第5話 面接、採用、デート?

 実に困った。僕はかれこれ三時間、鏡の前にいる。何を着たらいいのか分からない。午前二時から迷い続けて、今は五時。もう白々と夜が明けていっている。音川さんの家に面接に行くのに、テキトーな服装で行くわけにはいかない。と、夢のお告げがあった。とは言っても、ファッションというものに16年間興味を示さなかった男にとっては、東大に一発ノーベンで受かれって言っているのと同じだ。結局、白いTシャツにジーンズといった、超量産的な服装になったのは言うまでもないだろう。努力は伝わるはずだ。

 午前五時。リビングに行き、早すぎる朝食をとる。味がわからない。それでも黙々と箸を進める。これは昔お母さんに言われたことなんだけど、緊張している時こそご飯は食べたほうがいいらしい。とにかく今はそのありがたいお言葉に従おう。朝食を終える。やることは、後は歯磨きと洗顔。僕は洗顔からしている。洗面台で蛇口をひねる。顔に当たる手は震えている。小刻みに素早く。鼓動も速くなっていく。音川さんを見た時とはまるで違う。怖いくらいに気持ち悪い。シンとした家の中に響く鼓動は、まるでモンスターの足音のように、遠くから迫ってきて僕の心臓とみぞおちを大きくえぐる。こんなに緊張したのは、生まれて初めてかもしれない。高校受験は、運動神経にものを言わせて推薦で受かった。今回は訳が違う。学業は生きることとは関係ないけれど、仕事は大いに関係がある。稼ぐっていうのは生きることだ。父さんの言葉。聞いたときはわからなかったけれど、今なら痛いほど分かる。その証拠に緊張が引かない。こういう時の対処は、

                 料理だ。

スパゲッティ100グラム。玉ねぎ60グラム。ウインナーソーセージ3本。ピーマン1個。ケチャップ大さじ3。あとは、水、塩にコショウに粉チーズ。

 スパゲッティを食塩水で茹で、2分で上げて水を切る。

 玉ねぎは縦薄切り。ウインナー、ピーマン、ともに5ミリ幅。

 フライパンの熱された油の中に、玉ねぎ、ピーマンを投下。しんなりしたら、ウインナーも投下。弱火で炒め、色が付いたらケチャップを投入。もう一度炒め、最後にスパゲッティを入れてもう一度炒める。

 あとは粉チーズ。          (レシピ大百科参照)

 

 温かいうちにいただく。うん、完璧。ってことは緊張は引いている。ナポリタンを平らげる。現在午前十時半。そろそろ行くか。食器を片付け、椅子をしまい、僕は玄関に向かい、ドアを開ける。素早く道に出る。目指すは音川邸。昨日音川さんの見ていた海を眺めながら面接の内容を考える。何を聞いてくるだろう。考えはまとまらないけれど、考えるふりだけでもしよう。目的地が見えてきた。明るくなったらより一層大きく見える。インターホンを押す手が震えて、43回押しそこなったけれど、44回目にして音はなった。重たい音とともにドアは開いて、音川さんが出て来た。

「こんにちは。三風君。待っていました。」

ああ、天使だなぁ。でも今はそれがプレッシャーになる。門を開けて玄関に踏み入る。すると奥から、一人の女性がやってきた。おそらく、音川キヨさんだ。今から始まる面接の面接官である。何を聞かれるか身構えていると、鍬を渡された。

「土、耕してみな。」

鍬はびっくりするほど軽い。案内されるがままに、茶色い床板と品のいい壁紙の廊下を抜けて裏庭(裏山)に出る。茶色い畑が広がっている。すさまじくデカい庭だと思う。キヨさんは縁側に座って、耕す動作をする。キヨさんの動作をまねして、土に鍬を突き立てる。ジャザリという音がして、土が裏返る。この作業を延々繰り返す。動きやすい格好で来てよかった。右側の大きな縁側を時たま見ると、キヨさんはキレイな姿勢でお茶を飲んでいる。ボーっと見ていると、鋭い眼光が飛んでくる。それにびっくりしてまた作業に戻る。それを一時間ほど繰り返した。真っ青な空に耕す音が解けていく。心地いい汗が体を伝う。山のにおいが鼻に入る。もう一度力を入れ、1472回目の鍬を振り上げた時、

「もういいよ。」

パンパンと手をたたく音がして、キヨさんからストップがかかった。体から力が抜けていくのを感じた。キヨさんはゆっくりと僕に近づき、胸板と二の腕の大きさを確かめ、

「あなた、合格ね。そうねぇ…。一日、二千円でどうかしら?」

少し語尾の音を上げて聞いてくる。一日二千円は相当いいお給料だ。僕は頷く。そのあと僕は風呂に入れられて、高そうなジーンズ、高そうな黒いTシャツ、高そうなチェックのジャケットを着せられた。初のお給料変わりだそうだ。見立ては完ぺきで、着ている自分でも似合っているってわかった。

 リビングに案内されくつろがされていると、音川さんとキヨさんが二階から降りてきた。キヨさんと音川さんの手には…水着?なんだ?二人でプールにでも行くのかな?

「あんたら、海行ってきな。」

へ?考える暇なく水着を渡され、玄関から追い出される。

「すみません。祖母が急に言い出して…。その…。」

「その、なんですか?」

「私たちが…お付き合いしていると…思っているみたいで…。」

は!?何を言っているんだキヨさんは!?僕みたいな朴念仁が音川さんと付き合えるわけがないでしょう!!?とても気まずい雰囲気の中、僕らは海に向かう。今日向かうのは西の海だ。いつの時期も比較的にすいている西の海は休日に行くにはピッタリだ。音川邸からはそんなに遠くなく、十分ほどで着いた。更衣室前で別れ着替えに向かう。更衣室の中で、僕の心臓は今朝以上に勢いを増していった。いや、下心なんてない。ないと思う。ないよね。ないと信じたい。盛大に自分に言い訳をしつつ、着替えを済ませ、海に向かう。海には、まばらにしか人がいない。その中に音川さんの姿はない。水着に関心を抱きつつ、待っていると後ろから声がした。

「お待たせしました…。」

少し焼けた肌に似合う白いビキニ。面積が小さい。僕みたいな男には刺激が強すぎる。お互いに恥ずかしいけれど、音川さんのほうが恥ずかしそうだ。気まずさを継続させるわけにはいかないと思うので、

「と、とにかく、泳ぎましょうよ!」

提案してみる。

「そ、そうですね!そうしましょう!」

ぎこちなく海に入り、泳ぎ始める。水は適温になっていて、泳ぎやすい。気まずさは水に流れていく。音川さんも、海には入れてよかった。水中でも目が開けられるほど透き通った水の中で、この島に生まれてよかったと思う。

 この後は、どこからか流れてきたボールで遊んだり、音川さんに泳法を教えたり、その途中で、転んだ音川さんのおっぱいに埋もれたりしたけれど、楽しい時間を過ごした。帰ることにしたのは、日が暮れてきてからだった。今度も更衣室の前で別れて、着替える。夕焼けを見ながら音川さんを待つ。夕日にかもめが飛んで行ってやがて見えなくなる。それを2回繰り返したとき、音川さんが帰ってきた。オレンジ色に染まった髪が美しかった。なんかよくわからないけれど照れる。

「じゃ、音川さん、帰りましょうか。」

「そうですね。風矢君。」

僕らは歩き出し…、風矢君?僕のことを今名前で呼んだのかな?

「音川さ…」

「風矢君も…!名前で…呼んでください…。」

なにか、嬉しさの塊が、遠くから飛んでくる。

「私も…名前で呼びますから…。」

夕日にきれいに染まる海沿いで、僕たちの関係は少し進展したと思う。僕は少しの勇気を出して呼んでみることにした。

「こ…琴音さん。」

「はい?」

キレイな瞳が僕の瞳を覗く。速まる鼓動がゆっくりになっていって、やがて、幸せな圧迫感が心臓を包む。

「そろそろ、帰りましょうか。」

「はい!」

僕たちは、オレンジの海を後にして、いつもよりゆっくり歩きだした。


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