レントゲン
「どうだい」磐木が痺れを切らせた様子で聞いた。もはや完全に伊刈のペースになっていた。
「喜多さん説明して」伊刈はわざと喜多に指摘させた。
「売上高三十億円の内訳は産廃が十億円、残土が二十億円ですね」
「それがどうしたんだ」なかなか帰ろうとしない検査チームに磐木がいらついて言った。社長室に入れたのを後悔しているようだった。入れてしまった以上、ムリに追い出せば公務執行妨害になるのは知っていた。
「売上高を処理単価で割れば処理量が出るでしょう。それを計算してみたんですが、合わないようですよ」伊刈が言った。
「どう合わない?」
「喜多さんどう」
「産廃の単価が高すぎます。収集運搬の受注で処分費までもらっていませんか」
「そういう場合もあるな」
「その場合運搬先の処分場への外注費があるはずですが、計上されていませんね」
「ほかの費目になってんだろう。税理士に聞かないとわからんな」磐木は嘯いた。
「残土の方もさきほど申し上げたとおり、単価が高いようです」
「もったいぶらずに言えよ。何が言いたいんだ」
喜多は無言で伊刈を見た。
「産廃と残土の間に会計上の操作があるんじゃないですか。はっきり申し上げますと産廃が残土になっていませんか」伊刈が喜多から話を引き継いだ。
「おいそれはないだろう。なにを根拠に言ってるんだ」
「ゼネコンとの汚泥処理の契約書を拝見できますか?」
「なんで」
「汚泥の処分先を確認したいんです」
「わかったよ」案外あっさりだった。磐木も伊刈の検査の行方に興味がある様子だった。
しかしまたしても契約書の原本ではなく一部だけコピーして持ってきた。「契約書はこれだよ。だけど取引先は教えられないよ」
「残土処分場へ持っていったんですか」
「いや産廃の処分場だよ」
「だったらマニフェストを見ればわかることです。隠す必要はないじゃありませんか」
「鏑木ファームだよ」磐木が渋い顔で言った。
「そこには処理したものを持っていっているわけですね」
「汚泥専門の最終処分場だよ」
「こちらの処分方法は薬注固化ですね」
「それが許可されてる処理だからな」
「固化したものは残土にはなりませんから全部最終処分場ですね」
「あんたもしつこいね。分かりきったことを聞くなよ」
「鏑木ファームに出すときの勘定科目は製造原価の外注費ですか?」
「さあそんな細かいことは俺はわからんよ」
「製造原価の帳簿を確認できますか?」
「なんでそこまで見るんだ。その科目かどうかわからんじゃないか。税務署じゃあるまいし帳簿まで見る権利があるのか」
「それじゃ帳簿は出さなくていいですから、どの科目か見てきてもらえませんか」
「しょうがねえな。ちょっと待ってろ」磐木は渋い顔をして書類を確認に行って手ぶらで戻ってきた。
「科目はあんたの言うとおりだが外注費の帳簿はいろいろほかの経費も入っているので見せられないね」
「そうですか。残念ですね」伊刈はあっさりとあきらめた。
「ほかに何かあるか」さすがの磐木も神経戦に疲れた様子を見せた。
「私が心配なのは現場で見たアンコです。ご存知と思いますが残土に産廃を混ぜたものです」
「知らんね。たまたまちょっとくらいゴミが混ざったって目くじら立てるなよ」
「ですが座礁船の積荷にもかなり産廃が混ざっていたようですから」
「うちが混ぜたものじゃないよ。そんな悪いものなら返品するよ」
「残土と産廃は混ぜていない、そういうことでいいですね」
「あたりまえじゃないか」
「わかりました。今日はこれで失礼いたします」伊刈は立ち上がった。検査の講評はしなかったが、何かを掴んだ様子だった。
「あんたさ」磐木が伊刈の背中に声をかけた。
「なんですか」伊刈は立ったまま振り返った。
「役所辞めてうちに来ないか」
「それはないと思いますよ」
「そうか残念だな。気に入ったよ。決算書なんか見たこともなかったが、いろいろわかるもんだな」
「決算書はレントゲンみたいなものですよ。骨しか写りませんが、医者が見ればそこから臓器の異変も生活習慣もすべてわかります」
「うまいことを言うもんだな。勉強になったよ。あんたまた来なよ」
磐木社長から意外なねぎらいを受けながら、伊刈は狭い階段を降りた。
「面白かったけど疲れたな」車に乗るなりさすがの伊刈もぐったりとした。
「手ごわい相手でしたね」ハンドルを握る喜多が言った。
「関連会社への偽装売買がありそうだったけどあえて指摘しないことにしたよ」
「どうしてですか」夏川が言った。
「あの様子じゃ何を言っても口論になるだけでらちがあかない。かえって面倒だ」
「じゃ後でリベンジするんですか」
「どうかなあ。汚泥って意外と深いんだな。最終処分先の鏑木ファームってのはどんなところだか知ってるか」
「磐木社長が言ってたとおりですよ。汚泥専門の最終処分場としては県下最大級です」
「じゃ今度はそこの検査だな」
「県の所管ですけど」
「だからどうしたの」
「わかりました」夏川が大きく頷いた。
「それにしても磐木社長ってすごい人ですね」喜多が言った。
「何が?」
「全部自分で仕切ってるんですね」
「それってほとにすごいのかな」伊刈が皮肉っぽく言った。「確かに全部自分の頭脳のフィルターを通過した数字しか出してこなかったけど、それって社員を信用できない悲しいワンマン社長ってことなんじゃないかな」
「でもあの社長があって亜細亜運輸は大きくなったことは確かですよ」夏川が言った。
「逆に言うとそれがあの会社の限界ってことでもあるよ」
「どういうことですか」喜多が言った。
「ワンマン会社は社長の器量以上には大きくなれないってことだよ。社員を信用できなければ大企業にはなれない」
「ワンマン社長じゃだめってことですか」
「ソニーとか松下とかホンダとかダイエーとか、戦後の天才経営者の時代じゃないからな。いやそういう天才経営者だってワンマンだったかどうかはわからないし」
「伊刈さんでほんとに会計検査官みたいですね」夏川が言った。
「冗談じゃない。そんなに安く見るなよ」
「え、安いんですか」
「会計検査院の不正発見率って国家予算の何パーセントになるんだと思う?」
「さあ、わかりません」
「1パーセントのそのまた1パーセントくらいにしかならないよ。まあどうでもいいけどね。税務署とも検査院とも競争する気はないよ。とにかく今日は面白かった。磐木社長は手強い、それは認める」伊刈は議論に飽きたように後部座席で静かに目を閉じた。
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