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 声を聞く。頭に入れたくないのに、勝手に入ってくる声があちらこちらに。そのどれもが今の私を気遣う様子を装いながら、その実あの人を悪く言いたいだけの汚いものばかり。耳を塞いだまま歩けるならそうしてやりたい。それくらい、誰も彼もがわたしを「被害者」として見ている。

 違うの。わたし達の関係に、加害も被害も関係ない。そう主張しているのに、どうして皆わかってくれないの。普段からはわたしのことなんて見向きもしないくせに、わたしとあの人を使って正義面をしたいから話しかけてくる人がもう何人もいる。今日ばかりは、わたしを本当に思って優しい言葉をかけてくれる人達とも距離を取りたい、誰の声も全部悪いようにしか聞こえなくなるから。

 スオウ達が本当にわたしのことを考えてくれているのも分かる、幼馴染だもの。多分、今のわたしより冷静なのが彼だってことも。感情的になって破綻した言葉をぶつけてしまいそうになるのを必死におさえて、今だけは誰からも離れていたいと思った。

 エリーゼ様、

 もうここにいないあの人の名前を呼ぶわたしの声は、泣いた直後のようにとても情けないものだった。授業中のわたしの席を空けてきてまで、普段は守ろうとしたルールまで破り捨てて一人になったところでわたしに何が出来るのだろう。いつだってそう、わたしは感情がどうしても先に走ってしまって動揺してしまう。そんなことだからうっとうしがられたり、嫌われたりしてしまう。面倒な人間だと思われてしまう。この学園に来て、色んな人から刺激をもらって、少しは自分が変われたと思ったのに、なにひとつ変われていなかったのかもしれない。そう思い込んでいただけだったのかも、しれない。

 だって、きっと。わたしが変われていたら、今、こんな場所で。学園で一人、何をすればいいのかもわからないまま突っ立ってなんかいやしない。変われたのなら、この流れを「変えられた」筈なんだから。


「どうしたの、今は授業中じゃない?」


 じわ、目尻に浮き出してきた涙の粒がいよいよ地面に落ちそうだと言う時に、そんな声が聞こえた。急いで涙を拭いながら、「誰?」と後ろを振り返る。

 一人の少女がそこには立っていた。


「ふふ、もしかしてあなたもサボり?……辛いことでもあった?ここじゃあ警備の人に見つかって戻されてしまうわ、一緒に向こうの木陰に行きましょう」


 あちらの花はとても香りが良くてリラックス出来るわよ、少女はそう言いながらわたしの手をとってきた。まるで、逃げ場所をこれからくれる、とでも言うかのように。どこかで見たような、見てないような。記憶にありそうなのにぼやけた印象を呼び起こす、顔が見えているのに、見えない。そんな不可思議な感覚だ。

 けれど、怪しいとは感じなかった。むしろ、とても安心するような雰囲気に包まれていて。少し休んでいきましょうよ、と言う少女の存在に甘えるようにして、人の気配がしない場所へとわたしは連れられて行った。


――エリーゼ様が、学園からいなくなった。


 正確には、この学園から連れ去られた、らしい。わたしが学園に復帰してからようやっと、今日で一週間が経ったのだけれど、それ以上に詳しい情報が集められない。むしろ、貴族階級である皆も教えられていないことが多いみたいで、平民のわたしにとってはもう何の動きようも無いのがとても、辛い。自分が無能だと改めて自覚して落ち込むことに歯止めがきかないくらいだ。

 ただただ、「どうして」以外に言葉が出ない。どうして皆があの人を追い出そうとしたの、どうして皆わたしのことを信じてくれないの、どうして、どうして。


「顔色がとても悪いわ、大丈夫?ヒイロちゃん」


 どこかに沈んでいきそうなわたしを、隣で呼び止める声がする。は、とようやく正しい意味で目を開けたような気がした。いつも隣にいてくれるスオウは今はいない、不安と安堵がごちゃ混ぜになった状態で大丈夫、と強がることが出来たのはわたしにしてはちょっとした進歩だろう。涼やかな木陰の下、誰からも見つからないよう座り込んで時間を共有しているその子になら、何でも話せそうな気がふいに湧いてきて。あのね、と、いつの間にか話し出してしまっていた。


 わたし、ヒイロ・ライラックにとってエリーゼ・リース様と言う人間は。スオウや、わたしをここへ誘ってくれた貴族の方、そしてカナリア女王様のように……わたしにとっては特別な感情を抱く人。初めて出会った、わたしの中に特別な思いを感じさせてくれた人。

 スオウからは親愛を、貴族の皆からは情愛を、カナリア女王様からは慈愛を、……エリーゼ様からは、たったひとつの憎悪を。わたしは頂いたのだ。

 もう記憶にすら無いけれど、わたしは生まれた頃すぐに孤児院前に捨てられていた経歴がある。その孤児院によく訪れてお祈りをしてくれていたのが、今わたしを引き取って一緒に暮らしてくれているフレデリカ神父と言う人で。魔法の才能も無く、同情的な立場からか周りの皆はいつもわたしに惜しみ無い愛を注いでくれて、わたしもそれに答えられる人間になろうと懸命に努力してきた。


 そんな、優しい愛しか知らないわたしの心に、毒のような憎悪を混ぜこんだただひとりの人が、あの人。エリーゼ様、だった。


 急に魔法の才能があると見出だされ、この学園に編入したのが三ヶ月前。エリーゼ様と出会ったのもそれからすぐだった。きっと、お互いに思った筈、それこそ電流を脳に浴びせられたような衝撃だった。自分達以外には分からない感覚、ぼやけた言い方だけれどそれ以外に表現しようも無くて。わたしを一瞥した後去ったその姿にすり寄る取り巻きが、彼女の気持ちも分からずにやかましくしているのを見てなんだか切なく思っていた。

 今思うと、生意気ながら、わたし達はもしかして。もしかしたら。ほんの少し似ていたのかもしれない。紅の色だけでは無い、誰かから嫌われやすい雰囲気だって。そして似ているからこそ、わたしはあの人に嫌われて。わたしはあの人と仲良くなりたいなんて思ったのだ。

 初めてだった。はっきりとした拒絶をしてくれたあの人だからこそ、わたしは恐れと同時に惹かれていって。


「ふうん、ヒイロちゃんはエリーゼちゃんのことが大好きなのね。だから、誤解されて悲しかったんだ?」


 慰めるように優しい声をかけてくれる子に、小さく頷く。そう、好き、わたしはあの人のことが好き。むしろ、わたしを嫌ってくれたからこそ、……わたしの人生で、一番はじめに嫌悪を向けてくれたからこそ。自分に無いものを授けてくれたから、わたしはきっと、エリーゼ様が怖くても、関わりたいと思い始めたのだ。どうしてわたしを嫌うのか、どうして嫌ってくれるのか、と。

 フレデリカ神父はいつも泣き虫なわたしを慰めては励ましてくれる。善き出来事も、悪しき出来事も、どちらも自分に出会う為にやってくるのだと。それを乗り越えるか、受け入れるかはその人の自由なんだって。だからわたしは、いつだって受け入れる方を選んできた。乗り越えてしまう、って、何だかわたしが全てを踏み台にしてるみたいな言い方になってしまって嫌だったから。自分に向かってきてくれたものは、全て受け入れて過ごしていきたいだなんて聖女染みた姿勢を目指すようになったのは、目の前にフレデリカ神父という聖職者然とした立派な人をいつだって見て憧れたから。

 だから、知りたいと思った。わたしを嫌ってくれるあの人の持つ理由を、わたしを認めて貰えるにはどうしたらいいのかという手段を、試行錯誤しながら努力してみたのだ。初めて与えられたのだ、わたしを心底毛嫌いしていると言う感情を、影では無く正面から堂々と表してくれたくらいに、あの人は正直な人だった。だから、わたしは諦められない。諦めきれない。

 あの人が、手を取り共に逃げるまでの価値があると、そこまで彼女を動かした人間の素性を知って安心出来るまでは。


「わたし、休んでたから本当に少ししかわからなくて。誰も詳しく教えてくれないけど、でも、……知りたいこと、いっぱいあって、」


 あの日、わたしが大火傷をした時。きっかけは全部わたしのせいだった。もう鬱陶しいから関わってくるなと、エリーゼ様から呆れたように言われてしまい。その顔を見せるなとまで。わたしはこともあろうに、そこで滅多にしない反抗をしてしまった。嫌です、と震える声で。

 ならば、死なずに次も生きていたら顔をあわせてやってもいい、と。冷たい視線のまま、彼女はひとつの区切りの提示として……わたしにその魔法でもって答えたのだ。わたしの一番の得意分野は回復・再生と言った希少なものを含む魔法。エリーゼ様もそれをわかっていたからこそ、わたしの力を図るために危険な手を躊躇無くとってくれたのだろうと思う。

 結果は、大火傷の重体で搬送だ。展開した魔法の再生を侵食するかたちで彼女の炎はわたしの体から離れずに命を奪う一歩手前まで来ていた。後から話を聞けば、周辺の金属も熱で普通に溶けていたらしく、わたしの体が欠けていないことが不思議だったそうな。回復魔法を応用した障壁とすぐに再生出来るように普段から呪文を体に刻んでいたお陰で、わたしは大火傷程度で済んで、「死なずに生きた」のだ。

 それから後のことを思うと、わたしがもっと綺麗に彼女に答えられていたら。わたしがもっと、わたしの怪我を一瞬で無かったことに出来るくらいに魔法を使えていたら。あんなことは起こらなかったのかもしれないと悔やむばかりで。


 ……スオウに、ようやく教えてもらったことのひとつ。エリーゼ様が、わたしが休んでいる間に、彼女を良く思わない人達によって断罪されたこと。その場から、知らない青年と逃げたこと。それからの消息が分かっていないこと……。わたしとの間で起こったことを引き金に、そんなことがあったらしい。

 他にも情報を集めようとしたが、断罪に参加した生徒達は恐らく処罰を食らわされていたのか軒並み欠席していて、唯一話を聞けた人間でさえも「もうリース家に目をつけられてしまった、これ以上は触れないでくれ」と怯えてしまい話にならない。あんなことをやっておきながらリース家の目につかないなどと思い込んでいた幼稚な精神に呆れてしまう、こんな人達によってたかってエリーゼ様は追い出されたのかと思うと、悔しさだけが込み上げてきて。

 同時に、彼女と一緒に逃げたと言う青年が、ひどく羨ましく感じた。

 わたしもまだ認めてもらっていないと言うのに。彼女をその場から救う権利を得られるだなんて、一体どんな人なんだろうと。 


「大丈夫。すぐ、あなたの求めるものはやってくると思うわ」


 だから今は休んでもいいのよ、と。優しい声がわたしの心を撫でる。ふと、唐突に身体に降りてきた睡魔に驚いて抗おうとしてみたのだけれど、力を抜いて、とその子が言うので……安心して、身を任せた。


 × × ×


「ひどい隈ね」


 膝の上に寝かせたヒイロの様子は、本当に疲れきっている。どこかに当たって痛みを生まないよう、分厚い眼鏡を勝手に外せばまともに眠れていないだろうことが分かる目の周りの隈が発見出来た。


「無理しないでいいのよ、あなたも私のお友達だから」


 彼女の緋色の髪をさらりと撫でながら、その人は微笑んでいた。


 眷属を通し目にしたからこそ、彼女が今どれだけ必死にエリーゼの姿を求めているかも知っている。その焦燥し摩耗する様子を抑える為、認識を歪める魔法を使ってまで彼女の悩みを吐き出させ休ませに来たのは一重に当たり前の理由があった。

 ヒイロもまた、その人にとって大切な友人であるから、……贔屓をしてあげたいのだ。

 一国の女王が真昼からこんな場所にいればどうしたってパニックになる。魔力感知からも引っ掛からぬよう魔力を完全に抑え、存在の認識概念を大きく歪め「どこにでもいそうな普通の少女」としか認識出来なくなったその人の微笑みは、それでも内から眩しい高貴さが滲み出ていた。


「もうすぐ会えるわよ、ヒイロちゃん。そう、あと二日後に、あなたの日常の中で」


 だから心配しないで、今はお休みなさい。

 彼女がヒイロの瞼の上に手のひらをのせると、すぅ……と隈がその色を消してヒイロの顔色も良くなっていく。

 

 王都で一悶着起こる二日前、束の間の休息が訪れていた。

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