黄金循環

 「伊刈、おまえいつの間に亜細亜運輸の本社まで行ったんだ」仙道が出勤したばかりの伊刈を呼び止めた。

 「すいません報告が遅れました」

 「磐木社長から本課の課長にクレームがあったそ。おまえのこと何様のつもりだとよ。怖い物知らずも大概にしろよ。それでどうなんだ、残土船のこと少しはわかったのか」

 「土砂の黄金循環があるみたいですね」

 「黄金循環?」

 「山砂を採取してガット船で運搬し都心のビル建設現場に供給するまでが動脈ですね。ビルの基礎工事や公共事業で発生する残土や汚泥を戻りのガット船に積んで山砂採取の跡地に埋めるのが静脈です」

 「ほう」仙道は感心したようなバカにしたような声をあげた。

 「大規模な山砂採取事業にはゼネコン、建設官僚、保守系の政治家の利権トライアングル、あるいはそれにヤクザを加えた利権スクエアの構造が見え隠れします。政治家が自ら経営する大手土石業者もありますし、土石関連業界の利権を背景にした政治力は絶大です。大手土石業者や航運会社を中心に中小の土石業者、産廃業者、残土業者業者、ダンプ業者、重機リース会社、石油業者などのプレーヤーが衛星のように回ってるんです。土砂の運搬ルートには東京湾ルートのほかに陸送ルートもあって背景としている組織が分かれているようです」

 「組織って言うのはマルボーのことか」

 「それも含めて複雑なシンジケート構造があるみたいです。山砂、建設汚泥、建設残土、再生セメント、それぞれの分野ごとに製造から運搬まで組織化されています。土砂を積んだダンプが一台動くごとに組織にお金が還流する仕組みが出来上がってるみたいです」

 「それをお前一人で調べたのか」

 「黄金循環という言い方は思いつきです。それにしても公共岸壁を独占している土砂、航路を埋め尽くしているガット船、残土に偽装された汚泥と産廃、どれも大問題ですよ。これに比べたらむしろ犯罪だと割り切れる不法投棄の構造は単純かもしれません。とにかく土砂はバッチ(議員)がらみですね」

 「おまえ根拠があって言ってんのか。根拠がないなら憶測だけでめったなことは言うなよ」

 「今のところ根拠らしい根拠はないんです」

 「山砂を運んだ戻りの船に残土を積んでくるってのはどうかな。残土を積むと船が汚れて砂の品質が落ちるから混載は嫌われるんだよ」

 「それじゃ戻りの船は空ですか。燃料がもったいないですね」

 「船のことはよくわからんが東京湾の中のことだから大したことはないだろう」

 「なんとなく感じただけで根拠はないんです。今回の座礁事故は調査を始めるいいきっかけだったと思います」

 「その黄金循環を調べるのはうちだけじゃとても手におえんな」仙道は首を振った。

 「やっぱり天の声があるんですか」

 「そんなんじゃねえよ。権限がねえってことだ」

 「うちには残土条例の届出書の確認義務があるじゃないですか。排出元証明書だって土質検査証明書だってほとんど虚偽ですよ。コピーを使いまわしてるって聞きますよ」

 「そこまで言えるか?」

 「それを調査するんです。土砂の利権と政治の関係も関心があります」

 「おまえ急に市民派になったのか」

 「左派は好きじゃありません。父がシベリア抑留兵でしたから子供の頃から反共教育を受けましたよ」

 「そういう問題じゃないだろう」

 「どうすれば残土の流れを断ち切れるんですか」

 「問題が大きすぎるな。土砂採取は県の認可だろう。ダンプは陸運局、船は海保の所管だぞ。うちがやれるのは管内の産廃と残土の捨て場の指導だけだよ。それ以外の問題には手を出せん」

 「実際には土採の穴に残土や産廃が持ち込まれてますよね」

 「残土条例ができる前は規制がなかったからな」

 「埠頭と船舶の検査なら残土条例でもできますよね」

 「船はどうかな。海に浮かんでるものは海保の所管で警察だって手が出せないぞ」

 「ダンプの検査ができるんなら船の検査だってできるはずですよ」

 「理屈はそうだが垣根は高いぞ。土砂採取の認可は県の土石審に諮るんだ。山砂の積み出しを止めたら超高層ビルも地下鉄も高速道路も何もできなくなるんだ」

 「最近はガラや汚泥の再利用が進んだので需要は減っていませんか。セメント原料の四割は廃棄物だそうですよ」

 「リサイクル材が利用できるのは路盤材か埋戻材くらいで骨材には使えんのだよ。セメントキルンで焼成までしていれば問題ないが、ガラを砕いて混ぜる程度の中途半端なやり方では強度に問題が出るんだ。セメントは一体で固化させないとはがれてしまうんだよ。鉱滓を使った舗装が浮いたりガラ混じりセメントを使ったマンションが販売中止になったりしてるんだ。今のところリサイクル材で山砂を代替することはできないんだ」

 「今のところはそうでしょうがリサイクル技術も日進月歩ですからね」

 「将来的な話はわからんが現時点で山砂採取は止められんぞ」

 「公共岸壁の使用許可はどこが出してるんですか」

 「県の港湾事務所だろう」

 「使用許可って期限はないんですか」

 「あるよ。一週間単位のはずだ」

 「更新は?」

 「原則できないだろうね」

 「でも実際には岸壁に山砂や残土の山ができてますよ。どう見たって一週間じゃない。何年も使い続けてる感じでしたよ」

 「あれは例外だって聞いてる」

 「例外ってあるんですか?」

 「ん~法的にはありえないけど特別に許可を更新してるんじゃないのかな」

 「一年間に五十三回許可してるってことですか」

 「そういうことかもしれんな」

 「今さらもう打ち切れないってことですね」

 「既得権というのがあるじゃないか。たとえルール違反でも長年続けられたらすぐに打ち切りれないんだ」

 「それはわかりますよ。違法だから出て行けといったって相手はそれで飯を食ってるからはいそうですかと簡単には出て行かない。でもどこかで打ち切る決断をすべきなんです」

 「とにかく県の仕事だからな。おまえが今熱くなってどうなるってものじゃない。高速道路でも海底トンネルでもデパートでもホテルでもみんな山砂が使われてんだ。どうしようもねえだろう」

 「既得権という口実で業界の利益を守ってるだけじゃないんですか」

 「インフラを作る業界がなかったらどうなると思う? ルソーのように自然に帰れとでも言うか?」

 「県が黙認しているのには何か裏取引があるんじゃないですか」

 「公共岸壁の使用許可の更新が問題なのは県はわかってんだ。山砂の業界にとってもそれは弱みなんだ。だけど一番問題なのはダンプが道路の舗装を壊したり通学路を強引に通行したりすることなんだよ。だから県はな、いつでも岸壁の使用を止められるという権原を残しておいて、山砂運搬業者に自主規制をさせたり山砂の組合に道路補修費を負担させたりしてるんだ。これには山砂の業界だけじゃなく、その上のゼネコンとか、さらにその上の公団とか国交省とかも噛んでるんだ」

 「ほんとですか。つまり岸壁を使わせて道路を直させるってことですか。なんだかわかりにくい理屈ですね」

 「俺も聞いた話だから真偽はわかんねえけどよ、まあすっきりしない話だわな。とにかく山砂にかかわるのはやめとけ。うちの事務所にどうにかできるってものじゃねえよ」

 「でも行って来ます」

 「やめとけって。虚しい抵抗だよ」

 「それでもやってみます」

 「おまえなあ」

 「技監の命令なら行きません」

 無法状態を容認する偽善的リアリズムの前で伊刈は勝算のない戦いを挑もうとしていた。

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