身元引受人

 伊刈がリンカの誕生会をけって駆けつけたのは朝陽中央病院だった。病床数が千床を超える県下有数の総合病院である。救急受付の前で、三月まで相棒だった長嶋が待っていた。長嶋は所轄に復帰していた。

 「お疲れっす」

 「何があったんだ」

 「まあ強姦事件すね」長島もさすがに声をひそめた。

 「なんで僕がそんな事件と」

 「被害者が身内には連絡しないでくれっていうんでね。それで誰を呼んだらいいかって婦警が聞いたら班長の名前を出したもんでね、先に俺に連絡があったんすよ。俺が産廃で班長と組んでたの所轄じゃ有名っすからね」

 「長嶋さんはいま薬物の担当だろう」

 「それが実はその子が食ってるんすよ」

 「もしかしてナオ?」

 「保護した婦警があやしいと思って念のため小便とったらいくらか出ましてね。所持してないんで身元引受人がいれば勘弁できると思うんすけどね。それからその子の親ってのが亜細亜運輸の磐木ってヤクザもんなんすよ。だからかえってパクりにくいっていうかね。娘がマワされたとか耳に入ったら何するかわからないすからね」

 「亜細亜運輸って残土やってる会社だろう。僕が身元引受人になって後でもめないかな」

 「本人の希望っすからね。班長が断るってなら別っすけど。そうなるといくら成人してても学生すから親御さんに来てもらうしかないすね」

 「とにかく会ってみるか」

 「今鎮静剤で寝かせてますよ。だいぶ暴れたもんで」

 「わかった。じゃ起きるまで待ってる」

 「こんなこと聞いたらなんすけどどういう関係なんすか」

 「なんでもないんだ。最近よく行くスナックのバイトの子の同級生ってだけ。あ、それから望洋大の非常勤講師を勤めてたときの教え子かも」

 「そおっすよねえ。婦警の話じゃね、先生を呼んでくれって。それで先生のフルネームはって聞いたら口では言わずに班長の名刺を見せたって。だから思いつきで班長の名前出したんじゃないかってね。自分の男の名前なら空で言えないはずないすからね。班長が受けてくれるなら大学の先生ってことにしておきますよ。一応講師っすからね」

 「一応は余計だよ。それで犯人は」

 「たぶん前も問題起こしてる三人組のサーファーっすよ。この時期海岸じゃこういう事件多いすから。ナンバー見たもんがいますから身柄はとれるでしょう。磐木に動かれても困るんで班長に身元を受けてもらえればその方がいいっすね」

 「とにかく病室行ってみるわ」

 「小池って婦警がまだついてますが班長は入室できるように段取りしてますから」

 「わかった」

 伊刈はすぐに病院に向かい、外来棟の暗い廊下を歩き始めた。なんでナオミが自分を呼んだのか理解できなかった。病室に入ると長嶋が言ったように婦警が一人付き添っていた。

 「伊刈です」小声で挨拶すると婦警は無言で会釈した。ポーカーフェイスだったが警察官らしく伊刈を品定めする様子が伺えた。

 「後をお任せしてもいいですか」婦警は小声で言うと立ち上がった。

 伊刈はまだ婦警の温もりの残るスツールに座ってナオミの寝顔に見入った。ナオミは点滴の針を腕につけたまま眠っていた。クスリをやったというのは意外ではなかった。尋常じゃないハイテンションをいつもおかしいと感じていたのだ。お嬢様なのだからクスリを買うくらいの金はあるだろうし、親の仕事から考えれば入手ルートもいろいろ想像できた。所持していなかったので今回は見逃せる(起訴猶予になる)と長嶋は言っていた。もちろん今回かぎりだ。とんでもないお荷物を背負い込んだと思ったが不愉快ではなかった。

 男の気配を感じたせいか、ナオミが何か意味不明の寝言を言いながら寝返りをうった。その拍子に片腕がベッドから溢れた。伊刈は彼女の手を握ってやった。吐息のリズムで微かに膨らんではしぼむ頬がまるで小学生のようにあどけなく見えた。朝までそうして付き添っていると長嶋がやってきて身元引受書にサインを求めた。

 ナオミは昼ごろに目覚め、ベッドサイドの伊刈の顔を不思議そうに眺めた。それから頭痛がすると訴えた。

 「あたし、きっとひどい顔だよね」

 「そうでもない。いつもよりさっぱりしてる」

 「嘘。お化粧してない顔見られるなんて信じらんない」

 「大丈夫、家に帰るだけだから」

 「伊刈さん仕事休んだんでしょう」

 「まあそうかな」

 「じゃ一日つきあってよ」

 「午後から仕事に行くつもりだけど」

 「いいじゃん休んじゃえよ」いつの間にかまたタメ口に戻ってナオミが言った。

 「ダメ、もう役所に連絡した」

 「ブー。じゃ今夜デートしてよ」

 「ムリだろう」

 「デートしてくれなかったら今日のこと親に言うから。そしたらただじゃすまないと思うよ。うちの親おっかないからね」

 「知ってるよ」

 「ふうんそっか。でもデートはしてもらうからね」

 「わかったよ。どうすればいい」

 「お仕事終わってからでいいよ。そのかわりお迎えに来てね。スタジオ・ロジェってヘアサロンがあるから、そこに六時ね」ナオミは一人で段取りすると、また寝息を立て始めた。デートを約束をしたものの、まだ退院の許可は出ていないのだと今さらに気付いた。

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