第6話 運命の一枚
「じゃあ、これは?」
そう言って孝明が手渡してきたのは一枚のコピー用紙だった。
何か文字が印刷されていうわけでも、ペンで落書きがされているわけでもない、まっさらなA4サイズだ。
静歌はコピー用紙を受け取ると、溜息を吐きながらそれを手の中でぐしゃぐしゃに丸め、孝明へと投げ返す。
「いつものコピー用紙」
ぶっきらぼうに言い放つ静歌だったが、孝明は気にした素振りもなく丸まったコピー用紙を胸元でキャッチすると、子供のように無邪気に顔をほころばせる。
「おぉっ、正解正解。それじゃあ、これは?」
そう言って孝明が差し出してきたのは、スポーツ新聞。
刊行の日付から、今日買ってきたものなのだとわかる。
一面には贔屓のチームがサヨナラ勝ちをした記事が、当該選手の写真と共に大々的に取り上げられていた。
静歌はそれを先程と同様に受け取ると、再び溜息を吐きながら新聞紙を力任せに丸めながら答える。
「新聞」
「おぉっ、正解」
拍手をしながら称える孝明に、静歌は先程よりも強めに新聞の塊を投げ返す。
サイズが大きかったこともあり、孝明は難なくそれを受け止めると、口笛でも吹き出しそうなゴキゲンな顔で次の題材を探す。
それは、まるで保育園児たちがやるような、遊びそのものだった。
床の上で、二人向かいながら手渡す物が何かを当てる。
単純この上ないゲームだ。
何故それを、成人を迎えてしばらく経つ男女のカップルがやっているのか、誰もが疑問に思うことだろう。
実際、それに深い理由などなかった。
強いて述べるなら、孝明の部屋に静歌が遊びに来た時に始めた遊びが、今まで続いてしまっている、惰性とも言えるものだ。
8畳ほどの、決して広くはない孝明の部屋。
床の上は綺麗に片づけられているが、隅ではゴミ袋が壁に寄りかかっている。
静歌が来るとわかって慌てて片付けたのは想像に難くない。
そして、我が物顔で横たわるベッドのおかげで、自然と近くなる二人の距離。
恋人同士ならもっと色々とやりたいことや思うこともあるものだ。
それを、このような子供の遊びのようなやり取りに費やされるのだから、静歌からすれば溜息どころか怒りを覚えてもおかしくはない。
それでも静歌が孝明に付き合うのは、彼のことを好いているからに他ならない。
そんな静歌の気持ちを察しているのか、いないのか、孝明から始まる他愛ないやり取りが繰り返されていく。
「これは?」
「厚紙でしょ」
「じゃあ、これは?」
「……チラシ」
孝明が紙を手渡す。
静歌がそれを手に取り、くしゃくしゃに丸めて投げ返す。
まるでそれが1セットの練習メニューであるかのように、延々と繰り返されていく。
だが、静歌も人間だ。
短調な作業にも飽きてきて、ついに限界が訪れる。
「もういいでしょ。今日はもう終わり。もっと別の事しようよ!」
多少強めで放たれた静歌の言葉に、孝明の顔が一瞬ではあるが硬直する。
「じゃ、つ、次……次で最後だから……ダメか?」
孝明は合掌しながら、静歌に泣きの一回を懇願する。
それを受けて静歌は、今日一番の、深く重い溜息を吐いて、うなずいた。
「……わかった。最後ね」
そして行われるラストゲーム。
数十秒の時間を置いて、孝明が最後の一枚を静歌へと手渡す。
「こ、これ……は?」
先程と違い、少しどもった孝明の声。
強く言い過ぎただろうかなどと、静歌は内心後悔しながら紙を受け取る。
だが、だからといってやることは変わらない。
気持ちを切り替え、静歌は受け取った紙の上に指を軽く滑らせる。
そして、さっきまでと同じように紙を丸めようとして――思いとどまった。
今日触ってきたどの紙よりも薄かったその一枚に、静歌は心当たりがあった。
最後に触ったのは、恐らく数週間前。
理解した瞬間、静歌の手に力が入り、薄い紙がカシャッと音を上げた。
「……はい。よろしく、お願いします」
静歌は目元を涙で濡らしながら、大きくお辞儀をした。
「ありがとう、静歌……」
孝明はそれだけ言うと、戒めから解き放たれたような安堵の表情で、静歌の肩を優しく抱き留める。
それからしばしの間、一枚の紙を挟んで、孝明と静歌は互いの存在を確かめ合った。
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