄さんと、僕と…そして、僕の花嫁の、エリーゼ。支えたい、守りたい、そう思えるものが増えれば増える程、人は平然と限界以上に頑張れる。それは、今の僕の状況が表しているだろう。
「ふう、ちょっとは落ち着いたね」
「いつも最初の一時間が特にすごいからなあ……エリーゼ様、疲れてませんか?」
「いや。…しかし、王都とは、こんな小さな隅の方にも雪崩れ込むくらいの人間がこれ程いるのかと、関心している…」
てきぱきと釣り銭の整理をしながら売り上げのメモにチェックをばばばっとつけていくエリーゼの表情は、あまりお上品では無い状況を見たことを楽しんでいるような様子だった。
貴族として産まれ、周りから一歩引かれて接されていた彼女に、村や町で出店した時以上の人の並び具合や密度は珍しいものだったらしい。そりゃあ、伯爵令嬢が率先して民間の市場に御付も無しで来ることの方が考えられないだろう。彼女の性格上、あまりに人が多く騒がしい場所には望んで行くことも無い。人口が多い王都に生まれ、王都で過ごしながらにして、人の多さを実感する機会が少なかった彼女の居場所は。…彼女を認め、愛し、心配してくれていたエドガー・リースの加護下の家だけだったのだ。幾ら取り巻きがいようと、女王がいようと、きっと彼女は家以外では本当の孤独を過ごしていた。彼女が唯一後ろ髪を引かれているエドガーの存在は、そんな孤独を埋めてくれる拠り所であったのだろう。小さい頃もエドガーに連れられて色々な場所を見に行ったと言っていた、…家族以上の信頼を手に入れたいとは思わないが、エリーゼが休める拠り所に僕もしっかりとなりたいものだ。
「お、そろそろ孤児院の人が来る頃だな。落ち着いた時間に約束しておいてよかったな」
「ほんと、ここで商売してると他でののどかな時間が嘘みたいに時間経つの早いねえ……」
すぐに受け渡し出来るようにと、既に十時を過ぎた時計台を見ながら多量の取り置き分を傍に置いておく。孤児院ヒノヒカリは、いつもは宙に浮く絨毯と共に職員が全てを受け取りに来るのだが…今日は代理の神父が引き取りにくると言う。理由はどこにでもある、人手不足。あそこの孤児院は職員がぎりぎりの体制だと、昔から話ついでに愚痴を聞いたりしていたから分かる。今回の受け取り人変更も、職員二人が体調を大きく崩してとてもこちらに一人やる余裕が出来なかったからだと。なんとも世知辛い、異世界だろうがどこもかしこもそういう問題からは逃げられないらしい。……荷物の受け取りの量、結構半端無いことをその神父さんは知っているだろうか。少しだけ心配になる。
手伝うと言ってくれたエリーゼが、木箱の個数を読み上げて一緒に再確認してくれた。会計の為に組み立てたテーブルに背を向けて、簡易窓口から少し離れた後ろの方で二人で過ごしていた――そんな時、だった。
「あ、あのう。すみません。ヒノヒカリさんの代理人…なのですが、お荷物を受け取りに来ました」
兄さんの元に、一人の背の小さな女の子がメモを片手に寄ってきたのが視界の端にちらりと見えて。
「はいはいー!…って、あれっ?ヒノヒカリさんの代理人、って……ええと、フレデリカ神父と言うお方とお伺いしておりますが」
「うう……すいません、そのフレデリカ神父が、急遽ヒノヒカリで出た急病人の看病にあたっている為、更に代理の代理と言う形になってしまいまして…」
「あ、これ受け取りの書類です。こいつがそのフレデリカ神父の同居人でヒイロ・ライラック。俺は付き添いのスオウ・カザルムと言います」
「神父と一緒に来て、良かったら自分達の家の分もと思ってたんですけど」
とほほ。
そんな、可愛らしい擬音が聞こえそうな少女に、大変ですねと声をかけながら書類をチェックする兄の背を。その向こうにいる、少女と少年の姿を、見て。僕とエリーゼはまるでゲリラ豪雨の中に佇むような心地で反射的に視線を向けていた。
――ヒイロ・ライラックに、スオウ・カザルム。
その名前、この距離からでもはっきり区別出来る二人の特殊な色。それを瞳に入れたが最後、気付かないわけも無い。あまりの唐突な出会いに、ひくりと顔面の筋肉が引きつるのを感じる。いきなり顔の肌が石にでもなったみたいだ。
(…兄さんの言ってた神父、って……フレデリカ神父のこと、だったのか…!)
脳内の引き出しが思い切り開かれる。ふれでりか、フレデリカ!その名は相当重要な名だ!コンマ数秒もしないうちにハッキリと頭に打ち出された情報は、なんとも運の悪いこと。誰だ幸先がいいとかこの前言っていた奴はと、ついでに僕の心までちくちく刺してくる結果である。
フレデリカ、それは。「慈愛のマトゥエルサート」におけるヒロイン、ヒイロ・ライラックを保護するノンプレイアブルキャラクターの名。神父でありながら、後に悪魔と愛を紡いでしまう複雑な運命にある…劇中でも屈指の人気を誇る公式から提示されたボーイズラブカップルを構成する一人。後者の設定は今は置いておき、大事なのは当たり前だが前者の方だ。そう、そのキャラクターは、ヒイロの、保護者。僕の心象風景が、とにかく爆発を繰り広げていた。それに、その隣にいるスオウ・カザルムと言う彼は。貴族に才能を見出され、リドミナ学園へ編入したヒイロの後を追ってまで彼女を護ろうとしている攻略対象キャラクターである、ヒイロの幼馴染だ。
なんたってこんなタイミングで出会いの場がセッティングされてしまうのか。神様、いえ、女王様。貴女はドラマティックを現実に求めすぎなのではないでしょうか。
「見たところ、魔道具とかが無いように見えますがどうやって持って行かれる予定でした?」
「俺、重力操作の魔法使えるので」
「ああ、なるほど。了解しました!しっかり密閉はしてますが、あまり大きく揺すらないようにお願いししますね。ノア、エリーゼちゃん、こちらの方にヒノヒカリさん宛の品出しお願い~!」
兄さんはそんな裏事情、知らないからそりゃあ無理も無い。だが。今、この場で、…殺しかけたあの子を前にして。エリーゼの名前を出すのは、緊迫感も全て通り越した地獄だ…!事実は小説より奇なりとは言うものだが、エリーゼが学園にでも戻りやしない限り出会うことは無かっただろうヒイロ・ライラックと、こんな巡りあわせで顔を付き合わせることがあるか、と。
二人して固まっていた状態から、兄の言葉でようやく身体が動けるようになった。すぐ、営業スマイルを顔に貼り付けてエリーゼが僕の図体の影に隠れるように歩む。小声で、この場は任せて下さい、とだけ囁いた。この市場で騒動を起こすわけにもいかない、当たり前だがエリーゼの精神上にも今この時というタイミングでは、良くない。良く、なさすぎる。彼女に、奥へ、とかばうように伸ばした手の先で小さくジェスチャーをするも、…エリーゼは。それを、今この場でも、望んでいなかったようだった。
「子犬。良い。今のアタクシは、れっきとした労働者だ。兄君とも約束したろう。客を選んで支障を来たすような女では無い」
「……そういう風に、僕よりかっこいいお顔をされないで下さいな、本当、」
ああ、なんて彼女らしい。隠れる、逃げることは、魔法を使っていない今でも好まないと言うのか。出すぎた真似をしましたね、そう言って彼女の前からすっとずれて動き出す。彼女の姿が、見えてしまう位置に、この僕が動いてしまったのだ。
……そうだ。彼女は、逃げない。エリーゼ・リースはどんな事態にも屈することは無い。あまりにも、強い女。そうであるからこそ僕は惚れたと言うのに、彼女の側面を弱めるような真似をしてどうすると言うのだ。数秒のことだと言うのに、背筋に氷を流されたようで。同時に、心を燃やされたようでもある。ああ、不謹慎ながら、僕は!今、この状況に、興奮してしまっている。女王様、神様、ごめんなさい。それでも僕は。
「……お待たせしました、引き取り分はこちらで全てです。ご確認をお願い致します」
「―――なっ、」
「え、?」
……このように、不適に笑む彼女を目にして。ますます惚れざるを得ないなんて、とち狂ったことを平気で思ってしまうのです。それが僕の、不器用な恋だから。
こうも早く実現するだなんて思わなかった、あまりにも唐突な主要キャラクターとの対面に。憶することなくその我を貫き通しているエリーゼは、まさしく、悪女足りえる存在感であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます