23

「意外と、柔らかい反応が多かったな」


 それは、本日の商売を終え。呪文と共に山へ帰還し、荷車を引いて帰ってきた時のことだった。夕暮れにはまだ少し早い、午後四時過ぎ。今日も多目に用意した商品は嬉しいことに完売で、売上金の計算と書類作成の為に部屋に戻る兄さんを見送りながら片付けを始める。行きと違い軽くなった木箱の持ち運びを手伝うと言ってくれたエリーゼが、ふと嬉しそうな様子でそう呟いていたのだ。

 本人は気付いているのかいないのか、その口の端をゆるりと上げて。


「優しい人ばかりだったでしょう、あそこは」

「そうだな。……初対面の者に顔を見られても、誰にも変な反応をされないのは珍しく思ってな」


 この顔はよく不気味がられる、自嘲して笑うその表情は見事なまでに綺麗で。何でもない、と言うような顔で返事が出来るようになるまで、彼女は幾つの時間を重ねたのだろう。僕には見えるような気がするのだ、エリーゼの瞳に奥に透けて映る……苦しみと、諦めの感情が。

 僕は全部好きですよ。気が付けば自然に言っていて。もう知ってる、と普通に返されるまでになっていた。


 エリーゼの特徴的な瞳。

 普通の人間のように白目の部分は存在せず、境界が一切無く黒目も白目も等しく真紅で塗り潰された瞳は、この世界における人間と言う基準とは確かにかけ離れている。それこそ、遠目から見れば、エリーゼの顔には赤い赤い穴が二つ空いているようにすら見えて恐れるだろう。


 人を、外れた者。

 それ即ち、「人外」である。


 ……彼女の出自の話を聞いた時から、薄々と感付いてはいたが。エリーゼには間違いなく、人間以外の他種族の血が流れているのでは無いかと言う予感はあった。年配に位置する上の方の兄姉でも、時を止めたかのように若さを保ち続けているということを聞いた時から、引っ掛かりは感じていて。人間は様々な種族と比べて、老いというものがハッキリと目に見える生き物だ。69人もいる兄姉の一番年上ですら若い容貌のまま、と言うのだから、人間以外の老いが目立たない……もしくは人間よりも寿命が遥かに長い種族の血が遺伝子に刻み付けられているのだ。一夫多妻というリース家の状態から、その特別な遺伝子を持つのは父親の可能性がある。特殊な遺伝が彼女にだけ色濃く出たのかもしれないという予測はこの前から立ててはいたが、何も知らないようにされた彼女がその血のせいで生まれた弊害に苦しんでいるのも事実だ。

 何故、彼女の一族は彼女の出自だけを本人にも頑なに隠したのだろうか。隠すことで助かることもあるように、一部を知ることで救われることもきっとあるだろうに。あれほど大きな名家なのだ、爵位の名誉に関わることがあるのだろうか。ますます訳が分からなくなりそうだ。

 基本、彼女は人間と同じ体のように見えて瞳だけが違う、と言う点からまず間違いなく人間の血は混じっている。半人外、言うなればそれだろう、他種族同士の間に産まれた子供と言うのもこの世界では別段珍しくも無い。何せ、人魚やゴーレム、獣人、鳥人や虫人も普通に存在する世界なのだ。

 カナリア王国が全てを治めるこの一大陸では、完全な人間と人外の血が混じったもの・人外そのものの割合を比べれば七割が人間で占められていることから後者の存在は結構珍しい部類に入る。だからこそ、種族の違いに配慮が出来ない人間も悲しいかな存在するのだろう。 

 余談ではあるが、人間以外の種族の前で軽率に人外と口にすることは控えた方がいい。人を外れた者、などという扱いを彼らの前ですると、人が彼らより勝っているような失礼な言い方となってしまうからである。大陸によっては見事な差別発言と取られてしまうので、十分に相手のことを考えることが大切だ。


「ともあれ、人を見た目で判断しない者が多いのは。……助かる」

「エリーゼ樣……」

「誰もお前が誘拐するような見た目だと思ってもいないからな」

「――あ、こっち!?僕ですか!?え!?そんな毎日ほいほい誘拐しそうな見た目してます!?してないでしょ!?」

「冗談だ。慌てるお前を見るのが娯楽になってきただけさ」

「……面白ければ何よりですよう、」

「拗ねるな拗ねるな」


 ハハハ、と気にもしない風体でひょいひょいと片付けをしていくエリーゼを。強い人だ、と。心の底からそう思った。


(……あんなに美しく特徴的な目を持つのは、虫人の種族か。いや、長寿だけで言ったらエルフ族に近しい血が混じっているのか、)


 自分が何者か分からない、と言う恐怖は僕自身が痛いほどに経験している。前世と言う存在と、運が良いのか悪いのかその記憶を一部持ったまま産まれたことから苦労したことは山程ある。

 魔法が使えない世界を知っているからこそ、体に自分の魔力を否定されたようなこともあった。何より、今自分が意識していることが、口から出した言葉が、本当に「僕」の心から出たものかさえ分からなくなり、己を見失いそうになったことも幾度もある。前世の記憶を思い出した時点で、僕は僕では無く前世の人格になってしまったのだろうかとひどく悩んだ。前世の人格なのか、それとも前世との混じり物なのか、分からなくなって。

 エリーゼの手を取れた今だからこそ、僕はノアという自我のままであるという芯が出来た。前世の記憶は昔に経験したことがあるただの情報として処理し、必要な時だけ取り出して省みるアルバムのような存在であり。僕の自我とはまた別の物として割り切ることが出来た。

 僕の始まりは、いつだってエリーゼで。混沌とした意識の底からも、彼女の手が僕を引き上げてくれた。前世の女性ではなく、今世の僕だけを引き上げて、花婿として受け止めてくれている。僕は、確かにエリーゼに救われているのだ。

 僕を僕たらしめる存在が彼女ならば、エリーゼをエリーゼたらしめる存在が僕になれたらそれはどれだけ幸福なことだろうか。一族の中ですら隠されているらしい彼女の出自を知ることも、彼女の為になるかもしれない。自分の知らない自分がいると言うことは、ひどく気味が悪く。そして何より寂しいことなのだから。


「今日の仕事はこれで終いなのかい?」

「そうですね、売りは終わりましたけど…今朝あまり動けなかった分、僕は畑全体にまた水やりと、明日収穫出来そうなゾーンチェックしてうろつくと思います。……言い出すとやりたいこと増えてきますね、あー、昨日の畑広げる作業もしたいですし、」

「手伝う」

「お疲れではありませんか?」

「……鍬を振るのが、少し楽しいと言ったら笑うか?」

「まさか!………ありがとう、ございます。良ければ昨日触れなかった耕具もお教え致しますよ」


 彼女を守る為にも、知る為にも。やはりどうしても彼女の家との関わりは避けては通れないだろう。バックに女王様がいる時点で逃げることも許されてはいないが、そんな背景が無くとも避けてはやらなかったと言い切ってやる。

 となれば、あちらの出方を伺うより。こちらの方から接触を図った方が、見えない方向からの攻撃を恐れるよりは少しはマシかもしれない。逃亡生活を続けるつもりなど、毛頭無い。生まれ育ったこの山も家も捨てるだなんてあり得ない。


「子犬、どれがどの周期で育つのかも知りたいぞ。家畜も、どう接すればいいかまだ教わってない」

「時間をかけて、ゆっくりでいいですよ。僕もゆっくりお教えします」

「そうだな。焦ることも、無いか、」

「だって。ずっと。いて、くれますよね。僕が頑張ったら、ずっと。エリーゼ様。ここにはまだ貴女を飽きさせない物が一杯ありますから。こんな中途半端なところで終われないですよ、僕も」

「またそんな顔をする」


 僕が思い描いたものは。この光景だ。今見ている光景だ。

 彼女を拐って、彼女と毎日を過ごして。遠い都のしきたりも何も関係無い。僕と彼女は引き剥がされることなく、ここで暮らして幸せにしているという一枚絵を小さな頃から脳に描いていた。その幸福の想像図に罪など無いと信じきっていたあの頃を、忘れてはならない。あの夢を僕は叶えたいのは本当で、それは勿論、エリーゼの気持ちを無視しないかたちが一番だ。

 二人は幸せに暮らしました、めでたしめでたし…………そんな、童話の終わり方を今までの僕は望んでいた。これからはその終わりの先まで考えねばならない。


「オマエ、本当アタクシのことが好きすぎて心配になるな。今までどうやって生きてきたんだい」

「貴女を想って。……や、ストーカーして、?」

「変に正直になるんじゃないよ、全く。だが、オマエの下手くそな口説き文句が毎日新しくなるのを聞くのも、面白くて飽きずにいられそうだ」


 どうしてアタクシを知っていたのかもまだ教えて貰っていないしな、そう言って彼女は畑の側に駆けていく。童心に戻ったように、複雑な物も難しいことも何もいらない、とその態度が示していた。

 今ここにいられることを楽しみたいと彼女の全身が訴えている。だから、彼女がこれからもここに。一人になることなく、僕と一緒にいられるように、最善を尽くさなければ。


 彼女を仕事に連れ出した今日に一つ、思い付いたこと。突拍子も無く、ただ危ないだけの行為になるかもしれないが、逃せない機会には違いない。

 王都の市場、そこに店を定期的に出す契約は取っていて。次に市場にこの農園が向かうのは、三月の頭。つまりあと、十日程。エリーゼに休息を少しでも味わせてから、彼女の関係者に少しでも接触が出来るなら最短そのタイミングしか無い。善は急げ、今からその布石になる行動をしてせめて先手でも取らねば、否応なしに明日か明後日にでも下手すれば僕が犯罪者として逮捕エンディングになってしまう。そんな愚行だけは現実にはしてはならない。


(……大博打の連続だ、やっぱりしばらくは寝不足になるだろうな)


 よし、頑張ろう。怒られたけれど、頑張りすぎよう。

 耕具を手に畑に降り立つ彼女は、豊穣の女神と見紛うばかりに尊かった。稚拙な策を巡らしている緊迫した心境の僕の内側に、怒濤の勢いで染みていったのは言うまでも無い。

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