カッパドキア

 鏑木ファームは汚泥専用処分場として県内有数の規模を誇っていた。その名のとおり元々は酪農を主体とする広大な農場だったが、周辺の宅地開発が急速に進み団地住民から悪臭の苦情が頻発するようになったので、農業経営を断念して産廃処理に転業したのだ。眼下に広大な水田が広がる傾斜地に最終処分場を建設してから悪臭の苦情は収まったが、代わりに土壌汚染、ダンプ公害、粉塵などの苦情が増えた。米軍空母のアスベストを受け入れたという疑惑が報じられるなど中傷も絶えなかった。県道からダンプに硬く踏みしめられた進入路を百メートルほど進むと異形の世界が広がった。石灰岩のように硬く固まった汚泥の塊がごろごろと転がり、広大な処分場全体がさながらカッパドキアのような白一色の台地となっていた。強アルカリ性の固化剤が混ぜられた汚泥からは雑草一本生えてこなかった。処分場の中央で社長の芦沼が伊刈のチームを待っていた。ブレーキを踏むと白い粉塵が巻き上がった。無風状態でもこれだから強風の日には粉塵が空を白く染めるに違いなかった。車から降りた伊刈たちの革靴がたちまち白く汚れた。もしも雨の日だったらセメント混じりの泥がついた革靴は二度と黒くは戻らないところだった。

 「亜細亜運輸との契約関係を教えていただきたいんです」伊刈は検査の趣旨を伝えた。

 「ああなんだそういうことかい」芦沼はあてが外れたような顔をした。「それだったら事務所でよかったものを」

 「いちおう処分場の中も見ておきたかったんです」

 「有名な伊刈さんの感想はどうですか」

 「私のことご存知ですか」

 「この商売やってて知らない者はいないでしょう。ご著書は読みましたよ」

 「あんまりそう言われないんですよ」

 「そりゃあ知らないフリをしてるんですよ」

 「動いてないみたいじゃないですか」

 「ん~やっぱりそう見ますか」芦沼は腕組みをした。「実は仕事がなくてね」

 「建設不況ってことですか」

 「それもまああるけどね。ここへ来るような汚泥の出る仕事がなくなったっていうかね」

 「じゃあ亜細亜運輸の荷も来ませんか」

 「ああそこはねえ」芦沼社長はうんざり顔で答えた。「まだ契約はあるにはあるけどね、もうぜんぜん来ませんよ」

 「来てないんですか」

 「昔は得意先だったんだ。うちがあったからあそこは大きくなったんだけど今はねえ」

 「どうしたんですか」

 「あそこだけじゃないんだけど建設汚泥は最終処分場にはもう来ないんですよ」

 「どうしてですか」

 「ゼネコンが中間と最終の両方に重複契約をしてるんだよ。現場がでっかいから中間じゃ能力が全然足らないだろう。だからうちに運んでくる契約をしてるんだ。だけど実際には現場のピットで脱水した汚泥は中間処理施設を経由したことにして残土処分場に行ってるようだね。現場でセメントミルクを混ぜたり脱水したりしてあるんだから施設はスルーでマニ伝を置いていくだけだよ。天候不順で脱水できなかったものだけタンク車でうちに来るんだ」

 「それはおかしくないですか。中間処理の必要な生の汚泥は最終処分場へ直行し、中間処理の必要ない脱水後の汚泥が中間処理施設に寄るってことですか」

 「簡単に言えばそういうことかな」

 「逆転現象ってことですね。ほかもそうなんですか」

 「似たようなものだろうね。取り締まってくれると助かるけどね」

 「雨の日しか仕事が来ないんじゃ経営的にまずくないですか」

 「そうだよ。仕事はみんな中間に行っちゃうよ。うちは契約が取れても実際にはその一割も仕事がないんだ。ゼネコンは契約と実績の差額に違約金をくれるんでなんとか凌いでる。だけどもう都心の地下鉄工事が一段落しちゃったし高層ビル建設も減ったから汚泥も出なくなったしね。廃業しようかと思ってるよ」芦沼は経営が苦しいことを率直に認めた。

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