ペット霊園

 「森井町の谷津の奥に残土が搬入されている現場があるそうです」4月から産対課の相棒になった土木技師の夏川が伊刈に報告した。残土の現場では化学技師よりも土木技師が活躍する場面が多かった。夏川は小柄だが骨太で、いわゆる体育系の精悍な顔立ちをしていた。華奢な喜多とは正反対のタイプだ。

 「条例違反になるのか」

 「それならまだいいですが住民が産廃を入れてるんじゃないかって騒ぎ出してるんです」

 「田んぼを埋めてるんだったら農地法も問題だな」

 「谷津を囲んでいる山林だそうです」

 「だったら森林法だ。どっちみち農林の所管じゃないかな」

 「残土を入れてる陣内という男が県の林業事務所から林地開発の許可をもらってペット霊園を造成してると言ってるそうです」

 「じゃやっぱり農林の所管だよ」県庁の林務課に異動した宮越の顔が思い浮かんだ。しかし、この程度の開発に本庁は関係なかった。

 「近くにペット霊園があるから、それを真似たんだと思います」

 「でも変ですね。道路がないところに開発許可は下りないはずですよね。そんな谷津の奥にまともな道路があるんですか」喜多が口を挟んだ。

 「喜多さんの言うとおり道路がないです。それに林業事務所は林発の許可は出していないと言ってるそうです」

 「それならやめさせるのは簡単じゃないか。林業事務所はなにやってるんだ」伊刈が言った。

 「相手がヤクザらしくて担当の主幹がびびってるらしいんです。それで残土条例にお鉢が回ってきたんですよ」

 「残土条例は暴対条例じゃないって言ってやれよ」伊刈は天を仰いだ。

 「ですよね」

 「まあいいか。一肌脱いでやるか。所管を気にしてたら環境は守れないからな」

 伊刈は喜多と夏川を連れて谷津の調査に出動した。産対課での伊刈の直属の部下はこの二人だけだった。本庁に栄転と思いきや産廃担当からも外されて、環境事務所の班長時代より部下も減ってしまった。ヤクザを相手にする仕事だというのに警察官の同行もなかった。

 問題の残土捨て場は森井町の谷津に沿った細い農道を一キロメートルも行ったところにあった。谷津を囲む山林が剥がされ、持ち込まれたまっ黒な残土の真ん中でユンボの黄色いアームが上下しているのが遠くからもよく見えた。これでは田んぼの農家から苦情が来るはずだと思った。現場に近付くと搬入口で監督をしている小柄な老人がいた。それが陣内だった。

 「市庁のパトロールです」伊刈が陣内に言った。

 「あんたたち何? 緑の帽子ってことはゼロ(チームゼロ)かい」

 「そうです」

 「それなら心配ないよ。ゴミなんかこれっぽっちも混ぜちゃあいませんからね。わざわざおいでいただいたけど時間のムダじゃありませんか」陣内は見かけによらず人懐っこかった。地回りを長年やってきたヤクザ者ならではの腰の低さだった。

 「残土にしてもちょっとゆるそうですね。どこから持って来たんですか」夏川が土砂を手に取りながら言った。

 「さあどこからかわからねえけど確かにちょっとゆるかもしんないよなあ。キャタが潜って仕事になんないよ」

 「汚泥か残土かぎりぎりってところですね」夏川が言った。

 「汚泥じゃないよ。黒いだろう」

 「黒い汚泥もありますよ」

 「ないね。汚泥なら固化剤をまぶしてっから白いしもっと硬いよ。黒いのはゆるくても残土だよ。それでどうしろっての。許可なら取ってあるよ」

 「ここの広さはどれくらいですか」

 「さあねえ、二反五畝くらいじゃないの」

 「三反より大きいと県の残土条例の許可、それ以下なら市の残土条例の許可が必要になるんだけどまだ広げるんですか」

 「これでいっぱいいっぱいと思うけどね」

 「面積を測ってもいいですか」

 「いいっすよ。あんたたちも仕事だからねえ」陣内はやれやれといった様子で指導している夏川よりも背後の伊刈を見た。

 夏川が現場を歩測したところ市条例の許可基準は明らかに超えていたが県条例に触れるかどうかは微妙なところだった。県市の条例の境界は三千平方メートルだった。

 「ちゃんと測量しないと県か市かわからないみたいですね。でもどっちみち許可は必要ですよ」夏川が歩測による概算を説明した。

 「残土は知んないけどリンパツ(森林開発)の許可ならあるんだよ」陣内が言った。

 「県の林業事務所に確認したところ許可はしてないそうですよ」喜多が言った。

 「それは変だよ。あのなんて言ったかな、名前忘れたけど林業事務所の主幹が担当だから聞いてきてくれないかな」

 「許可の申請者は陣内さんですか」伊刈が念を押すように言った。

 「ああそれはね、あいつかもしんないな。今オペやってるやつだよ。あいつもともと組長だったんだけどな、もうしのぎも限界だって組を畳んだんだよ。いまはカタギだから申請できるだろう」

 残土をならす作業を黙々と続けているオペを見た。中年太りが目立つだけの色白の男で元組長という印象はなかった。

 「林業事務所で確認してまた来ますよ」伊刈は現場を離れた。

 「林業事務所に行くんだったら近くにテレビで紹介された定食屋があるんですけど、ついでに行ってみませんすか」パトロール車に乗り込むなり夏川が言った。本課の監視車はダークグレーのCR-Vに統一されていた。

 「うまいんですか」喜多が夏川を見た。

 「どうでしょうか。でも盛りがいいそうです」夏川は味までは太鼓判を押さなかった。

 「まずくて盛りがいいって最悪じゃないか」伊刈が言った。

 「そりゃそうですけど、じゃやめますか」見かけより夏川は優柔不断だった。

 「いいよ、そこで」

 夏川の道案内で目当ての定食屋に行った。休日は都内からわざわざ来る客もあって長い行列ができるという。平日は行列こそないものの店内は満席らしく、車道には違法駐車の車列ができ、歩道には空席待ちの客が数人立っていた。河岸にある駐車場に車を入れて店の前まで戻ってみると立ち待ちの客がいくらか増えていた。歩道で十分くらい待たされてから店内に入った。テーブルが十卓足らずの小さな店だった。伊刈はナンバーワン人気メニューだと雑誌の記事が壁に貼られている牡蠣フライ定食を頼んだ。評判どおり食べきれないほど山盛りのフライがすぐに届いた。残念なことに重曹入りの衣がガリガリで牡蠣も大味だった。半分も食べられずに残してしまった。メディアに乗せられて都内からわざわざ食べに来た客はがっかりするのじゃないかと思った。

 県の林業事務所は税収が豊かだった時代に建てられたタイル張りの総合庁舎の三階にあった。陣内が言っていた担当の松崎主幹に面会を求めた。伊刈よりずっと年上なのにどこか自信なさげだった。

 「陣内はここからリンパツ(林地開発)の許可をもらったと言っているみたいですね」伊刈はいきなり本題を切り出した。

 「そもそも許可対象の面積ではありません」松崎が憮然として言った。

 「森発は一ヘクタール以上でしたよね」伊刈も森林法にはいくらか通じていた。

 「そうです」

 「でも三千平方メートル以上なら要綱の対象になるんでしたっけ」

 「今回の現場は面積的にはそれ以下だと思います」

 「陣内は許可があると自信ありげでしたよ」

 「許可は出していませんが過去に別の業者に出した許可が未実施になっていて、それを再開してもいいかと聞かれました」

 「なんと答えましたか?」

 「内容次第だと」

 「許可証を持ってきたんですか?」

 「いいえ」

 「内容次第とはどういうことですか」

 「つまりまあ有効な場合もあるというような」

 「期限が切れていても有効なんですか」

 「同一業者なら延長を認める場合もなくはないので」松崎の説明ははっきりしなかった。陣内に期待を持たせてしまった節も伺えた。

 「さっき現場で面積を概算してみましたが、確かに要綱にかかるかどうか微妙なところでした」夏川が補足した。

 「そうですか」

 「今のところ市の残土条例が適用されるということで指導してみますよ」伊刈がそう言うと松崎はちょっと安堵したような顔をした。

 「うちの要綱はどっちにしても強制力がないんですよ。ぜひ残土条例で指導をお願いします」松崎は頭を下げた。

 市庁に戻るなり伊刈は仙道に呼ばれた。

 「おい帰って早々にすまんが高崎先生が例の残土の件を聞きたいそうだよ。一緒に先生の事務所に来い」

 「ああ高崎先生ですか」政治に疎い伊刈も女性市議の高崎峰子は知っていた。

 仙道と伊刈は車で高崎市議の事務所に向かった。市議会に数人しかいない女性議員はすべて左派だった。他の女性市議が教育、福祉、性差別といった生活系の問題を取り上げることが多い中、環境問題をライフワークにしてきた高崎市議は土砂や産廃の利権に群がる開発派の市議や県政界のボス的な代議士と真っ向から対立しる女闘士だった。女性でなかったらとっくに抹殺されていただろう。

 「どうして高崎先生が出てきたんですか」ハンドルを握りながら伊刈が問いかけた。

 「住民が環境ネットワークに陳情したんだろう。現場はどうだったんだ」

 「小さな残土捨て場ですよ。産廃は入ってませんし大騒ぎするほどじゃありません。田んぼの畦道はかなり壊れてしまってましたが、行き止まりだし住民が日常通るような道路じゃないですね」

 「林業事務所はなんだってよ」

 「逃げ腰というか、言質を取られてるって感じもしましたね。びびったらこの仕事は終わりですね」

 「残土条例で指導できるのか」

 「県の条例にかかるかどうか面積的には微妙ですが市の条例はかかります。やってるのがマルボー崩れみたいなんで、うちで指導した方がよさそうですよ」

 「それで先生にはなんて言うんだ」

 「残土条例違反だからやめさせると言いますよ」

 「できないだろう」

 「でもそう言うしかないでしょう」

 「まあそうだな」仙道の答えは曖昧だった。議員対応は右派(与党)と左派(野党)では差別がある。左派への対応には手を抜く。それは仙道も例外ではないようだった。

 高橋市議の事務所は自宅の庭に建てた勉強部屋みたいなプレハブの六畳だった。

 「住民が困っているようだけど何か手を打てるの?」小柄なせいで年齢よりチャーミングに見える高崎市議が安物の応接にかけた二人に向かって上目線で話し始めた。

 「現場は確認しております」仙道が答えた

 「今日行ったのは知ってるわよ。これからどんな指導をするつもりなの?」どうやら住民から逐次報告が届いているようだった。

 「中止させます」伊刈が断固とした口調で言った。

 「できるの?」

 「指導には必ず従わせます」

 「ほんと? 市にできるの? せっかく議会で条例を作ったんだから警察に告発することもできるはずよ」

 議会が条例を作ったという言葉に伊刈はちょっとひっかかった。条例の原案は産対課の担当が五年前に作成して議案にしたのであり高崎市議の会派が提案したわけではない。

 「市が最後まで指導します」伊刈が再び断固とした口調で言った。

 「そこまで言うならお任せしてみますか」曖昧な答弁に終始する職員をやりこめるのが得意の高崎も伊刈にこうはっきりと断言されては突っ込む隙がなかった。

 「おいおまえ先生の前であんな安請け合いして大丈夫か」帰りがけ仙道が伊刈の顔を覗き込んだ。

 「なめられたくありませんから」

 「あの先生はアカ(左派)としちゃあ話のわかるほうだし切れ者で有名なんだぞ」

 「だからどうしたんです。職員を呼び出して叱りつけるだけで切れるの切れないのと議論するレベルの話じゃありません」

 「それはおまえそうだがな」

 「乗りかかった船ですから明日も現場に行きますよ。一か月で決着させます」

 「そうかそれくらいならいいか。お前に任せたよ」仙道は伊刈の背中を叩いた。

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