七
十月の休日。午後の日差しが窓越しに差しこんでくるのを見て、和之は眠気を感じ、口を大きく開く。
「みっともないよ」
隣に座っていた明石が白い目で見てくるのに、放っておいてくれ、と応じてから欠伸をした。女の友人は、こらこらこっちにも移るでしょ、と苦笑いする。
「どうせ誰も来ないんだし、寝ててもばれないだろ」
「来るかもしんないでしょ。一人か二人だったら」
そう弱々しげに付け加える明石も、他の人が来ることをあまり期待していないらしい。そりゃそうだろうな、とやや自虐気味になった和之は、目の前に積まれたコピー本の山を見る。
学祭での、講義室を借りた上で行う冊子の販売とバックナンバーの展示。和之の所属する文芸サークル的には、一年で一番の晴れの舞台であるらしい。らしいという言い方になるのは、あくまでも仲のいい先輩たちから伝え聞いたただけであり、まだ和之自身が実感しきれていないゆえだった。とはいえ、教えられたサークルの年間予定を見るに、作品発表の機会は学祭くらいしかないのがわかったため、もっとも輝く時期というよりも、ここくらいしか輝く場面が無いというのが本当のところだろうなと和之は考えている。
とはいえ、そんな年一回の活躍の場ですら、人はほとんどやってこない。現に午後になり和之と明石が店番に入ったあと、やってきたのはせいぜい三人くらいで、その三人にしたところで、一人は学祭運営委員の視察で、残り二人は差し入れがてらにたこ焼きを持ってきたサークルの先輩だった。それもある意味当然のことで、コピー本の主な販売経路は、文芸サークルが別にやっているたこ焼きとの抱き合わせによるもので、こちらはいわば保険である。
そんなわけで和之は特に気合を入れるわけでもなく、明石とともにぐだぐだと時間を潰している。先程までは適当な雑談でお茶を濁していたのだが、なんとなくそれにも飽きていたのもあり、やることもなくなっていた。
「しりとりでもしようか」
その時間に耐えかねたのか、明石が毒にも薬にもならない提案をする。和之は一瞬、やってもいいか、と思いかけたものの、あんまり面白くなさそうだったり、より虚しくなりそうだったのもあり、首を横に振る。
「いいじゃない。やろうよ」
「俺、弱いからな。たぶん、五分もしない内に負けるし」
明石の不満に対して口から出まかせで応じたあと、それが事実だったのを思い出す。いいよそれで、あたしは楽しいし、なんて笑う学友の声を、いや俺はつまんないし、と控え目に否定しながら、小学生時代にしりとりをした際、死ぬほどカモられた記憶が頭に浮かんだ。遊びの構造上、和之が自爆したと言った方が正しいのかもしれない。とにかく、しりとりをした際、和之が、ん、を口にして終わることが多かった。もしかしたら、大抵手前にいた幼なじみの少女が、同じ一音が語尾に来るようにして攻撃してきたからかもしれなかったが、ともかく勝率が悪いのには変わりない。
「じゃあ、どうするのさ」
「だから、寝ればいいだろう。どうせ誰も来ないんだし」
「来るかもしれないじゃない」
また同じようなやりとりを繰り返した和之は、明石からそっぽを向いて欠伸をした。見えない位置ですれば大目に見てくれるのではないのかという算段だったが、結局軽く頭を小突かれ、意味がなかったと知る。
「そう言えばさ」
唐突に何かを思いついたらしい明石の声を耳にした和之は、なんだよ、とややぞんざいに応じつつも、新たな暇潰しの種になるのならばと少しだけ期待しながら振り向く。
「あたし、みつけたんだ」
「みつけたって、なにを」
尋ね返した途端、明石はいたずらっ子みたいな顔をした。
「カズ君が、付き合いが悪くなる日の共通点」
耳にした途端、抱いていた期待の大部分が萎んだものの、よくよく考えてみれば知られても困る話題でもないと気が付いたあと、そんなの特にないと思うけど、と申し訳程度の否定を口にする。しかし、明石は、甘いねカズ君、と決め顔で人差し指を振ってみせてから、ネタはあがってるんだよ、と付け加えた。
「雨が降り出した時、最近だと降りそうな時かな。あたしが見てきたかぎりだと、そういう時にいなくなってる」
「なんかの偶然じゃないのか」
正解、と心の中で呟きつつも、さしあたっては認めない素振り。特に理由はなかったが、強いて言うならば、こう振る舞った方が遊び甲斐がある気がしたからだった。
「部活とか講義中とか、それとなく観察してたけど、窓の外ばかり見てた。最初は、講義が退屈なだけだと思ってたけど、カズ君が好きそうな講義でも同じようなことしてた。少なくとも、外を気にしていたのは間違いないでしょ。そうやって見てたら、明らかに雨の日だけ目の色が変わっているし、いつもいなくなる」
「よく見てるんだな」
「そりゃ、友達のことだしね。ちょっとは気にするよ」
どことなく照れ臭そうにする明石を見た和之は、少なくとも癖を見つけるまで観察するっていうのはちょっととは言わないんじゃないか、などと指摘しかけたが、そこまで突っこむのは野暮だなと思い、力を抜き笑う。
「訂正する。俺の急用はだいたい雨の日にあるよ」
実のところ和之がそう決めているだけなのだが、細かいところは説明しない。途端に明石が得意げな顔をする。
「ほら、やっぱり。あたしの目を甘く見ない方がいいよ」
「別に甘くは見てないけどな」
どちらかといえば鋭いよりという評価だったが、それを正直に言うと今度は和之の方が照れ臭くなる気がして、口にしないようにした。
「それで、何をしてるわけ。前も言ったけど、できることがあるんなら手伝うけど」
どことなく冗談めかした口ぶりでありながらも、明石の目はあまり笑っていない。前からわかってはいたが、それなりに心配されているらしかった。大学にあがってからできた友人という浅い付き合いなのに、あるいは浅い付き合いだからこそ思うところがあるのか。その辺りの正確なところはよくわからなかったものの、ともかくあまり友人の心を煩わさせるのも本意ではなかった。さて、どう言ったものかと考えたあと、
「墓参り、みたいなものかな」
厳密には違うものの、さほど間違ってもいない事柄を口にした。途端に明石の目が僅かに曇る。かえって心配させてしまったかもしれない、とやや不安に思っている和之の前で、明石は、なるほどね、とこころなしか小さな声を出した。
「言われてみれば、そんな感じだったかも。なんか、カズ君、いつも遠い目をしてたし」
どうやらそれなりには納得してくれたらしい。そう察しながらも、自ら撒いた種で場の空気が僅かに重くなってしまったことを少しだけ悔いる。
「そこまで深刻な話じゃないって。食事の前に仏壇の前でご先祖様に挨拶するみたいな、そんな感じ」
場を和まそうと和之は気にしていないことを主張するものの、当の明石は、そうなんだ、と応じながら少しだけ気まずそうな調子を引きずっていた。
これ以上同じ話題を続けるのはよろしくないと判断した和之は、今日販売している冊子の中身に対する話をしだす。他人が書いたものであるのならばいざ知らず、自分の書いたものに対してなにか言われるのは恥ずかしかったゆえ、なんとなく避けていた話題だったが、今はそんなことを言ってもいられず、明石の書いたカンフーアクションもののスピード感について力説し出す。女の友人は、たいしたものじゃないよと謙遜したあと、
「でもカズ君の、地球人と宇宙人がお袋の味対決をしたあと、学校の屋上でビールを飲み合いながら夜を明かす話のへんてこさにはかなわないよ」
などとおかしげに笑ってみせた。和之は、だから話題にしたくなかったんだ、と思いはしたものの、とりあえず乗ってくれたことにほっとする。
「しょうがないだろう。小説っぽいもの書くのほとんど初めてだったんだから」
「別にへんてこって言っただけで、悪いって言ったわけじゃないよ。むしろ、才能を感じたかも。目指せ、直木賞、みたいな」
そんな風にしてお互いの小説の細かいところにああだこうだと語り合っているうちに、和之は空気が解れていくのを感じる。気まずくなくなって良かったと安堵しながら口を動かしていると、講義室の扉ががらがらと音を立てた。
「ほら、あたしの言ったとおり、お客さん来たでしょ」
途端に得意げな顔をする女の友人に和之は、そうだな、と同意を示したあと、やってきた人物をちらりと見てから目を丸くする。
「やあ、珍しいところで会ったね」
そこに立っていたのは、森でよく話しかけてくるサラリーマン風の男性だった。気持ち良さ気な顔している男を座って見上げながら和之は、こんにちは、とどこか力の抜けた声を出す。
「いらっしゃいませ。カズ君の知り合いの方ですか」
「うん、そうだね。彼とは色々と縁が合ってね」
どことなく意味ありげに告げた男は、それよりも君可愛いね、などと明石に口にした。
「ちょっと、カズ君。可愛いだってさ」
嬉しそうにする明石を見て、和之は、そうだな、と素っ気なく応じつつも、いつぞやの森の中での女性に対しての振る舞いを思い出し、この人は女と見たら見境がないのかなどと呆れる。一方で、あの森で会った人間には今まで一度も外で顔を合わせたことがなかったためか、今の状況にどことなく現実感がない。
「どうぞ、手にとって見てください。我がサークル、自慢の一冊です」
「ほお、それはそれは」
売り子と客の役割を果たす、女の友人と知り合いの男性。二人の姿をどこか他人事のように眺めながら、和之自身は今更ながら、この日常とあの雨の森の中にある非日常は繋がっているのだな、という実感を一人深めた。
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男性は、バックナンバーを一通り流し見、冊子を一冊購入したあと、明石に、少しの間彼を借りていってもいいかい、と持ちかけた。男性のとっつきやすそうな雰囲気のせいか、明石はすぐに頷いてから、ここは一人で大丈夫だから、と和之の背中を押すようにして講義室から追い出す。
「随分といい娘だね。彼女かい」
「そういうのじゃありません」
その答えに、男性は、そうかそうか、と一人納得したように頷く。相変わらず人の話を聞かない人だ、と和之は思いながら、今日ここに来たのは偶然ですか、と尋ねかけた。
「いや、君に会いに来たんだよ」
そう自信たっぷりに告げる男性を見ながら、和之は、いつこの人に学祭のこととか、そもそも自分のどこの学生かを話しただろうかと首を捻ったが、おそらく男性との話自体右から左流していることが多いのと同じで、和之自身が割と適当なことを言っていたのだろうと結論づける。重要なのはわざわざ男性が会いにここにやって来た、という事実そのものだった。
「何かあったんですか」
言ってから、この男の人だったらなにもなくても楽しみだけで会いに来ても別に不思議ではないなと思い直す。
「ちょっと、見てもらいたいものがあってね」
しかし、男の方にはちゃんと用件があったようで、こころなしかその顔も僅かに固くなっている。これは心して聞かなくてはならないかもしれないと考えているうちに、校舎を出てすぐのところにあるベンチへと誘導され、男に続いて腰かける。
「見てもらいたいものってなんですか」
問いかけると同時に、男は手にしていた鞄から小さな青い包みを取りだす。その大きさは和之、ひいては森に通う人間には酷くなじみのあるものだった。
「実を、もいだんですか」
思わず口にした和之に答えずに、男はそそくさと包みを開いていく。その中身を見て和之は固まった。
たしかにそれは実だった。しかし、透明だったはずの表面はぶつぶつとしたシミが点在していて、実全体もどことなく萎んでいる。そして、膝を抱えていた女性はミイラのように全身の水分を失い、しわしわになっていた。
「この間、木の前で実を見ていたら、急に木から落ちてしまってね。それから三日も経たないうちにこんな調子さ」
もっと、酷いことになるかもしれない。そう付け加えながら、男は泣きそうな顔をする。和之は言葉を発せられず、実の中身を凝視していた。
「おそらく、君の実もそれほど長くは木に生っていられないかもしれない。だから、気を付けて」
そんな言葉を耳にしながら、和之は男性の手に抱えられた実から、なぜか地面に落ちて死んだ小鳥を連想する。幼い頃、それを抱き、どこか無機質な視線で見下ろす少女のこと。その小鳥だったものと中年女性のかたちをしていたミイラじみたものとが重なっていく。男性は続けざまに何か言っているようだったが、上手く耳に入ってこず、ようやく我に帰ったのは痺れを切らして呼び出しに来たとおぼしき明石の声を聞いてからだった。
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