第78話 龍を従えし者 下

 最初は暇つぶしだった。

 そう、ただの暇つぶし。

 兄の尻拭いにオーク討伐なんて無駄な作業をさせられ、乗り気じゃなかった戦場でのちょっとしたお遊び。

 面白い人間がいるときいて、見てみたくなった。

 少し実力を測って引き分けにしてしまえばいい。

 相手の顔も立つし、こちらは私が本気を出していないことがわかるだろうし、汚名にもならない。


 それに、スウとトッカスを打ち破った相手がどんなものか見たいと思ったのだ。

 当日、私は水連(すいれん)に乗ったまま相手の陣との中心ぐらいに移動した。

 舞台からは見送る歓声があったが、誰も私が本気で戦うつもりだとは思っていないだろう。

 兵士達がちょっとした娯楽ぐらいで見ているのはわかる。

 心配そうにしているのはスウとトッカスぐらいだった。


 すぐに相手はこちらにきた。

 そして私は驚く。

 普通でも彼の容姿を見れば、若すぎると驚くだろうが、私が驚いたのはそこじゃない。

 もちろん、トッカスが言っていたように私好みの少年だったからでもない。


 彼の頭の上に精霊がいたからだ。

 あれは間違いなく風の精霊。

 ということは彼は風の御使いということになる。

 スウの風魔法が無力化されるのも当然だ。


 そして、私が水連(すいれん)の頭を人撫でしてから降りると、彼は龍を目で追っていた。

 あちらも私が御使いということがわかっただろうか?


「何か珍しいものでも?」


 冗談半分に聞いてみた。


「ええ、龍なんて実在したんですね。初めて見ました。」


「龍?・・・あぁ。そうですわね。私専用ですから珍しいのも当然ですね。」


 どうやら彼は水連(すいれん)が精霊だと気づいていないみたいだ。

 風の精霊は何も教えないんだろうか。

 そういえば、頭にいた精霊は・・・いつの間にかいなくなって・・・あ、水連(すいれん)の頭に乗っている。いつのまに・・・。


「アウレリア殿下、本気で一騎打ちを?」


 彼の質問にワクワクしてしまう。

 暇つぶしのつもりだったけど、何年ぶりだろう、風の御使いと戦うのは。

 最後に戦ったのもそういえば、風の御使いだった。

 とても懐かしい。

 そういえば、どことなく彼女とかぶる。

 風の御使いの雰囲気故か。

 今回の御使いも彼女ほどの手練だろうか。


 だが、彼は私に遠慮しているのか、弱めの魔法しか打ってこない。

 待っていても面白くないので私から仕掛けることにした。

 やりすぎないように注意しないと。


「お優しいのは美徳ですが、手加減して負けては・・・いえ、私の実力がわからないからですかね。ならば・・・きちんと守ってくださいよ?」


 そして攻め込む。

 風の御使いの戦い方はよく知っている。

 1対1の戦いで中心になる魔法は3つ。


 風牙、貫通力を高い風の牙。

 風爪、相手を切り伏せる風の最大攻撃。

 風毛、身体をおおうように展開する風の防壁。


 あとは個人の好みで他の魔法と組み合わせてくる。手がわかっているといっても油断はできない。

 最後に戦った御使いは特にとんでもないやつだった。

 エルフ族だったが、その組み合わせはかなりエグい魔法ばかりだった。


 だが、予想外に彼の攻撃は単調だった。

 途中、中空を駆けたのと、竜巻で私の視覚を狙ったのは中々だったけど、爪が甘かった。

 主軸が3つの魔法だとわかっているのだから対策も簡単だ。


 風牙には、入射角を反射して逸らす華鏡(はなかがみ)を。

 風爪には、相手の爪より小さな爪が1本多い華美月(はなみづき)を。

 風毛には、相殺してもさらに攻撃数のある水蓮華(すいれんげ)を。


 今までの風の御使いは主軸の魔法に何かを組み合わせて使っていた。

 だがこの子はその威力に自信があるのか単体で使っている。

 これだと知っている相手には効果がない。

 受け継がれた魔法には対策もきちんと存在するのだから。


 彼の両手を封じた状態で風毛に対する消耗戦を仕掛けた。


 結果は抜群。

 未熟すぎる相手にため息が出そうになるが、無理もないのかもしれない。

 彼はどう見てもまだ若い、それに感じる魔力も御使いにしては少ない。

 もしかすると、人族ではこれぐらいが限界なのかもしれない。


 彼は賭けにでたようだ。

 何回目か水蓮華(すいれんげ)が終わったタイミングで私の鉄扇を押し返してきた。


「おや、まだこんな力・・・え?」


 私が驚いたのは、目潰しにではない。

 一騎打ちとはいえ、目潰しは有効だ。私達の戦いでは卑怯とはいわれない。

 だが、誰も私相手に血を目潰しに使う相手はいなかった。

 当然だ、相手を強化する馬鹿がいるわけない。


 私はヴァンパイオ族、人族がいう吸血族だ。

 月に何度か他の生物の血を吸う。

 ようするに吸血による血は私の力の源だ。

 だからこそ、生まれて初めて受けた目潰しを私は躱すことができなかった。


 そして、相手にとって運が悪いことに、私に放った血は目だけではなく、口にもはいった。


 そこから私を支配したのは欲望だった。


 ―若い血だ。美味しい。

 ―そろそろ血を飲む時期だ。

 ―こんな血が目の前にあるのに飲まない選択肢はあるのか?

 ―少ししか口にはいらなかったが、スウの血に引けはとらない香りがする。

 ―これを、もっと、飲みたい。


 そして私の理性は欲望に押し込められ、本気で彼・・・獲物に襲いかかった。


「ひっ!」


 小さな悲鳴を上げながら剣を突き出す彼の腕を掴む。

 思いっきり掴んだからか、ボキリと音がはっきりと聞こえた。

 そして反対の肩を掴む。

 首筋に噛み付くんだ、こうやって固定しないといけない。

 そして私は大きく口をあけて、獲物の首筋に噛み付いた。


 最初に感じたのは幸福感。

 喉を潤すその血液はとても美味なものだった。

 本来私が理想とする魔力濃度ぴったりだ。

 加齢による渋味が足りない気がするが、これはこれで若々しく、そしてとてもいい口当たり。

 血が喉を潤すほどに、私は興奮していった。

 本来ならこのまま連れ帰り、長期的に搾取したい。けれど口が離れない。

 飲み干してしまいそうな勢いだったが、この血の味は私にある記憶を呼び起こさせた。


 それは私が最後に戦った風の御使い。

 私が友として堂々と周りに紹介できた唯一の女性。


 私の意識は急激に冷める。


 私は何をしている?

 一騎打ちをして、血を舐め、我を忘れて相手の血を吸った?

 私は血を吸うのをやめ、口はつけたまま相手の様子を伺った。


 掴んだ右手は折れている。折れた箇所を私がつかみ続けているから激痛だろう。

 左肩は私の指が食い込んでいる。もしかすると骨にヒビぐらい入っているかもしれない。

 そして飲んだ血の量は・・・大丈夫。致死量じゃないはずだ。

 ちらりと彼の様子を見ると、顔は紅潮し、息は荒い。

 これは・・・致死量ではないが、牙を突き立てた効果が出てしまっているらしい。


 無理もない。

 私達の一族の牙には催淫効果がある。

 なぜかは分からないが、牙を突き立てて血を吸われたものは途中から痛みを感じなくなり、むしろ吸われることが快感に変わるのだ。

 獲物への最後の慈悲と言われているが、本来別に牙を突き立てる必要はないので、近年では滴る血を舐めるのが主流だ。

 今回はついつい興奮して噛み付いてしまったが・・・。


 さて、どうしよう。


 彼にはもう反撃の意思はなさそうだ。

 心も負ってしまったかもしれない。

 このあたりで手打ちにすべきだろう。

 口を離して降伏させよう。


 しかしながら、この血の味、なんという美味・・・これほどのものは稀だ。そして懐かしい私の友人を思い出させる。風の御使いは皆こんなに美味しい血なのだろうか。

 牙を立てるのは止めたが、なかなか舐めとるのはやめられない。でも、飲んでいると、少しだけ嫌な癖があることに気づいた。この味は昔どこかで・・・そうだ呪法に失敗した者の味が微かに・・・。


 そう記憶を辿りはじめた私のお腹に、容赦のない膝蹴りがはいった。





 最初にあったのは恐怖だった。

 腕を折られ、肩を掴まれ、首筋に牙をたてられて血を吸われる。

 異常な経験だ。

 身体から大事なものが抜けていくのがわかる。

 血液だけでなく魔力も吸われている気がする。

 抗いたくても抗えない。恐怖で身体が動かなかった。


 だが、しばらくすると恐怖は高揚にかわった。

 初めての感覚だ。

 吸われる血、突き立てられる歯に嫌悪感がなくなり、おかしなことにドキドキしていた。

 腕や肩と痛みは感じず、彼女の甘い匂いがやけに鼻腔をつく。


 なんだこの感覚。

 血を吸われている状況でこれはおかしい。

 けど、おかげで冷静になれた自分がいる。


 気づくと血は吸われておらず、口は付けられているものの、牙は突きたてられていない。

 舌でペロペロと流れる血を舐めているようだ。

 右腕や左肩を掴む力もかなり弱くなっている。

 理由はわからないが、たぶん今しかない。

 このままの状態だと、いつ殺されるかわからない。


 もう勝てるとは思っていない。

 どう生き残るかだけを考えていた。


 そして右膝で思いっきり相手を蹴り上げる。

 もう容赦もない。

 予想以上に相手は吹き飛び、拘束は簡単に解けた。


 距離をとって身体を確認する。

 相手は予想外の反撃だったのか尻餅をついてしまっている。


 もう右手は使えない。

 剣は落とした。

 左手はかろうじて動く。

 身体は・・・もう長時間の戦闘は不可能だ。


 ならば唱える魔法は限られる。

 切り札とも言える魔法。

 フィーにはまだ早いと言われ、まだ試したことはない。

 だけど、無理にでも今使わないと、死んだら意味がない。


 そう思い、俺は相手が再び襲いかかってくる前に、詠唱を開始した。


「我、古の契約に基づき、古き風の使徒を呼び起こさん。」


 相手が、慌てたように、尻餅をついた体制から起き上がる。


「来たれ英霊!我が名の元に。」


 その顔はなにかに焦っているようだった。

 邪魔されないようさらに距離をとりながら魔力を練り上げる。

 限界を超える魔力を扱うことになりそうだが、今回は魔力回復薬がない。

 それでもこれしか今の状況を切り抜けられる選択肢はもっていなかった。


「守るべき者のために、古き竜に立ち向かいし心優しき英霊よ!」


 遠くから、フィーの焦った声が聞こえた気がしたが、もう遅い。

 初期魔力の練り上げはおわっている。あとは詠唱を終わらせて、魔法を発動するだけだ。


「我が声を聞き、再びその姿を顕現せん!我は呼ぶ。汝が名を!」


 あと少しのところで、目の前に敵が現れる。

 間に合わないか?そう思ったとき、相手は何故か口を抑えようとするように手を出してきた。

 明らかに攻撃ではなく、口を塞ごうとする行為。

 てっきり魔法を打ってくると思ったが、喉を潰すでもなく、ただ口を塞ごうとしている。

 何故かはわからないが、左手でその手を逸らし、もう片方の手は顔を逸らして避ける。


「竜の天敵!聖なる守護者!我が前に現れいでよ!ウルガっむぐ」


 だが、俺の口はあと一歩のところで予想外に塞がれた。

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