第4話 さて…。

 音川さんが転校してきて一週間がたった。すっかりクラスの人気者で男子からも女子からも引っ張りだこだ。新しい人に対する物珍しさと美しい容姿に、特に男子からの面会が絶えない。そんな人と隣の席。僕はついているのかもしれない。

 さて。初夏とは思えない圧倒的な暑さの中、僕は机の上で鉛筆を転がす。中間テストの最終日。大問2は十五問ですべてが記号問題。僕の回答は当然鉛筆の出た目に託されることになる。隣では音川さんがシャーペンを紙の上に滑らせている音がしている。その音が絶えないところを見ると、おそらくは大問5、つまり最後の大問の最終問題、文章題に差し掛かっていると見える。流石だ。僕はたった今、大問2が終わった。テストはあと三十分。全部に回答することはできるけど、ろくな点数は取れないだろうな。視線を斜め前に送る。秀君はすでに机に突っ伏している。もう終わったのか。空人君は、悩んではいるが止まってはいない。それなりのペースを刻み続けている。未来さんは止まっている。みんなはこんな感じだけど、僕が一番ひどいのは誰でもわかることだ。

 僕は窓の外に目をやる。晴れている。青と雲の割合は8:2くらいで、僕の知識があっているならば晴れだ。目線を少し下げれば、海が見える。二週間くらい前に海開きをしてから、観光客の人が増え始めている。なにせこの島の海はきれいだ。釣りでも水泳でもクルージングでも何でもできる。多分今から来ている人は八月の終わりくらいまでいる人たちだ。この島は八月になると、でっかいお祭りがあって海外からも人が来る。今年は音川さんもいるし、もっと楽しくなりそうだなぁ。

「あと十分。」

先生の無機質な声に、精神は教室に引っ張り戻された。解答用紙は大問4の後半から白紙だ。急いで埋めにかかる。チャイムと同時に最後の文章題を埋めた。終わったなぁ。赤点はないだろうけど、相当ひどい点数なことは間違いない。机に突っ伏していると、隣からクスリと、かわいらしい声が聞こえた。

 さて、今日の時間割が二つの意味で終わったことを噛みしめていると、空人君が来る。右手には弁当箱。

「飯食おうぜ。」

という訳で、屋上にいる。もちろん校則で禁止はされていない。一番日当たりがいいところで弁当を広げる。自分で作った弁当なので、ドキドキワクワクは無い。体積の9割が肉のそれぞれの弁当をつまんでいると、空人君は僕の口の中から数少ない野菜であるトマトを射出させる。

「そういやさ、三組の村岡がさ、音川さんに告ってオワコンしたらしいぞ。」

トマトはきれいな弧を描き、床に転がった。少しテカテカしている。空人君は興味がなさそうに再び弁当に食らいつく。なんだこの人。僕をビタミン不足で口内炎まみれにでもしたいのか。しかもオワコンの使い方間違えてない?仕方がないので、僕はトマトを裏山の方向へリリースする。今度もトマトはきれいな弧を描いて飛んで行った。数少ないビタミンが。この行動のせいで今日の弁当は終わってしまった。空人君も食べ終わったみたいなので、一緒に教室に戻る。空人君は荷物をもってすぐ行ってしまったが、僕はもう少し残ることにした。自分の席でうとうとしているうちに眠ってしまった。夢は見なかった。

 しばらくして、甘い香りが鼻をつついた。気になって目を開けてみる。教室はすっかり夕日に染まっていて、オレンジと黒のコントラストが綺麗だった。教室には僕の他に音川さんだけ。…。音川さん!!!!??僕は反射的に立ち上がって窓に背中をつけるくらい下がる。その僕を見てまた音川さんは微笑む。ドキンとする。何を話せばいいかわからないけれど、心配する必要はなかった。

「少し、お話しませんか?せっかくお隣になれたんですから。」

これまた反射的に頷く。

  お話が終わったのは、七時をまわった時だった。

「そろそろ帰りましょうか。」

「あの…。」

音川さんは首をかしげる。少し焼けた首が沈みかけている夕日に照らされている。

「よかったら、うちでご飯食べていきません?大したおもてなしもできませんが…。」

流石に無理だな。と思った次の瞬間、不思議なことが起こった。

「いいですよ。ぜひ、行かせていただきます。」

オッケーが出たのだ。頭が真っ白になるとはこういう時に使うんだと思う。唖然としていたが、何とか言葉をひねり出す。

「えっ、あっ、はい…。いいんですか?遅くなっても…。」

自分から言っておいてなんて間抜けな返事をするんだ僕は。しかし、こうなることは全く予想していなかった。自分で言っておいて。

「はい。さっき三風君が眠っているときに家には遅くなると連絡しましたし、三風君のご家族にも興味がありますから、願ったり叶ったりです。」

家族という言葉に、少しズッときた。僕には両親はいない。奈菜しかいない。もちろん、音川さんに悪気はないのはわかっている。それでも、気持ちは少しへこんだ気がする。いつか話そう。僕のことを。さっき話したこと以上のことを。そう考えると、へこんだ気持ちは少し盛り上がった気がした。

 早速帰る準備をする。今日の夕食はナポリタンだな。校門を出て、家に向かう。音川さんは海を楽しそうに見ていた。僕はその姿に見とれていた。幸せの大津波が海から来そうである。明け方だと、この海はもっときれいだ。いつか一緒に見たいな。高望みしすぎていると家に着いた。門扉を開けて庭に入る。玄関のノブに手をかけた瞬間ドアが開く。飛び出してきたのは奈菜である。しかしその勢いは、音川さんを見た瞬間なくなった。奈菜は絶望のまなざしを僕に投げつけ、拳を僕の左頬に見舞った。わが妹の言い分はこうだ。

「見損なった!!お金で女の人を買うなんて!こんな美人さん連れてくるなんてありえないし…、サイッテー!!」

ただ単に、猛烈なる勘違いである。そのことをこの妹に説明すると、ほっとしていた。なんて失礼な奴だ。若干の怒りとともに、僕はキッチンへ向かい、手早くナポリタンを作る。リビングにもっていくと、音川さんはブレザーを脱いで、ワイシャツ姿になっていた。明日眼科に行こう。目の前に天使が見える。胸元に目がいかないようにしながら僕は天使の前に粗末なナポリタンを置く。音川さんはとてもおいしそうに食べてくれた。安くて速いこの料理。女の子に出すのは初めてだ。奈菜はって?そこは、ねぇ。


「ご馳走様。おいしかったです。」

きれいに食べられた皿を僕はシンクにおいて水に浸す。洗うのは明日でいいや。リビングでは音川さんが夜風に吹かれている。なびく髪はこの島の川のようだ。音川さんは僕が戻って来たのに気が付いて、こっちを向き、少し真剣な表情になった。そして、前置きをせず話し始める。

「あの…、少し、お願いをしてもいいですか?」

なんだろう。金輪際近寄るなとかだったら、後で太い縄を用意することになる。

「アルバイト。しませんか?私は今、祖母の家にいるんですけれど、畑仕事を手  伝ってくれる男手が欲しいらしくて…。だめですか?もちろん!お給料は出ますので安心してくださいね!」

慌てて付け加える姿すら絵になる。いいなぁ。

「僕でよければいいですけど…。」

やましい気持ちが無かったと言えば嘘になるが、僕は了承した。明日、面接に行くことになった。まぁ土曜日だからいいか。

「それじゃあ…、そろそろお暇しますね。」

「あ、もう遅いし、送っていきますよ。」

僕らは同時に腰を上げる。椅子をしまい、玄関に行く。それから奈菜に声をかける。

「ちょっと音川さんを送ってくるねーー。」

二階からヒューヒューという音がする。あいつ、なんか腹立つな。

 玄関のドアを開けて、門扉を開けて、道に出る。そしてさっきの道を反対方向に歩きだす。その時音川さんのおばあさんのことを聞いてみた。名前は音川キヨ。76歳。元警察のエリートらしい。今は引退してこの島で野菜を作ってるらしい。会うのが楽しみなってきた。歩き始めてから二十分ほどで音川邸に到着した。結構大きい。

「では、また明日。お昼頃にいらしてくださいね。おやすみなさい。」

「分かりました。おやすみなさい。」

挨拶を交わすと、音川さんは最後までこちらを見ながら玄関の奥に消えていった。僕は音川邸に背を向けて歩き出す。

 何となく夜の空を見る。月が綺麗だ。白い月光は海に反射している。そのきらめきが何となく、音川さんの嫋やかな髪に似ている気がして仕方がなかった。僕は少しゆっくり目に、海を見ながら帰ることにした。 

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