第31話 イブ

 そして二十四日がきた。

 夕方五時過ぎに家を出た俺たちはJR京都駅まで行って、そこから奈良にむかう電車に乗り換え、宇治駅で降りた。

 なぜかマヒルはでかいボストンバッグをかついでいた。

「ところでそれ、なにが入ってるん?」

「これは、まぁ内緒。使うか使わないかはわかんないけどね」

 マヒルはいたずらっぽく笑った。

 宇治橋を渡っている途中に、ふとマヒルは立ち止まり川面をながめた。

「ここが大助の生まれ育ったところなんだねー」

 薄い群青色の闇の中、静かにさざめく川面。その川面に車や電車のライトがうつり、さながら霊魂のように見えた。幻想的といっても過言ではない景色だった。

「心に余裕がないときは、この景色を見てもなんとも思わんかったな」

「今はゆとりがあるの? ペットライフだもんね」

 そう言ってマヒルは肩をぶつけてきた。こうしていると普通の若い娘だ。

「あの、くれぐれもペットというのは内緒やで。今夜の俺らは恋人同士やからね。頼むよ、大地くんのためにも、な」

「わかってるよ。甥っ子のこと、ダシに使いすぎ」

 宇治橋を渡りきると、マヒルはめざとく紫式部の像を見つけた。

「女性の像なんて珍しいね。誰? 有名な人?」

「紫式部やね。源氏物語の作者。宇治も作品の舞台になってるらしくてさ。ミュージアムがあるねん。まぁ、これも地域おこしの一環?」

「へえ、源氏物語って漫画や映画になってるよね。どんな話だっけ?」

「詳しくは知らんけど、平たく言うと、平安時代のヤリチンの話や。勘弁してくれって感じやろ?」

「え、そうなの? 他に言い方があるでしょー」

 マヒルはウケていた。が、実際にそうなのだからしかたがない。


 用水路が張り巡らされた古い住宅街を歩く。車では走りにくい、せまくてくねくねした道が続いている。クリスマスだけあって、庭にツリーを置いていたり、壁に電飾を張り巡らされた家がちょくちょく見えた。

 俺の家から灯りが漏れている。ひさびさに帰ってきた気分だ。

 インターホンを鳴らし、客人として招かれようと思ったが、俺は財布から鍵をとりだしドアをあけた。生活費こそ払っていないが、ここは俺の実家だ。俺の家なんだ。

「ただいま」

 リビングに聞こえるよう、俺は声をはりあげ、そして少しテレた。


 母も姉もマヒルのあまりの若さに驚いていた。そして軽く引いていた。

「あ、あんた、この娘さんはいったいいくつなんや?」

 母が俺の耳元で問いかける。

「ん、十九やけど」

「じゅーくー!」

 母の大声に姉もびくりと反応した。

「あんた犯罪やで、これは犯罪やで」と姉。

「いや、犯罪やないやろ……大袈裟やって」

「もしかして雇った? 親を安心させようと思って。なんでも屋さんみたいな人を雇った?」

 母が俺の両肩をつかみ、激しく揺さぶってくる。

「そ、そんなわけあるかい! そんなことを使う金なんてないし! そもそも俺はあんたを安心させようなんて思ってない!」

「そら、そや」

 その言葉で母は簡単に納得してしまった。われながら情けない。

 母はマヒルの方をむき、深々と頭を下げた。

「いつもうちのバカ息子がお世話になってます」

「……あ、いえいえ、こちらこそ」

 マヒルが頭を下げ返す。

 はたで見ていて、むずがゆくなるやりとりだ。

「あの、差し支えなかったら教えてほしいんですけど……うちの大助の、その、どこがよかったんでしょうか?」

 母の問いが、一休さんに出てくる将軍様の無理難題のように聞こえてしまった。

「さりげなく優しいとこがありますし……」

 マヒルの言葉に母と姉が首をひねっている。疑われている。疑われているよ。

「それに、予測不可能でエキセントリックな言動が面白くて、好きになったのかもしれませんね」

 これには母も姉も納得してくれたようだ。

「おちつきのないあんたの性格がまさかプラスに働くとは……」

「蓼食う虫も好き好きとはよう言うたもんや。この娘さん、絶対に離したらあかんで」

 じつはペットやってますとカミングアウトしたら二人はどんな反応するんだろう? 「ペットでもいいから地道に続けなさい」などと言いかねないな。

「なぁなぁ、大助おじさんはこんな美人をどこでつかまえたん?」

 子どもの大地くんも興味津々のようだ。

「こらっ! この子は、大人みたいな口の聞き方をして!」

 姉が大地くんの後頭部を軽くはたく。

「そうそう、あんたらどこで知り合ったんや?」と母。

 俺とマヒルは顔を見合わせる。これは正直に言えやしない。

「それは、街で……」

「そんなことを聞いてるんじゃなくって、どんなキッカケで知り合ったかを聞いているんや!」

 なぜか叱りつけるような口調で母は聞いてきた。必死すぎるぞ、母よ。

「そ、それは、んと……」

 素直にオッパイパブで知り合ったと話したら、母は引くだろうし、大地くんは質問攻めにしてくるだろうな。

「街コンで知り合ったんです。街コンで」

 マヒルが助け舟を出してくれた。

「街コン?」

 姉が不振そうな顔をした。

「恥ずかしながら、街ぐるみで主催されている合コンのことです」

「合コンかぁ、ま、出会いは出会いやもんな。それなら納得いくわ。こんなベッピンさん、ようつかまえたな、大助、見直したわ」

 母が笑った。そして俺の背中をばしんとひっぱたいた。

「あ、お、おう……まぁな」と俺。

「ところで名前聞いてへんかったわ。お嬢さんの名前は?」

「佐倉井真冬です」

 マヒルが凛とした声で言った。それを聞いて、彼女の本当の名前がマヒルではなく真冬であることを再確認できた。うっかりマヒルと呼んでしまわないように気をつけなくちゃならない。

「そ、マフユっていうねん。変わった名前やろ? マフユ。マフユ」

 俺は復習するように自分に言い聞かせた。

「うん、変わった名前やけど、綺麗な響きやと思うで。ええ名前やんか」

 母は目を細めて笑った。

「そんなの言われたの、初めてです」

 マフユは申し訳なさそうにうつむいた。


 リビングには色紙で作られたチェーンや、身長サイズのクリスマスツリーが飾られていた。

 ちなみに父は来ていなかった。今日は小料理屋こまちでクリスマスパーティをやっているらしい。きっと働いていたときの同僚や、子どもが巣立って淋しい老人が父の店に来るのだろう。せっかく孫がいるのだからクリスマスくらい家にいればいいのに。激しくケンカをしている姿なんて見たことはないが、うちの両親はいつ離婚してもおかしくないのかもしれない。

 ツリーには大地くんが書いたであろうメッセージカードがささっていた。

『サンタさんへ、身長が欲しいです』

 完全に七夕と混同しているな。サンタクロースは基本的にお金でどうにかできるものしかくれない。

 俺は姉の肩をつつき、メッセージカードを指差した。

「あぁ、身長なら勝手にのびよるし、よかったわ。父親がもどってくるように要求されたらどないしよってヒヤヒヤした」

 姉は自嘲気味に大きく息を吐いた。

「あの子なりに無理して明るく振舞ったり、してるんやろなぁ」

 大地くんはマフユに必死に質問を浴びせかけている。好きな動物や食べ物など、たわいのない質問だ。そして、さりげなく手をとったり、膝を触ったりしている。

「ぜんぜん落ち込んでへんと思うよ。俺が連れてきた彼女やのに、おかまいなしやな、あいつ」

 用意された料理はこんがりと焼いたガーリックトースト、それにケンタッキーで買ったフライドチキンに、サラダとオニオンスープだった。

 お子様用にコーラやファンタ、そして大人用にワインやシャンペンが用意されていた。

「お! 洋酒やん。ひさびさに酔っちゃお」

 瓶に手を伸ばそうとしたら、みなにとめられた。

「あんたは一滴たりとも飲んだらあかん!」

 母がすごい力で俺の手首をつかんだ。

「こいつ、酒癖すごい悪いんやで。経験ある?」と姉。

「あはは、そりゃもう、すごい迷惑をかけられましたよ」

 愛想笑いではなく、マフユは本気で笑っていた。おそらく下半身露出事件のことを思い出しているのだろう。

「これから大変やで」「今からでも違う人さがそっか?」

 母と姉は馴れ馴れしくマフユにからみ始めた。

 俺一人、道化になっているのは不本意だが、俺というアホを共通項として、女たちの結束がかたまっているのは望ましいことだ。

「なーなー、今年はサンタさん、こおへんの?」

 大地くんが急に声を張り上げた。

「ええ子にしとったら、ちゃんと来るで。サンタは絶対におるで。みんなの心の中に、みんなが信じている以上は」

 母さん、それ、サンタはいないって言うてるようなもんや。

「じゃなくてー、サンタのカッコを誰もしないのー?」と大地くん。

「ん? どゆこと?」

 俺は姉の肩をつついた。

「毎年な、クリスマスのときはな、うちの元旦那がサンタに扮してたんや」

「あ、そーなん? あの人、サンタ似合わなそーやなー」

 姉の元旦那はグリコ森永事件のキツネ目の男にちょっと似ていた。

「やっぱりサンタさんがいないとテンション上がらないよー。サンタのおじさん連れてきてよ」

 大地くんがごねだした。

「ほら、サンタじゃないけど、あんたが会いたがってた大助さんを連れてきたやろ。それで我慢し」

 姉が生け贄を捧げるように俺を大地くんの方に差し出す。

「大ちゃんやで。ピロリローン」

 俺は白目をむき、変顔を作った。

「やだよー。サンタさんじゃないとテンション上がんないよー」

 くっ! クリスマスを意識して、赤チェックのネルシャツで来たというのに、まったくの無駄か。

「ね、大助の部屋ってどこ?」

 マフユが耳元で聞いてきた。

「二階に上がってすぐ左の部屋やけど、なんで?」

「ちょっと待ってて。あとは私にまかせて」

 マフユはリビングを出て行った。なぜかボストンバッグを持って。

 五分ほど経ち、マフユはもどってきた。

 十二月になると繁華街でチラホラ見かけるミニスカサンタの衣装をマフユは着ていた。

 バッグに入っていたのはこの衣装だったのか。おそらく店で使用するやつだろう。チューブトップタイプのワンピースになっていて、肩と鎖骨がむきだしになっている。太股も露出し、モコモコしたブーツが愛くるしい。

 それにしても姉の元旦那が扮装していたサンタとは似ても似つかぬ姿だろう。マヒルのはもはやサンタとはいえない。これで大地くんのテンションが上がるのだろうか……。

「う、うぉーっ! サンタさんやー!」

 大地くんは一直線にマフユのもとに駆け寄ると、腕をまわして抱きしめた。

「ちょ、ちょ、見境ないよ。赤い布に突進するスペインの牛みたいやったで。ちょっと離れよか」

 大地くんはマフユのお腹に顔をぐりぐりとめりこませているし、腕は尻に触れている。

「こ、これは母性を求めているのか。それとも発情しているのか、どっちなんやろな」

「あれくらいの男の子は母親より若い女の先生や保母さんが好きなんや。あんたも覚えがあるやろ?」と姉。

「まぁ、返す言葉がないわ」

 大地くんは若い女性に甘えることができて幸せそうだし、マフユもまんざらでもなさそうだ。頭や背中をさすったりして、母性本能をくすぐられているようにすら見える。小学校に上がったばかりの甥にたいして、ちょっぴり妬けた。

 大地くんの後頭部をにらみつけていると、チャイムが鳴った。

「あ、頼んでたケーキが来た。大助、鍵あけてきて」

「えっ、なんで俺が?」

 母に舌打ちをしつつ、内心ではウキウキしながら俺は玄関にむかう。

 さっき、さりげなく冷蔵庫をチェックしたとき、ケーキがなかったので失望していたが、なんだよ。ちゃんと用意してるんじゃん。

 喜び勇んでドアをあけると、そこには白いあご髭を生やしたサンタクロースが、否、ミツルおじさんがいた。

「ア、 メリィ、クリスマスゥゥゥ!」

 俺は反射的にドアを閉め、施錠してしまった。

「ちょ、あけてくれ! 大助、なんでやねん!」

 ミツルおじさんは必死にドアをたたいている。

 面白いので三十秒ほど放っておき、それから開けてやった。

「サンタは煙突から入ってきーや。で、なんでそんな本格的なカッコしてるねん?」

 まゆ毛まで白いし、再現度の高いサンタ姿だった。

「ちょっと近くの養護施設でサンタの真似事を頼まれて、その帰りやねん」

「そのヒゲどうやってつけてるん? 糊?」

「これは耳のあたりにヒモがあって、後ろでしばって帽子の中に隠すねん」

「ふーん、クリスマスにそなえてロンヒゲを伸ばすくらいの意気込みは欲しいもんやわ」

「おま、そんなん! 無茶言うたらあかんわ! 伸ばすのに何ヶ月かかるねん!」

 すでに軽くいっぱい引っ掛けてきたのか妙に上機嫌だ。酔って説教さえしなければ案外いい人なのかもしれない。

 ミツルおじさんは勢いよくリビングのドアを開けた。

「ア、メリークリスマース! って、うお! すでにサンタさんおるし! しかもビューティー!」

 ミツルおじさんは肩を落とし、ガックリとうなだれた。

「なぁなぁ、どっちのサンタさんがいい?」

 俺はマフユとババ抜きをしていた大地くんに聞いた。

 大地くんはミツルおじさんを一瞥し、迷う間もなくマフユを指差した。

「な! サンタにリアリティを求めても無駄やねん! 今はこう、適度にモダナイズされたサンタが喜ばれる時代やねん!」

 両手両膝をついているミツルおじさんに俺は追い打ちをかけた。

「と、ところでその綺麗なお嬢さんはいったいどちらさん? もしかして……」

「はじめまして。大助さんとおつきあいをさせていただいている佐倉井真冬ともうします!」

 間髪入れずにミニスカサンタがお辞儀をする。ミツルおじさんは三秒ほどフリーズした。が、急にマフユの手をとり、

「でかした! よくもまぁ、こんなべっぴんさんをつかまえた! こんなチャンス逃したら二度とこおへんぞ! 絶対につかまえとくんやで!」

 そして涙がこぼれないように天井を見上げた。

「おじさん、そんなん言うたらマフユちゃんに失礼。彼女、若いんやからいろんな男と見比べてもらわんと」

 姉が苦笑している。

「そやで、マフユちゃんも血迷ってたらあかんで。他にええ男はいっぱいおるんやからね」と母。

 実の息子をつかまえて、血迷うだなんて、少々言葉が過ぎると思う。

「大助さんは頼りないところもあるけれど、面白い人ですよ。東南アジアの気のいいにいちゃんみたいなところが大好きなんです」

 母と姉はたがいに顔を見合わせ、納得した。なんだか俺は申し訳ない気分でいっぱいになった。

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