24

 兄さん、大事な話があるんだ。

 夕飯も風呂も終わった後、そう文字を書いたメモ帳を見せ付けながら僕は「寝る前に帳簿見せてもらいたくて」と、ひきつった顔で兄さんの部屋へと突撃した。ぽかんとした様子だった兄さんは、すぐに理解してくれたのか苦笑しながら溜息を吐いて「またお勉強か、この前も数字は苦手だって言いながら寝落ちしたろ」と笑う。その後に続いた、エリーゼちゃんが来たからかっこばっかつけたがるな、と言う兄さんの言葉に。その通りだよ、と開き直った。


「昨日も寝不足でエリーゼちゃんに怒られたろうに、頑張るねえ」

「ちょっとだけ、ちょっとだけだよ!今日はもうそんな遅くまでしないし!見回りももう終わらせたから!」


 帳簿の付け方を習うていでいれば、筆談をしながらペンの音を響かせても仮にエリーゼが起きて壁に耳を貼り付けていたとしても疑われることはないだろう。本当なら、エリーゼが寝静まるのを待つべきなのだろうけれど、善は急げと言うやつだ。どうしても早くに相談をすべきで、かつ力を借りねばならない兄さんと話さねば始まらない。とは言え、昨晩の徹夜の一件で僕を心配してくれているエリーゼは今日こそ早く寝ろと、風呂上がりに部屋に送った僕に思い切り釘を刺してきた。商売の後畑を耕したと言うのに、今夜のエリーゼには疲労感が見当たらなくて。あの目は、寝なかったら夜中に気絶させに来るぞと言っているような迫力があった……。

 そんなわけで、エリーゼにも疑われずに兄との秘密の密談をする為にいつもの風景を装って筆談、なんて面倒な手を選んでいると言うわけで。王都行きが決定しているその日が近付くまで、エリーゼには敢えて情報を遮断しておこうと思うのだ。親族側のことを知っているのはエリーゼなのだから、初めから話せば知りうる情報も多くなるかもしれないが…それ以上に、目的が僕だと言う女王様の執事という存在が恐ろしいのだ。それに、現当主もその使用人も怖いし、ヒイロはともかく彼女の攻略対象である面々がエリーゼを目にしたらどうなるか。僕だけでなくエリーゼにも間違いなく二次被害が生まれる。だが彼女の親族とは遅かれ早かれ顔を突き合わさなければいけない、そういったリスクを少しでも減らしながら会えるようにするには、今日思いついたことを試してみるしか無い。…恐らく僕を誘拐犯として見ているエリーゼの親族とあわよくば接触を図る為に一役買ってくれだなんて厚顔無恥な頼みごと、この状況下でしか出来やしないのだから。

 机で帳簿を開いていた兄さんは、眼鏡を外し布で拭く動作を終えた。その横に立ち、メモ帳を半分の分量程もいで手渡す。本当に、ツーカーの仲といえるくらいの絆には感謝しか出来ない。


「帳簿関連の書類、ようやく簡略化された部分も出たからまた変更あるかもしれないなあ」

「えー、この前覚えたこと使えなくなるんじゃないの」

「まあまあ、無駄は省くのはいいけど、難しいことも覚えておいて損は無いよ。お達しがあれば対応しなきゃだけど」

「お役所も大変だとは思うけどね」


 エリーゼの家族に接触したい、乱雑に書いた僕の文字を見ながら兄さんは自然体で話しつつペンを走らせてすぐ見せてきた。

 ”いいぞ、あれ使ってやる”……間髪入れずに書かれたそれに、頭を下げて。すぐ明日にでも、と付け足した僕の文章に、兄さんは二重丸をくるくると書いて了承の意を示す。本当、こちらに戻ってきてからは兄さんに頼りっぱなしで申し訳無いな。しかし、これほど強くて頼れる味方もいない。

 引き出しに手をかけたその中身。兄さんは特別な封筒と便箋を取り出して、にっと微笑んだ。筆談の音が時折聞こえる中、息の合った僕達兄弟は実に見事に話を続けていったのだった。


 精霊魔法を使用出来る人間と言うのは世界を探してもごまんといるが、それは小さな精霊等に限った場合だ。兄さんのように、年季が相当長い大精霊と契約し魔法を使える人間と言う頭数は一気に減る。希少な存在であるが故に、発覚すれば破格の待遇を受けられると言うのが他国では普通で。地球の規模で例えるなら、ノーベル賞を取った学者、のような扱いが近いのだろうか。とかく、僕の兄さんはそれほどすごいと言うのが分かって貰えればいい。

 この世界における戸籍は、国民識別書と言う重要書類に記され。記録専用水晶にも登録される。勿論、職を全うするのに使用する魔法や、希少な魔法を使える者はそれも記載し、更新の必要があれば王都を訪れねばならない。僕も、まだ弱弱しい範囲でしか空間移動魔法を使えなかった頃更新したことはある。まあ、それ以降はエリーゼを連れ去る時の為に成長の幅を見せてはすぐ露呈するだろうことを恐れて更新を故意にさぼっていたのだが、そんな小細工をしても即見破られてしまったので、許されたのなら真面目に更新をせねばならない。

 とまあ僕のミスは一旦置いておき、大事なのは兄さんがとても希少な魔法使いと言う点だ。こちらの世界にも魔法学会のようなものは当然存在した、太古の魔法の研究や危険度の高い魔法を禁ずる為の会合など議題は多岐にわたるが、兄さんはそう言ったお偉方からの誘いも受け続けている。大精霊を使役出来る人間は希少で、是非とも魔法の発展の為に姿を見せてほしいと前依頼されていたのは知っているが「ここでの暮らしを第一にしたいので」と、山を長く離れる可能性があるその誘いをきっぱりと断って。そちらに一切参加しない代わりに、王都に提出する為の希少魔法使用者としての義務報告にプラスして、そちらの学会に情報提供なども行っている。

 カシタ山は悪く言うなら相当ド田舎の方面で、都会暮らしに慣れた人間から見れば辺境だ。どこに訪れるにも遠すぎる兄さんには、身分が上の階級であったり、希少魔法使いのみに特別に支給される特殊な封筒と便箋の所持が許されている。昼間に思いついたのは、この点であった。郵便局の技術はすごい、書いた文字は絶対に透けず宛先として記入した先以外は絶対に開けないと言う魔法がかかったそれは送付すればすぐ届く。重要度が高く優先して処理されるのは当たり前、宛先を更に細かく記入すれば特定の人間だけにしか開けなくなるという、とても便利な面を持つ。

 つまり、彼女の親族を名指ししてこちらの意向をすぐに届けるには、現状これ以上無いくらいにいい案なのであった。


「もしも俺に何かがあったら、こう言う作業エリーゼちゃんに任せちゃ駄目だぞ」

「怖いこと言わないでよ、僕達の挙式にも出ないつもり?」

「それは見てから死にたいなあ」

「えええ…長生きしてよ…」


 ”エドガー・リース宛に”…丸。 ”王都に商売しに行く日まで、こっちに手を出されないようにしたい”…丸。僕の言葉に速攻で書かれた丸印に、頼もしさしか感じない。考えれば考える程、この人は僕の兄さんという立ち位置に納まるような人間ではすまないと思うのだけれど。こんなにすごい兄さんに守られてきたからこそ、彼自身の強さに憧れた僕も色々出来るようになりたいと思える子供になったのだ。

 悪知恵をいくら働かすことが出来るか、彼女の長男が気にしていると言うのなら、僕と同じ苗字を持つ兄さんから直で手紙が送られてくればすぐ反応するだろう。そうすると彼の使用人にも、僕を恨んでいるらしい執事にも揺さぶりをかけることになるが、同時にそこは兄さんのビッグネームで待ったをかけられる可能性は大だ。幾ら僕に危害を加える可能性があるからと言って、表向き先に動いてしまえば彼らの暗躍の進行を少しでも止められるだろう。

 他力本願でごめん。僕は僕で頑張りたいと言いながらも、兄さんありきのことしか考えられなかった自分が嫌になる。ミミズが這ったのかと言いたくなる文字が、僕のペンの下でしなしなと落ちた。使える物は何でも使うのが一番だ、と、兄さんが僕の背中をばんばんと叩いて。


「でも、エリーゼちゃんの為にここまで頑張れてるんだ、偉いよ。あとは俺がやっとく、お前はもう寝ろ。彼女が心配するからな」


 ペンを置いて言い放った兄さんの一言に、また救われた。うん。頑張る。頑張る以外にもう何も僕には出来ない。運よく接触が出来たとして、全てがいい方向に動くとは限らないのだから。エリーゼが連れ戻されるかもしれない、もしくは、エリーゼがまた、捨てられるかも、しれない。僕が傷つくのは、別にいい。罰を受けてもそれは当然だから、いい。けれど、彼女が傷つくのだけは絶対に避けさせたい。

 悪女だから傷つかなければならない?報復されなければならない?天罰を食らわなければならない?そんなこと、真っ平ごめん。報復されるのも天罰を受けるのも、その矛先は全部僕に変えてやるさ。彼女をまた傷つけられるなら、僕は真っ向から対立する。その結果、親族や友人から彼女を切り離すことになったとしても。エリーゼが、少しでも、心が楽になる方を選びたいから。


「おやすみ、ノア」

「…おやすみ、兄さん。ありがとう、無理言っちゃって、」

「いいよ。勉強熱心は昔からだったじゃないか」


 まあ昨日みたいな一夜漬けは駄目だからな!

 自然に装って、僕は部屋から離れ見送られていく。少し肩の力が抜けた体に、隙を見つけて睡魔がこれ幸いとばかりに襲ってきた。昨日の眠っていない代償が来た、ふわあと大きいあくびをしつつ、体力も知能も回復する為にはとにかく睡眠が大切だ。自分の情けなさを憂う暇があったら、彼女の憩いの時間を少しでも守る為の努力をしなければ。


「…おやすみ、エリーゼ、……」


 音ひとつ立たない彼女の部屋の前を通り過ぎ。寝ぼけ眼で呟いた声からは、独占欲の表れか敬称が外れてしまっていた。エリーゼ、エリーゼ、…愛しい響きなのに、気の弱い僕が敬称無しで言ってしまうと、何だか違和感があるのは気のせいだろうか。…まあ、どうせ、聞かれてもいまい。心の中ではいつだって呼び捨てにしているくせに、と。自分の中の悪魔がからかい笑っていた。


 × × ×


「………また、無意識に口説きやがって、」


 部屋の向こう。

 子犬の、睦言のような声。ベッドの上で座る彼女は、それを聞き逃さず。ようやく本当に眠りに行ったらしい彼のずるずると間延びした足音を子守唄に、今度こそ気兼ねなく眠れると目を閉じた。

 今夜は、良い夢が見られそうだと期待まで、して。

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