渡瀬龍三 最初の懲役

雑賀偉太郎

昭和二十年

 時は昭和二十年。終戦を迎えた日本は混乱の最中にあった。焼野原にはバラックが立ち並び、闇市にはわずかな物資を求める人びとがひしめきあい騒然としていた。


 渡瀬龍三は満州で終戦を迎え、復員兵として故郷の地に帰ってきた。日本中が何もかも失った敗戦の中で、渡瀬もまた取るものも取り敢えず、身一つで命からがら逃げ帰ってきたのだった。残ったのは若くて健康な体だけだが、この世相にそれ一つでも保っていられたのは、まだ恵まれたほうだった。

 無事に帰ってこられたとはいえ、両親もすでに亡く、頼る親戚もいない渡瀬は、闇市の屋台で手持ちの最後の銭を払ってありついた麦飯をかき込みながら、さてこれからどうしたものかと思案していた。

 考えようによっては気楽なものだ。養わなくてはいけない家族もいないのだから、おのれ一人食っていければまずはそれでいい。

 どこかで日雇い仕事にでもありつけば、その日に食う分くらいはなんとかなるだろう。人並みより良い体格をしていたから、力仕事にも自信があった。渡瀬は持ち前の豪胆さもあって、さして悲観にくれるでもなく今の境遇をそう捉えていた。

 そうしていると、何やら向こうのほうが騒がしくなってきた。何事かあったのかと群衆の話に聞き耳を立ててみると「やくざモンが」とか「ポン刀振り回しとるらしいで」などと聞こえてきた。どうやらどこかのやくざ者が暴れているらしい。

 やがて人込みをかき分けて、物々しい雰囲気の若い男たちが数名ばかり、騒動のほうへ向けて歩いてくるのが見えた。

 その中の一人に気付いた渡瀬は、思わず声をかけた。古い友人の篠原庄吉の姿をその中に見つけたのだ。

「庄吉。庄吉やないか。生きとったんか」

 声を掛けられた篠原は、ややあってから、ハッと気づいて

「龍ちゃんか! おお、お前のほうこそ、よお無事で帰ってこおたなあ!」

 と、相好を崩した。

「なんや庄吉。ワレの知り合いかえ」

 サングラスをかけた男が話に入ってきた。

「へえ、兄貴。こいつはワシのガキの時分からのダチですわ。兵隊にとられてからどないしとったもんかと心配しとったんです」

「そうけ。そらよかったな。せやけど兄さん、すまんな。今立て込んどるとこでな」

 何やら用件の真っ最中に引き留めてしまったらしい。

「いったい何があったんです? えらい向こうのほうが騒がしゅうなっとりますが」

「どうもこうもあらへん。流れのチンピラが飯屋で暴れとるちゅうんじゃ。ここらはワシら川口組のシマやさけ、こうして出張って来とるんよ」

 どうやら彼らは、このあたりを取り仕切る一家の手勢らしい。

「そらえらいことですな。なんや聞いた話、相手はポン刀持っとるらしいですよ。こっちもなんぞ道具用意せんと厄介でっせ」

 渡瀬は、余計なお世話かとも思いながらも、古なじみの庄吉も荒事に加わるのであれば、つい口を挟んだ。

「おうよ。道具はほれ、これよ」

 男はそう言って、懐から拳銃を取り出して見せた。

「ポン刀や言うてもコレならイチコロよ」

 一同の息を呑む音が聞こえた。軍隊上がりの渡瀬が見慣れない型の銃だったから、米軍の横流し品だろう。

「ほいで、誰がやるんや?」

 庄吉の一言に、一同はうろたえて顔を見合わせた。組だナワバリだと言っても、どうやらまだ銃で人を殺した事のある者はいないらしい。

「ワシがやっちゃりましょか?」

 渡瀬は気負うでもなくさらりと言ってのけた。

「せやけどお前」

 皆がぎょっとする中、サングラスの男が真意を確かめるように声を上げる。

「兵隊やっとりましたから、鉄砲くらいは使えます。よういうて、拳銃ったらよくよくひきつけな当たりまへんよ」

「……そうか、やってくれるか。ワシは川口組で若いもんまとめとる坂本ちゅうもんや。首尾よお行ったら、後の事は面倒みたるさけな」

 助っ人に事を託す腹をくくった坂本は「ほれ」と拳銃を渡瀬に差し向けた。


 渡瀬と若衆連中が飯屋に駆け付けると、ちょうど目当てのチンピラが店から往来に飛び出してきた所に出くわした。

 ひどく酔っぱらいながら喚き散らして刀を振り回している。野次馬は悲鳴を上げながら逃げまどい、遠巻きにして事態を見守った。

 なるほど、けっこうな巨漢で、これに刃物を持って遮二無二暴れられたのでは、そうそう手の付けようもない。

「あいつじゃ! あのチンピラじゃ!」

 若衆が怒声をあげるとそれに反応したチンピラはいきり立ってこちらに向かって来た。

「なんじゃおどれら! ワシに文句でもあるんかいボケども!」

 勢いに気おされて後ずさる面々の中で、広瀬は一人冷静に、拳銃を両手で構えて相手に向けた。

 チンピラは酔った頭で拳銃というものを理解しているのかしてないのか、そのまま刀を振りかぶって広瀬に突進してくる。

 野次馬の喧騒を押しつぶすような音量で、銃声が三発鳴った。

 銃弾をまともに浴びたチンピラは血だるまになりながら倒れこみ、何度かビクンビクンと痙攣して、すぐにピクリとも動かなくなった。

「なんじゃえ。あっけないもんやの」

 しんと静まり返った中で、渡瀬の独り言めいたつぶやきだけが妙にはっきりと響いた。


 後日、渡瀬が食客として身を寄せていた川口組に警官隊がやってきた。

 いくら秩序の崩壊した世の中で手の回らぬ警察とはいえ、さすがに天下の往来、衆人環視での人殺しを放っておくほど怠慢ではなかった。

 坂本を始め組の若い者たちは、面倒ごとのツケを押し付けるかっこうになってしまった申し訳なさに忸怩たる思いだったが、ここで悶着を起こしたところで、もはやどうにもなるまい。

「組で手ぇ回したるからな! 親父にもよう言うて、必ず安生したるからな!」

 警官にひかれていく広瀬の後ろ姿にむけて、坂本がそう声を掛けるのが精いっぱいだった。


 かくして、いっぱしの極道を歩み始めた渡瀬龍三の、その前科の振り出しは、殺人罪により懲役十二年。やくざ者の箔として、堂々たる経歴となったのである。

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渡瀬龍三 最初の懲役 雑賀偉太郎 @Devil_kyto

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