第13話 悲劇の青。事の後。

暗い。きっと瞼を閉じているからだ。鳥の声が聞こえてくるけど、それは僕の興味を引くには物足りなかった。ここはどこなんだろう。やけに静かで、少し不気味だ。僕は恐る恐る目を開ける。

目の前には薄青っぽい色をした天井があった。その左右には、僕を覆い隠すようなカーテン。ここはどうやら病室のようだ。一番窓際のベッドの上で僕は目覚めた。悔しいくらいにスッキリとした目覚めだった。僕は携帯電話を探す。今日は何日だ?でも、携帯電話の探索はすぐに中断された。体のあちらこちらに包帯が巻かれているのに気がついた。この格好のまま、渋谷のハロウィンへ赴いたらミイラ男の仮装で通用するくらいに、僕の体は包帯まみれだった。包帯の巻かれた箇所に力を入れてみると、ズキン!と痛む。その痛みで、僕は何があったかを思い出した。

琴音さんだ。彼女は大丈夫なんだろうか。きっといけないんだけれど、僕はいつのまにか起き上がって病室を出ていた。それから彼女の病室を探して病院中を探し回った。焦っていた。泣きそうだった。あの時、きっと助けられたんだ。彼女を。戸惑わずに飛び出していれば。しかしどういう事だ。彼女の病室がない。何回探しても見つからない。ラチがあかないのでナースセンターに聞いてみる。

「音川琴音さんの病室ってどこですか?」

「はい。えーと…、音川さんは…、あっ、先程ご自宅の方に移られましたよ。なんでもかかりつけの医師がいるとかで。」

おそらく、「移られましたよ」の辺りから、僕の頭と体は走れの命令を出していたと思う。僕は全力疾走で病院を抜け出した。自動ドアをこじ開け、マットを蹴り飛ばし走る。彼女の家へと急いだ。いつもは行きたくて仕方なかったのに、こんなにも急いでいるのに、本当に行くのが辛い。走る途中で、観光客とすれ違った。彼らは不思議そうに、病院の服装の僕を目で追っていた。

琴音さんの家に着いた。時間差なしでインターホンを押す。ピンポーンと間の抜けた音がして少ししてから、ドアが開いた。

「ああ。あんたかい。入りな。」

出てきたのはキヨさんだ。僕の服装に不思議そうな顔をしていたけど、察してくれたのか、深くは聞いてこなかった。長い廊下を歩き、一つ曲がる。そこにはディテールに凝った重そうな木の扉がそびえていた。

「ここだよ。」

キヨさんの落ち着いた声からは、とても寂しそうな音がした。それだけでも泣きそうになる。僕は深呼吸をしてからドアを開けて中に入った。


そこには、ベッドと、何か専門的な機械と、静かに眠る美しい女性がいるだけだった。部屋の中は、女性の寝息が聞こえてくるほどに静かだった。その寝息が僕にとっては何よりの救いだった。生きてる。生きていた。本当に良かった。僕は彼女のもとへ歩み寄り、細く少し焼けた手を握った。血のうねりがわかる。確かに動いていた。いつの間にか、僕はその手を握ったまま、眠ってしまっていた。そして眠ったと気がついたのは、少し経ってからだった。

目がさめると、キヨさんは部屋から出ていて、僕たちだけになっていた。僕はまだ手を握っていた。立ち上がって琴音さんの顔を覗き込む。綺麗だった。きめ細やかな皮膚の粒子が良い艶を出していた。僕は乱れてしまっている前髪を直した。琴音さんは常に綺麗でいなくては。それから握っていた手を離して部屋から出ようとした。けれど、琴音さんは僕の小指を掴んで引き止めた。

「もう少しだけ…一緒にいて下さい…。」

僕はまた泣きそうになってしまった。それでも涙を堪えもう一度手を握った。その細い手からは、あまりにを弱々しい命が感じられた。

僕は一体なにをしていた?助けられたはずだった。いや。助けるはずだった。その距離にいたのに。結局はなにもできず、彼女を傷つけただけだった。この鍛え上げた筋肉も、僕のたった一つの取り柄も、結局なんの役にも立たなかったのだ。悔しくって体に力が入ったけど、手にだけは力を入れないようにした。琴音さんは眠ってしまった。僕は手を離して、ゆっくり部屋を出た。


「突然押しかけてすみませんでした。」

音川邸の玄関で、僕は深々と頭を下げた。キヨさんは少し微笑んで、

「なに、謝ることじゃないさ。まだおいで。あの子も待ってるから。」

と言ってくれた。僕は溢れるいろんなモノを押さえ込んで、もう一度深く頭を下げ、音川邸を出た。キヨさんはずっとこっちを見て何か言いたそうにしていたと思う。

海からは暖かい風が吹いていた。その暖かさは、あの弱々しい命の暖かさと同じだった。

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