第4話 虹の声

 雨上がりの空は、まだ半分くらいが雲に覆われていて、太陽の姿は舞台裏に隠れたままだった。

 少女は、待ってましたとばかりに空き地へと飛び出し、水たまりを避けながら、翼でも生えたかのように軽やかに進んでいく。

 どこからともなく聞こえてくる雀たちの鳴き声を背景音に、その場で一回転する少女の顔は陽を浴びた雨露のように輝き、見ているだけで楽しさと嬉しさが伝わってくる。

 長年放置された空き地は、決して足場が良いとは言えない。

 波打った地面は足の着き方を間違えればすぐに痛めてしまいそうな歪み具合だが、地質のおかげかぬかるみは少ない。

 それを知っているのか、少女は滑倒を恐れることなく空き地の中央へと向かう。

 住宅地の中にぽつんとたたずむ、小さな託児所くらいの空間。

 その中でも、最も高くて、最も空に近い場所だった。

 実際、いくら地面が歪んで隆起しているといっても、誤差といっていい程度の差しかない高さだ。

 それでも少女にとっては、そこが唯一の居場所だった。

 観衆も、スタッフもいない、少女だけの舞台。

 その中央で、少女は恭しく頭を下げる。

 数十秒後、雀の羽ばたきが冴えない映画を見た後に生まれる拍手のように空へ消えた。

 そして訪れる、本当の沈黙。

 耳に入ってくるのは風の集まる音と、世界の鼓動。

 土のにおいと空気の温感。

 半分だけ青い空。

 全身で世界を感じた後、少女は自らの胸に手を当て、口を開く。

 空気が震えるかと思えた瞬間――少女の口から虹の声が奏でられた。

 それはまるでプリズムのように色を変えて。

 それはまるで光のように闇を照らして。

 それはまるで水のように柔らかで。

 それはまるで大空のように温かで。

 それはまるで人のように切なくて。

 それはまるで心のように揺れ動いて。

 それはまるで空気のように普遍的で。

 流れる旋律は、どこまでも広がって、少女の想いと共に世界を彩る。

 抗うことすら投げ出してしまいたくなる、抱擁の力。

 自然であっても、その例外ではなかった。

 少女の声に呼応してか、雲の裏から太陽が姿を現し、大地を力強く照らしていく。

 笑顔が連鎖していくように、世界に希望が満ちていく。

 大地に生まれた水たまりも、青い希望を映し始める。

 映画のエンドロールさながらに、ゆったりと動いていく時間。

 気が付けば、少女の姿は空き地から消えていた。

 だが、それを不思議に思う者はいない。

 外を出歩いていた人がいなかったから、というわけではない。

 彼女もまた自然の一部であり、役割を果たした少女が消えるのは自然界において当然のことだったからだ。

 この世界における少女の役割。

 それは他でもない、虹の声をこの世に届けること。

 数字で計れば、1分にも満たない短い時間。

 その為に少女は無から外へと飛び出す。

 定められた運命と知らなくとも。

 自らの役目と知らなくとも。

 少女はそれを自身の意義として、世界へ虹を届ける。

 少女がどんな姿だったかもわからない。

 どんな顔をしていて、どんな髪をしていて、どんな服を着ていたか、誰もわからない。

 それは存在してはいけない記憶であり、この世界における禁忌のひとつだ。

 そのせいか、彼女が少女だったことや、嬉しそうにしていたという、曖昧な記憶しか見た者の頭には残っていない。

 まるで花火みたいで儚い一生だなんて、言う人も中にはいるだろう。

 だが、それは彼女を知らない人の口にした言葉だ。

 だって少女の生涯は、花火とは明らかに違うのだから。

 輝いた瞬間を皆に見てもらえる花火に対し、少女の存在は誰にも見てもらえない。

 彼女が生んだ虹を、自然の産物として受け入れられているだけだ。

 誰にも認められないにも関わらず、少女は生きた。

 それはきっと、他の世界を知らないせいかもしれない。

 そうでなければ、あそこまで光あふれる笑顔で、七色を生み出すなんてできないだろうから。

 今も少女の消えた世界では、一本の虹が青空の中、雲の上へと静かに掛かっている。

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