16

 魔法でつけた火を中に閉じ込めたランタンが照らすのは、夜のカシタ農園だ。今宵の空は一段と暗いように見えるのは、誰かがエリーゼの為に悲しんでくれていることの表れであろうか。そう、信じたい。

 唯一の光源であるそれを持つ僕はと言えば、夜独特の肌寒さを感じながら最後の見回りの最中であった。二月、四季の巡りもほぼ地球と変わらぬここは冬真っ只中の気候。どんなに気温が極端に変化しようと、それにめげずに毎日農園での重労働を行ってきた身には今夜の痺れるような寒さも平気と豪語出来る筈であるのだが。体感は最近の夜の温度と変わらないと言うのに、何故だか今日は体の底から凍っていく感覚が足の下からじわじわと染み込んで来る。

 何だか、妙な予感がするのは気のせいだろうか。例えば、今日の昼間なども人の気配は僕達以外に一切いなかったと言うのに、時折悪寒が走った瞬間もあった。まるで、どこかから、自分が覗きこまれているような。

 ……夜中に怖いことを考えると鳥肌がひどくなるからこれ以上想像力を働かせるのはやめようか。


「やっぱり気のせいだったかな……」


 独り言を漏らしながら、家畜舎の暖炉がしっかりと役目を果たしているのを確認し。天井や床にも、暖房代わりになるように空気の泡の中に詰めた可愛らしい炎が萎むことなく浮いているのも見えた。

 ふかふかの毛布と、この時期だけは家畜の皆もきちんと着用する服がしっかり身に付いているか、すきま風が無いかも細かく確認してから次の舎へ移る。眠りかけていたところを僕の足音で起こしてしまったのか、心配そうに首をあげる子牛を見て、大丈夫だよ、と頭を撫でて出て行った。

 ……前世の僕には無かった、人間離れした感覚がこの世界では少しずつ身に付いているのも怖いと言えば怖い。人の気配や小さい物音に対して非常に敏感になったのも、農園や山への侵入者に常に気を張っている兄さんからその姿勢を教わったことからだろう。動物並み、とは言える程鋭い感覚では無いがそれなりに周囲に対する気付きや勘の良さは育まれてきた。


(エリーゼ様、よく眠れているかな)


 日中、今だけは余計なことを考えたくなかったのか。僕と一緒にとにかく体を動かして作業を手伝ってくれていたエリーゼは、晩御飯の後に入浴した時点で相当睡魔に襲われていた様子だった。微睡みながら髪の水気さえ十分に拭けていない状態でぺたぺたと歩いてくるのを見た時は、あんまりの無防備さに僕の理性が破裂しかけて腰から砕けそうになったのは無理も無いことだと哀れんでほしい。ほかほかと風呂の熱気で湯だった赤い頬が悩ましげで、むにゃむにゃと口許を懸命に動かそうとしていても眠気には勝てなかったのか、僕の言葉に対して閉じてくる瞼と戦いながらもすごく舌足らずな様子で答える様は生きた天使か?と聞きたくなる程に愛らしかった。一言で済ませるとヤバイの極みでしか無い。セットもしていない状態の、水気を伴いぺたんとした彼女の髪がうなじに張り付いているのを見ただけで正直血管の流れが混乱して鼻血が出そうにまでなった。据え膳、とは良く言ったものだが、あの姿はもう何と言ったらいいのやら。あんな姿、僕以外の誰にも見せたくは無い。

 そんなわけで、風呂上がりにボーッとしていたエリーゼを急いで部屋まで連れていき、髪の水を拭き取りベッドに運べば、すぐに寝息が聞こえてきた。神の試練か、僕に与えられた据え膳の拷問か。年相応の自然な寝顔を見せるエリーゼに背中を向けて、いつもよりほんの少しだけ早い夜の見回りを始めてからもう数十分が経つだろう。ついさっきのことなのに、思い出すと冬の寒さも逃げ出すくらい僕の体温が高くなる、本当に男の子の体って正直ですね。でもそんな僕が嫌いではないです。擁護です。

 農作業は結構な重労働、今でこそ長年の生活で慣れた僕と兄さんの二人だけで作業を回すと言う無茶が成り立ってはいるが、今日のエリーゼの反応を見る限り、山奥にあるこの農園は結構な範囲があると再度自覚する。と言うか、普通の女の子としての反応はそれで合っているわけだ。ほぼほぼ男家系だったのに父さん兄さん僕に混じってばんばか肉体労働をやっていても有り余る元気があった母さんが規格外だっただけだろう。そういうところがあるぞ、マヒーザ家。

 ……きっと、母さんが生きていてくれたなら。エリーゼのこと、お人形さんみたいで可愛いって褒めてくれたんだろうなあ、なんて思ってしまう。


「畑も、畜舎も、作業場も異常無し……と、」


 指差し確認を行いながら、広い畑の横を歩いてログハウスまで戻っていく。途中、昼間に二人で座り込んでサンドイッチを食べた地面を踏み、嫌でも思い出してしまう。彼女が今日語ってくれた、過去の一編を。


 ――この現実で生きるエリーゼ・リースには、自分以外に69人の兄姉がいるという情報。まずリース家のスケールの大きさに仰天するところから会話は始まった。

 36男34女の大家族、しかもその年配勢ですらどんな魔法を使っているのか知らないが全員が若々しい姿を維持し、老いを止めたかのような外見的特徴があるのだとか。それでも、化け物然とした瞳の形をしていたのはエリーゼだけだったと自嘲していた。…エリーゼの瞳の形は、確かに独特だ。人種が違うと言っても過言では無いかもしれない。少しだけ、人外染みた目と言えばそれまでだ、地球にいた頃の彼女の外見的設定は「担当絵師の手癖だから」の一言で片付けられてしまっていたが、現実で捉えるなら全く違う意味になると思う。

 血の繋がった家族がそれだけいてエリーゼだけが全く違う作りの瞳、と言うのは……彼女の場合だけ、特殊な遺伝が出たのかもしれない、という予想がまず出る。次に気になるのは、その遺伝を引き継いだであろう両親の存在なのだが。父親の話も、母親の話も、一番面倒を見てくれた長男からは聞かされなかったそうだ。それどころか、「覚えていなくていい」とさえ言われたらしく。エリーゼは、間違いなく意図的に自身の出自と言うものを教えられずに育ったのだ。彼女自身も不自然に思うことはあったが、両親……特に、父親に関する話題になると家族の雰囲気が恐々とした物になることに気付いてからは気にせず生きる素振りをしていたようで。と言うのも、実際に今のリース家を牛耳る長男が特に父親を毛嫌いしているらしく、その豹変ぶりをエリーゼでさえも恐れたらしい。彼女を恐れさせる者がいるという時点で相当な存在であるとは察した。……その後は、仕事の忙しさに追いやられたこともあったのか、学園入学後は二人きりですら滅多に会えないことが多く。エリーゼは、満たされない心のまま育ってきた。

 長男以外には、歳が特に近くエリーゼ程気の強くない一部の兄姉や、大人。それとは別に数少ない友人と、勝手に取り巻きになりに来た他家の令嬢だのを周囲に置いて、エリーゼは過ごして。数少ない友人、と言った時は結構口ごもっていたのだが、その子とコンタクトを取ることもエリーゼ自身の精神上に安定が出るかもしれない。それに、名前こそ挙げられはしなかったが、ヒイロ・ライラックという少女も確かに学園生活ではエリーゼに関わったことがある。

 エリーゼの過去と、それを癒やす為に作る未来と、乗り越えるべき現実と。彼女の安寧、彼女の救済、完全なるそれを目指す僕にとってはどんな些細な情報であっても取り逃がすわけにはいかない。


(本当に脅迫状でも出してみるか?いや、悪戯に彼女の家を刺激するのもいただけない、)


 彼女の味方は、果たしてあそこに、王都に、家に、存在したのか。ひとつずつ潰さなければいけない問題は多いが、今の僕が特に知りたいのはその点だ。彼女の味方がいたとして、今も彼女を想ってくれている人がいたとして。……一度でもいいから会う機会を作りたいというのが本音だ。

 平和に、僕が彼女を花嫁にしてみせる為には、彼女の心に残る棘を全て抜き。なおかつ、ヒイロ・ライラックや家族の間との複雑な関係にも一度はピリオドを打つ機会を作らねばならない。そこだけは、どうしても、譲れない。ああ、これだから優柔不断な僕は嫌なところばかり目立ってしまう。


 だって、僕が彼女を幸せにしてみせると、この身を賭して誓ったのだから!


 彼女を愛するのも彼女に尽くすのも彼女の為に生きて死ぬのもこの僕だけでいい。そんな独占欲が、エリーゼの周りの問題を解決していきたいと同時に、その全てを切り離せたらなあと言う正反対の気持ちを産み出していく。いつか、こんな歪な想いでさえ表せる言葉を覚えられるのだろうか。


「…………何で、誰も、あの子を、……クソッ、」


 どろどろとしたタール染みた気味の悪い感情だと思う。思わず出た乱暴な言葉に舌打ちし、髪をぐしゃぐしゃとかいた。せめて彼女が今晩も幸せな夢を見れるよう、祈ろうか。

 ランタンの炎も大分小さくなり、そろそろ消す頃合いかと目をやった、その時だった。


「――本当に、彼女を想っているのねえ、ノアくん?」


 炎が、勝手に、一際大きくなる。

 突如背後から聞こえてきた、この農園にはいない、誰でもない女の声。知らないその声に、はっきりと、自分の名前を呼ばれた。ぞわりと怯えた全身から、熱が一気に奪われていく。

 彼女、エリーゼのことか、ならば今回の件に密接な侵入者、か?しかし、侵入者であれば、僕よりも真っ先に兄さんが気付く筈だ。だって、僕と違って、兄さんは。


「あら、とって食べようってわけでは無いのよ。うふふ。夜だから、幽霊ごっこでもしてあげようと思って。……ノア・マヒーザくん。後ろを向いてごらんなさい」


 女の声とは別に、足元から聞こえてくる、鳥の声。反射で動いた体がバッと後ずさる、すぐさまランタンをそちらに向けて、誰がいるか確認しようとした。

 そこには、


「これから少しだけ、内緒のお話でもしませんこと?」


 嘴を、まるで人間が話すように動かして声を出す。僕を見上げる一羽の金糸雀が、いた。

 目を細くして笑む姿に。僕は、どこかで見たようなデジャヴュを感じ。そして…「このお方に逆らってはならない」という強い信号を植え付けられた。

 バクバクと騒がしく鳴る心臓のままで、警戒を解こうと試みるしか無くなったのだ。いい子ね、と話す金糸雀に。その「向こう」に、誰がいるのか、この国の国民であるなら無意識に察しがついて。逆らうことはやめるべきだと言う脳に大人しく従うことにした。


「…嘘でしょう、貴女のような方が、平民相手に動きますか、普通」

「嘘ではないの。よかったわね、可愛いナイトさん。それとも、シーフさん呼びがいいかしら、誘拐犯さん?」

「遠慮しましょう、僕は花婿一択希望ですので」


 それで、貴女程の人物が何故、このような場所に?そう、震える声で聞いた先。金糸雀と同じ名前を持つその人物は、一羽を通してまた目の前で不適に笑って見せたのだった。

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