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「いささか、慎重になりすぎましたかね……遅れが生じたと言いますか」


 声が細すぎたのだろうか、彼が目の前の物に熱中していたのだろうか。その耳に届いているか分からない状態に、エドガーは冷や汗しか流せない。急ぎの連絡を入れた矢先、驚く程の素早さでリース邸に足を運んできた執事長の原動力がどこにあるのか、全くもって検討がつかないのが恐ろしい。

 リース邸、エドガーの執務室。昼になる前だと言うのにあたたかい空気を感じないのは、悩みの種が大きな動きを見せたということもあるが。駆け付けてきた人物の雰囲気が絶対零度に近いからだろう。一枚の便箋と、破られた封筒。エドガーにしか開けられない仕組みで送られてきた書面の一文字一文字を精査するように、何度も中身を確認しているウィドーがそこにいた。


「そちら、ご丁寧に朝一番、私宛に」

「……ハア……石橋を叩き過ぎましたかね。いえ、ご連絡ありがとうございました、貴方のおっしゃる通りです、エドガー様……慎重になりすぎた、」


 けれど、それでも良かったと言うようにどこか安堵を見せた横顔に。このウィドーという男でさえも、このように緊張感を持たねばならない相手なのかと疑問が生まれる。機密だろうと思うのだが、我が末妹を誘拐した人間の謎は深まるばかりだ。エドガーは、どうしたものですかね、と迷った言葉を吐きながらも。既に答えは出したように淡々とした態度のまま、自分より動揺が大きなウィドーを見て冷静になっていた。


 暫定として誘拐犯と位置付けた青年、ノア・マヒーザとリースの末妹エリーゼの幼い頃からの足跡を追う。それは、女王との茶会後。ウィドーとエドガーの間で調査をすべきだと意見があった上での課題であった。現時点で加害者と被害者である二人に、全くと言っていい程共通点が無いことに不信感を持っていたからだ。幸いにも情報収集に関しては、山の住人などとは違い速度も量も正確さも段違いで手元に揃うだけの地位がある。調査結果は短時間で自分達の元には来たが、二人の関連性を裏付ける物は、ゼロ。存在すらしなかった。

 ウィドーはノア・マヒーザという青年を。エドガーはエリーゼを、過去の利用施設やどこの街道を歩いたかまで細かい情報が記載された全ての書面に夜をかけてチェックを通し、改竄後が見られないか書類と記録水晶間に食い違いが無いか悪足掻きまでしたと言うのに。彼らは一度として出会ったことも、同じ店に一秒いたことも、すれ違ったことすら無い。証拠が無さすぎて怪しく感じる程だった。


「出来るなら、穏便に済ませる。……この目的に、変わりはありませんね?ウィドー殿」

「ええ、ええ。言いましたとも。ワタクシは、見極めなければならない。怪しいと断定するにはそれだけの証拠が必要です。個人の感情で決めつけては、それこそ、王の執事長の名折れです、」


 これ程分かりやすい表情を彼が作るのも珍しい、証拠があってくれた方が素直に疑えた、と顔に書いてあるウィドーは現時点でエドガーよりも困惑の色が強くなっていて。

 リースの恥を広げること以上に、エドガーにとってはエリーゼの無事と幸福の方を優先することが当然であった。心配も、不安も強い。どこの馬の骨とも知らぬ田舎男に連れ去られたことだけを聞かされれば、クロエに暗殺を頼んででもエリーゼを強引に取り戻しただろう。けれど、エドガーもウィドーも既に見てしまっていた……あの出会って数日だけの青年の傍にいる時の彼女が、この広い邸宅でいつも独りだった彼女よりも、満たされている顔をしている。知らなければもっと迅速に動けただろうし、躊躇もしなかっただろう、ただの誘拐犯であれば冷徹に判断を下せただろう。けれど、見てしまったのだ。見せられた。「彼女の幸福にはあの青年が必要だ」と、脅すように、逆らえないあの女王から。今考えれば、自身の精神に揺らぎと綻びをかけるには十分過ぎたのだ。

 末妹を親しい友人だと。全てを覗いて知ることの出来る女王が、エリーゼの為にエドガーを焚き付けたのか。女王の言葉を素直に受けとるのであれば、エリーゼを贔屓してくれているのだろう。あちらがこの行動を起こしてくる未来まで彼女は見えていたと言うのか、もしくは女王自身がこうなるように道を提示したか。……悩んだところで、エリーゼの無事だけしか望まないエドガーにとって。強行手段か穏便な手法か、取るべき手段は決まったも同然だった。


「でしたら、この流れは私達にとっても好都合でしょう。……一応、彼らもことを大きくして犯罪者扱いされるのはごめんのようですからね」


 ――拝啓、エドガー・リース様。

 リース家の当主の名を綴って始まった文面が送付されてきたのは、今朝も早く。郵便業が勤務を開始した時間からすぐのことだった。

 カナリア王国領土内でも指折り数える程しかいない、大精霊魔法の若手権威者……アーク・マヒーザ。目に見えて活躍している者達と比べるとどうしても影が薄くなってしまう人物ではある、王族ともリース家とも直接の関係は無いが国の魔法研究機関に大きく貢献している人間のうちの一人。そして、……こちらに手紙をしたためてきた人物でもある。

 ノア・マヒーザの経歴を完全に洗った時から親族にその名が挙がったのも既に判明済みではあったが、弟の行動を知っているか否かまでは流石に把握が出来なかった。単独で決定されたのか、彼の兄であるアークも手を貸していたのか。私怨で冤罪をかける訳にもいかぬ、何よりノア・マヒーザが居住する山の管理人は彼だ、いずれにせよ接触は避けられない人間だとは察していたが。まさかこのような形で相手から動かれるとは意外であった。

 

「保護、と。あちらはそう言われていますね」

「……状況だけで言えば、エリーゼ嬢の窮地を救ったようにも見えますからね、」

「おおぼらを吹くためにわざわざこれに入れて伝達もしないでしょう。そこまでする勇気があれば、ペテン師になる才能がありますよ」


 送付された手紙の内容は、要約すればこうだ。


 ――心身ともに疲弊したエリーゼを保護している。しばらくの休息が必要である為、丁重に過ごして貰っている。弟が突然の無礼をしてしまったことについては謝罪するが、善かれと思って起こした行動を犯罪扱いされては報われない。出来れば穏便に話し合いの機会を設けたく、次回王都に向かう際にお会いしたい。荒事は無しの方向で願いたく――


 最後に、ただ山の管理者では無く、ノアの保護者でも無く……権威者、として依頼すると言う言葉を付け加えられては、無下にすることも出来ないだろう。送付に使用された便箋と封筒は、限られた者にしか使えない数少ない特注品……それに入れられて来た内容が本気で無いことなど有り得ない。謝罪の言葉こそ何度も入っている点から誠実な対応をしようとする姿勢は見えるものの、荒事は無しだ、との言葉は強くこちらに対して要求されたものだろう。つまり、要求が飲まれずに過ぎてしまえば、彼は権威者として何か仕出かす覚悟もあると言う意味にも取れる。

 一般人であるノアより厄介な人間が仲介に入っているこの事態、水面下で穏便に、と言う目標があるエドガーにとっては相手方が強行手段を行わなかっただけでも運がいいと感じていた。心底悔しさを感じる上に、末妹への愛情でさえ否定された心地ではあるが……それでも、誰にも見せたことの無い笑顔を己の知らない他人に向けて話すエリーゼの姿は、固定観念を吹き飛ばすには、強すぎる光景だった。


「我々も落ち着く時間を与えられたと、そう思っておきませんか、ウィドー殿。……わざわざ権威者としての名で対話を要求されたとあれば、その言葉に嘘は無いでしょう。エリーゼの無事はまず確約されている筈。私は、彼女が無事であるならばそれでいいのです」

「……ええ。はい。直に顔を見なければ、話を聞かなければ、目的を理解出来ないでしょう。……こちらの返信、ワタクシが返しても?」

「構いません。逃げる気も向こうには無いと判明したことですし、あちらの望みに添うことと致しましょうか。……カシタ農園が王都の市に出店する日時などもう分かっておりますし、何をしようが情報を掴む早さでは彼らはこちらを上回れません。偽りや愚策を並べ晒したのなら、すぐに対応を切り替えればいいだけのこと」


 そう。善悪の区別もまだつかない状態であるからこそ、足踏みをしてしまっている。善か悪か、これは曖昧に隠されたその姿を白日に晒させる機会でもある。


「申し訳ない、ワタクシも自分の予想以上に頭に血がのぼっていたかもしれません。……貴方にこの件を持ちかけたのはワタクシですのに、とんだ失態を」

「いえ。……私は、エリーゼさえ無事でいればいい。貴方はノアを見極められればそれでいい、と言われましたが。エリーゼの幸福を願うなら、ノアという子が本当に相応しい男であるかも見極めねばなりません。結局のところ、ウィドー殿の目的は私の目的に繋がりますから……調査のご協力、これからもどうぞよろしくお願いいたします」


 書面を手にした二人は、数十分の間の緊迫感からようやく解き放たれた気がした。会合するとなれば今から予定を調整せねばなるまい、向こう数十日も仕事仕事で埋め尽くされたスケジュールを、恩着せがましく強引に開けるとしよう。場所の確保に人払い、盗聴防止に防音かそれと似た状況も必要で。全く、つくづくこちらに対して要望が多すぎる容疑者共だ。


「とかく、人の家族を許可無く勝手に奪い、花婿になるなどとほざく覚悟が軽くないことだけを祈っておりますよ。――軽いと分かれば、合法的に始末出来ますしね」

「……やはり、使用人が物騒なのは貴方の影響だったとよくわかりました」

「いやあ。怖いだなんて。ねえ。本気になった時だけですから。信じてください」


 山奥の向こうできっと、一人の青年が大きなくしゃみをしたことだろう。

 双方の沈黙が解禁されるまで、あと、九日。

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