第32話 真冬
ミツルおじさんの持ってきたケーキを六等分にして食べた。ホールのケーキを食べるのはひさしぶりだった。
大地くんは終始、マフユにべったりだった。
ケーキが終わると床に人生ゲームを広げ、大地くんとマフユ、母と姉がプレイし始めた。盤上にあるプラスティックの車は前進していく。
そんな様子を俺とミツルおじさんはワインを飲んだり、ハムをつまんだりしながら、時には茶化したり、時には応援したりしながら見ていた。
「基本的には前向きなゲームやな、これって」
どのプレーヤーも俺には難しいことを鼻歌まじりに軽くまたいでいるように思える。みんなそれが当然のことのように就職して結婚して子どもを作り、家を建てたりしている。ゲーム上で行われていることは現実では楽勝ではない。
「なぁ、大助。ちょっと耳貸せ」
ミツルおじさんが俺の真横にぴたりとついた。
「なんやねん、気持ち悪い」
おじさんの酒臭い息が至近距離であたる。
「わしな、じつは肺ガンかもしれへん」
俺はミツルおじさんの顔をじっと見た。冗談を言っているようには見えなかったが、顔の表情からは悲しさも怒りも読み取ることができない。
「またまた、心配させようと思って」
「ほんまや、医者に言われたんや。可能性がありますよって。まだ確定やないけど、検査を受ける必要があるんや」
「確定ちゃうんやんけ! そういうのはな、たいていの医者はおおげさに言うんやって。心配するんやったら、死んでからにしてくれや」
「死んでから心配せえって! おま、無茶苦茶言いよるでぇ!」
おじさんはウケていた。それを見た俺は言いようのない苛立ちにかられた。
「わしが死んだら、お前がしっかりせえよ。みんなのことをささえてやるんやで」
「うるさい。死んでカッコつけようとすんな。ガンでもなんでもなく、ガッカリしながらだらだら生き続けろや」
人生ゲームは姉がぶっちぎりで勝っていて、大量の札束を抱えていた。ゲームだというのに本当に嬉しそうな顔をしていた。
十時になり、ミツルおじさんは帰っていった。娘が自立し、嫁に出て行かれたおじさんは一人淋しくアパートに帰るのだ。
「じゃあ、俺らもこれで」
それに便乗して俺とマフユも帰ろうとした。
「ちょっと待ち。せっかくやから泊まっていき。ここはあんたの家でもあるんや」
すでにそれが決定しているかのように母は言った。
「や、でも……」
俺はマフユの顔を見た。
「私は別にどっちでもいいよ」
「よっしゃ、じゃあ決まりや。あんたの部屋、汚いから整理してくるわな。あと、寝床も用意してくる」
母はなぜだか嬉しそうだった。
俺とマフユはドアを開けるなり、引いていた。
てっきり二枚の布団がならべて敷かれていると思っていたのだが、たった一枚の布団に枕が二個ならべられていた。
しかも枕の横にはご丁寧に新品の箱ティッシュまで置かれている。
「く、変な気をきかせやがって……」
「すごいあけっぴろげなお母さんだね……関西のおかんってみんなこうなの?」
枕の下からコンドームが出てきたら嫌だなと思いつつ、チェックする。さすがにそこまではしていなくてホッとした。
「くそぅ! なんてデリカシーのない家なんや。突発的に飛び出して正解やったわ」
「そんなこと言わないの。なんでも言いあえるうちが華なんだよ。隠し事の多い家族は息苦しいよ」
なんでも言いあえるか……俺はミツルおじさんのガンの告白を思い出した。
俺にとっては聞きたくない情報だったが、人に話すことでミツルおじさんは少しは気が楽になったのだろうか。
俺は部屋のドアに鍵をかけた。
そして下着姿になり、布団の中に入った。
「なんかこの部屋寒いな。布団に入った方がいいよ」
「え、なんで今、鍵かけたの? 抱く気満々じゃん」
「いや、あんま意味ないよ。鍵ついてたらかけるもんやん?」
マフユはアメリカ人みたいにやれやれと肩をすくめた。
そしてミニスカサンタの衣装を脱ぎ始めた。
「ちょ、俺的にはむしろそのままのほうがありがたいんですが!」
「大助の趣味嗜好はどうでもいいの。ほら、万が一にゲロでも吐かれちゃさ、これ明日も店で使うわけだし」
下着姿になったマフユは布団に入ってきた。
「うー、ちべた」
マフユは足裏を俺のすねにこすりつけてくる。
「どう? 少しはお母さんに感謝した?」
「やめて。母親がしくんだと思うと萎えてくる」
すぐ目の前にマフユの顔があった。
だから俺はキスをした。
「……ペットの分際で。とか、発情禁止とか言わへんの?」
「あれはマヒルとの契約でしょ。今日の私は佐倉井真冬ということで」
俺はもう一回唇を吸った。
「う、うーん……ここで君を抱いてもいいんだろうか? おかんの思うままになってると、しゃくにさわるんやけど」
「悪いことじゃなければ流れに身を任せればいいと思うよ」
正直、俺のペニスはカチンコチンだ。今夜はいけそうな気がする。
俺は自分のオスとしての本能に従うことにした。
彼女と二人きりでいるときはどうしてもオッパイパブでのマヒルを思い出してしまったが、俺の家族と話している佐倉井真冬はごく普通の十九才の女の子だった。
マヒルという呪縛から解き放たれたのか、しばらくおあずけだったせいかわからないが、俺はきちんとみなぎっていた。そしてオーソドックスな性交を営むことができた。
「あ、やば! もう……出そう」
「いいよ。中に出してもいいよ。出して」
一瞬、迷いがよぎったが、快楽の流れに逆らえなかった。俺はマフユの頭を抱えたまま、すべてを彼女に注ぎ込んだ。
「俺さ、魚じゃなくてよかったわ」
彼女とつながったまま俺は言う。
「ん、いきなり変なことをいうね。どうして?」
「魚ってメスが用意してくれた卵に精子をかけるだけやろ? 鳥や猫もものの十秒かからへんし、人間でよかったわ。マフユの体、すごく暖かい。ずっとこのままくっついていたい」
マフユは笑って、俺のほほをつねった。
「君って恥ずかしげもなく恥ずかしいことをさらりと言うね」
「な! なにも恥ずかしいことを言うてへんよ! 俺に謝れ」
「はいはい」
俺はマフユからそっと離れた。そして枕横に置いてあるティッシュを使った。
俺とマフユは裸のままで寄りそっていた。
そして俺は生意気にもマフユに腕枕をしていた。
「あの、さっき思いっきり中に出してしまったけど、今日は安全な日なんやろか?」
「安全ってなにが?」
「いや、精子が命中したり、とか」
「ん、安全でもなければ危険でもないね」
「あ、お、おう」
「……もしかしてビビってる?」
「ビ、ビビビ、ビビってなんかないよ!」
「動揺しまくってんじゃん! ねぇ、もし、子どもができたらどうする?」
「…………」
「もしもし?」
「君にはオッパイパブをやめてもらう。そして二人でどこか遠いところに行って、結婚しよう! 文句も言わずに俺は真面目に働くよ。マグロでもクジラでもなんでもつかまえるし、危険な鉱山でだって働いてみせるよ」
「あの、えーと」
「む。半信半疑やろ?」
「違うよ。どうして遠いところに行くって発想が出るのかなって」
「なぜだろう。そう、自立。自立せなあかんやん。恥ずかしながら俺は一人暮らしをしたことがないねん。だから俺はタンポポの綿毛のようにふわり風に舞い、よその土地に根付く生き様に憧れているんや」
「自立はするべきだと思うけど、無理に地元を離れる必要ってあるのかな」
「そりゃ、たいていの生き物は親元から離れて、新たに縄張りを作ってるやんか。そうするのが当たり前なんじゃないかね」
「でもそれって動物のことでしょ。私はね、思うんだ。たとえ視野がせまいって言われても気にすることはないと思うの。しがみついていられる地元があって、そこに嫌な思い出や忘れたい過去がなければ、ずっとそこにいればいいと思うの」
「もし俺に、海外留学の話が舞い込んできたら? すごいチャンスだったら?」
「うん、それでもいつか帰ってくるのはこの家でしょ。おかえりって言ってくれる人がいるのなら、ただいまって言ってその場所に帰ればいいんだよ。毎日毎日、ただいまとおかえりをくり返して、少しずつ年をとっていけたらなって私は思うんだよ」
俺は父親のことを思い浮かべた。小料理屋に入り浸りの彼にとって、ここは帰ってくる場所ではなくなっているのだろう。ミツルおじさんのことを考えた。彼は病気におびえながら暗い部屋に一人で帰っていったのだろう。今日はもっと優しくしてあげればよかったのに、つい憎まれ口ばかりたたいてしまった。
そしてマフユのことを考えた。おそらく旅の途中である彼女はいったいどこが帰るべき場所となるのだろう。
「ねぇ、まだ起きてる?」
「……ん」
マフユは眠そうに返事をした。
「なぁ、ただいまとおかえりって、どっちが先なんやろ?」
そんな質問をどうして俺が思いついたのか、自分でもよくわからない。
暗くてマフユの顔がよく見えないが、かすかに笑っているようだった。
「おかえりが先だよ……ただいまを言う前にさ、おかえりと言われるときの……くすぐったいような……気持ちいい感じ、わかる?」
「俺はきちんと、おかえりって言えていたやろか?」
「……たまにゲームに夢中で……私が帰ったのに……気づかなかったけどね」
「……反省するわ」
そして俺は彼女の体をぎゅっとたぐりよせた。
「おかえり」
俺はなんとなく、ふだん意識して使っていないその言葉を、できるかぎり意識して使ってみた。
ただいま、の代わりに聞こえてきたのは彼女がたてる寝息の音だった。
完
セクシーパブにハマった友人の目を覚まさせるための俺のクエスト 大和ヌレガミ @mafmof5656
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