幕間 『あらすじ』 『タグ』 『目次』

 ――さて、今後このように。

 私だけが登場し、私の持論をつづる場ももうけていきたいと思う。

 それは二人の会話では語られない。語りにくいような部分が存在するからなのだが。


 とは言え、小説とは誰かに対して説いているもの。物語に置き換えなくても小説なのだろう。

 だから全部が地の文。私の論文だとしても独白小説として成立するのだと考えている。 

 まぁ、実在する書籍のスタイルに置き換えるならば、項目と項目の間のコラムだと思っていただければ幸いである。

 その点をご理解いただき――『小説以外の投稿』として通報しないことを切に願うのである。


 今回は前話の蛇足だそく

 プロローグとは確かに小説の入り口、お店の外観なのだろう。

 しかしネット小説においては、プロローグよりも前に読者へ映し出される場所がある。

 それが『あらすじ』『タグ』『目次』なのである。

 今回は、そこについて少し話をしようと思う。



 まずは『あらすじ』について。

 これは読者が一番先に目を止める場所。つまり小説におけるプロローグと同じ意味を持つだろう。

 だから書き方としては同じなのかも知れない。

 しかし、『あらすじ』とはあらい筋。つまり本当に簡略かんりゃくしたプロローグと考えるのが重要である。

 何が言いたいかと言えば。


 長すぎ、かつ、詳細な『あらすじ』では読む気がせるのだ。

 まぁ、私もえらそうなことは言えないのだが。


 あらすじとは、本当の意味で中へと誘導するのが目的である。

 ラノベなどの書籍では裏表紙に書かれていることが多い。

 それは――ビニール梱包こんぽうされていても内容を簡単な部分だけでも把握はあくできるようにしているからではないだろうか。

 書店にて、読者が何も知らない作品に出会った時、まずタイトルと作者名を眺め、表紙のイラストを見るだろう。

 この時点で買うのが『ジャケット買い』だと思われる。

 そして裏返して、あらすじを読み、全体をなんとなく把握する。

 普通は、その上で買うか買わないかを決めるのではないだろうか。

 簡単に言ってしまえば、あらすじを読む読者は『読むか読まないか』を決める為に読むと言うこと。

 最初から作品を読むと決めていれば、さっさと購入して作品へと進むはずだ。

 当然だが、あらすじよりも本筋の方が詳細に描かれているのだから――。


 つまり二択である以上、判断する時間を与えるのは危険なのである。

 よほど自分の趣向しゅこうに合うものや、書き手の文章力が優れていなければ。長くなれば長くなるほど「やっぱりいいや?」と言う考えがふくらんでくる。把握することに疲れていくとも言えるだろう。

 あまり相手に考えるすきを与えない。これは有効な手なのだと思われる。


 当然ながら、逆に『あらすじ』がなかったり、短すぎて判断材料がないのも読まれないのだと思う。

 あらすじを書く目安としては。

『登場人物。特に主人公と、ヒロインもしくはヒーロー』と『ジャンルやテーマ』を簡潔に伝えるのが好ましいのだろう。

 大抵たいていの作品は主人公と誰かが何かをする話だ。人外やその他の生物や無機物であろうとも、小説では人の言葉を使うのだから人なのである。

 つまり、そこを伝えれば問題ないのだろう。

 

 簡単に言ってしまえば。

 異世界転生ものならば『主人公がハプニングに遭遇そうぐう。異世界に飛ばされてヒロインと出会う』のように。

 これに神様転生が加われば『神様の力によって』が付け足されるのだ。 

 恋愛ものならば『主人公がヒロインと出会って、何かのはずみで恋に落ちようとしている』のように。


 誰が話を進め、その人に誰がかかわりを持ち。もしくは世界が干渉かんしょうして。

 どのような話の展開になるのか。

 当然本編ではないのだから、人物を確定する必要はない。彼や彼女、とある学生などでも十分だろう。

 事実や展開も曖昧あいまいでかまわない。それは本編で紐解ひもとくものだから。


 つまり『ラブコメ』とか『魔法もの』とか『戦争もの』などのように、中くらいのジャンルに分類する。

 なお、『コメディ』『ファンタジー』『SF』などが大きいジャンルだが、そこまで表示しなくても中くらいからで十分だろう。

 その中で『異世界』とか『学園』とか『現代』などのように、小さいジャンルにも分類する。

 そこを基準に、世界観が理解できるよう、ほんの少しの独自設定を盛り込めて伝えれば十分なのである。

 要は、全体の雰囲気が伝わるようにすれば問題ない。核となる登場人物とジャンルが理解できれば問題ない。

 読者はジャンルさえ理解できれば判断できるのだろうから。

 つまり好みのジャンルかを判別してもらい、読んでみたいと思わせられれば、それで十分なのだろう。


 なお、そこに付随ふずいする点として。 


 あらすじにはあらすじを書くようにする。

 あらすじを書いてから少しの注意点を書き加えることにしよう。


 と言うことを伝えたいのである。

 中には、「あらすじが書けないから」と言う理由から、作者からの注意点だけを書いている作品もある。

 く言う、以前の私もそうだった。

 その時に読者から――


「あらすじにはあらすじを書きましょう。内容を知りたいのに、作者の注意点しかないのでは読む気が失せます」


 これに近い言葉で指摘されたことがある。

 極端きょくたんに言ってしまえば、作者からの注意点とは本編の内容ではなく予防線に過ぎないのだ。

 確かに伝えておきたい部分は存在するかも知れないが、読者からすれば予防線にしか感じないのである。

 内容を理解してもらってから、少しだけ作者の声を伝える程度にしておこう。


 とは言え、例外が存在するのも事実。

 現に当作品、及び番外編扱いの作品には『あらすじ』がなく注意点のみを書いてある。しかし私は問題ないと思っている。

 なぜなら、番外編は本編の番外編に過ぎない。そして本編には前回書いた『あらすじ』を書いてある。

 そう、本編には『あらすじ』を書くように、と伝えているのだ。

 この作品は小説の書き方に特化した番外編なので、これだけを読んでいる者も多いだろう。

 それについて私は「本編も読んでください」とは言わない。それは読者の自由である。

 しかし、申し訳ないが注意点として『本編の番外編』だと言うことは明記めいきしてある。それが何を意味するのか?


 簡単に説明するならば、今のところは本編と切り離しても読めるかも知れないが。

 番外編とは本来、本編の設定に沿って描かれるものである。そう、本編既読を前提に書かれるもの。

 特に読んでほしいとは言わないが、仮に本編の設定が描かれたとして。

「なんで、こうなっているのか理解できない。説明不足」などと苦情を突きつけても。

 私としては「本編読め」としか返答ができない。

 だから仮に、そう感じる部分が発生しても本編を読んでいないだけなんだから無視をしてくださいと、暗に伝えているのだ。

 それが『本編の番外編』だと言うことを明記している理由である。


 つまり、本編で内容について『あらすじ』を書いているのだから、本編に沿っている番外編には必要ないのである。



 次に『タグ』について。

 タグとは検索の補助的役割を持っている。つまり、タグから他の小説を探せるメリットがある。

 そして、小説の内容の目安になるのがタグである。


 そう、検索補助と目安。それ以外のタグは不必要だと言えよう。

 特に運営側から禁止されているのだが、文章的なタグは禁止である。

 疑問形など困惑させることに他ならぬので論外である。

 そしてタグを大量に付けるのは読者に選ぶ時間を与えてしまうもの。

 一目で見て、最低限作品全体の雰囲気を理解できる程度のタグが好ましいのだと思う。

『あらすじ』の項目で伝えた、中くらいと小さいジャンルなどのことである。 


 そう言う意味で不必要なタグ。

 これはオリジナル作品の話なのだが。

 オリジナル作品において、オリジナルと言う要素のタグなど必要ない。逆にそれ以外が存在するのかと問いたいくらいだ。

 そしてオリジナル作品に原作タイトルタグや原作キャラクターなど設定が入るのも本来おかしい。それは二次創作ではないのかと疑いたいのである。

 ほんの少しの要素だとしても原作を入れると言うことは、本来は二次創作なのだと思う。

 私の場合、本編にて大量のアニメ作品を使ってはいるが、ネタは彼らの単なる知識でしかない。実体化などしていない。ただの日常の一コマなのである。

 そして、私はそれをパロディとタグにしている。

 しかし原作の要素を実用化、実体化する時点で世界に介入かいにゅうしているのだ。それを作者のオリジナル作品とするのは間違っているのである。

 オリジナル作品は、あくまでも作者のオリジナル作品であるのだろう。


 ただし、「いや、これもオリジナルだったら必要ないんじゃ?」と思われるタグが一つあるだろう。

 それがアンチヘイトタグである。実際に私もオリジナルにアンチヘイトタグを付けているが、このタグだけは必要ならば付けるべきだと考える。

 本来アンチヘイトタグは原作をいちじるしく侵害しんがいする作品。運営側ではキャラクターとなっているが世界そのものに適用てきようされるだろう。

 そんな解釈かいしゃくがあるので二次創作だけのものだと考えるかも知れない。

 しかし、オリジナル作品もまた、原作の二次創作だと考えるべきなのである。

 オリジナル作品の原作。それは一般常識や先人せんじんの作品達のこと。

 そう言ったものに対しての冒涜ぼうとく行為は許されるべきではない。

 そう、「オリジナルなら何をやってもいい」と言う話ではないのである。


 具体的に伝えるならば。

 この作品にもアンチヘイトタグを付けているのだが。

 それは暗に「作品内で間違いだと伝えているような作品を書いている作者への冒涜が含まれます」と言う意味で付けているのだ。

 おわかりだろうか。

 オリジナルだからと言って、何をやってもいいのではない。冒涜は冒涜である。恥ずべき行為である。

 私は常識を逸脱いつだつしたことを書いても問題ないなどと考えてはいない。他の作者を冒涜したくて書いているのでもない。ただ持論による意見を申し上げているまでなのだ。

 そう、書くと決めたからこそ書いている。その為にアンチヘイトだと理解していても書いている。それだけである。

 

 そして……これは一般作品ではないのだが。

 R18作品におけるR15タグも付けている作品。これはまったく意味がわからない。

 と言うよりもR18と言うものを理解していない者が、なぜR18作品を書いているのか。本人の年齢を疑ってしまうレベルである。

 一般作品なので意味を理解していない読者もいると思うので説明しておくが。

 R18とは十八歳未満閲覧えつらん禁止と言う意味である。

 おわかりだろう。

 まず、閲覧できない人間が投稿などできる訳はない。当たり前だ、どんなものかを知らない人物が作れるはずはないのだから。そして。

 十八歳未満閲覧禁止であるのに、十五歳未満閲覧禁止のR15タグも付けている無意味なこと。

 R18作品は一般作品と別枠で分類されている。隔離していると言うこと。

 いつから十八歳未満閲覧禁止の場所に十五歳未満なら入れるなどと言う条例ができたのだろうか。

 私はずっと十八歳未満閲覧禁止とは、生まれてから十八歳までの全員が閲覧できないのだと思っていたのだが……。まぁ、それは常識なので冗談だが。

 

 なぜ本人の年齢を疑ってしまうレベルなのかと言えば。

 本来ならば、その手の作品を描く作者は、その手の作品に精通せいつうしているから描こうと思うのではないか。

 つまり全員が理解していると考えるからなのである。

 だが小説投稿サイトでは年齢認証にんしょうは自己申告制である。その為、理解していない人物でも書けてしまうのが現状なのだろう。

 現にR18作品を投稿しておきながら活動報告で「私は中三の受験生です」などと報告している人物もいた。

 別に私は法律を言うつもりはない。そこは運営の仕事なのだと思うので私の出る幕ではない。

 私自身は書きたいのなら書けばいいさ。そう思っている。

 読むとは言っていないのだが。

 しかし、自分から墓穴ぼけつを掘るような真似はやめなさい。そう、老婆心ろうばしんながら忠告したいのである。

 話を戻そう。


 そして、内容の目安。

 それは全体を通して把握する目安である。特筆する部分ではない。

 そして現段階では存在しなくても、話を進める間に発生するなら最初から付けるべきだと思う。

 とは言え、最近はジャンルやタグなどにこだわって読む人間もいるそうで。

 全然展開されないと「タグ詐欺さぎ」呼ばわりされることもあるだろう。しかし無視をすればいいのである。

 そもそもジャンル読みをしたくても他人の嗜好しこうに過ぎない作品では、個人の望むジャンル展開など皆無だと思われる。

 だからこそ、大抵の作者は「自分の読みたいジャンル展開」の為に作品を書くのだろう。


 よく感想欄などで作者が読者の感想に「いやなら読むな。自分で書け」と書くのを見かける。

 その言葉を、読者は「作者として言ってはいけない」と批判する者も多いのだろうが。

 実は、この言葉。


「私は自分の脳内で描いた自分好みの読みたい作品展開をしているまでであり、あなたの考えるような、望むような作品展開はエスパーではないので理解できません。今後も私の脳内の展開をするまでなので、あなたの望むような展開にはならない可能性がございます。ですから今後のお互いの為にも読まないことを薦めるのと同時に、わざわざ苦労して自分好みの作品を探すよりも自分で書いてしまった方が楽ですし、完全な自分の望む展開が読めますよ?」


 と言う意味なのだと思う。つまり言うべきことなのではないだろうか。

 これ以上の無駄な時間を使わせない。完全な自分の読みたいものを読ませる為にも。

 そう、他人の作品を読んで「気に入らない」と自分の意見が伝わるのか定かではない相手に突きつけるより、自分で書いた方が何倍も楽なのである。

 つまり読まずに自分好みの作品を思いのままに書く時間に費やしてみては? と提案しているだけなのである。


 まぁ、私は元より他人の作品に自分の好みなど押し付けない。

 否、小説とはジャンルで読むものではなく、作品を読むものだと思っているのでタグなどまったく気にしたことはないのだが。

 そもそもタグ一つ一つには何も意味がないのかも知れない。あくまでも部品と同じ。そう言う要素もあると伝えているに過ぎないのだろう。

 

 たまに目にする「コメディってタグなのに唐突とうとつにシリアス展開入った!」と言う感想がある。

 何がおかしいのだろう? 私から言わせれば当たり前だと思っている。

 コメディとは喜劇でありコントではない。

 コメディとは序盤じょばんを喜劇として楽しくするのは当然だが、重要なのは最後にハッピーエンド。その上、感動や心暖まったり、考えさせられたり。

 そう言った何かを残す作品のことをコメディと呼ぶのだ。

 問題提示をせずに何を残せと言うのだろうか。

 申し訳ないが私はコメディでシリアス展開のない作品など知らないので、こう言う考えなのである。

 それでも何かを気にするなら『残酷ざんこくな描写』のタグでも入れておけば問題ないだろう。残酷な描写はシリアス全般に適用されると思う。

 なお、『残酷な描写』は必須タグなのでシリアス展開には入れておくのが好ましいのだと思う。

 コメディだけど残酷な描写もある。複数のタグでおぎなうことにより単体での特色など混ざり合うのである。

  

 話をまとめると。

 作品の全体が簡単に把握できる程度。中くらいのジャンルと小さなジャンル。特筆できる設定。

 これくらいで十分なのだと思う。

 それが「違う」と言ってくる人間は価値観の相違だと考えて無視をする。個人の好みなどタグのジャンルごときで決まるものではない。血液型と同じなのだろう。

 だから自分の作品に必要なタグを付ければいいのである。


 もしもタグに困るのであればランキングなどを参考にしてみよう。

 その人達のタグの中で多く使われているもの。その中で自分の作品に合うものを選べば問題ないはずだ。



 さて、最後に『目次』なのだが。

 これは単純に統一感を注意すること。この一点である。

 確かに更新する際に、毎回サブタイトルを入力しているのだが。

 まったく統一感のない作品が多く見受けられている。

 話数の数字がアラビア数字だったり漢数字だったり、全角だったり半角だったり。第がついたり、つかなかったり。

 スペースが全角だったり半角だったりとバラバラな目次。

 これで中身を読みたいと思うだろうか。中もバラバラだと思わないだろうか。

 ネット小説においての『あらすじ』『タグ』『目次』は店の外観。

 乱雑らんざつなディスプレイで誰が中に入ろうと思うのか。そう言うことである。

 

 特に目次など、更新直後にチェックして修正すれば問題ないはず。

 文章の形成以前に簡単に見栄みばえをよくする場所なのだろう。

 つまり、できていないのは作者の怠慢たいまんだと言えよう。


 ――これで今回は以上である。

 次回はまた二人の話に戻るので、しばしお待ちいただければ幸いである。

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