第125話 森の死闘 上

 月明りに照らされた森の中。

 簡易に張られた天幕の中で、1人のダークエフとアラクネが机の上に並べられた水晶を無言で見つめていた。


「こちら、準備整いました。姫巫女様!」


「エルフ側、まだ動きはありません。」


 水晶からは時折、報告が上がってくる。

 よく見ると水晶には人が映っており、並んだ水晶を見つめるダークエルフ、姫巫女と呼ばれたダークエルフに向かっての報告をしているらしかった。


「にしても便利なものねぇ…この水晶。離れた相手とこんな楽に連絡がとれるなんて。」


「わらわ達の力をもってすればこの程度の魔道具はいくらでも作れる。それより、そちらも準備は整っておるのか?トトアよ。」


「ちょっとまってね。」


 トトアと呼ばれたアラクネは、下半身の蜘蛛の部分も他のアラクネより少し大きく、そして黒曜石のような輝きを放っていた。だが、それとは対照的に上半身の人の部分は色素が薄く、病的にまで白い肌に、長い白髪。唇の赤さがやけに目立つ美女だった。

 他のアラクネと異なるのはそれだけではなく、目の数が人族とおなじで2つしかない。

 その美女は目を閉じながら手先に集中するように、手に巻いた糸を通して何かを確認している。

 糸の先は天幕の遥か先に消えており、糸が時頼揺れることで、トトアと誰かが、糸を使った連絡手段で何かを確認しているのがわかる。


 本来人でいうと白い部分が黒く、瞳が赤いトトアの眼が開き、真っ赤な唇をニヤリとゆがめた。


「こっちは準備万端だそうよ、アリーシャ。いつでもいけるわ。」


「…そう、ならばはじめるとするかの。」


 そういうとアリーシャと呼ばれた姫巫女は1つの水晶に作戦開始と告げた。

 水晶の向こうで他のダークエルフが返答後、どこかに消える。


「ところで、アリーシャ、昼間の報告は聞いているの?」


「エルフ側に狼人族の援軍が到着したという話かの?」


「ええ、でもそっちはたったの5人でしょ?私がいいたいのはその中にいた人族のことよ…。」


「確か、風の魔法でわらわ等の放った補助魔法を貫いて、アラクネの兵に怪我をさせたというやつか?」


「ええ、狼人族よりも、私はそっちのほうが気になるわ。」


 トトナの言葉に、アリーシャが口元をゆがめた。


「何かの間違いじゃろう。補助魔法が切れておったか、風属性でなかっただけじゃないのか?風魔法に見える他属性の魔法も存在しておるし、そもそも魔法でなく何らかの兵器である可能性もある。」


「…それならいいけど。」


「問題ない。たとえそんな兵器が導入されておったとしても数など限られておろう。わらわ達の魔法とアラクネ族の突破力があれば多少の助力を得たエルフ族などおそるるに足らん。」


 アリーシャは余裕を見せるように、髪をたなびかせ、天幕に用意された椅子に腰かけた。

 ダークエルフの数は少ない。

 だが、ハイエルフが多く、その圧倒的な魔法力はハイエルフのいないエルフ族をはるかに圧倒している。

 足りないのは数だけ、その数は今、アラクネ族が埋めてくれている。

 ハイエルフの加護を受けたアラクネ。

 今までは魔法が聞かないハイエルフをエルフ族がそれこそ数十人がかりで倒していたのに、それに加えて、近接戦闘ではダークエルフ以上の力をもち、戦うなら魔法で戦うしかなかったアラクネ賊がハイエルフの魔法防壁によって風魔法を無力化しながら襲い掛かってくる。

 エルフ族からすれば悪夢以外の何者でもない。


「ひ、姫巫女様っ!」


 その時、焦ったような声音が水晶から響いた。

 その様子にアリーシャも椅子から飛び起き、声のした水晶に近づく。


「どうした?」


「そ、それが…一番槍の召喚に失敗します!何度試しても…。」


「なんじゃと?」


 一番槍、それはダークエルフのハイエルフが習得している高等召喚魔法。

 アレイフが用いる英霊召喚の劣化版、過去に存在した英霊に付き従っていた戦士を呼び寄せる秘儀。

 多大な魔力と引き換えに、たった一人を召喚する。

 普通に考えれば割に合わないように見えるが、実際はかつての英霊に付き従った戦士、それも魔力が続く限りう死なない戦士を呼び寄せる風の召喚魔法が使い勝手がよく、数の少ないダークエルフ達が好んで使う決戦魔法だった。

 中でも通称「一番槍」はかつて姫騎士の軍で常に最前線を指揮した伝説の戦士。

 誰よりも早く敵軍に接触し、そして誰よりも早く敵将の首をあげるという逸話がある男だ。

 アリーシャもよく知るエルフ側のハイエルフだ。あのころはエルフにも仲のいい連中はたくさんいた。

 自分の姉である姫騎士の最後の戦いで共に命を散らした同士はこれまで、高等召喚魔法によりダークエルフ側の切り札として重宝されていた。


「馬鹿な…ヤリシは何をしている?なぜ失敗したのだ!」


 水晶に怒鳴りつけるアリーシャに水晶の向こうのダークエルフは焦ったように答える。


「そ、それが…ヤリシ殿がいうには、召喚に不備はないが、何も起こらなかったと、魔力も消費していないそうなので、失敗したというわけでは…。再度召喚の魔術をおこなっていますが、今のところ成果もなければ原因もわかりません!」


「馬鹿な…これまで何度も成功してきたはずだ、なぜこのタイミングで?」


 水晶からは何の返事もなく、アリーシャが考え込むと、後ろにいたトトアが話しかける。


「一番槍ねぇ…確かに強力な召喚魔法だったけど、出ないものはしかたないんじゃない?私達が先陣を切ればいいんでしょ?」


 トトアの言葉に、アリーシャが悔しそうにつぶやいた。


「駄目じゃ…あれは戦力としてだけではなく、我らこそがエルフの国を継ぐものだという証明、一番槍はエルフ王国の正規軍の看板なのじゃ…最後となろう大きな戦いにおいて、奴以外誰が我らの正当性を示す?」


「面倒ねぇ…召喚が成功するまで待つというの?夜が明ける前に償還できる保証はあるの?」


「…それは…。」


 迷うアリーシャに、考える時間はなかった。

 水晶から別の報告が舞い込んできたからだ。


「姫巫女様っ!エルフ共が進軍してきましたっ!」


 その言葉に、アリーシャが目の色を変える。


「なんじゃと!?馬鹿な…夜に、それも圧倒的不利な状況で攻め込んでくるじゃと?」


「…自棄になったの?」


 トトアもアリーシャと同じ意見らしく、あり得ないと驚きの表情を浮かべていた。

 圧倒的不利な状況でエルフが夜目のきくダークエルフに攻撃をしかけるなど本来はありえない。

 防衛するほうが、まだ勝機もあるだろう。


「姫巫女様っ!?」


「…全員、迎撃態勢で迎え撃て!迎撃後、そのまま攻め込む。」


「「「はっ!」」」


 各水晶から了承の声が聞こえると、隣にいるトトアの方を向く、彼女もまた、糸を通して部下に指令をだしたようで、アリーシャに向かってうなづいていた。


「まさか攻めてくるなんてね。」


「うむ、お主等と、わらわ等が手を組んでいることはエルフ族も知っておるはずじゃ。よもやこれほど不利な戦いを挑んでくるとは…。」


「援軍によっぽどの自信があるのかしら?」


「まさか…夜の森で、わらわ達に敵うものなどおらぬわ。何を考えておるのかわからんが、うち砕くのみよ。」


 アリーシャとトトアはお互いに余裕の笑みを浮かべながら水晶からの報告を待つべく、天幕の中で座り込んだ。

 各部隊には指揮官がきちんとおり、彼女達はそれほど多くの指示を逐一出す必要もなく、ただ戦闘の方向性だけを指示すればいい、そういう簡単な戦闘になるはずだった。


 事態が一変するのはエルフ族の攻撃開始の連絡から1時間もたたない頃、ちょうど月が雲に隠れた時だった。

 突然、1つの水晶からおかしな報告があがってきたのだ。


「ひ、姫巫女様っ!魔法が…魔法が効きません!」


 そして、その報告に続き、おかしな報告が上がりだす。


「て、敵にもダークエルフが?…馬鹿な…あれは…おじい様?」


「姫巫女様っ!敵に一番槍が…一番槍がいます!」


「ひ、姫巫女様っ!お逃げ下さい!て、敵はっ!」


 次々上がる報告に、アリーシャは水晶の乗る机を両手で思いっきり叩く。

 そして、それと同時に水晶の光が消えていった。

 これはアリーシャが何かしたわけではなく、通信対象の水晶が破壊されたことを意味する。


「どういうことだ!?なんじゃ!この報告はっ!」


「……ダメね。私の方も糸が切られちゃった。連絡できないわ。」


 トトアも首を横に振る。


「な、何が起こっておる?誰かっ!誰かおらぬか!」


 大声を出すが、天幕の近くには誰も配置していない。

 返事があるわけもなかった。


「こうなったら私達も出る方がよさそうね。状況すらわからないわ。」


「う…うむ、しかし、もし報告が真実なら、わらわ達だけでは…。」


 急に自信を無くしたかのように目をさまよわせるアリーシャ。

 だが逆にトトアは目を鋭くした。


「状況もわからない、どんな敵かもわからないけど、このままここに居たら状況は悪化するばかりじゃない?貴方もハイエルフなんでしょう?私もアラクネの長、アラクネクイーンよ。他のアラクネより強いわ。行きましょう。」


「…う、うむ…。」


 2人が天幕を出てすぐに、ちょうど前からゆっくりと歩いてくる1つの影があった。

 反射的に2人は身構え、アリーシャが少し後ろに下がり、トトアが前に出る。

 だが、2人とも武器という武器をもっておらず、丸腰どころか鎧さえつけていない。


「…だめね。相手が悪いわ。」


 そういうと、トトアはあっさり負けを認めて構えを解いた。

 無駄な抵抗をしても仕方がないと思ったのだろう。

 歴戦の一族というだけあって、強者を見抜くのは早い。


「ここまでか…シリア…。」


小さく、何かに祈るようにつぶやいたトトアは、背後の違和感に気づく。

 本来、トトアがそんなことを言えば、まっさきに怒鳴りつけてくるであろう性格のダークエルフの巫女姫から何も声がかからないことに疑問を感じ、トトアが後ろを振り返ると、そこには驚きに顔を染めた姫巫女がいた。


 段々と近づいてくるにつれて、相手の容姿や背恰好が良く見えてくる。

 ちょうど月が雲から抜けたのか、月明りも近づく相手の姿を明確に映し出した。


 前から歩いてくるのは、鎧に身を包んだ褐色の肌に紫がかった長髪のダークエルフ。

 白を基調とした鎧を着、右手にはランスを、左手には小ぶりな盾をつけている。

 真っ赤なマントをはためかせながら、兜の下に見えるその顔に、アリーシャは呼吸が止まるほどの驚きを受けていた。


 もはや500年以上も前になる、死に別れた人の顔がそこにはあった。


 だが、優しかった双眸は細められ、美しい顔には静かな怒りが浮かんでいるのがわかる

 戦場に立ったことがない自分は見たことがない戦いの顔。

 いつも後ろ姿だけ見ていた自分がまさか正面から敵意を向けられるとはおもってもみなかった。


 そして今、自分目の前にいるその人物が本物かどうか、そう迷っている自分がいる。

 間違いなく、目の前でその人物の死を見た。

 ならは目の前にいるのは偽物ということになる。

 頭ではそう理解している、だが心の奥底から湧き上がるものが、間違いなく本人だと、偽物ではないと告げている。だからこそ、アリーシャはただ小さく声を発することしかできなかった。


「お姉さま…。」


 と。

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