第22話 店外デート

       ★


 眼前には京都タワーがそびえている。赤い円盤を白い注射器で突き刺したようなデザインは、いつ見ても古都のイメージにふさわしく思えない。

 俺はマヒルを待っていた。待ち合わせ時間は午後の三時。時計を見ると三時半。このまますっぽかしてしまうのがマヒルが俺に与える罰の一つではないかと思える。


 電話番号を手に入れた翌日の昼休みに、俺は電話をかけた。マヒルはすぐに電話に出た。どう謝ろうか言葉を選んでいる俺にたいしてマヒルは言った。

「あのさ、直接会って話をしない? 電話って相手の顔がわからないから不安になるんだよね。それに京都の人間って腹黒いって言うし、実際にそうだと思うし、言葉と態度が一致していないでしょ。言葉じゃ謝ってても電話の向こうで笑っててもわからないじゃん? だからさ、直接会おうよ」

 なんてたくましい営業魂だろうと俺は驚いた。

「いや、会うもなにも、出入り禁止だから店で会われへんし……」

「うん、だからさ、外で会おうって言ってるじゃない?」

 マヒルはあっけらかんとしていた。

 自分からはなかなか言い出せなかった店外デートの夢が、こうもあっけなく実現するとは思わなかった。


 その時はガッツポーズをとったものの、今こうして三十分以上も待たされている。寒空が厳しい。とりあえずどこかの店に入ろうと動き出した俺の肩を何者かが叩いた。

 振り返るとそこには若い女の姿。デニムのミニスカ、グリーンのカラータイツ、チェックのシャツ、ダウンベストにニット帽をかぶっている。俺は記憶をたぐった。その女性が『ぱふぱふ』で指名していたマヒルであることに気づくのに三秒かかった。

「あ、ごめん、カジュアルなかっこしてるから、一瞬わからへんかったわ」

「遅れてごめん、怒ってる?」とマヒル。

「連絡ないからすっぽかされたなって思ったけど、来てくれたからええよ。で、なんで遅れたん?」

 問いかける俺にたいし、マヒルはえへへへと笑うばかりだった。


 京都駅ビルにはホテルと百貨店のあいだに吹き抜けの空間があり、そこには大階段がそびえている。修学旅行で京都に来たときマヒルは、ガラスや鏡を多用しサイバーパンクな風景に「え? ここ京都?」と驚いたらしい。

 大階段にはカップルたちが座っていた。観光でやってきた外国人たちも座っていた。一人で座っている美大生はデッサンをしていた。仲のよさげなオバさん集団が座っていた。多くの人たちが公園のようにくつろいでいる。 

「ここ寒いけど平気?」と俺。

「うん、そんなに寒くないよ」

「京都って夏は暑いし、冬は寒いって言われてるけど平気なん?」

「確かに夏は外に出れないけど、冬はそんなに。あっちの寒さに比べるとね」

「そっか、実家は東北だっけ」

「大助はどう? 京都が特別に暑かったり、寒かったりすると思う?」

「いやあ、比較できひんもん。京都の外で暮らしたことないし。はは、この年になって情けない」

「故郷から出なくていいのなら、それが一番幸せだよ」

「そういうもんかね?」

「そういうものだよ」

「……んで、酒であまり覚えてないんやけど、こないだの俺はいったいどんなことを口走ったんやろうか?」

 最悪だったみたい。

 そんなに下を触りたいんだったら風俗に行けばと言ったマヒルに、俺はこう言い放ったらしい。

「風俗みたいなもんやん! 俺はだまされへんぞ! オッパイ吸われてるしキスもさせてるやん! それって風俗じゃん! 水商売なわけないやんけ、ボケ!」

 酒乱の俺は『ボケ』とまで発言したらしい。

「あれで目が覚めたよ。たしかにサービスはあまいけど、やってることって風俗だよね……」

「そ、そんなこと言うたんや……全然覚えてへんわ。あのさ、オッパイパブは風俗とちゃうで。オプションのついたキャバクラみたいなもんやで。最近の若い女の子の憧れる職業上位にランキングしているキャバクラをさらにゴージャスに……」

「いいよ、フォローしてくれなくても。長く続ける仕事じゃないし」

「あの……俺がマヒルを怒らせたのはよくわかってんけどさ。あ、謝るよ。本当にごめんな。でも、どうして俺は、ズボンを脱ぐ暴挙をしでかしたのやろう?」

「たしか……触らせてくれへんのやったら、せめて触ってくれ! とか、これが俺の生き様だ! とか、大声で怒鳴ってまわりのお客さんもドン引きしていたかな」

「そ、そんなことを俺が……で、一つ気になってるんやけど。美原のやつ、どうやった? 手、出してきた?」

「あ、あの人ね。乳首に爪をたててきたから、説教しておいたよ」

 マヒルは笑っていた。俺のショックとは対極的にあっけらかんとしている。機会があれば告白さえしようと思っていた自分がピエロに思える。俺は彼女のことをまだなにも知らない。


 マヒルにたいしての距離のとりかたに戸惑いつつ、その後はカラオケBOXに入った。寒いこの季節、繁華街で落ち着ける場所といえばラブホテルかカラオケくらいしか思いつかない。手短な密室、もちろん多少の下心はある。

 マヒルは同年代の若者とカラオケに行くような青春はおくってこなかったそうだ。プロでもないのに人前で歌うことは恥ずかしいなんて言っている。

「でも、大助は好きな歌を歌っていていいよ。あたし適当にノッているフリしながらジュース飲んでるから」

 ノッているフリとはいかがなものだろうか。俺は熱唱した。最近の歌なんてよくわからないので、微妙に世代のずれたナンバーや、熱血系のアニメソングを熱唱した。サビに入ると高いキーが出なく、声が裏返ったりしたが、笑って誤魔化した。カラオケなんて久しぶりだ。ましてや女と二人きりのカラオケなんて生まれて初めてだ。

 よく考えてみれば大声を出すという行為が非日常そのものだ。カラオケ以外にはスポーツの応援や祭りくらいしか思いつかない。大声を出すことはストレスの発散に役立っているのだろう。昔の人は農業や漁業の最中にも歌を歌っていたそうだし、槍を持って戦っていた時代は怒声をあげてテンションを上げていたと思う。

 小、中学校のころの俺は、嫌なことがあると広大な田んぼに向かって「あほー!」とか「死ねー!」とか叫んでいたが、大人になってそんなことをすれば立派な不審者だ。

 歌っているというより、ただ叫んでいる俺を見ながら、マヒルは心底楽しそうにタンバリンを振ってくれた。最近の若い女性は食事中や友達といる時も、ずっと携帯をいじっている印象があったので、それだけでマヒルがいい子に思えた。

 薄暗いカラオケボックスの中では、オッパイパブの店内と同様にマヒルはとても綺麗に見えた。真向かいのソファではなく、隣に座っているのもポイントが高い。好きになりそうだ。じゃなくて、好きだ。彼女の下を触りたかった。いつものように膝の上に乗せたかった。だが、彼女は仕事中ではなくプライベートの時間だ。いわばオフだ。オフの時間に仕事のことを思い出させるのは野暮だというもの。


 カラオケを出ると夕暮れが目に入った。さほど高くもないビルとビルのあいだに曇りがちの空。雲がオレンジ色に染まっていて、白と赤の京都タワーに不思議とマッチしていた。

 マヒルはそろそろ店に行かなければならない。

 今日の俺は紳士的に指一本触れなかったというのに、これからマヒルは男どもにキスをされたり、オッパイを吸われてしまう! あいつにも! こいつにも! 道行くすべての男たちに俺は血走った視線を投げ掛けた。男たちなんて! どいつもこいつも不潔で最低だ!

「な、なあ、もう行っちゃうの? 淋しいよ。もうちょっといっしょにいようや。マヒルが興味あるところ、どこでも案内したるからさ。一日くらいえーやん。たった一日くらい店なんかさぼったらえーやん。風邪ひいたとか、インフルエンザで高熱出たとか、適当な理由つけて休んだらええやんか」

 マヒルはうつむいた。

「さぼれなくはないんだけど……」

 彼女は俺の方に急に振り向き、溌剌とした笑顔をむけた。

「当日欠勤するとペナルティなんだ。だから大助くんが代わりに払ってくれる? 払える? 罰金三万円!」

 女という生き物はこんなセリフを言う時にだって、まるでポップソングのように口ずさめるんだ。


       ★


 そして俺はATMにむかった。

 三万円+デート代に一万円を引き出してみると、残高は716円。退屈なバイトを真面目にこなしているわりにはちっとも貯金ができていない。これもオッパイパブのせい。労苦と快楽、プラスマイナスゼロ。

 俺は前もって関西ウォーカーで調べておいた創作和風ダイニングの店に行くことにした。セロリのブルーチーズ・ソテー、マグロのガーリックソース……言い慣れない料理名を口にして俺は悦に入る。ちなみにテーブルではなくカウンター席を選んだ。

 なぜならテーブルを挟んで向かい合って話すと仲が縮まりにくい、とモテ本で読んだことがある。テーブルが障壁代わりとなってしまうのだ。だが隣り合ってしゃべることで、すでにテリトリーを侵犯しあっているらしい。仲を深めたがっている男女が距離を縮めるには隣り合うのがベターだと言えるだろう。

 ……それってオッパイパブと同じじゃん。

 マヒルはビールを飲んでいた。俺もお酒を飲みたい気分だったが、失敗したばかりなのでジンジャーエールにしておいた。

「好きなお客さんのタイプって……いいや、好きな男性のタイプってどんな人?」

 男女が二人きりでゆっくり話せる状況になったときは、とりあえずジャブ代わりに恋話を開始するべき。恋愛経験の少ない俺でもその程度のことはわかる。

「がっつかない人」即答だった。

「それ、好きな客のタイプやろ? 楽できる客のタイプやん。じゃなくて、好きな男のタイプ」

「絶対に殴らない人かな」

「それって範囲広すぎるやろ。もうちょっとしぼってくれよ」

「じゃあ、ストーカーにならない人」

「ハードル低いなぁ。鼻唄混じりにまたいでしもたわ。もっとポジティブに、こういう人が好きってのはないの?」

「じゃあ変わっている人。キャラを作っていたり、奇をてらっている人じゃなくって、本人は自覚していないんだけど、まわりから見たら少しズレているような人」

「そうか……残念やな。わりと常識人やしな、俺」

「わざと言ってる? じゃあさ、大助くんの好きなタイプってどんな人なの?」

 俺の好きなタイプ、今まであまり考えたことがなかった。ロリ系、セクシー系、魔性系、はたまたムチムチ系と、俺のストライクゾーンは幅広い。たぶん俺は標準より可愛い容姿でさえあれば他はこだわらないのではないか? もっともオスを厳選しなきゃならないメスとは違い、たいていの動物のオスはそんなものかもしれない。

 外見の好みはさておき、内面はどうだ? ……好き嫌いがまったく思いつかない。これこそが俺の女性経験の少なさを物語っていて悲しい。

「好きになった女性が好きなタイプかな」

 俺はマヒルに流し目をおくった。

「ずるう。それって結局なんにも答えてないのと変わらないじゃん。っていうか大助くんって本当に人を好きになったことあるの? エロいだけでしょ? 恋愛感情なんてないでしょ?」

 なんたることだ。このあいだの下半身露出事件ですっかりエロレッテルをはられてしまった。

「恋愛ねぇ……そもそも恋愛って言葉がうさんくさいと思わへん? 痛みや苦しみ、刺したり刺されたり、ふったりふられたり、とったりとられたりと陰惨な要素があるのにさ、無理矢理ポジティブにコーティングしようってハラが見え見えでさぁ。ふられちゃったけど恋のおかげで成長できてよかった! なんじゃそら? アホかボケカス! って怒鳴りたくなるのよね。

 そもそも恋愛ものの映画やドラマって多すぎない? いいや、もっとひどいのは歌やね。いったいヒット曲の何割がラブソングやねん! 恋は素晴らしい恋は素晴らしい失恋しても成長できる恋は素晴らしい、だからくじけずトライアゲイン♪ わざわざメロディにのっけることじゃないやろ? みんな自動的に欲情して勝手に繁殖しよるやろ? なにが欺瞞かというと『君のことだけをずっとずっと愛してる、永遠に』みたいな歌を恥ずかしげもなく演奏してるミュージシャンに限って、どうせ複数のファンをとっかえひっかえしてヤリまくっとんねん。俺はだまされへんからな!

 結局さぁ、恋愛の終着点はチョメチョメやんけ! シンデレラも白雪姫も恋愛成就した後は王子と性器をなめあったり、こすりあわせてアンアン言うわけやろ? なんやろな、とにかく俺は腑に落ちない。フィクションの恋愛と実際の恋愛にギャップを感じるのよね。現実の恋愛はもっともっとドロドロしているからな。もはや、テディベアと野生の熊くらいの差異はあるよね。

 一気にまくしたてた俺の剣幕にマヒルは唖然としていた。かといって彼女は引いていたわけではなく、純粋に驚いていた。

「すごいね。すごい否定してたね。台本をすらすら読み上げてるみたいだったよ。じゃあさ『ぱふぱふ』ですごしていた時間はどうだったの?」

「ハチミツのようにスイーツなひとときやったよ」

「うわ! 超自分勝手な人じゃん!」

「いや……店にいない時は苦しかったり、酸っぱかったり、時には仕事中に涙をこぼしたり、嗚咽をもらしたこともあるよ。でも、それを含めて俺にとっては素晴らしい思い出で。うお! 恋を肯定してもうた。ぬおおお!」

「そ、そんなに自分を責めなくてもいいじゃん。それよりさ、昔好きだった人の話聞かせてよ。大助くんにもいたでしょ。好きな人くらい」

 言っておくが、かぎりなく俺は童貞に近い。女友達なんていないし、基本的に好きになる女性はアイドルやタレントなど、まったく面識のない相手だった。

 そんな俺でも、二十歳を超えてから恋に落ちてしまった女性くらいいる。

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