シンジケート図

 伊刈が久々にセイラに寄りこむと夏川が先客で来ていた。

 「伊刈さんお久しぶりです」カウンターの中からチエとエリコが挨拶した。伊刈の馴染みのリンカとモモエは二人ともいなかった。

 「班長をここで見るの珍しいですね」夏川が伊刈を振り返りざまに言った。

 「そうじゃないよ。今日は夏川さんがここにいるって聞いたから」

 「喜多さんからですね」

 「誰から聞いたかは守秘義務だから」

 「わかってますよ。僕がエリコちゃんを狙ってるって聞いたんですよね。班長はだめですよ」

 「そういうんじゃない。ウナギご馳走するからちょっといいか」

 「ほんとですか」夏川は水割りグラスを持って伊刈の座ったボックスに向かいあった。

 「話ってのは鏑木ファームのことなんだ」

 「そんな話なら事務所にいるときでいいじゃないですか」

 「まあそう言うなよ。仕事中は気がつかなかったことがあったんだ。気になってしょうがないからさ」

 「なんですか」

 「儲かっているようでもあったし暇そうでもあったし、あの会社よくわからなかったよ」

 「どっちも当たってますよね。以前は鏑木ファームみたいな最終処分場が汚泥処理のガリバーだったんです。でも最近になって流動化処理(再生処理)が主流になったんで汚泥専門の最終処分場の経営はよくないんです」

 「そんな感じだったな。社長も元気がなかった。でもほんとに汚泥ってリサイクルできるのか」

 「要するにセメントが混ざった泥ですからね。ちゃんと調べたら砒素とかフッ素、ホウ素とか、六角クロムとか、いろいろ出ちゃうこともあるんですが、土砂ってもともとそういうものですから。ガラスじゃないですからね。いやガラスだって鉛は入ってますよ」

 「どうやって泥をリサイクルするんだよ」

 「汚泥を固めたものは再生セメントとか、凝集土とか、流動化処理土とか、いろんな名前で呼ばれています。リソイルという名前が普及するかもしれないです。再生ソイルセメントという意味なんですが」

 「だって泥をセメントで固めただけなんだろう」

 「そうですよ。だけど物は言いようでしょう」

 「汚泥の会社ってどこも大きいみたいだな」

 「ゼネコンと基礎工事会社、汚泥処理会社は系列化されていて新規参入が難しい業界ですからね」

 「それで一部の業者が利権を独占してるんだな。なんとなくわかった」

 「一社でだいたい数十億の売り上げがありますよ。たかが泥なのに残土より処理費が高いですからね。建設汚泥にはそれだけの市場規模があるってことで、ほかの産廃とは一線を画した業界です」

 「汚泥屋も日本の高度成長を担ってきた業界の一つってことか」

 「ちょっと特殊ですよ。一九七○年に廃棄物処理法ができて建設汚泥が産廃に区分されるまでは存在しなかった業界なんですから」

 「そこが汚泥と残土の分かれ道か」

 「汚泥屋と残土屋は一昔前は全く別物だったんです。汚泥屋が扱うのはトンネル工事、地下鉄工事、高層ビルの基礎工事なんかから発生するセメントミルクの混入した建設汚泥だけでした。これは産業廃棄物だから処分費が高かったんです。汚泥がたくさん出ている時代には汚泥屋は処分費の安い残土には手を出さなかったんです。ダンプの形も違います。汚泥はタンク車、残土は普通の平ダンプで運びます」

 「だけど現場で脱水固化した汚泥なら平ダンプで運べるだろう」

 「そうです。だから最近はタンク車をあんまり見なくなりましたね」

 「汚泥屋はどうして東京の近くに集中してんだ」

 「汚泥は重いからですよ。それに汚泥は大規模な建設工事からしか出ないでしょう。地下鉄工事とか、超高層ビルとか、そういう工事は圧倒的に都心に集中してます。ですから都心に近いところに汚泥の中間処理施設が集中するんじゃないでしょうか」

 「最終処分場で汚泥を乾かしてから残土処分場に移してるってのはほんとか」

 「天日乾燥するだけで汚泥のボリュームは五分の一くらいになりますからね。それを掘り出して移動してしまえば永久に埋め終わらない魔法の最終処分場ですね」

 「そんなことが簡単にできちゃうのはおかしいよな」

 「法律に汚泥と残土を明確に区分できる規定がないんですよ。いちおう含水率や地盤の強度を現すくコーン指数で目安が定められてはいますけど、土の性状なんて天候によって変わってしまうでしょう。明確な一線を引くことは難しいですよ。それにコーン指数なんて簡単には図れないですしね。それで上を人が歩けるのは残土、歩けないのは汚泥っていういい加減な区分も通用してます」

 「人それぞれ体重が違うだろう」

 「だけど体重が軽い人は足も小さいですから」

 「なるほど道理だな」

 「ウナギほんとにいいんですか」

 「マスターのスペシャルなら頼んでいいよ」

 「ああ、あのランチのやつ。あれ気がきいてますよね。じゃ班長の分も頼んじゃいますよ」夏川な嬉しそうに笑うとカウンターに席がまだあるうちに立ち上がった。

 伊刈は夏川には付き合わずに人気のないボックス席に座ったままパソコンを取り出した。そこには不法投棄とは違う新たなシンジケート図が描かれ始めていた。

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