17

 忘れていたなどと言うつもりは無い。ただ、平民として生きたが故に、あまりに遠い存在として認知してしまっていたこと。それを普通として過ごしてしまったこと。何のことは無い、超上級の魔法なんて使えもしないし無敵のチートも持つわけが無い、農家の次男坊として生活を続けていたのならば、意識して生きることは極めて少ないと言う事。日常からは大きく離された場所、身分、縮まることが無い差を無理矢理に縮めて来た事象に、頭を鈍器で殴られた衝撃が走る。

 人間、あまりに巨大な存在を前にすると、足が竦み手も震え始めるのだなと、ランタンを持つ利き手ががくがくと痙攣した動きを見せ付けていて。それでもなお、今の僕は目の前にいるお方に対して、怯えてはならないと自身を叱咤するしか無いのだ。それが、エリーゼへの愛の為に生きる男として、自らに課したこと。


「私の正体を勘付いた上でお話をして下さるなんて、度胸はあるようで安心したわ」

「はは…死ぬほど困惑している気持ちは、正直とても強いですけどね…カナリア、女王様、」


 言った、ついに言葉に出して言ってしまった!

 人の言葉を平然と話す金糸雀は、名を当てられたことに対しても何の動揺も無いらしい。それどころか、矮小な人間が精一杯頑張っている様子は面白い、とでも示すかのようなオーラをかもし出している。この場面だけ切り取れば、とんでもない強さのラスボスだと誤認されてもおかしくは無いだろう。

 話す金糸雀、その向こうにいるだろうお方。この夜中の数奇なめぐり合わせに、前世で蓄積された記憶の引き出しを強引に開けられたから分かったことだ。エリーゼばかりを思っていた僕からすれば、完全に予想外の方向から予想外の展開で予想外の人物が現れた…何故、貴女がここで、僕に話しかけるだなんてことをされているのかすら分からない。僕は、この鳥の向こうにいる人間を知っている。どう抗っても適うことの無いうちの一人であることも知っている。


 ――今、金糸雀の嘴を借りて話しているのは、この国を統べる片割れのカナリア女王なのだから。


「眷属の体を少しの間だけ借りているの、この子に申し訳ないからそれ程お話の時間は長く取れないのだけれど。私の伴侶の名が関わっている王立学園で誘拐騒ぎを起こした貴方に、他でも無い私が興味を持ったの。下心なんて無いわ、安心して」


 あんしんできない。気を抜くと冷や汗が滝のように出てきそうだし、腰が抜けてしまいそうだ。だって、ここにおわせられるのは、一国の主だ。王の影に隠れることが多いからかなかなか目立たないことも多いお方ではあるが。彼女こそ、アプリ内ではユーザー達から、このカナリア王国におけるナチュラルボーンウェポンとすら称えられる程の、「作品内での第二のチート」の渾名を持つ女性。前世の僕がはまりにはまっていた男キャラの推しの、その花嫁本人。そんな人が眼前にいるだなんて、今すぐ気が狂ってもおかしくない。…なんなら前世では色々な意味で僕もお世話になっていた。主に、王と女王の二次創作アンソロジーを主催したと言う、意味でも。

 私の伴侶の名が関わっている王立学園、と今言われた。確かに、そこはその名の通り王国が私財をはたいて管理している学園である。当然、現在の王と女王も大きく関わるだろう場所で、そこで騒ぎを起こすことに対する覚悟も僕もあった。あまつさえ、善良な市民を装って平然と見学制度を利用してそのままほぼ不法侵入、伯爵令嬢を誘拐したのだから。どんな糾弾が起きようと、逆に沈黙に落ち着かれようと、彼女の…エリーゼの為ならば、何だって出来るし、全力で対処するだけだというかたい意志がある。

 だから、今というこの状態が、あまりに異常事態すぎて混乱しかけているのだ。「女王が僕に直接接してくる」だなんて予想を、その時の僕が出来なかったせいで!


「…僭越ながら。良ければ、僕の布をお貸し致しましょう、……今夜は特に冷えます。貴方が家族と慕うこの子を寒さに晒すのは、申し訳ない」

「あら、ありがとう。紳士でいらっしゃるのね」


 肩を覆うケープを取り外し、しゃがみこんだ僕がそれを手にした様子に、躊躇わずにその小さな足で乗ってくる。寒さからか緊張からか微かに震える手のひらに、ちょこんと座り込んだ姿にまた笑われたような気がした。きっと被害妄想だ。くるん、と優しく巻き込む形でケープに包まれた金糸雀の声は、更に距離が近くなった分よく通るものと感じさせられた。


「この手であの子をもう抱きしめてあげたの?」

「ほわっ!?!??」


 直後の発言に、秒で持っているケープごと落としそうになる。


「初々しいのね。あの子を花嫁にしようなんて、とても出来そうにないくらい」

「…あ、の。……お伺いするのも無駄な行為かと自覚はあるのですが……どこまで、ご存知で、」

「全部よ。だって、誰も隠し事なんて出来ないわ。この国の領地であるならば、私の目も耳も、どこにだって存在する。知っているわ、見ているわ。私がそれを望まなくても、陸も海も空も、そして眷属の子だって教えてくれるのだから」 


 …やはり、ここに女王様がいらっしゃった時点で、全ては筒抜けであるらしい。それこそ、全部と言われたからにはエリーゼとの間で交わした会話の言葉も、一言一句女王様の耳には入っているのだろう。

 カナリア女王が尊い方と言われると同時に、恐ろしい方だと僕に思わせる要因のひとつがある。それがこの膨大すぎる領域の全てを感知出来るという、女王から女王だけに遺伝する、カナリア王国を守る為だけに存在する特殊能力だ。アプリ内やファンブック情報からも明言されている、絶対に誰も使えない能力の持ち主。それこそ一秒ごとに変化が起きる波や、肉眼でとらえられない小さすぎる単位で動く陸地、流れる雲の形が変わる瞬間、その全ての情報が彼女の身体にインプットされるのだ。驚くべきはそれだけでなく、王国民や王国の領土民であるならば誰がどこにいて誰が今日産まれ誰がどこで死に誰と誰が今どのような会話をしているのか、などの情報でさえ彼女の身体に蓄積される。…人間一人が負うにはあまりに重過ぎる情報量、それを浴びてもなお狂うことなく平然としていることから、女王の器であると言えるのは確かだろう。

 ちなみにこの特殊能力は、限られた者だけにしか知らされていない。当然だが、自国民ですら見張られている恐怖に陥れられてしまうという大きいデメリットがある為、国を守る為にも基本的に秘匿されている能力である。で、あると言うのに…その能力を示唆する発言を、平民の僕の前でした、と言うことは。この人は、僕が女王様の能力を知っているということですら見透かしている、のだろうか。ただの、普通の発言なのだろうか。考えすぎか、それすら区別がつかなくなるのは、僕に前世の知識があるせいだとも思うのだが。


「貴方が知らないだろうこと、教えてあげる。私とエリーゼちゃんは、実はお友達なの」

「えっ、」

「まあ、お昼の頃には話してくれなかったみたいだけれど。悔しいわ。今のあの子、女王様を頭に浮かべるよりも、貴方を見ていたいっていう気持ちがひしひしと伝わってくる」


 昼の会話まで、知られている、いかんぞこれは恥どころの話では無い。彼女の愛を誇るべきところではあるが、あの、プライベートしか漂わない会話全てを、見られていた、?


「ごめんなさいね。本来なら私的なことには配慮すべきだったと思うけれど…貴方の様子と、あの子の様子を知りたい人がいらしてね」

「…それは、どなたなのですか?」

「エリーゼちゃんも話していたわ、…リース家の現当主の長男、エドガー・リースその人が、あの子の為に動きそうよ」


 リース家の人間、と聞かされて顔が強張るのも無理は無い。非常に複雑な感情を吐露しようにもエリーゼの前では出来ず、リース家に対する疑問と現在の状況に対して知りたいことが多すぎた。エドガー・リース。そうか、彼女の言っていた、よく面倒を見てくれたという長男の名前がここで聞けるだなんて。

 様子を知りたい、と言うことは彼女はまだ家から見放されていなかったと言うことか。もしくは、王都を離れた彼女が何かをしでかさないように、という意味での見張りを願っているのか?駄目だ、どうしてもマイナスな感情に思考が引きずられてしまう。喜ぶべきことだろう、ノア。誰も気にしていないだろう、なんて自嘲した彼女の言葉を崩せるじゃあないか。今も気にされている、と、喜ぶべきじゃないか。


「それに、私のお抱えの執事が一人。ウィドー・バレスク、その名をご存知でいて?」

「?ウィドー、さん、…ですか。い、いいえ、申し訳ないですが、僕に心当たりは、」

「本当みたいね。今、貴方をちょっと「覗いて」みたのだけれど知らないのね」

「あのう!そう驚くことを、いきなりしないで下さると、僕の心臓に優しいと思うのですが、!」


 覗いた?どこを!?今このタイミングで僕の中の何を!??とんだハプニングで心が早速砕け散りそうだったのだが、更に新しく生まれた疑問により、心の欠片は繋ぎとめられた。

 …カナリア女王お抱えの、執事?すぐに記憶の引き出しを漁るが、前世関連で得た知識の中にいるアプリ内キャラクターの執事と言えば、別の魔術学園に通う天然ボケ貴族魔術師ミントレ・マヴィナのお抱え毒舌執事キャラのルカ・ナイトメアくらいしか知らない。シナリオ内でもカナリア女王お抱えの執事がいる描写は無かった、戦う執事や戦うメイドが群集キャラとして使われている場面は幾つかあったが…。少し考えこみそうになった僕に、女王様はあろうことか更に粉砕しそうな言葉を発してくる。


「ウィドー、貴方のことをよく知っている風体だったの。それこそ、怨恨すら感じる程よ」


 何故だ。知らない人間に恨みを買うなど、間接的にやらかしたか、もしくは誤解があるかのどちらかだとは思うのだが。ここに来て増えた危険視案件に、僅かながら動揺してしまう。


「え、怨恨、……ちょっと待ってください、僕は、生まれてこの方貴族階級の周囲のお方に関わったことなんて、」

「そうね、エリーゼちゃんをさらった時以外は無いものね。寄れて城下の市か城下の本屋が貴方の行動範囲だし。…一応緊急事態ってことで、色々と覗かせてもらっているわ。ごめんなさい」

「いや、もう、…やってないことだけに関しては、やってないと確信して頂けるのは嬉しいですが、」

「でも、ウィドーは知っている。貴方のことを知っている。「知らないからこそ知っている」と言った方がいいかしら、とにかく、私の執事はエリーゼちゃんよりも、貴方にご執着らしいの。それこそ、何するか分からないくらいに暗躍をする予定だそうだから…貴方にだけは忠告をするタイミングをとろうと思って、こんな形でも会いに来たのよ」


 私、エリーゼちゃんが一番幸せになる方法を選びたいから、貴方は贔屓してあげたいと思うの。

 そう続いた言葉に、僕はただ聞き入ることしか出来なかった。


「彼女、お友達である私にも、取り巻きの令嬢とも、仲の良い兄姉とも、いつも一線を引いて離れていたわ。それが、ヒイロちゃんと、無遠慮に彼女の領域に入った貴方のことだけは認めているみたい。私も驚いちゃったわ、彼女が本当に嬉しそうに笑ったのを見たの初めてだったんですもの!それこそ、エドガー様も見たことが無いくらいの、ね。……私、女王様だから。性格もよくないことは知っているし、こんな力を持っているからこそ恨まれるべき人間だとも思っている。でも、だからこそ、身分違いでも関係なく、素で接してくれた、数少ないお友達の一人のエリーゼちゃんは、絶対に不幸にはなってほしくないの。こうやって、贔屓してあげるくらいには」


 エリーゼの幸せに、今は僕が不可欠だからと判断した、と。女王様は言った。一体、悪女と呼ばれた彼女がどこでいつ、女王様との友好関係を持ったのか、遠い山で過ごしていた僕には未だ絶対に分からないことなのだろうけれど。女王様の言葉が、どれほど本気なのか、と言うのは、分かる。

 この方は、家族とは違うかたちで、エリーゼを愛してくれているのだと。


「……リドミナでは、貴方の誘拐事件は、もう完全に火消しは行われているわ。ただ、エリーゼちゃんと喧嘩をしたヒイロちゃんがまだ復帰していない件が気がかりではあるわね。それに、エドガー様を悩ます人間が大嫌いなリース家の使用人も、下手すれば貴方を諸悪の根源として潰しにくるかも。色んな方向から愛されるわ、貴方」

「いやあ、その、重い愛、ですね…そうとしかいえませんが……」


 メタフィクション的な弱音を吐いていいだろうか、ネームドキャラでは無い人間の存在が、あまりにも恐ろしすぎる。むしろネームドキャラであってくれた方が、容姿やら趣向やらが分かる分、ほんの少しだが何とか事前から対処出来そうではあると言うのに。様々な場所から飛び出してきた棘の殺意が、高い。だがその棘に刺されようと、僕は、エリーゼを守る。それだけだ。


「忠告はしたわよ、むしろ今日の私の目的は、これだけ。何も貴方を責める気は無いわ。…責めるとしたら、エリーゼちゃんを期待させておいて裏切った時だけ」

「そんなこと!!絶対に、しない……!」

「……その気持ちが、永続することを願っているわ。貴方、どうしても、小さい頃の私に似ているの。だからかしらね。歪な始まりだとしても、私、貴方達のことを祝福出来る明日が来ればと思っているのよ」


 そろそろ限界みたい、と。

 急に魂が抜けたかのようにコテッ、と首を倒した金糸雀から、数秒後可愛らしい寝息が聞こえてきた。全身を漂う緊張感が土砂のように崩れて一気に流れ出していく。会話が彼女の意思により終わったことにようやく気付いた僕は、へなへなとその場に崩れ落ちた。勿論、眠る金糸雀を包むケープはしっかりと離さないまま。


「……頑張らないと…何が、起こっても、僕が。僕が、幸せにしてみせるんだ……」


 突発的な事態だの、予想外の人物だの、それを言い訳にしてはならない。彼女を守れるか、守れないか、幸せにするか、不幸にするか。中途半端な選択など、人生には存在しない。出来るか出来ないか、やるかやらないか、するかしないか…はっきりとした二択で答えられる自信が無い男に、なる気は無い。

 今日、この晩、与えられた情報はありがたいことに山ほどある。簡単な現在の状況を教えてくれるあたり、女王様はエリーゼ側に寄ってくれていることは確かだ。後は、僕がその期待にどれだけ行動で返せるかと言うところ。彼女を幸せに出来る男かどうかの、見定めが既に始まっている。であれば、やはり僕は、なるしか無い。

 ――エリーゼの周囲の者、全てに認めて貰える男に。


 いつの間にか、身体を冷やす風は収まっていた。

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