第83話 氷上の罠
砦の規模は中程度、大きな壁があるものの、どちらかというと魔国へと続く森への侵入を拒む大きな門のような印象をうける。
リントヘルムから南下した部隊からすると、広く大きな城壁をもつ砦に見えるが、実は魔国側からみると、本当にただの門でしかない。
実際に、この砦の壁は森の中のある程度の部分で途切れており、森の中を無事に迂回できるのであれば容易に門の内側に到達できてしまう。もちろん、森の中には罠や見張りもいるので容易ではない。
少なくとも人族には不可能だろう。
そもそもこの巨大な壁は人族側からの進行を最小限の人員で防ぐために用意したものだ。
オーク達を排除した後に、人族と領土が隣接するのを見越して用意したので、急ごしらえでもある。
壁の中心に作られた門を入ると、実は大きな広場があるだけ、人族の感覚で言うなら駐屯所などの建物があって当然だが、ローレンス帝国では少し大きな天幕をいくつも張り、そこに駐留しているだけだった。
後ろから見ると本当に大きな門でしかない。
だが、進軍してきたシュイン帝国の部隊は予想よりも大きな壁をもつ砦に驚いているようだった。
遠視能力がある種族の報告では少し離れた位置で陣形を組み、破城槌などを準備しているらしい。
あんな破城槌で突撃すれば門など簡単に突破できるだろう。
何といっても、この門は見かけ倒しでそんなに強度があるわけではない。
そして、実は見かけ倒しの砦の壁の上に、アウレリアは悠々と立っていた。
近くにはトッカスとスウの姿もある。
「しっかり準備してきたみたいね。それに数は1000ってとこかしら...。」
「はっ!にしても...。」
「奇妙。」
アウレリアを始め、3人ともが眉をひそめていた。
せっかく攻めてきたというのに、あんな見える位置で堂々と破城槌や陣形の組み直しなど、何を考えているのかわからない。
簡単にいえば、近すぎるのだ。
騎兵なら今のタイミングで突撃をかければいくら数が倍近くとも、大きな被害を与えられるはずだ。
「あれは誘っているのかしら?それとも...。」
「何とも言えませんが...攻め立てますか?」
「絶好の機会ですが、万が一ということもあります、予定通り、安全に行きましょう。」
「もうすぐ来る。」
「では、トッカス、スウ、ここは任せました。私は下に降りています。相手が接近してきたタイミングと、追撃をかけるタイミングで合図を下さい。」
「御意。」
それだけいうと、アウレリアは門の後ろに整列する兵達の方へと向かうため、壁を降りて行った。
相変わらず水の精霊である龍に乗り、はたから見ると中空に座っているようにしか見えない。
「いったい何だというのです!」
大きな壁の砦から離れた場所で陣形を整え、進軍した私達は部隊を2つに分けていた。
破城槌を使い門を突き破る部隊とそれを守る部隊をカム・テイルに任せ、私は後詰めとして相手に止めを刺すため、後方から一定の距離をあけて行軍している。
父のように先陣を切り、武功を上げたいとは思っていたが、私は初陣。
歴戦のカムが立てた作戦に異議はない。
せめてタイミングを逃さないようにと後方から状況を見ていたはずが、何が起こったのか全く分からなかった。
破城槌と先陣を切った部隊はグングンと門に近づいていく。
だが、急に雨が降り出し、豪雨となった。
その雨が降り注いでいるのは前衛の部隊だけだ。私の部隊に雨は降りかかっていない。
こんなことがあるのだろうか?
局所的に豪雨が降り、その行軍速度を劇的に遅らされている。
だが、所詮は雨、私の部隊は念のために雨が降る部分には近づかなかったが、ほんの数分で雨はやみ、あたりに多くの水たまりができる。
そして、次に起こったのは更なる行軍速度の遅れだった。だが、地面のぬかるみなどのせいではないようにみえる。なのになぜか兵士達の動きが悪い。
そして砦に近づけば近づくほどその行軍速度が遅れていく。
「いったい何だというのです!」
私の言葉に答えられるものはいなかった。
前衛部隊の行軍速度は見る見る落ち、本来なら相手から矢が届くであろう場所まできて、更に混乱が広がっていく。
兵が倒れていき、破城槌も地面に投げ出されてしまった。
それに伴って混乱が起こる。
400を割いた前衛部隊はすっかり足を止めてしまっていた。
敵の攻撃が何もはじまっていないのにもかかわらずだ。
「カム将軍は何をしているのですかっ!」
せめて、彼らに矢が降り注がないことだけが救いだ。状況を確認できないまま救援に行くわけにもいかない。私はとりあえず、状況把握のために30名ほどの騎兵小隊を前衛に向かって進ませた。
何が起こったのか把握する必要がある。
騎兵が前衛に近づいていくが、まさにそれを待っていたかのように、壁の上からいくつもの大きな火の玉が混乱する部隊の中に叩き込まれた。
たった400名。
敵とほぼ同数。しかし自分であれば、それだけでも十分に勝算があると踏んでいた。
前第四師団長の娘とはいえ、相手は初陣の世間知らず。只の御輿(みこし)なのは明らかだ。
ウサマイン・エンドック卿からも、自分が中心に指揮を執り、勝利に導くように言われている。
まずは勝利、これが絶対条件。
そのためにいくつもの豪華な装備を揃え、兵を鍛え、倍以上の兵力を揃えてもらった。
ウサマインの言う通りにして勝てば最終的に自分は全軍を束ねる将軍となれるだろう。
第四師団をウサマインが乗っ取り、クレアが軍の全権を握る。自分はその副官。
クレアが飾りなので、実質は自分が軍の全権を握っているようなものだ。
だが、表舞台には立てない。
だからこそ、欲が出た。
ここで自分が手柄を立て、クレアに自分の父と同等の能力があることを見せつける。
例えば、先陣を切り、相手と同数かそれ以下で敵を叩き伏せる。
そうすればどうだろう。
父親に心酔しているあの娘は自分を尊敬するのではないだろうか?
うまくいけば取り込むこともできるかもしれない。小娘とはいえフィードベルト家の血筋。
自分が上級貴族になれる可能性まで出てくる。
だからこそ、後方に多くの兵を残し、自分が指揮する部隊を精鋭で固めて攻城戦を仕掛けたのだ。
これぐらいで十分だと思っていた。
だが、出鼻を挫くようにはじめに大雨にあった。
雨というか、まるで滝のような雨が自分達を襲った。
行軍速度が落ちるものの、何のことはない。
その時は運が悪い以上のことは感じなかった。
「全軍!列を乱すな!進めっ!!」
大きな声を張り上げるが、雨音でどこまで聞こえていたか怪しい。
おかしな天気は続き、すぐに滝のような雨が止んだ。
足元がぬかるんだが、大雨よりはマシだ。
「天は我らに味方したぞ!さぁ勝利を我らに!」
大きな声をだし、指揮を上げる。
行軍速度は少し遅くなったが、これぐらいは大したことない。
少し肌寒いが、雨に打たれたせいだろう。
だが、それが大きな間違いだった。
途中からはっきりとわかった。
雨に打たれたせいではなく、周りの温度が異様に低く、鎧がさらに体温を奪っていく。
部隊をよく見ると皆、肩を抱いていたり、歯をガタガタと言わせている者が多い。
「お前たち!もうすぐ矢が届く範囲になる!気を...。」
そこで気づいた。なぜ息が白い?
リントヘイムから出たばかりの頃は身体を動かすと汗ばむほどの陽気だった。
なぜここまで温度が下がっている?
大きな音を立てて破城槌が地面に転がる。
それを皮切りに何人もの兵士が倒れていった。
震える兵士、転がる破城槌、震えるような声しかでず、身体が思った以上に体温を奪われていることに初めて気づいた。
パリンと足元で何かが割れる音がする。
反射的に下を見ると、自分が先ほどの水たまりに足を踏み入れていたことに気づく。
そしてその音の正体は氷だった。
薄い氷を自分の足が踏み抜いたのだ。
あたりを見回すと、先ほどの雨でできた小さな水たまりは全て凍りついていた。
辺り一面の温度が更に下がっていくのがわかる。
鎧のせいで、身体はもはや凍傷を受けているかもしれない。
撤退を!
その言葉が脳裏に浮かんだとき、あたりを照らすような暖かい光が頭上から見えた。
反射的に顔を上に上げる。
大きな火の玉が自分たちを飲み込もうと迫ってくるのが見えた。
寒さで身体はほとんど動かず、その火の玉が、カム・テイルの見た最後の光景になった。
「姫様!トッカス将軍から合図が。まもなく門が開きます。」
「ご苦労様。総員、隊列を組みなさい。」
大きな音を立てて門が開いていく。
「さぁ、皆さん行きましょうか。全ては!」
「「「ローレンス帝国、栄光のため!」」」
アウレリアに続き、後ろに並ぶ兵士達が大声を上げる。
100名程度の軍隊だ。
相手の10分の1しかいない。
だが、十分な勝算はある。
すでに軍の半分程度は戦闘不能になっているはず、ならば指揮が下がった相手を蹴散らし、敗走を追撃するだけの簡単なお仕事だ。
門が開ききるのを確認すると、アウレリアは精霊の龍に乗ったまま、兵士たちを鼓舞し、先陣を切る。
外には既に半壊した部隊の姿があった。
門に近づいてきたのは半分程度と聞いていたが、そのほとんどにもう息がないか、重症を追っているように見える。
だからこそ、そんな脱落者には目もくれない。
捕虜をとる必要はないし、敵として攻めてきた者にかける慈悲も持ち合わせていない。
目指すは相手の本陣のみ。
アウレリアは口元に笑みを浮かべながら本陣に向けて突撃命令を出した。
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