第3話 フレイヤの救済

次の日、敦は友人の寺角 昇と一緒に夏休みの自由研究のためホタルモドキを探しに近所の川の土手に来ていた。

 朝から探し続けてへとへとになった昇はその場で座り込んだ。

「もう疲れちゃったよ。先に休憩するよ」

「ああ、俺も休みだ」

 ぐったりしている敦の隣で昇は腕時計型端末で今朝の新聞記事を開けてみせた。

「またテクノ小僧が捕まったって。ほら、うちのクラスの奥田 昌彦だよ」

敦は首を傾げた。

「奥田?そんなやついたっけ」

「知らないの?僕たちの中学校じゃ有名人だよ。怪しい情報には詳しいのに身の回りのことに関しては本当に疎いんだから」

「昨日その場に居合わせたけど、まさかあいつが同じクラスの生徒だったとは。小学生かと思った」

「まぁ無理もないよね。だって今年になって一回も学校に来てないもん。そういえば僕は一年のときも同じクラスだったけど滅多に顔出さなかったな」

「あいつ、授業受けてないけど勉強、大丈夫なのか?」

「天才ハッカーだしそこは僕たちより大丈夫じゃない?それにしても何回も捕まってなんで懲りないのかな。まったく気持ちがわからないや」

昇は溜息をついて芝生に寝転がった。

「まぁ未成年だし、パソコン没収だけで済むだろうから余裕だろうな。期間が過ぎればまたやるだろうし」

敦も一緒に寝転がった。

「腕は確かなんだから、奥田君もこんなつまらない悪戯やめてちゃんとしたプログラマーになればいいのにね」

二人は一緒に青空を眺め溜息をついた。


 昇の腕時計から汽笛の音がした。

「そういえば、まだ電車の画像を集めてるのか?」

 実は自家用車がすべての世帯にゆき渡った今、鉄道がお役御免となり彼らが生まれる十年前に日本全国の鉄道が姿を消したのだ。

「うん。・・あぁ、せめてスス一〇八号に乗りたかったな」

昇は日本最後の車両であるスス一〇八号の映像を羨ましそうに眺めた。

「俺はお前の気持ちがわからないな。電車がなくたって困ってないだろう」

「鉄道は、心の余裕だよ」

そう言って鉄道の薀蓄を延々と語り続けた。全くもって関心がない敦は欠伸が出るのを我慢した。

「そうだ、今日敦君の家に泊まりに行ってもいい?探してほしい電車の設計図があるんだ」

敦はそう言う彼の様子をじろじろ見てにやりと笑った。

「そう言って、渚叔母さんに会いたいんだろ」

昇は赤面してぶつぶつ呟いた。

「やっぱりな。内緒にしてやるから」

敦は俯いたままの彼の丸っこい背中を叩いた。


 二人が家に入ると渚は居間でテレビを観ながら寝そべっていた。

 彼等に気づいた彼女は後ろを振り返りにっこり笑った。

「あら、昇君。いらっしゃい」

 昇がすぐに顔が赤くなりもじもじした。

隣で彼の様子に笑いを堪えながら敦は言った。

「今晩家に泊まりたいんだって。いいだろ?」

「いいけど、昇君はお母さんにそのことをちゃんと伝えているの?」

急に話を振られさらに固まった。

「は・・はい。母から許可は得ています」

そう言う彼のお腹が豪快に鳴った。

「そうか。まずは晩ご飯だね」

渚に笑われ昇ははにかんで手で顔を隠した。


 渚は部屋から着慣れぬエプロンを押し入れから引っ張り出し、晩飯の支度をした。

その間、二人は敦の部屋でトランプ遊びをした。

「いいなあ、おばさんの手作りを毎日食べられるなんて」

「馬鹿を言うなよ、叔母さんの手作りなんて食べられたもんじゃないぞ」

そう言っている側から家中に何かが焦げた臭いが充満した。

「ほら、さっそく焦がした。まずいなら残してもいいぞ。体に悪いから」

昇は冷や汗をかいて頷いた。

渚の呼ぶ声がしたので二人は台所に向かうことにした。


「今日はあたしの自慢の手作りハンバーグだぞ」

 テーブルに置かれた皿の上に真っ黒に焦げたハンバーグに明らかに色がおかしいソースがかかっていた。

 敦はハンバーグをフォークで弄りながら口をとがらせた。

「うわぁ、カスカスだ。いつもの仮想カレーでいいじゃないか。渚叔母さんの手作りっていつもなにかと焦げてるんだよな」

渚はむっとして行儀の悪い敦の手を叩いた。

「せっかく昇君が来てるのに仮想食品出すわけにいかないじゃん。さ、昇君も食べなよ」

見るだけでおいしそうには見えないが、憧れの人の手作りにどきどきしながらナイフで切った。

一口食べた途端、目を輝かせた。

「おいしい!これ、おいしいですよ」

「でしょ?遠慮せずにどんどん食べな。作った甲斐があったわ」

炭の味しかしないハンバーグを口にしながら敦は二人の異様なやり取りに気が引けた。

「嘘だろ?」

目を輝かせて完食した昇を見て、敦は冷や汗をかいた。

「恋って盲目だけじゃ済まないのだな」


 食事が済み、お風呂に入って普段は使わない床の間に布団を二つ並べた。

「それじゃ、おやすみ」

渚は上機嫌で襖を閉めた。

 寝付けない二人は天井を見上げながら小声で話した。

「ねぇ、敦君のお母さんってどんな人だったの?」

「俺にもさっぱりわかんない。でも、賢くて正義感がある人だったって渚叔母さんがいつも言ってる」

「ふぅん、お母さんの記録、見つかるといいね」

「まぁな」

敦は寂しそうに笑った。

「あと近頃、毎晩のように夢の中で見知らぬ女の子に助けを求められる夢を見るんだ。変な寝言言ってたらたらごめんな」

「それは気になるなぁ。その子ってどんな子なの?」

「御河童で、俺たちと同じくらいの年の子。いつも俺の母さんそっくりの顔になって驚いて起きるんだ。そしてついにこの間、その女の子を現実で見たんだ」

「へぇっすごい」

「できればもう一度会いたいけどな・・」

ふと横を向くと昇は寝息をたてて寝ていた。

「あきれた、俺も寝るか」



 敦は月光がぼんやりと揺らぐ湖の中にいた。

息ができる静かな水の中でゆく当てもなく泳ぎながら進み続けた。

すると例の少女が地底から生えている有刺鉄線に絡まっていた。

裸の少女は月明かりに輝く髪を水中に靡かせ涙を流していた。

「なぜいつも夢の中に現れるんだ・・もし現実にいるのなら君を救いたい。君の名前を教えてくれ」

彼の問いかけに少女は大きな目を開けた。月明かりに瞬くガラス細工のような目だった。

「あたしは、フレイヤ。自由になりたい・・」


「フレイヤ!君はあのフレイヤなのか」


 飛び起きた敦は思わず大声になった。

「やっぱり、行かなきゃ」

彼の声に目覚めた昇は枕元に置いていた眼鏡をかけた。

「どうしたの?急に」

敦は昇の肩を掴み、真剣な眼差しで応えた。

「一体何が起こっているのか知らないけど、今からフレイヤを助けに行く」

「待ってよ、フレイヤってバベル社の?そんなのいけないと思うよ。第一、夢の話だろ?」

「俺も最初はそう思ってた。だけどとうとう彼女は名前を教えてくれた。あの女の子はフレイヤだったんだ。彼女は自由になりたがっているんだよ!」


 敦はすぐさま家を飛び出し、渚のバイクをガレージから出して目的地をバベル社に指定した。

 玄関先でおどおどしている昇に呼びかけた。

「じゃあ昇は家で寝てな。俺は行くぞ」

「わかったよ、いつも君は危なっかしいんだから」

小太りの昇は渋々バイクの助手席にすっぽり嵌るように乗った。

「そうこうなくっちゃな」

とうとう謎の少女の正体が判って興奮してきた敦はハンドルを握って全速力でバイクを走らせた。


 バイクはナトリウム灯の流星群が流れる高速道路のチューブの中でロケットのように煙を撒きながら走った。

 助手席の昇は腕時計型端末でバベル社のサイトを見ていた。

「バベル社って先代から人の精神を持つメンテロイドの研究をしているんだって」

風よけゴーグルを掛けた敦は応えた。

「メンテロイド?興味ないな」

「今回、人工生体脳を搭載したメンテロイドの開発に成功した。それがフレイヤだって書いてある。まだ研究段階のためこれからどんな成長をするか未知数である・・人間の脳を持つロボットか、神秘の技術だなぁ」


 研究所の前でバイクを止めて二人は施設の入口まで歩いた。

言うまでもなく入口には防犯のためのカードキーを通すタイプのドアロックがかかっていた。

「しまったカードキーなんて持ってないよ」

敦は黒いカードを取り出した。

「こんなときのために作ったゴールデンカード。これを通せばどこの建物も余裕で入れるぜ」

「ゴールデンじゃないのにね」

昇はくすっと笑った。

カードを通すとあっさり開錠し二人は先を進むことにした。


 フレイヤの開発が成功したことにより大量の資金が集まった研究所は十一年前とすっかり様子が変わり、最先端の実験道具や設備が並んでいた。

 懐中電灯の光を頼りに二人は進んでいった。

「やっぱり夜の見慣れない建物ってお化けが出そうで怖いね」

「じゃあ、外で待ってな。俺はひとりでフレイヤを探してみせるから」

そう言う敦もガタガタ震えていた。

「そうはいかないみたいだね。一緒に行こう」

しばらく黙って進むと昇がぽつりと呟いた。

「フレイヤが置いてあるところって知っているのかい?」

「いや。というか初めてここに来た」

「えっそんな」

 とりあえずこの施設の最上階である三階の廊下に着いた。

 ひんやりとした空気が漂うどこまでも続く廊下でとぼとぼ歩くと敦は急に立ち止まった。

「敦君、どうしたの?」

「・・聴こえる」

昇は耳を澄ました。

「何も聞こえないよ」

「しっ・・あっちからだ」

敦は声が聴こえるほうへ一目散に走った。

「真っ暗なのに走ったら危ないよ!」


 そこは複雑な機材が所狭しと置かれた研究室だった。

「さっそく当たりじゃないのか?」

目当てのものは淡黄色の保存液に満たされている硬化ガラスのカプセルの中で全裸になって眠っていた。

「これが、フレイヤか」

 懐中電灯に照らされた透き通る肌に決してふくよかではないが女性とわかるくらいに程よく膨らんだ胸、薄らと浮き出ている肋骨、長い睫、保存液にぬらぬらとうねる長い亜麻色の髪。

 今まで異性に深く興味を持たなかった敦だったが、おそらく生まれて初めてであろう不思議な気分になり思わず息を呑んだ。

「敦君、どうしたの?」

ガラスを撫でてしばらく見とれていた敦は我に返り、咳払いをして昇と一緒にこのカプセルを動かすパソコンの電源を探した。

暫く手探りで探していると懐中電灯に小さな電源ボタンが映った。

さっそく敦は電源を入れ、パソコンの起動画面が表示されたがパスワードを要求する画面が出てきた。

「やはりそうきたか、こんなの知るわけないだろ!」

まだ何かを探していた昇は、思わず大声になった彼の口を塞ぎ宥めた。

「そう焦るなよ、ハッキングしてパスワードを割り出すことってできないの?」

敦は必死になって冷静になろうとしたが抑えきれぬ焦燥感に呼吸を荒げ頭を抱えた。

「この手のパソコンは下手に動かせば何が起こるかわからない。くそっどうすれば」

助けを待っている人を前に何もできない自分に苛立ち、キーボードを殴った。

 そして大きく深呼吸をしてゆっくり昇の方を向いた。

「あまりやりたくないが、一か八かだ。いいか、昇」

最初は戸惑ったが心を決め、ゆっくり頷いた。

「御用になっても裏切りっこなしだよ」

そう言ってカプセルの裏にある緊急起動ボタンをべたんと力強く押した。


 けたたましいサイレンの音と共に、カプセル内の保存液が引き、フレイヤは目を開けた。

 敦は額に汗をかきながら、起動するフレイヤに声をかけた。

「俺だよ、敦だよ。君を迎えに来た。一緒にここを出よう」

彼の期待とは裏腹に彼女は少しの間ぼんやりしたあとプログラム通りの微笑みを返した。

「あなたたち、社員データにはないわ。新入りかしら。私はフレイヤ。よろしくね」

「俺たちは急いでいるんだ。早くここを出よう」

敦は無理矢理フレイヤの手を引き、一同は研究所の裏口を探した。


 運動神経が決してよくない昇は非常階段を飛ぶように降りる敦たちに追いつけず、ずっと後ろでばてていた。

「待ってよ、早いよ」

「ここで待ってるから転げ落ちるなよ」

 階段を降り切った敦はふらふらと降りてくる昇に向かって叫び、彼が降りてくるまで待つことにした。

 敦は着ていた丈の長いコートを脱いだ。

「お嬢さん、その前に」

「なんです?」

「お願いだからこのコートを着てくれ。見てられない」

敦は目を逸らしながら、裸のフレイヤにコートを着せた。

「はい、承知しました」

彼の気も知らず、恥ずかしげもなく彼の前でコートに袖を通すフレイヤにどこか寂しさを覚えた。


「みんな、お待たせ」

ふらふらと二人に追いついた昇は息を弾ませ倒れそうになっていた。

「裏口はもうすぐだ。走るぞ」

やっと呼吸が整ったばかりの彼はまた走りだした敦に驚いた。

「えぇ、ひどいなぁ」

三人は重い金属のドアを開け、さらに暗く油臭い部屋に入った。

「なんでこんなところで、畜生!」

懐中電灯が電池切れになりとうとう暗闇の中で立ち往生した。

未だ鳴るサイレンが彼をより一層焦燥に貶めた。

何度も懐中電灯のスイッチを押した。

彼のいつもの癇癪を感じた昇は肩を叩いた。

「懐中電灯は諦めなよ。ここは擦り足で進もう」

三人は黙って摺り足で進み、先にいた敦は床に落ちていた何か大きなものにつまずきそうになった。

「なんだよ、危ないな。こんなところに物なんか置いて」

癪に障った敦は床の得体の知れないものを思いっきり蹴った。

「この子はプロトタイプ。ここは廃材置き場よ」

「廃材置き場?ということはこの部屋に廃材を捨てる出口があるってことだ。急ぐぞ」

三人が通り過ぎたあと、軽い起動音と共に青白い光が暗闇の部屋でひとつ浮かんだ。

「助ケニ行カナキャ」

何度も躓きそうになりながらもしばらく進むと薄い光が見えた。

「あった、出口だ」

敦はすぐ光に向かって走り、ドアを開けた。

彼の読み通り、そこは研究所の裏口だった。


 安堵した昇はへなへなと座り込んだ。

「安心するのはまだ早い。本当の賭けはこれからだ」

敦は頭上に設置されている監視カメラのカバーをこじ開けた。

「ちょっと細工するぜ。昇はフレイヤと一緒にバイクを用意してくれ」

「わかった、早くするんだよ」

 二人は急いで門の前に止めてあったバイクにエンジンをかけた。

 ポケットに入れておいたショートフロッピーを差し込んだ敦はすぐさま運転席に飛び乗った。

「とりあえず人気のないところに行こう」

 敦は目的地を適当な山奥に指定し、アクセルを思いっきり踏んだ。


「みなさん御機嫌よう、モリゾウです」

 しばらくすると監視カメラにショートフロッピーの内容が読み込まれ、監視モニターの画面一面に太った中年が嬉しそうに林檎サイダーを飲む動画が一斉に流れた。

 眠りかけていたモニター係の警備員はモリゾウの声で目が覚め、急いで電話をかけ、くやしそうに画面を叩いた。

「畜生、やられた。フレイヤが何者かに盗まれました。早く来てください。芝浦、何をやっている早く捕まえろ」

 芝浦が外に飛び出したが既に遅く、敦達がフレイヤをバイクの後ろに載せて突風のように走り去った後だった。

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