第7話 儀式の在り方
ボールが弾む音に、シューズの底が擦れる音、そして飛び交う掛け声。
いつもなら、バスケ部であったりバレー部の部員たちの練習で賑わいでいるはずの体育館も、今日ばかりは静まり返って異様な雰囲気を醸し出していた。
それは例えるなら、おとぎの国に迷い込んだ、少女アリスさながらの、あまりに広い世界に直面した畏怖に近い。
照明も空調も機能してない木目のホールは、ステージを除いた三方から差し込む、ガラス製の陽光のみを光源とし、生暖かさと埃っぽさを混ぜ合わせた空気の発酵実験でもしているかのような、居心地の悪さがある。
立っているだけで額に汗がにじみ、息苦しさを覚えるこの空間では、並の人間であったならすぐに逃げ出すか換気をすべく窓へと向かうのだろう。
――そう。並の、普通の、一般的な、平均的な、どこにでもいる、真っ当な、人間であるなら。
それ以外の者は、自分が禁忌を犯しているかのような妙な興奮によって、充満した熱気は濾過され、自らの活動の燃料として体内へと取り込まれるのだ。
学校指定の制服姿のまま、足を運ぶのは体育館の中央に描かれたサークルの中。
内履きの奏でるあまりにも軽い靴音は物寂しさすら覚えるが、それは些細な問題であった。
所持しているのは白っぽい粉の詰まった袋と、ろうそくの箱、そして金の色合いとダンデライオンのデザインが印象的なジッポライター。
それらが意味するものは、明白であった。
サークルに到達するなり、粉袋の口を開き、そのライン上へと振りかけていく。
風でも吹こうものなら、瞬時に吹き飛ばされ、すべてが無に帰すことは想像に難くない。
それが実現できるというのも、この儀式の場が、窓がすべて閉じられ、あらゆる出口が閉め切られているからに他ならない。
白粉を円状に形作ったところで、今度はその内側に入り、ろうそくを箱から取り出す。
そして、ろうそくが五角形の頂点に位置するように慎重に並べていく。
ろうそくの底は立てやすいようにあらかじめ加工をしてあるので、時間はさほどかからなかった。
屈んでの作業ということもあり、噴き出た汗が顔の端へと集まり、玉のような雫を作る。
普段よりも心拍が強く脈打っているのは、これから起こすことへの緊張からか、それとも興奮からか、はたまた単に熱気に当てられてのものなのか。
もはや平衡感覚すら曖昧になりつつあった身ではあるが、それでも中断という選択肢は頭にはない。
ジッポライターを開き、各ろうそくに灯火を供える。
視界が白く染まり、世界が回転を始めそうになる。
そこでようやく、自身が無意識に呼吸を止めていたということに気づく。
傾きかけた身体を、膝に力を込めて何とか立て直し、酸素を取り込むべく口を開く。
肺へと飛び込む、熱傷を受けたかのような重い空気。
寸前のところでトリップを免れたこともあり、幾分取り戻した洞察力から垂れそうになっていた汗を制服の袖で拭うと、サークルの外へと身体を逃がす。
五芒星も星型のラインも描かれてこそいないが、火を灯したろうそくが均等に置かれているという事実だけでも、十分な達成感が身体の腰付近から全身へと広がっていく。
存在しているのは、灰で描かれたサークルと、五本のろうそくのみだ。
それは儀式と呼ぶにはあまりにも粗末なものと言えるであろう。
ただ、儀式を行うには十分すぎるほどの美しいバランスを有していた。
そして、目的を果たすため必要な行動を奇跡的に満たせていた。
無人の体育館に複数の気配が降り立つ。
目に見える変化は、ろうそくの背丈以外、何もない。
――そう、ろうそくの命のみが削れ行く世界。
壁掛け時計の針も、いずれ変わるであろう窓から見える外界の光景も、置き去りにして、ただろうそくのみが独自の時間を消費していた。
永遠のようにも感じられる、永い時間を肌で感じながらも、終わりの時を今か今かと待ち続ける。
もう、そこに冷静な思考など存在していなかった。
今自分がどこに立っているのかさえ、わからない。
床が平らなのか、壁がゆがんでいるのか、天井が割れているのか、それとも瞳が砕けているのか。
全身で感じる、あらゆる感覚が溶け合うように失われていき、黒へと統合されていく。
そこに、嬉しいであるとか、怖いであるとかいった、感情は消失していた。
否。
何もかもが、なかったのだ。
――翌日、閉め切られた体育館の扉が開かれると、粗末な魔方陣と生徒のものと思われる制服が中央のサークル内に落ちているのが発見された。
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