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「ありがとうございました、次のお客様、どうぞ」


 淡々とした声が、品出しをしている僕の後ろの方で響く。誰も気付かないだろう、元伯爵令嬢がこんなにのどかな田舎で商品の会計をしてくれているなんて。もう、一年くらい前から僕の隣にいたのではないか?と自惚れたことを思ってしまう、それくらいエリーゼが普通の村娘のような様相で過ごしていることが馴染んでいた。力仕事等の慣れない箇所は除き、てきぱきと全てをこなしていく彼女の姿は本当にエリートそのものに見える。僕なんて最初は接客すらもどもりながら顔を赤くしてやっていた記憶があると言うのに、何に対しても動じることが少ない毅然とした態度で在り続けられると言うのは彼女自身の努力で得た才能なのだろう。愛しい人と一緒に働けるなんて、そんな風に今日も僕は想いつつ体を動かしていく。


 王都での市場に顔を出すまであと、四日。

 今日はニアマウ村とはまた違う、別の小さな町の方へ行商に来ていて。自分のことのように喜んで僕とエリーゼの関係性を語る兄さんに、都度常連の人達に挨拶を済ませながら一緒に働いてくれるエリーゼもいる。一難去ってまた一難、と言った状況ではあるが難と難の狭間にあるこの時間を、三人でほのぼのと楽しんではいた。現実逃避と言われてしまえば体裁は悪いが、心の負荷になる物からは極力遠ざけたいもの。根性論でなんとかなるだなんて滅びたような思考回路は彼女に向けたくは無い、ゆっくりと向かい合う為の体力や心の余裕を取り戻すにも、この生活での気晴らしは少しずつ役に立ってきただろうとは思う。


「……完売したな」

「お疲れ様!撤収だ!」


 疲労を労う兄さんの声が綺麗に響く。木箱の中からすっかり消えた商品は、ゆるりと時間を経て売れて行った。一気に軽くなり持ち運びも楽になったそれらを荷車に乗せる。恐ろしいくらいいつも通りで何もかも順調だ。時刻は三時を少し過ぎたところ、捌けが良かったのか早めの終わりだった。

 時間あるし、ちょっとおやつでも食べて帰るか!と、兄さんが時計台を見ながら僕達に言う。そう言えばこの町の喫茶店、焼きたての手作りパンがおいしかったなあと前に食べた時の記憶がほんのりと蘇ってきた。行ってみますか?とエリーゼに聞けば、小さく頷いていて。


「誰かと行くのは、久方ぶりだねぇ」


 ふ、と強張りが抜けたような微笑みを見て。様々な感情があわさった結果、財布の紐を最初から全開で弛める気満々になったのは、当然だ。


 × × ×


 ふわふわと、指で持った感触はとてもやわらかく。それでいて口の中に含むともちっとした弾力が楽しませてくれる。噛む程に広がるほのかな甘さは、焼きたてということもあってかとても良いフレーバーだ。生地に包まれた味が一切飛ばされずにこの形になったのだなあと思うと、やはり世間はもっとものづくりの業種の人達の技術を尊敬すべきだとも思う。


「おいしいですね」

「ああ、食べやすい。腹にすっと入ってくるのはいいねぇ」


 町の小さな喫茶店。家のように落ち着いた雰囲気で過ごせるようにと、素朴な装いの内部で僕達三人は軽食を取っていた。相変わらずここの焼きたてのパンはおいしくて、バターや特製ジャムをつける前にまずは一個、オーソドックスな状態で食べるのが癖になっている。白米をおかず無しで食べるのが好きなのと似た感じだ。

 目の前で珈琲と共に、僕のおすすめのパンを一緒に食べてくれるエリーゼ。気を聞かせてくれたのか、カウンター席の方に行き馴染みの店主と最近の商売について語らいあっている兄さんの姿があちらの方に見える。

 木編みの椅子の上、二人で囲んでおやつを食べるこの場面を切り取ったら完全にデートだ。平民にとっては喫茶店で食べるなんて普通の光景だろうけど、彼女にとってはまた違う意味を持つだろう。ああもう、どんなに小さくて当たり前の幸せでもいいから、彼女とひとつひとつ摘んで行きたいなんて思うのだ。


「しかしオマエには足りん量だろう」

「晩御飯たくさん食べますよ。お気遣いありがとうございます、ふふ」


 すこぶる穏やかな午後だ。ちらほらと席を埋める他の客の会話に紛れて、二人で群衆の中にひっそりと隠れていくのはいい気分で。

 そんな中、ある種熱烈な視線を感じたのは、食事も終わって飲み物のおかわりをたのみ始めたくらいのことだ。


「……おや、どうしたんだい、お嬢さん」


 少しずつ。少しずつ、僕達の方向に向かってくる存在を視認したのは先程だ。最初はおそるおそると言った様子で、段々と興味津々な様子でこちらとの距離を詰めてきて。ついには今、僕とエリーゼが座る席の机にもたれてきた。年頃は五、六くらいの小さな女の子、恐らくは他の客の子供だろうけれど、この幼さだと見るもの全て好奇心を刺激するのだろう。きらきらとした瞳が僕達二人を見つめている、可愛らしいなと思い優しくそう声をかけた。するとその女の子は、僕の声に反応した後、エリーゼに視線を移す。


「すごい…。近くで見ると、やっぱりアデラ姫にそっくりだわ!」


 ぽわん、と夢見心地のような瞳で彼女を見つめるその子の片手には、一冊の本。流れ星を閉じ込めたみたいにきらきらと瞳を輝かせる女の子の反応、それを見た僕達は視線をあわせて首を傾げる。

 少し困った様子でいると、奥からガタッと席を立ち上がった音の後に急いでこちらに向かう人間がいた。


「こら、エレオノーラ。その人達に失礼だろ!」

「あ、お兄ちゃん」

「ああ、いえ、大丈夫ですよ」

「本当にすみません……この子、最近その本にはまってて。何でもかんでも重ね合わせちゃうんですよ」


 呆れたような、しかしそんな妹を可愛いがっていることが透けて見える微笑みを浮かべるのは、女の子とは結構歳の離れたような風体の兄らしい。

 本にはまっている、との言葉を聞き。女の子の持っているそれに再度目をやれば、表紙こそこの角度では見えないものの、その装丁に既視感を覚えた。どこかで見た、と言うか。僕にとってはすごく身近な物だったとすぐ気付く。見慣れた本に、「アデラ姫」と言うワード。点と点がきっちり繋がってすっきりした気分だ。一連の女の子の行動が何なのかはっきり分かって、その純粋さに頬がゆるみそうになる。


「可愛いお嬢さん、この人はそんなに姫にそっくり?」

「うん!すっごく素敵!おめめが増えればもっとかわいくなると思うわ!」

「エレオノーラ!こら!変なこと言わない!」

「でも駄目だよ?このアデラ姫はもう僕の人だから。吸血鬼になんてあげないよ」


 取られたら大変だから内緒にしてね、なんて。しー、と唇に指を当てて微笑んだ。僕にしてはえらい気取ったことを言ってしまったとちょっと照れることになるが、その子にとっては、本の内容と同じくらいには夢を与えられたらしい。ぽっ、と頬を桃色に染まらせてから「素敵ね!」とまた笑顔を見せて。すみませんでした、と急かす兄に手を握られてもこちらを向き続けた状態で歩いて行って。またきてねー、なんてのんきな声で小さく手を振っていた。

 店を出ていく様子にひらひらと手を振り返して、エリーゼに向き直る。


「貴女が小説のヒロインにそっくりだそうですよ」

「…………ああ、なるほど」


 エリーゼが山に来てくれてからと言うもの、娯楽が少ないあそこで楽しみが生まれるようにと僕の本棚から何冊か貸し借りをさせて貰っていた。勉強や農園関連、税の本以外で僕の本棚を埋め尽くしていたのは恋愛小説ばかりでエリーゼに「想像通りだ」と面白がられた記憶がある。その中でも、とある一人の作家の本棚占有率がとても高かったのを彼女も知っている。


「ロジーの「アデラ姫の赤い糸」って作品です。アラクネ族のお姫様が、小さい頃助けられた吸血鬼に一目惚れして待ち続けるって話で」


 きっとその瞳の美しさが貴女に特に似ていたのでしょう。そう続けると、褒められているか分からんなという声だけが返ってきて、この難攻不落さに感動を覚える。

 前世の人格は無いものの、人の創作物を楽しむと言う趣味はこの世界でもはまることが出来た。何ということは無い、小さい頃に触れるものはどの世界でも多いし、自分の琴線に触れるものもそこらに満ちているだけの話。とある恋愛小説家の本と出会えたのは十一くらいの頃だろうか、エリーゼを想いその心を恋に昇華させている最中だった自分にとっては、これ以上無い程の幸せな夢物語を見せてくれる娯楽のひとつだった。美しく境界の無い目を八つ持つアラクネ族の姫が描かれた挿絵は、確かにエリーゼの炎を閉じ込めた宝石の瞳に似ている。虫人の目は、境界が無くそれそのものが美として語られることも多い。ルビーレッドの蜘蛛の姫、そう言われてみるとあの物語の主人公にエリーゼの雰囲気は少しは似ているかもしれない。まあ、性格は全く違うのだが…何だか自分の性癖を勝手に自覚させられてるみたいで恥ずかしいなこれは。


「確かあれはまだ、貸したことが無いでしょう。今の御本に飽いたなら言って下さいね」

「娯楽としては上々だが、分かり易くは染まらんぞ。オマエは味覚もそうだが、視覚も甘すぎるものを摂取しないといけないらしいからねぇ」

「……貴女、簡単に染まってくれないから、そんなところも好きなんでしょうが、僕」

「はは、嬉しがるか悔しがるかどっちかにしな。また器用な顔をしやがって」


 物語のようにはいかないのが、現実で。だからこそそれがいいのだ。一つ一つの光景をしっかりと確認しながら手探りで、僕達の時間は進んでいく。

 だって今は、展開をなぞるとはいかない。分かりきった未来などそこには無い。ドロップアウトの後を、この足で踏んでいくから。


 どこか、幸先の良さを思わせる程。のどかな時間を平穏に遅れた午後だった。

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