八
学祭が終了し、サークルの打ち上げで焼肉屋に行きおおいに騒いだあと、時間があるものたちで連れだってカラオケに洒落こもうという話がまとまりつつあった。
和之はそんな仲間たちの姿をどこか他人事のように眺めている。
サークルの部屋で出し物の売り上げの精算を終え、焼肉屋までの道程を仲間たちと無駄話を楽しみ、店に着いたら着いたで食べ放題コースにかこつけて肉を口に放りこみまくり、先輩から勧められた日本酒を断われずに飲まされ、初めてだけど意外においしいなと思ったりした。つい先程までそんな騒がしさの中にいたのが嘘のように心が落ち着いていた。
「どうしたの」
集団から離れたところにいたのが目に留まったのか、明石が怪訝そうに話しかけてくる。和之は何とも説明し難い気持ちだったのもあり、自分でもよくわからないと口にする。
「そっか。そういう時もあるよね」
そんな雑な説明なのにもかかわらず、女の友人は何度か頷いてみせてから、きっと楽しいことが終わったから気が抜けたんだよと付け加える。和之もまた、そうかもな、と同意を示す。
午後はほとんどぐだぐだしていただけだったが、それはそれで気疲れするところもあっただろうし、自由時間だった午前中は午前中で祭りを回るかたわらちょこちょこ屋台に帰ってきて手伝いをしていた。なんだかんだ長い一日だったのは間違いない。
「そういう時は、一日最後の疲れをぶっ飛ばすっていう意味でもさ」
言ってから明石は、カラオケに向かおうとしていた仲間たちを指差す。元よりそのつもりだったため頷いたあと、集団に合流しようとした。
直後、首筋を冷たいものが掠めるのを感じる。
「あっちゃあ、降ってきやがった」
喧騒に紛れたサークル会長である滑川の声が耳に届くと同時に、和之の足は自然と動き出す。
「急用かな」
明石の問いかけに、和之は特に隠すつもりにもならなかったため頷く。打ち上げ後は自由行動なため、会長に断わりを入れれば事足りるはずだった。この女の友人を含めて仲間たちともう少し楽しんでいったかったという名残惜しさはあったものの、森に呼ばれているような感覚はそんな気持ちすら軽々と乗り越えて行く。
女の友人は一度瞬きをしてから、
「あたしも着いてってもいいかな」
無表情で尋ねてきた。
「いいよ」
反射的に答えてから、なぜいいよと言ったのだろか、と我が事ながら疑問に思う。少なくとも、普段の和之だったら渋るか、断わりを入れているに違いない。それなのにもかかわらず、実際は明石の提案を受けいれている。やっぱり断わろうか、と考えかけた時には、女の友人は仲間たちのもとへと向かっていて、すいません、あたしたち先に帰りますね、と告げていた。
「そうか。名残惜しいが、君らにも都合があるだろうしな」
滑川会長はすぐさま了承すると、サークルメンバーたちに和之と明石が先に帰る旨を伝えた。どうやら残っている面子は脱落者を出さないままカラオケに直行するらしく、先輩同輩たちからは別れの挨拶が口にされる。和之は明石と一緒に、お疲れ様です、と軽くお辞儀をしたあと、帰路に着くふりをするべく踵を返した。
「良かったのか」
自分の都合に巻きこんで引きずってきてしまったという小さな罪悪感もてつだって尋ねるが、当の明石は、いいよ、と静かに口にしてから、
「あたしが着いて行きたいって言ったの。だから、カズ君が気にすることじゃないよ」
そう付け加え、だけど途中で撒こうとしたりしないでねと笑う。
「そこまで意地は悪くないつもりなんだけどな」
「どうかな。カズ君、割と頑固だし」
じと目で見つめてくる友人の反応を受け、急用とごまかしてきたことを振り返ればしかたないかと理解を示す一方、どのように事情を説明するべきかあらためて考えはじめる。とはいえ、あの森の奥にある木に起こっている現象の非常識っぷりからするに、口で説明し納得してもらうのは難しいかもしれない。だとすれば、以前考えた時と同じように、直接見てもらうのが一番早いという結論にいたるが、現場に着く前にどこまで教えるかという問題が浮かび上がってくる。なんとなくその辺を考えるのも面倒になりつつあったが、昼間に意味深に、墓参りみたいなものと告げた手前、いい加減に話してごまかすというのもためらわれた。
「聞きたいことがあるなら答えられるかぎりは答えるよ」
結果、考えることを放棄し、判断を友人に丸投げするのを選ぶ。明石は一瞬、驚きの表情を浮かべたあと、
「君、本当にカズ君」
不思議そうに尋ねてきた。
「どう見ても、俺は俺だろ」
「いや、そんなにあっさりと答えてくれるとは思ってなかったから、ちょっと拍子抜けというか」
「なんじゃそりゃ」
次第に雨が強くなりつつある中、そんな軽口を叩き合いながら、和之は女の友人が木に生る実を見た時にどんな顔をするのかとを思いを馳せる。驚くのか、受けいれるのか、あるいは想像もしない反応を返してくるのか。そしてその感情の発露が何を巻き起こすのか。どうなるのかはともかく、興味深いのはたしかだった。
/
「こんばんは。今日はお一人ですか」
人のかたちをしたものがおさまった実が生る木の脇に、以前夫を亡くしたと口にした女性が缶を片手に腰かけていた。二人ですと答えようとしたところで、和之は先程まであったはずの気配が消えているのに気付く。ちらりと後ろを見やるが、着いてきていたはずの女の友人の姿がない。つい先程まで友人に聞かれるままに、墓参りに行っているのは森の奥で、墓参りしている相手は同い年の幼なじみの少女だと答えたりしながらも、はぐれると困るからと服の端っこをつかませていた。少なくともここにたどり着く直前までは、ちゃんと着いてきていたはずだ。
もしや神隠しにでもあったのだろうかなどという与太じみた妄想が浮かぶ。そうでなくても森の中で迷っている可能性はおおいにありうる。公園内にある地図を見るかぎりさほど広くない森であるはずだったが、ここまでの道程の長さや険しさを考えればその知識を額面通りに受けとっていいのかは甚だ疑問であるどころか、空間が歪んでいたと聞かされても不思議ではない。
「もう、帰ってしまうんですか」
「はい。森の中で友達とはぐれてしまったので、探しに行かないと」
答えてから、来た道を引き返そうと差したばかりの折り畳み傘を畳もうとしながら、行き先を携帯のライトで照らす。
「待ってください」
女性の声に足を止めた。なんですか、と素っ気なく応じつつも、さっさと森の中へと走り出したいと焦る。そんな和之の気持ちを知ってか知らずか、
「一杯だけ付き合ってくれませんか」
信じられないような気楽さでそんなことを口にした。何を言ってるんだこの人はと思いつつも、無視してしまうのは気が引けてついつい振り向いてしまう。
女性はほろ酔いといった体で、酒が入っているとおぼしき缶を示して、ちょうど一人で飲むのが寂しくなってきたところだったんです、などと付け加えた。初めて会った時以来、比較的常識がある人だと思っていただけに、今の女性の振るまいに和之は落胆を隠せない。
「申し訳ありませんが、急いでいるので」
今抱いている感情をできるだけ押し殺し、そそくさと去ろうとする。
「あなたも不安になったんでしょう」
ざーざー降る雨の合間に唐突に放たれた優しげな女性の声に、体が固まる。こちらを引き止めるためにそれらしいことを口にしてるだけだと言い聞かせる和之の耳に、
「それはそうでしょうね。最愛の人が入った実が知らないうちに木から落ちたりなんかしたら大変ですし」
今日の午後、サラリーマン風の男性から話を聞いて以来、できるかぎり思い出さないようにしていた事柄が容赦なく飛び込んでくる。おそるおそる振り向けば、女性は得意げに缶を振っていた。表情は暗闇の中にあるためよく見えないが、照らす気になれない。
「なんで」
「なんで、心が読めるんですかとでも聞きたいのかな。それは私が魔法使いだから。なんてね」
ちっとも面白くない冗談に一人笑い声をあげる女性に、こんな人だったのか、と呆れる。
「言いたいことがあるなら早くしてくれませんか」
「うーん、とりあえず一緒に飲んでくれたら話しますよ」
結局、そこに戻るのかと思いつつも、いつの間にか去りがたい気持ちなっていた。どうせたいした話ではないし、友人の安全を確認するのが先決だ。そんな常識的な判断は、非常識的な魅力に強く引っ張られることで揺らぎはじめる。
「ノリが悪いですよ。君ぐらいの年齢だと綺麗な女性の誘いには一も二もなく乗るものじゃないんですか」
「自分で綺麗とか言っちゃう人はちょっと」
顔かたちが整っているのはたしかだとは思うが。心の中でそんな感想を付け加える和之に、女性はくすりと笑ってみせてから、
「それにたぶんですけど、あなたの方も聞きたいこととか話したいこととかがあるんじゃないですか」
もったいぶった風に口にする。たしかにその通りではあったのだが、だからといって今すぐにというほどの緊急性があるわけでもなく、森にはまた後日にやってくればいいはずである。しかし、こと今日に限っていえば、本当にそうなのか、という疑問が発生する下地ができていた。明日以降、森を訪れられるのかとか、仮に森を訪れてみたとしてちゃんといつものところに実が生っているのかなどということが今更ながら不安になる。
「さあ、どうしますか。私を寂しく一人酒させたいんだったら、それでかまわないですけど」
冗談めかした口ぶりで発せられた事柄をどうでも良く思いつつ、和之の中に、せめて一目だけでも実を見ておきたいという気持ちが強まっていく。少し、ほんの少しだけちら見すれば済むことなのだから。
そう思ったら、木の方へと足が動いていた。傘に雨粒がぶつかる音を耳にしているうちに、木の前にたどり着いて、実の生っているはずの位置を見上げた。椎子のかたちをしたものは、透明の膜の中でいつも通り膝を抱えている。ほっと一息吐いたところで、目の前にビール缶が差し出された。
「ようこそ」
楽しげな女性の声が癇に障ったものの、既に用件は済ませていたので、先程よりは気持ちが軽い。缶を断わり、再び友人を探しに行こうと踵を返そうとする。
「一杯くらい付き合ってくれてもいいじゃないですか」
「さっきから言ってますけど、俺は」
「はいはい、お友達を探しに行くんですよね。それは私も重々承知してます。けれど、そんなことしなくても大丈夫だと思いますよ」
「何を根拠に」
食ってかかる和之に、女性は、他の人から聞いた話なんですけど、と前置きしてから、
「知り合いの実が生っている人以外は、ここに入ってこられないらしいですよ。どうもやってきそうになると、獣道の手前辺りにまで戻されちゃうらしくて」
そんなことを言ってみせた。こちらをこの場に留めておくためのハッタリだろうと和之は思ったが、程なくして友人が突然いなくなったことに対しての一応の説明になっていることに気付く。少なくとも友人の消失は、ただはぐれたというだけでは説明がつきにくく、それよりは女性がたった今口にした事柄の方がしっくりくる。
そうであるならば、尚更、友人の安否を確かめなくてはならない。そう思ったのも束の間、女性が耳元に顔を寄せてくる。
「だから、きっと大丈夫です。あなたもそう思うでしょう。もう少しだけゆっくりして行きましょうよ」
その囁きを耳にして、和之は、別段、女性の物言いが事実である必要は無いのだということを理解する。要は、そういうことかもしれない、という落としどころこそが求められるのだと。
「これから探しに行くとしても、休憩してからの方が色々と効率も上がりますよ。だから、ねっ」
ねっとりとした音に不快感をもよおしつつも、黙って缶を受けとり女性の方を見る。そこで男性を愛おしげに眺めている女がスーツを着ているのに気が付く。仕事帰りだろうか。そんなどうでもいいことを考えながらプルタブを上げ缶を傾けて喉と舌を痺れさせ、友人にメールを打ちはじめた。
今どこにいるのか。迷っていたら動かないように。もしも、道がわかるようだったらこちらは時間がかかりそうだから先に帰ってくれてかまわない。そんなような内容を書いて送信し、最低限の仕事は果たした、と自らに言い訳をした。
「いやあ、こんな若い子と一緒にお酒を飲めるなんて。私もまだまだ捨てたもんじゃないですね」
「実が木から落ちるという話は、どこから聞いたんですか」
戯言を無視するかたちで、和之は本題に入ろうとする。女性は、せっかちな男の人は嫌われますよ、と口を尖らせたあと、
「誰から聞いたとかじゃなくても、実が木から落ちるというのは当たり前のことですよね」
常識的なことを口にした。たしかにその通りではあったが、和之としてはあくまでも、なぜ自分を引き止める時に実が落ちる話が出てきたのかを聞きたかったため、今の女性の答えは消化不良の感が否めない。そんな気持ちが表に出ていたのか、女はおかしげに、冗談ですよ、と腹を押さえて笑い声をあげる。
「私も駄菓子屋のおばさんの入った実が落ちた現場にいたんですよ。それで、今日までの間、あの人と連絡をとりあって実がどうなっていったのかを聞いていた。あなたがその話を聞いてただろうなって予想したのは、あの人からあなたの大学の学祭に行くっていう連絡を受けていたからです」
種明かしを耳にすれば、そこに並んでいたのは当たり前の事柄の羅列で、わざわざ残ってまで聞くことではないように思えた。
女性は笑みを形作りつつも、どことなく物憂げな目で、愛しの男のかたちをしたものが入った実を眺め、
「それにしても実が落ちたのは衝撃的でした。せっかく、また会えるようになったのに、いつか終わるんだなって思うと、ねぇ」
同意を求めるような言葉に含まれた甘ったるさは、なんとも耐え難いものではあったが、和之もまた似たような気持ちであるのはたしかだったので、僅かに首を縦に動かしてからビールを口に含む。その苦味は舌になじまないものの、渇いた喉を通る感触は気持ちいい。
「あの人がいなくなってすごく泣いていたら、あっという間にまた会えて、ずっと一緒にいられたらいいなって思ってた矢先にこの仕打ち。本当、嫌になっちゃいますよね」
話しかけている体ではあったが、実のところ独り言なのかもしれないと和之は思う。だとすれば、女性が求めているのは自らの言葉を吸いとって相槌を打ってくれるなにかで、この相槌を打つという一点のみが、和之が引き止められている理由なのかもしれない。
不意に、三年前、自分はどんな気持ちで椎子がいなくなったということを受け止めただろうかという疑問が和之の中に浮かび、思い出そうとする。
実際に行ったこともなければ見たこともない雪国の吹雪に包まれような視界。気が付いた時に目の端に映った白黒の幕。写真越しに抱いた、案外綺麗な顔だったんだな、というどこか他人事のような感想。式が終わったあと、登下校時に減った足音。ただ、ぽっかりと空いてしまった穴だけがそこにあったはずだが、いつの間にかそれすら認識できなくなった。
この森を訪れ、初めて椎子のかたちをしたものを見るまで積極的に思い出すこともなく、せいぜい命日くらいしか気に留めなくなっていた。思うところがなかったからか、あるいは忘れたかったからか。どちらの理由であったのかは、今となっては確かめがたい。とはいえ、現在の実感としてはどちらかといえば、後者だったのではないのかと、ぼんやり思う。
きっと、悲しくもあったんだろう。当時、抱いたであろう感情をどこか他人事のように再確認する。
「あなたもわかりますよね。人って何の前触れもなく、ふっと消えちゃうんです。朝に、行ってきますって元気な顔で言ってくれた人が、夜には冷たくなって帰ってくる。酷い話ですよね」
最後に見た、生きている椎子の顔を思い浮かべようとする。夜の雨空の下で明かりも当っていなくて、はっきりとはしない。ただ、なんとなく虚ろな顔をしていたような気がしている。ろくにたしかめてもないのに、なぜだかそんな感じがした。
「これで、じわじわ弱っていく姿を見ていたんだったら、辛いは辛いにしても、少しずつ覚悟を固められたかもしれないですけど、あいにく私の場合はそういうわけでもなかったので」
そう言えば、この女性の夫がいなくなった理由を聞いていなかったな、と思い出す。元々、わざわざ尋ねようというほどの興味も持ち合わせていなかったが、こと今にいたってはなんとなく女性の方が話たがっていそうだったので、失礼かもしれませんがどんな風にお亡くなりになったのか聞かせていただいてもよろしいでしょうかと問いかける。その直後に携帯が震えたが、確認は女性の答えを耳にしてからにしようと決める。
女性は少しの間、ためらうようにして桃と書かれた缶をあおっていた。もしかしたら、話したくなかったのだろうか、と不安になった矢先のこと。
「通り魔にぐさりとやられました。いまだに不届き者は捕まってません」
声音こそ冗談めかしていたが、闇夜に隠された目は笑っていない気がした。予想の斜め上からやってきたような答えに、和之がどのような言葉をかけるべきかとひとしきり考えていると、
「そんなに重く考えないでください。どうせ、人なんて長くても百年と少ししたらいなくなるんですから。たまたま、そういう巡り合わせだったというだけですよ」
女性が気楽な口ぶりで告げる。果たして本当にそう思っているのかどうかはよくわからない。ただ、この場は女性の言葉に従おうと考え、ただ一言、お悔やみ申し上げますと口にする。
「大丈夫です。今は一緒にいられますから」
果たしてその今はいつまで続くのだろうか。明日、一週間後、一月後、一年後、あるいはもっと先のこと。わかるのはかぎりがあるという一点のみ。
「少しでも長く、彼とこうしてお酒が飲めればいいな、って思います」
そう言ってから女性はまた缶を傾ける。
なんとなく不安にかられたのもあり、椎子のかたちをしたものに目を移すが、見るかぎりでは変化はないように思える。寝ている風な幼なじみのかたちをしたものは、授業中や帰りのホームルームの際に机の上で小さく寝息を立てていた姿を彷彿とさせる。そんな椎子を、時には優しく時には荒く起こして、手を引いたり、引かれたりした。今は、もうできない。そんなことに思いいたり、ぐびっとビールをかきこみ、激しくむせる。そのすぐ後、再び見た椎子のかたちをしたものの顔は、たしかに綺麗に見えた。
/
「遅い」
獣道の入り口まで引き返してくると、明石が仁王立ちで待ちかまえていた。途端に心配させてしまったことに対する後悔と、なんだかんだといって雨が止むまで森の中でぐだぐだとしてしまったことに対する罪悪感が湧いてくる。
「心配かけて、悪かった。けど、先に帰ってくれていいってメールをしたと思うんだけど」
「もうちょっと早く、あたしのメールに返信してくれたらそうしたけど、カズ君からなかなか返事がないから。何かあったのかなって思ったの」
そう告げられて、メールを受けてしばらくの間、返信すら忘れていたことに思いいたり、悪かったと頭を下げる。
「なにが悪かったと思ってるの」
「色々だけど、メールをなかなか返せなかったこととか、はぐれてしまったこととか」
以前意味も考えずに謝った時のことを振り返り、ある程度、謝罪の中身をはっきりさせた物言いをした。明石は、和之の顔をじぃっと覗きこんでから、小さく息を吐き出す。
「いいよ。あたしもよくわからないうちにはぐれちゃったし、探しに行ってもカズ君、みつけられなかったし」
この女の友人の性格を考えれば、たしかにじっとしていられるタイプではないというのはわかるが、メールには迷いそうだったら動かないようにとも書いたはずだった。
「この森に入ったの初めてだろう。それで一人で歩くのは」
「うん、そこら辺はあたしもちょっと怖かったけど、カズ君と歩いた感じだとほとんど一本道だったから迷いようがないと思ったんだよね。けど、いくら歩いてもここに戻ってきちゃって」
どこかに横道でもあるの。無邪気に尋ねてくる明石の声を耳にして、森の中であの女性が口にした足止めらしき話がどうやら嘘でなかったらしいと実感する。
さて、どう説明したものか。はぐれる前までの話では、森の木にある非現実的な部分にまでは触れられずいた。もしも正直に説明したら、冗談は止めてよ、と機嫌を悪くするかもしれない。だからと言ってこの場でごまかしたとしても、後日にまた明石がやってきて森の中ではぐれたりしたら、同じような状況に陥りかねない。結果として、後回しにした方が面倒な気がした。
「いや、少なくとも俺にとっては木までの道程はほとんど一本道だったよ」
「嘘でしょ。だったら、いくら暗くても見逃さないよ」
「もしかしたら、明石はあそこに行けないようになってるのかもしれない」
このことを口にするのに、和之は少々の勇気を要した。案の定、女の友人は目を吊り上げ、どういうことと声を低めた。できるだけ穏便に説明できないかと言葉を探す。
「さっき、言ったよな。何度もここに戻ってくるって」
「うん、言った」
「俺も詳しくはわからないんだけど、森の方が人を選別しているのかもしれない。ここは色々と変なところだから」
そんな想像を告げてから、最初にこの獣道に足を踏みいれ今日にいたるまで続く状況を、あらためて奇妙だと振り返る。正直なところ、和之自身がなにも知らない状態で森の中で起こっている出来事を耳にしたとしたら、十中八九、冗談も大概にしろと言うに違いないし、実のところ今も半分夢の中にいる心地だった。
「その変なところっていうのを、もう少し詳しく説明してくれないかな」
元々、ここはカズ君の地元じゃないのに、森の中に墓参りっていうのもおかしいって思ってたんだけど。そう付け加えた明石は、さしあたっては話を聞いてくれる気ではいるらしく、和之も一安心する。
「けっこう長くなるかもしれないけど、いいか」
「いいよ。あたしは下宿だから、そんなに時間関係ないし。なんならカズ君も泊まっていけば」
そう言えば、この女の友人は今、大学の近くに住んでいるのだと思い出す。
「そういうわけにはいかないだろ」
「けど、今からだとたぶん終電に間に合わないよ。それに友だちなんだから、お泊り会くらいするでしょ」
茶化すように言う明石の態度を、和之は少々鬱陶しく思いながらも、空気がほぐれたこと自体にはほっとした。気が向いたらなと答えつつも、話し終えたらネカフェにでも行こうと決めて、女の後ろについていく。
「そう言えば、聞いてもいいのかよくわからないんだけど」
明石はそこで言葉を止めて、こちらを窺うような上目遣いをする。珍しく歯切れの悪そうな態度に、とりあえず言ってみたら、と先を促すと、女の友人はごくりと唾を呑みこんでから、
「カズ君が墓参りをしようとした人は、なんでいなくなったの。聞いた話だと、私たちと同じ年齢みたいだし、気になって」
おずおずと尋ねてきた。なんだそんなことかと拍子抜けしつつ、先程まで見ていた幼なじみの姿かたちを頭に浮かべながら口を開く。
「どうも、自殺らしいということになってるな」
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