第10話

ミカは、家に帰ろうという気持ちを持ったことがなかった。

母親はミカを産んだ後、すぐに亡くなった。吸血鬼を産む母親は、子の魔力にあてられて出産後にほとんど全員亡くなる。

父親は、やはり魔力の高い、そして博識な吸血鬼だった。父は、母が出産を終えた後に亡くなることを理解していた。母のことがいっとうお気に入りだった父は、母亡き後に今まで通り生きていくことをやめることにした。

吸血鬼と言えども、魔力が尽きれば寿命も尽きる。

父は、自分の魔力全てをもってして、生まれたばかりのミカを白い空間の中に入れた。その中でミカは栄養を摂取し成長する。魔法や幻術、父の知っていた知識全般は、成長に伴いその空間の中で吸収していった。父から学ぶことがなくなった段階で白い空間を開けることが出来たので、生まれて数十年後にようやくミカはこの世界を認識した。

白い空間は開けた瞬間に消失したので、はじめから帰る場所はなかった。

なんとなく何もない土地に城を構えてみたが、なんのこだわりもなかった。


また、両親から愛されたことはおろか、両親と接したこともなく成長したため、他者に頼るとか支え会うなどという感情はなく、他者を必要としなかった。

あてもなく世界を巡っているなかで、好意を向けられることも多かったが、気が向いた時に狩る側としてその感情を利用するだけだった。

好き、嫌い、好まれたい、嫌われたくないという感情はなかった。

意識したわけではないが世の中は自分の思い通りになる、思い通りにするという思いが頭の片隅にあった。


リイラに何を言われても、良い声だと思うだけであった。もっともっとなかせたい。

そして、興奮していたミカはリイラに幻術をかけた。

翌朝まで、ミカはリイラを手放さなかった。


「なんで…、家に帰らなきゃいけないのに…。…おじいちゃん…。」

翌朝目覚めた時にはミカの姿はなく、リイラの身体は言うことを聞かず、身体が動かないこと以上に最低の気分だった。

弱々しく唇を噛み締める。

リイラは基本的にポジティブだったが、意図が分からない拘束された生活で、日に日にストレスが貯まっていった。

アイリスのことは信頼していたため、アイリスを困らせないように心掛けて過ごしていた。だから、アイリスが部屋に来た時には無理矢理笑顔をつくった。

ミカのことは、二度会って二度とも暴行を加えられたことで、どんなに姿かたちが美しくても、怖いと感じる気持ちが拭えなかった。

普通の生物であれば、ミカにどんなことをされてもミカを激しく求めるのに、だ。

ミカはリイラを、まるで食べてしまいたいとでもいうような強い視線で射ぬくのだ。あんな目で見られたことはない。

リイラは気付かないが、恐怖心が拭えないのは餌としての防衛本能もあった。


その日、リイラはうたた寝をしていた。

アイリスは予定があったので、リイラの元を離れていた。リイラがアイリスを信頼していることが明白であったため、アイリスの予定がある時にはリイラの元を離れる日も増えていた。

リイラが目覚めると、バルコニーのガラス戸が開いていた。

弱い風が吹き、薄いカーテンが風にはためく。

誘われるようにバルコニーへ向かうと、虹色に輝くガラスのような透き通った階段があった。

部屋にこもって悶々としていたリイラは、少しの好奇心と気分転換に階段をのぼる。

階段をのぼったはずであったが、しばらく進むと目の前に芝生と綺麗な池が広がっていた。


「綺麗!」


喉の乾きを自覚して、池の水を飲もうと手をのばす。

その時、何かに手を引かれ、リイラはそのまま池に落ちた。


池に落ちたはずのリイラが目覚めたのは雲の上、天上の世界だった。

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