第5話 母の形見
次の日、敦は昇を家まで送り、家に着いた。隣の県までの長旅だったのですっかり夕方になっていた。
勝手に外に出て怒り心頭になっている渚は敦が玄関に入るとすぐ飛んできた。
「遅かったじゃない!どこ行ってたのよ」
「渚叔母さん、どこから説明すればいいかわからないが、匿ってほしい人がいるんだ」
渚は敦の影でもじもじしている雪子を一目見るなり腰を抜かした。
「この子、フレイヤじゃん。何でいるのよ」
「雪子ってことにしてくれ。この子の身が危ないんだ」
敦は今までのことを説明し、渚はとりあえず受け入れることにした。
「わかったわよ。さ、ここにいるのもなんだから奥の部屋においで。雪子ちゃん」
相変わらず無機質な笑顔で応えた。
「ついていきます、渚おばさま」
渚は初対面なのにおばさん呼ばわりされ機嫌を損ねた。
「失礼ね。バベル社の奴らってこの子にどんな教育したのかしら」
その様子を見ていた敦は宥めた。
「まだロボットの部分が残っていてうまく喋れないんだ。大目に見てよ」
「仕方ないわね」
渚は押し入れの奥から服を引っ張り出し、雪子に一番似合う水色の地に白い水玉柄のワンピースを着せた。
そして長い髪を御河童に切り、軽く化粧を施した。
「あら、赤ちゃんみたいな柔らかい肌をしているのね。化粧するのがもったいないわ」
全くの別人になった雪子は着慣れない飾り気のないワンピースの裾を抓んできょとんとしていた。
それを見て渚は腕を組み満足げに頷いた。
「去年のバーゲンで買ってそのままになってたけど着てくれる人がいてよかったわ。似合ってる」
雪子は彼女に向かってもごもご口を動かした。
「何か言いたいみたいね。さしずめ、ありがとうかしら」
すると背景でつけたままになっていたテレビからフレイヤ盗難の速報が流れた。
それを見た渚は大事になっていることに気づき、隣の部屋で夕食を食べている敦に言った。
「やっぱりまずいじゃないの?返してきなさいよ」
雪子は敦の服の裾を掴み、何か言いたげに見つめた。
「いや、返すわけにいかない。バベル社に今から行ったら夜になっちゃう。だから明日まで待ってくれ」
「と言って返したくないんだ。ま、今日だけならいいか」
とりあえず一晩雪子を家に置くことにした。
その夜の夢の中で雪子はスズランの花が咲く野原でくるくると舞い遠くの丘にいる敦を見つけて嬉しそうに駆け寄った。
「敦、盗み出してくれてありがとう。これで自由になれるわ」
彼女は敦の手を取り花弁をまきながらくるくる回った。
敦は目の前で微笑んでいる雪子に問いかけた。
「自由?俺は君の心からの笑顔が見たいのに、現実の君はまるで人間の形をしたロボットだ。どうすればいい?どうすれば君は君になってくれるのだ」
雪子は遠くを見つめ、応えた。
「もうすぐ来るわ。お願いだから彼の言うことをきいて」
「彼って?」
薄ら目を覚ますと、微かに戸を叩く音がした。
「こんな夜中に誰だよ」
敦は眠気眼に玄関の戸を開けると、暗闇の中から六つの光がぼんやりと浮かんだ。
それは重低音の出来の悪い機械の声で喋った。
「ボクはプロト。フレイヤちゃんを守りにきたよ」
彼は見たことのない化け物に酷く驚き尻餅をついて後ずさりした。
「ば・・化け物!」
玄関の照明を点けてみると腐った半魚人のような醜い姿の人型ロボットが六つの眼で敦をまじまじと見つめ、まるで彼を昔から知っていたかのようにどこか懐かしげにしていた。
「この首にあるのはママのネックレスじゃないか。やっぱりキミは敦君だね。大きくなったねぇ」
不気味なロボットに気に入られて不快感を禁じ得ない彼は眉間に皺を寄せた。
「なんで俺の名前を知っているんだ」
「だって昔ずっと一緒に遊んでくれたじゃないか。それにボクはキミのママが造ったんだよ」
敦は虫唾が走る思いがして激しく首を振った。
「嘘だ、俺の母さんがこんな化け物を造るなんて・・信じるもんか!遊ぶ?どう見てもおもちゃなんてかわいいガラじゃないだろ」
「・・何も覚えてないんだね」
プロトは酷く動揺する彼を寂しそうに見た。
「このネックレスのボタンを押すと光線が出るからフレイヤの目にあててごらん。今、彼女は自分の意思に制限をかけられているのだろう?」
「何が何だかさっぱりわからないが、雪子が不自由をしているのは確かだ」
敦は半信半疑で言われたとおりペンダントの出っ張りを押すと、青白い光が照射された。
「これは一体なんだ」
「サンダーバードの涙。ボクもわからないけど、願い事がなんでも叶う魔法の光ってママがよく言ってた」
すると敦の背後から無表情の雪子がひょっこりと現れた。
「どうしたのですか?」
「ちょっと目を貸してくれ」
敦は間伐を入れずにさっそく雪子の眼球に光線を当てた。
「やめてください。視覚センサーが故障します」
「黙ってくれ、君を自由にしたいんだ」
しばらく当ててみたが、相変わらず表情ひとつ変えずに突っ立っていた。
「なにも起こらないじゃないか!」
激怒した敦は近くに立てかけてあった箒を持って構えた。
「やっぱりあの会社のスパイだったか。俺の母さんのことをダシにしたことは腹が立つが悪いことはしない、早く帰れ!」
プロトは焦って背中からフロッピーを取り出し、敦に差し出した。
「ちょっと待って、この中にママのデータがある。これが何よりの証拠だよ」
敦は部屋のパソコンにフロッピーを差し、ファイルを開けた。
「随分な骨董品だな。俺の小さい頃に流行った拡張子だ」
そして重たいながらもデータが読み込まれ、一本の動画が再生された。
不安定な音声の中からやっと男の声が聴こえた。
暫くして画質は粗いがスーツを着た男が会議室で話している映像も流れた。
新沼が資料片手に何か説明しているようだ。
「従って今までの計画を打ち切り、現在開発中のメンテロイドを廃棄する方向に持っていくことにする」
再び砂嵐が入り女らしい影が立ち上がった。女は声を荒げ、憤っていた。
「ちょっと、あまりじゃないの。今は証明できていないけど、この子は人の心を持っているのよ。計画の打ち切りは飲んでもこの子を廃棄するなんておかしいわ」
「君の気持ちはわかる。だが政府からの依頼でお金を出してもらっている計画に専念したいんだ・・すまない」
すると別の男がひょうひょうとした物言いで話し始めた。
「検体をひとつ維持するにもお金が必要なんだよ。こんな鉄屑に予算を当てられないんだ」
「なんですって!」
徐々にまた画質が荒くなり一旦動画が途切れた。
再び再生されたのは女の部屋らしき光景だった。
女は苛立ちを抑えるため、冷蔵庫のミネラルウォーターを口にして溜息をついた。
「・・ママ、いたいよ」
プロトの声を聴いた彼女は驚いた表情で振り向いた。
「あなたもしかしてあの場にいたの?」
真横から現れた機械の腕には緑色の機械油が流れていた。どうやらプロトタイプが自分で傷つけたようだ。
泣き叫ぶような苦痛な彼の声が聴こえた。
「痛くて、哀しくて、苦しくてぐちゃぐちゃだよ。ボクはいらないの?いらないなら自分で壊すよ」
彼女は驚きを隠せなかった。
「こころ、やっぱりあったじゃないの。このぐちゃぐちゃが心。今あなたは心が傷ついているの」
大粒の涙をこぼし、プロトタイプに抱き着いた。白衣は機械油で緑色に染まった。
「・・前社長の夢は叶ったのね。そうよ、機械から心は生み出すことができるの」
機械の腕を抑え、そのまま心臓の部分に頭を埋めた。
「わかった。明日辞表を出すから一緒に研究所を離れよう。あいつの知らないところに君を逃がしてあげる。もうこれ以上あいつの思い通りにはさせないから」
画像が荒くてよく見えなかったが、彼女のお腹が大きく膨らんでいた。
そこで動画が途切れた。
「これ、俺が生まれる前の、だよな」
母の肉声を初めて耳にして震えが止まらなかった。
「君のママはボクに心をくれた。これはママが大切にしていたお守りなんだ。ずっと行方不明になってたけどキミが持っていたんだね」
「なんで母さんたちはロボットに心を与える研究をしているんだ?」
「それはね、」
プロトが言いかけると敦の隣で雪子が涙を流した。
「この研究所で私は生まれた・・でも何故だか辛いの。まるでここで起こった都合の悪い事だけ誰かが消し去ったみたい」
「君の記憶を調べてあげようか?」
雪子に手を伸ばすと酷く怯えた表情で振り払い、大声で叫んだ。
「やめて!」
我に返った雪子は敦の手を撫でた。
「ごめんなさい・・そんなことしたらあなた、あたしのこと嫌いになっちゃう気がして」
「いいんだ。こっちこそ君の気も知らないで・・悪かった。君って本当は繊細なんだね」
すると雪子が急に頭を抱え怯えだした。
「思い出した!ぞっとするほど残酷な仕打ち・・ああ、帰りたくない。敦、わたしを匿ってあの研究所に帰さないで」
雪子は必死に敦の胸にすがりついた。
「夢の中で助けを求めていたのはやっぱり君だったね。心配しなくていい、どんなことがあってもバベル社に帰したりはしないよ」
敦は涙を流す彼女を抱きしめた。嘗て自分の母親が誰からも愛されずに廃棄処分をいう仕打ちを受けたアンドロイドを抱きしめるように。
そしてプロトの方を向いた。
「プロト、疑ってすまなかった。雪子を助けに来たのだっけな。まだ俺は君を思い出せないけど、君も一緒にいていいよ」
「え?いいの?うれしいな」
やっと敦に受け入れてくれたプロトは嬉しさのあまり飛び跳ねた。
プロトは敦の部屋の絨毯の上で大きないびきをかいて寝た。
その隣で狭いベッドの上で二人は横になった。
「なぁ、雪子は歌も唄えるんだろ?聴かせてくれよ」
「いいよ。じゃあ私が唯一知ってる子守歌を唄ってあげる」
雪子は静かに子守歌を唄った。それははるか遠い昔に聴いたことのあるような、すべてを包み込む柔らかい声だった。
敦は目を閉ざし夢現で涙が零れた。
所変わってここは留置所の面会室。
警官に捕まり留置所に入れられた昌彦は昨日の裁判であまりに非情な判決を下され、彼の子供特有の豊頬は失せ、一晩にして蒼白にやつれ果てていた。
「なんで死刑なの?本当に音声コードしかいじってないよ。なのに、」
必死に訴える昌彦の透明板を隔てて腕を組みパイプ椅子にふんぞり返る弁護士がいた。
「今回は国家機密に触れちゃったからね。君がハッキングしたデータにそれが入ってたのよ。まぁ、国家機密を弄ったことになるからどっちみち助からないけど」
「なんでだよ!今度こそネット絶ちするからさ、おいらがこのコード弄ってないことを証明してよ」
弁護士は焦燥し泣き叫ぶ昌彦を眺め、恵比須顔で顔を寄せた。
「こんな立派な腕を捨てちゃ勿体無い。助かる道ならひとつある。小生の話、聴いてくれる?」
真っ赤になった鼻をすすり弁護士に耳を貸した。
「なんだい?」
怪しげな笑みを浮かべ弁護士はひそひそ話し始めた。
その次の日、昌彦宛に差出人不明の保釈金が入り、間もなく釈放された。
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