グランドキャニオン

 犬咬丘陵の最奥部に向かう急な坂道を登っていくと、突然落差が二百メートルもある巨大な谷に出た。谷の縁に立つと樹木がことごとくはがされた露天掘りの鉱山のような光景が目前に広がった。対岸の山も無残に削られていた。自然の崖であったならグランドキャニオンと言うべき雄大な眺望だったが、すべてが人工の産物だった。その変形力は山をまるごと消し去るほど凄まじく、谷底のダンプやユンボはミニカーほどにしか見えなかった。削り取った斜面に残土を流し込むだけでも容量は優に数百万立方メートルあり、谷をすべて埋め尽くしたらその千倍でも万倍でも入りそうだった。

 「残土は処分費が安い分こうやって規模で稼いでるんですね」喜多が言った。

 「今日は作業を休んでますね。事件のせいでしょうか」夏川が言った。

 「降りてみよう。船荷に産廃が混ざってたっていうから、こっちにもあるか今日のうちに確認しておかないと隠されちゃうよ」伊刈が号令し車で谷底まで下りた。鉄鎖で封鎖された入口に門番が一人残っていた。

 「市のパトロールです。場内の検査をします」喜多が運転席から言った。

 「監督に聞いてみないと入れられません」門番が当惑したように答えた。

 「じゃ連絡してください」

 門番は携帯で連絡を取った。「すいません、今日は出直してくれってことです」

 「そうはいかないよ」伊刈は車を降り鉄鎖をまたいで場内に入った。

 「あっ困りますよ」門番があわてて制止した。

 「監督にすぐに来るように連絡して」伊刈は残土条例の立入検査証を見せながら断固たる口調で言いながら勝手に場内に進んだ。実際には立入検査証に検査の強制力はなかった。マトリ(麻薬取締官)ではないのだ。

 仕方なしに門番は鉄のチェーンを外して喜多に車を進めるように促した。伊刈は車には乗らずにそのままどんどん歩いていった。谷底に向かって延々と鉄板敷きの道路が続いていた。先端に残った小さな崖が残土の落とし場だった。

 「下まで降りてみよう」車を停めて追いかけてきた夏川と喜多に伊刈が言った。

 「えっ危ないですよ」喜多が言った。

 「埋めたばかりの残土を見たいんだ」伊刈は革靴が汚れるのもかまわずに斜面を降り始めた。

 喜多と夏川が後に続こうとした時、後ろから砂煙を上げて四駆が坂道を降りてくるのが見えた。夏川は一瞬迷ってから車の到着を待つことにした。ランドクルーザーの白い車体が鉄板の上を滑走するように走って来た。翼があったら離陸しそうなほどの勢いだった。

 「ご苦労様でございます。今日は突然の立ち入りで驚きました」ランクルから降りるなり、現場監督の取手が夏川に空お世辞を言った。取手は土木技師の夏川とは古くからの顔見知りだったのだ。

 「座礁船の積荷はここに来る予定だったそうですから、念のために見に来ました」夏川が言いにくそうに答えた。

 「いやほんとに迷惑な話でね。うちまでとんだとばっちりですよ」

 「警察はもう来たんですか」

 「明日だそうです。それまで現場は触るなというご命令なので今日は引き上げることにしましてね」

 「そうですか。それで誰もいないんだ」

 「あの方は?」取手は崖下の伊刈を見下ろした。

 「うちの班長と担当の喜多ですよ」いつの間にか喜多も崖下に降りていた。

 「はあそうですか」取手は渋い顔をした。

 伊刈は捨てられた残土を手にとって調べていた。目立たない程度ながら明らかに産廃が混ぜられていた。産廃の混入率が一割程度だとしても広大な捨て場だから大変な量になるだろう。産廃と残土の処分料の差が十倍だとすれば残土に産廃を一割混ぜただけで利益が二倍になる計算だ。喜多と二人で排出者を特定できる証拠になるものがないかと探してみたが、どろどろに汚れているので簡単には見つからなかった。

 「ゴミがかなり混ざってますね」崖を上がってきた伊刈が取手に指摘した。

 「はあ確かにちょっとは混ざっちゃいますね。都心で基礎を掘るとどこもこんなものですよ。江戸時代も今と同じでゴミを埋めて土地を作ったらしいですからねえ」

 「江戸時代のものじゃなく五年前のゴミですよ。日付がついてました」

 「はあ?」

 「これですよ」伊刈は残土に混ざっていたアイスクリームの袋に刻印された日付を示した。

 「なるほど」取手は一言もなかった。

 「どこかに積まれていたゴミを残土に混ぜたんじゃないですか」

 「それはうちにはわかりませんよ。うちは残土として出たものを受けてるだけですからねえ」

 「ゴミが入っていてもノーチェックということですか」

 「産廃は入れませんよ。不法投棄をやったんじゃ元も子もないでしょう。この程度のゴミなら子供のいたずらでしょう。残土なんだからこれくらいならしょうがないかなと思ってます」

 「産廃を故意に混ぜておいてしょうがないでは済みませんよ」

 「そうですか。まあ見解の相違ということで」取手は産廃の混入をこれまで咎められたことがなかったのかさほど気にしていない様子だった。

 取手のポケットで携帯が鳴動した。液晶表示をちらりと見ると緊張に顔を引きつらせながら着信ボタンを押した。

 「はあはあわかりました」取手は電話の途中で伊刈を見た。「社長が今からでもお会いしたいそうです」

 「ちょうどよかった。こちらからお電話しようとしていたところでした。今からぜひお伺いしたいとお伝えください」伊刈は当然のように応えた。

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