第2話 白き竜の翼は何処に
この町のすぐ近くに小高い丘があるんですけど、その頂上には竜の石像があるんです。
麓から続く長い石段を上った先がちょっとした広場になっていて、その更に奥の方ですね。
立て札とかもあるんで、そんなに迷うこともないかと思います。
それでその石像なんですが、誰が建てたのかも、いつ頃建ったのかもわからないんですけど、精巧に造られていることもあって、町の人はそれを名所として代々大切に管理してきたんです。
私も何度か見たことがあるんですけど、その気持ちはよくわかります。
あの石像って台座がないんですよ。
そのせいか、すぐ近くで像を見ることができるんで迫力も凄いんです。
高さは大人の背よりも少し高い程度なんですが、牙の一本、鱗の一枚まで緻密に表現されていて、隆起する筋肉の具合も凄くて、それが石であることを忘れてしまいそうな程ですよ。
頭や尾の造形ももちろんですが、個人的な一番の目玉は、首の付け根から伸びる一対の翼ですかね。
革のような艶やかさと、綿毛のような柔らかさを見ているだけで感じ取れるくらいですから、芸術品・美術品としても眺められると思います。
ただ、あまりにも生々しくて迫力がある像なので、小さい子たちは泣き出したりしてしまったりするかもしれませんね。
なので、子供連れで見に来るのなら、覚悟はした方がいいかもしれませんよ。
――と、先月までは紹介できていたのですが、生憎現在はそうもいかないんです。
率直に申しますと、石像が破損してしまったらしくて。
早朝に見回りに来た役場の人が発見したそうなんですが、片翼が丸ごともがれたみたいに無くなっていたみたいです。
もう、それからは大騒ぎですよ。
犯人は誰だとか、管理が杜撰だったんじゃないかとか、責任を取れとか言い出す人まで現れるし……。
私もその日の夜、出歩いてたから疑われちゃって……。
さすがに女性には無理だろうってことで無事釈放されたんですけど、あんな思いはもうしたくないですね。
そんなわけで、残念ながら今も石像を壊した犯人は見つかっていないんです。
まぁ、犯人の方は別にいいんです。
不慮の事故だとか、自然災害だとか、いくらでも壊れる可能性はありますから。
町の人が困ったのは、それを修繕することができる人間がいなかったということなんですよね。
造った人がわかったなら、その人に直してもらったり、新しく造ってもらったりと手の打ちようはあるんですが、あの石像は出所不明ですし。
町としては名のある石師を呼んで直してもらうということも考えたみたいなんですけど、ここである重大な問題が発覚してしまって……。
それは何かと言いますと、本当に推理小説みたいな展開なんですが……もがれたはずの翼が、どこにもなかったそうなんです。
もし石翼が落下したのなら、近くに実物がないとおかしいですよね。
でも、発見当初から今まで無くなった翼を見たという人はいないらしくて。
それじゃあ盗難事件かというと、それも怪しくて……。
理由を説明させてもらいますと、痕跡が全然ないからなんだとかで。
いくら軽そうに見えても、いざ運ぶとなれば素手で抱えてなんて現実的ではないですよね。
荷車だとか、何かしらの道具を用いたと考えるのが普通です。
像の一部とはいっても、その重さは結構しますし、自重が増した荷車は跡を残さないはずはないんです。
ですが、周囲にはタイヤの跡も、擦った跡も、何もなかったっていうんです。
まぁ、それでもあの石段を下りないとならないんですから、原因不明ってことに。
それで石像の翼だけが消えたという、摩訶不思議な事件になっちゃったんですね。
そういうわけで、残念ですが石像の周辺は立入禁止になっているので、遠くから眺めるくらいしか……。
あと、夜出歩くのも控えた方がいいですよ。
外灯がないので、つまずいたり踏み外したり危ないですから。
ただ、治安の方は安心してください。
この町はあの一件以来、事件らしい事件も起きていませんから。
それでは、今日は安心しておやすみくださいませ。
本日は観光案内所をご利用いただき、ありがとうございました。
そう、これは誰にも語られない世迷いごと。
言ったところで信じてもらえず、犯人の汚名を着せされるだけの、悲しい妄言。
竜の翼がどこにもない?
そんなの当たり前じゃない、それはここにあるんだから。
白き月が黒い空に真円の穴を空ける時、私は彼とひとつになれる。
あの日の夜も、今日と同じ空色をしてた。
皆が寝静まった頃、窓を開け放つと町の寝息が私の身体の輪郭をなぞる。
ついさっきまで存在しなかった感覚が、私の背中に芽生えていく。
それは、きっと私には決して見ることのできない翼。
だけどその色も形も、私は鮮明に覚えている。
だから、大丈夫。
窓を飛び立てば、彼はすぐそこに。
昼の名残を脱ぎ捨てて、夜の黒衣に身を馴染ませながら、丘へと向かう。
探すまでもない、彼はそこにいる。
翼を持つ者同士だけが感じられる、共鳴する意識。
羽ばたく間もなくその地へと降りた私は、迷いすら置き捨てて彼の傍へ向かう。
立入禁止のロープたちも、今の私にとっては主を失った蜘蛛の巣に等しい。
暦の月が名前を変えるほどの時間。
待ち焦がれていた彼はあの時と同じように、そこに立っていた。
ただあの時と違うのは、片翼を着飾っているという一点。
その姿に、私は胸が締め付けられる。
だけど、彼は変わらない柔和な笑みで言葉を伝えてくれる。
――おかえり。
それが、たまらなく嬉しかった。
罪悪感すら洗い流してくれる、透き通った彼の旋律。
私の不注意とはいえ、一度失った命を与えてくれた純粋な聖者。
竜の命は各翼に一つずつあるだなんて、この秘密を知っているのも世界で私だけだろう。
だけど、この秘密はきっと誰にも漏らしたりしない。
それは彼を知ってしまったから。
人よりも高貴で、純粋で、慈愛に満ちた彼を。
石化の呪いを受け入れ、月に一度の自由をただ静かに想う彼を。
暗闇の中を出歩いて、運悪く石段を踏み外した私を、躊躇もなく救ってくれた彼を。
そんな彼だから、私はずっと寄り添っていたい。
たとえ終焉の時が来たとしても――。
ここが、私の居場なのだと、心から思うから。
だから、私はこれからもずっと続くだろうやりとりの、最初の一声を差し出す。
――ただいま。
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