第4話 降らない雪の夜

 管理室に戻って警備員の芝浦が監視カメラの巻き戻しと再生を繰り返したが、すべてモリゾウの動画に置き換えられていた。

「駄目です。施設全部の監視カメラがやられました」

 電話を受けて駆けつけたフレイヤの付き人はただでさえつり目なのにさらに目をつり上がらせて警備員二人に怒鳴り散らした。

「首だけになってもいいからフレイヤを取り戻して来い!」

彼に連絡した古田は呟いた。

「確か、はっきり顔は覚えてないけどフレイヤを盗ったのは少年だったような」

これ聞き逃さなかった付き人は彼の胸ぐらを掴んで問い詰めた。

「少年?どんな奴だったか詳しく教えろ」

基地外になったかのように目を光らせた。


 一方、敦は誰にも見つからないようにヘッドライトを消しながら、施設近くの山中を月光だけを頼りにバイクを走らせていた。

助手席の昇は走り続けた疲れにいびきをかいてすっかり眠っていた。

「あれ、おかしいな。いやに寒いぞ」

季節を失ったはずなのに敦のハンドルを握る手が悴んでいた。

すると月の光でちらちらと映し出される粉雪があたり一面を覆った。

(実際は近くの製氷工場の煙突から氷の粉が吹き出しているだけなのだが。)

「これはノイズですか?視覚センサーが異常を感知しました」

自由になって初めての景色に困ったようにきょろきょろと見回すフレイヤの様子に笑った。

「これは雪だ。本当に外の世界を知らないんだな。こういう俺も話は聞いただけで実際に雪を見るのは初めてだけどな」

敦に言われ、フレイヤは忙しない動きを止めてその幻想的な光景を眺めた。

「雪、記録しました・・私はこれを美しいと思います」

「美しい、か。ロボットの君がそう感じたってのは驚いたな。やっぱり心があるってのは本当だったみたいだ・・そうだ、自由になったからにはまずはバベル社の奴らにバレないように変装しなきゃな。雪子ってのはどうだ?最初に君を見たときこの雪みたいな真っ白な髪してたし」

フレイヤは嬉しそうな顔で応えた。

「雪子、美しい名前ですね・・雪子の新曲、聞いてくれるかな?」

さっきからプログラムにないことばかりが起こり、システムエラーを起こした雪子はとうとうひとりでに唄い始めた。

「絶対に君を救ってみせるからな」

敦は思いっきりアクセルを踏んだ。


 雪が止み、雪子の歌も聴こえなくなり宛もなくバイクを走らせている敦は寂しさを誤魔化すためにラジオをつけることにした。

スピーカーからは場違いに明るい流行りのポップスが流れた。

しばらくして林の少し開けた野原に辿り着いた。

「ここで休むことにしよう。家に帰るのは明日だ」

「明日、休む。何時にアラームを設定しますか?」

敦は横になりながら無機質に喋る雪子に少しの苛立ちを感じた。

「何時だっていいだろ。疲れがとれてすっきりしたらそのときだ」

「設定なしで設定しました」

彼は業を煮やしすっと起き上がり雪子の肩を掴んだ。その眼は寂しげだ。

「おやすみなさい、だ」

「・・おやすみなさい」

雪子はその場で横になり目を閉じた。

溜息をついた敦もまたリュックを枕に仰向けで寝た。


そして鳥の絵が掘られたステンレス製のペンダントの筒を月の光に透かしてみた。

筒に切り取られた呼吸を忘れるくらい深い夜に浮かぶ、目が痛くなりそうな程ひんやりとした月を見つめた。

「これ、何に使うだろうな」


 意識がぼんやりとしている時分に、消し忘れたラジオから叫びに近い鬼気迫る声が聴こえた。

陽が開ける前にいつもやっている宗教の番組だ。

その声も気にならないくらいの疲れが体中に押し寄せ、敦はそのまま綿のように眠りについた。



 ここは六華大学の一番大きな講堂。

 嘗てクリスチャン大学だった名残の、元は教会であっただろう天井一面に貼られたステンドグラスから七色の光が差し込む講堂に禿げかけた小柄な初老の教授が教壇に立ち、この広い部屋に響き渡るくらい大声で講義をしていた。


 理系学部しかない大学なのに神学を専攻する生徒自体少なく、さらに退屈を感じて途中から授業に出なくなった者もいて、広い講堂には十人弱しかいない。

彼の狂気めいた空気に講堂は緊張で張り詰めていた。


「今日は時間が余ったから諸君に私の昔話をしようと思う。とりあえず教科書は閉じてくれ」

 教授がリモコンのボタンを押すと背後の巨大スクリーンに迷彩色の軍服を着た兵士らしくない体型の男たちが戦闘機の前で立っている集合写真が映った。

「私は先の戦争で電子特攻隊の兵士であった」

 電子特攻隊とは電子戦争で敵国の情報を傍受するのが得意で敵軍からとりわけ恐れられていた日本のハッカー軍だ。

 彼らはあの戦いでいち早く仮想物質を発見し、日本を勝利に導いた英雄として名を残している。

 北浜は電子特攻隊にいたときの話を続けた。



 日本が武器不足で不利な状況になっていたある日、我々に敵国のサーバーを物理的に破壊する命令が下され、サーバーが置かれているとある国に出陣した。

 知能だけで買われた我々に当然武器など持たせてもらえず、文字通り体当たりで敵軍に立ち向かった。

やはり知能は武力の前では無力で武器を持たぬ仲間は次々と銃弾の雨に撃たれ、残るは私を含む三人となった。


 たかがネット空間の領有権ごときのために仲間も敵もみんな血を流して死んでいった。

敵の攻撃に逃げ惑っている間、殺された仲間の、昨日まで嬉しそうに見せびらかしていた婚約指輪や胸ポケットに閉まっていた生まれたばかりの子どもの写真が無残に破れ戦渦の灰に消える姿を目の当たりにして心が遠くなりそうになった。

 そしてそれが数日続き、敵の陣地から命からがら逃げ延びた三人は知らぬ国の砂漠を漂い続けた。

 地獄のような暑さと僅かばかりの食糧で生きてゆかねばならない絶望感にいっそのことあの敵国の銃弾を浴びて死んでおけばよかったと持っているナイフで自分の腹を切ろうとする者もいた。

「殺してくれ!死なせてくれ!」

何度も必死に嘆願する彼が持っているナイフを二人がかりで取り上げた。

私の同僚の男が彼に平手打ちを入れた。

その眼には脱水で枯れた涙が零れた。

「生きろ!生きて母国に帰るぞ。・・我々は同志だ。同志が生きている間は金輪際死ぬなどと口にするな」


 それからまた三人で母国に帰る道を探した。

水も食料もとっくに底をつき、餓死をも脳裏に浮かんだそのとき東の空から雷を帯びながら優雅に羽ばたく巨大な鳥がやってきた。

 その姿はこの世のものと思えぬくらい眩く、よく目を凝らしてみると羽根の一つ一つに電気を携え、七色の鋭い嘴には獣とは思えない気高さが。そして四つの鷲のような翼を持っていた。

「おい、あの鳥・・我々の方を見なかったか?」

 仲間の一人がそう言ったので私もまたこの怪鳥をよく見た。

それに応えるように鳥は我々の上で旋回し、また西の方角へ飛んで行った。

「何か訴えているようだな。よし、追いかけよう」

 仲間の言う通り、それを追いかけたがすぐに見失ってしまい、その代り地上には砂漠から滾々と湧く湖が広がっていた。

地質学者から水の一滴すら存在しないと言われていたこの砂漠に一面に広がるこの光景に目を疑った。

「ついにあの世に来てしまったのか」

 私は恐る恐る湖に手を浸すと驚くほどひんやりとしていて、何やら蛍のような光の粉が手に纏わりついた。

 続けて水を掬い匂いを嗅いだが何も匂いがしない。湶が浮き出るくらい飢えていたため、毒であっても構うものかと一口飲んでみると、極楽で口にできるという甘露のようだった。

「これは、サンダーバードが哀れな私達に置いて行った恵みかもしれない」

残りの二人も続いて湖を枯らす勢いで水を飲んだ。

すると仲間の一人が言った。

「これを母国に持ち帰って研究しようじゃないか」

もう一人も賛成したが、私はこんな神聖なものを易々と持ち帰るべきではないと反対した。

だが、彼等は私の言葉に耳を貸さず水筒いっぱいにその水を入れて日本に持ち帰った。

その水がまさしく今や世界中で使われている仮想物質なのだ。


 日本の研究者の手で仮想物質はプログラムすればどんな物にでもなることがわかり、早速武器に使われ我が国は一気に形勢逆転を果たした。

そんなある日、私の夢の中であのサンダーバードが現れた。

彼は怒りと憐みで混沌とした目で私の前に立った。

「こんなつもりで私の血を君に与えたわけじゃない!いずれこの国はこの強欲ゆえの因果に苦しむだろう」

私は彼に何も言い返せないまま目が覚めると戦争は終わっていた。



 教授は頭の血管が切れてしまいそうな程神経を張りつかせた。額には滝のような汗が流れていた。

「あれは間違いなくサンダーバードの警告だった」

ふらふらと教壇の周りを歩き、また話し続けた。

「それから私は仮想物質に携わる研究に誘われていたがすべて断り、人のあるべき心を探しに神学の道へ進んだ。結局、日本は仮想物質を独り占めして勝戦国になり豊かな暮らしを手に入れたが、それがどういうことなのか。多くの犠牲を生み出した以上、いずれこの平和も崩れるだろう。それを食い止めるには研究者・・そう、君たちの良心にかかっている!」

 すべて言い終わった教授は千鳥足で教壇に戻り、授業の終りに必ず口にする台詞を放った。

「愛満ちる世界に幸あれ」


 ここは講義が終わった後の北浜教授の部屋。

重厚なマボガニーの匂いがする部屋で学生時代の美雪は決まり悪そうにしていた。

「やはり、ここを辞めるのだな」

教授が彼女の前を行ったり来たりしてぎょろりとした目がこっちを向いたのでおどおどしていたが、心を決めて頷いた。

「はい。私は人類の夢を叶えたいのです。ここで優秀な学生として終えるよりこのチャンスを掴みたいのです」

教授は咳払いした。美雪はどきっとした。

「君のような優秀な生徒を手放すのは大学側は惜しむだろう。私も正直を言えば反対だ」

そして窓から見える、息を忘れるほど広い空を眺めた。

「だが、人生は総て巡り合わせの連続で、同じ好機は二度と来ぬ。これが好機と信じるなら迷わずその道を進むがいい。その言葉を貰いに態々変わり者の私のところに来たのだろう?」

教授はしわくちゃの笑顔で振り向き、美雪は深々とお辞儀をした。

「ありがとうございます、教授」

「君のような志ある学生と語らうことがなくなってしまうのは実に惜しいが、これからの健闘を祈るぞ、小柳君」

「はい、教授の仰った言葉は生涯忘れません」

固い握手をすると、教授はふと思い出したように机の引き出しの鍵を開け何かを取り出した。

「あと、ひとつ。君に渡したいものがある」

それは掌に包みこめるくらいの金属の筒で、鳥の刻印がなされていた。

「これはなんですか?」

「私の半生を共にしてきたお守りだ。実はサンダーバードの夢の話には続きがあってな、」


 あの夢の中でサンダーバードの前で北浜は必死に縋り付いた。

「どうすればよいのだ。私たちが大きな過ちを犯していることは私も重々感じている。だが、どうすればこの因果を絶つことができるのだ」

サンダーバードはオパールのような大きな眼から涙を流した。

「どうやら貴方はあの人間どもとは少しばかり違うようですね。では貴方の心を汲んで教えます。この因果は絶つことはできません。だが、荒れ果てた世界に救いの風は吹くでしょう。だからこの涙を採ってやがて現れる心のある人間に託しなさい」

彼は複雑なプリズムを放つその涙を掌で掬った。

「人類に未来を」

北浜が顔をあげるとサンダーバードは忽然と姿を消した。

「・・消えてしまった」

しばらく呆然として彼は水銀のような不安定な液状のそれをステンレスの小さな筒に流し入れた。


「だからこの筒を誰の目にも触れさせずに大事にとっておいた。そして今、君に託すときがきた。受け取ってくれ」

話を聞き美雪は戸惑った。

「私にこんな重大な役割を・・果たせるでしょうか」

「おや?君とここで語い、私はこれを託すに相応しいと思っているのだが。もしや私のことを信じていないのかね」

心を決めた美雪はきらりと光る金属の筒を受け取り、愛惜しげに手に包み込み、目を輝かせた。

「・・後生大事にします」

「人類に未来を」

ネックレスはまたきらりと光った。

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