偽造書類

 伊刈は仙道には内緒にして、夏川と二人だけで残土条例の排出元証明書に書かれた建設現場に向かった。市を辞めれば父親の事務所で税理士になることが決まっている喜多は無用なトラブルに巻き込ませない用心で外した。不案内な道に迷いながら夏川は羽田空港に近い京浜急行の地下駅の近くに車を停めて残土が出そうな現場を探した。だが地下駅の上は成熟した交差点で大規模な開発が行なわれていないことは一目瞭然だった。

 「おかしいですねえ」夏川は排出元証明書に書かれた住所を行ったりきたりした。

 「やっぱりここなんじゃないのか」伊刈は敷地百坪足らずのビル新築現場を指差した。そこはせいぜい十階未満のペンシルビルを建てている現場で掘削を終えて基礎コンを流し込んでいるところだった。工事看板を見ると住所は証明書と同じだ。とても数万トンの残土が出るような現場ではなかった。

 「ここだけではとても船は満杯にならないですね。これじゃ残土が出たとしてもダンプ二十台がやっとでしょうね」

 「もうとっくに基礎の掘り下げは終わってるみたいじゃないか。最後の証明が出たのはいつだ」

 「先週です。ダンプ五十台分です」

 「ここからはそんなに出てないな」

 「そうですね。どこの現場でもいいから適当に添付したってことなんですかねえ」夏川はしょんぼりして言った。「これじゃ証明なんてなんの意味もないですね」

 「真相がわかったからってそうがっかりするなよ。ほかの現場もみんなこんなものなんじゃないかな。排出元証明書の真偽を全部点検してみたらどうかな」

 「気の遠くなる事務量ですよ」

 「全部がムリでも全然調べないのと抜き取り的にでも調べるのとでは違うと思うよ」

 「怪しいと思えば今までも調べてはいるんですが」

 「そういう勘はまずあてにならない。だからランダムサンプリングが開発されたんだよ。でたらめのほうが勘よりましってわけ」

 「そうはっきり言われると返す言葉がないですね」

 「ここはもうわかったよ。残土を積み出してる岸壁に行ってみないか」

 「企業岸壁なんで入れるかどうかわかりませんよ」

 「どこなんだ」

 「この近くの製鉄所の敷地ですね」

 「だったら役所の検査だって言えば入れてもらえるよ」

 夏川の運転するCR-Vは湾岸道路の側道を南下して川崎市に入った。左手には広大な工業地帯が広がっていた。目指す製鉄所は広すぎてどこが入り口かわからないほどだったが、適当に走っていると小さなゲートがみつかった。守衛に犬咬市の身分証を示して岸壁の検査だと説明するとあっさり入場が許可された。広大な製鉄所の敷地の中で小さな残土船が着岸する岸壁をどうやって捜そうかと心配していたが、提出された書類に記載された構内地図が意外に正確で岸壁に沿った狭い空き地に残土を積んだ現場は簡単に見つかった。ガット船も接岸中だった。船倉がまだ空なのか船体が浮き上がっていて、真下から見上げると意外なほど大きく見えた。桟橋のかわりに鉄パイプの足場が組まれていた。しばらく車内から様子を見ているとダンプが数分おきにやってきては空き地に土砂を棄てていった。塗装も似姿もまちまちのダンプだった。残土の山の脇に建てた三畳ほどの小さなプレハブ小屋の前に当番が一人立ってナンバーを控えていた。

 「排出元証明はさっきの現場のが一枚だけなんだろう」

 「そうです」夏川が伊刈の問に答えた。

 「じゃあ今来てるダンプはどっからなんだろうな」

 「わかりません」夏川は現場の実態を目の当たりにして唖然としていた。

 「見たところここで産廃をブレンドしてるわけじゃないみたいだ」

 「そうですね」

 「行ってみるか」伊刈は車を降りて当番の男に近付いた。男はさして驚いた様子もなく伊刈と夏川が近付くのを見守っていた。

 「残土条例の検査に来たんだけど、そのノート見せてくれるかな」伊刈が市の身分証と立入検査証を重ねてかざしながら言った。

 「いいすよ」男は違法な行為をしている意識がないのか、とくに隠し立てる様子もなく答えた。

 ノートにはダンプのナンバー、社名、現場名がベタ書きで控えられていた。一台ずつ排出現場が違っていた。

 「ナンバーだけで会社の名前がよくわかるね」

 「一覧表があるんすよ。そこに書いてないダンプは入れませんから」

 「予約制ってことなの」

 「そんなもんすかね」

 「その一覧表見せてもらえるかな」

 「いいすよ。今日のはこれっすね」男はあっさりと一覧表を渡した。

 一覧表には現場名とダンプのナンバーがずらりと並んでいた。都内と神奈川県内と合わせてざっと三十現場あった。排出元証明書が出ている現場は一つもなかった。残土条例の提出書類は呆れるほどでたらめだった。

 「明日の現場はまた違うのかな」

 「毎日変りますよ」

 「捨て料はどうやって請求してるのかな」

 「会社から月締めで請求するんじゃないすか。俺はよくわかんないすよ」

 「ここやってるのはなんて会社」

 「さあ俺はバイトだから」

 「誰に雇われたのかな」

 「ダチから頼まれたもんでね」ノートはあっさり見せてくれたが雇用主ははぐらかした。

 「ここには残土だけ来るんだね」

 「そらそうすよ」

 「産廃はどう」

 「ああたまにね。だけど断れって言われてっから」

 「今日は産廃は来たの」

 「見てのとおり来てませんよ。一覧表にないダンプは入れないから」

 「船には誰かいる」

 「さあ誰もいないんじゃないすか」

 「どんな船員さんなの」

 「俺関係ないすからわかんないすよ。だけどたぶん日本人じゃないね。インドとかあっちのほうじゃないの」

 「参考になったよ」伊刈は満足して引き上げることにした。

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