第20話 下をさわりたい
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オッパイパブで楽しむにあたって一つの疑問が俺の頭につきまとっていた。それは一人の嬢を指名した客はそれ以外の嬢とキスをするのかという問題である。
というのも以前、美原お気に入りのユウナを指名した時に、ヘルプとキスをしたことをとがめられたが、あれがあながち冗談とも思えないのである。ヘルプの子でも、みずから「膝に乗っていいですか?」と聞いてくる子には遠慮なく手を出せるのだが、席に着くなり、マヒルの話をしてきたり、少なくなったマヒルのドリンクをオーダーする嬢にはとても手が出せなかった。まるで嬢たちの不文律が存在しているかのようだった。
ヘルプに手を出すべからず。
本当に指名している嬢のことが好きなら指名嬢とだけキスしなさいよ。あんたの恋の本気さ、嬢に伝わらないよ。
で、でも、高いお金を払っているのは俺やし、マヒルも他の客とキスをしているというのに……。
これならいっそ、なんのしがらみもないフリーで入場した方が料金分のもとはとれるんじゃないかとすら考えたりもした。
ある夜、俺はマヒルに聞いてみた。
「なぁ、前にさ、指名とれても延長しなかったらポイントにならへんって言うてたやん? 俺は延長することもあるけど、1セットで帰ることもある……そういう意味ではあまり上客じゃないやん? 指名されてるメリットってなにかあるの?」
「ん〜、大助さん、年もまだ近いし、呼ばれると嬉しいけどな〜」
「いや、そういう答えじゃなくって。俺とマヒルのことはおいといてさ。指名されるメリットって成績以外になにかあるのかなって」
「そーねー。指名増えるとやっぱり楽みたいだよ」
「楽?」
「初めて接する客ってどんな人かわからないから、けっこう怖いのね。暴言吐いたり、露骨にシカトする人もいて疲れるの。指名をとれれば知らない客につく可能性も減るから楽だよ。それに指名を重ねていくうちに、あまりがっつかなくなるし、会話だけで終わらせる人も出てくるしね」
「話してるだけの方が楽?」
「会話するのが面倒くさいからキャバクラを辞めて、こっちに来たって子もいるけれど、給料を考えれば話してるだけのキャバクラの方が安いから、明らかに楽だよね」
毎日、何時間もオッパイを吸われるのはどんな気分なんだろう。人ではなく、無機物を相手に仕事している俺の方が蓄積される澱みが少ない気がしてきた。雨水が岩に穴をあけてしまうように、度重なる客の舌先が嬢の乳首を削っていくのだろう。だからこそ話していると楽なのだ。
せめて俺の時くらいは休ませてあげよう。
それから俺はマヒルのオッパイを吸わなくなった。キスもしなくなった。金を払って体を思いどおりにしている男とは思われたくない。俺の望みは彼女と外でクレープを食べたり、ジェットコースターに乗ったり、普通のデートをすることなのだ。
マヒルとはせいぜい手を握るだけになってしまった。当然、それで俺が満足できるはずはなく、その性欲はすべてヘルプの子たちにぶつけられることになった。こんな奇妙な逆転現象が起きるとは思わなかった。
たとえ、マヒルと友達関係にあるヘルプの子であろうと、遠慮なく膝の上に乗せ、乳房をもみしだいた。
ここにいたって俺は、恋愛感情と性欲が似て非なることを思い知った。
好きになった今、金を払ってどうこうしたくないのだ。素人同士の恋愛のようにじょじょにステップアップしていきたい。だけど最初にお金を払ってキスやペッティングをした過去はぬぐい去れない。その十字架はずっと背負い続けなければならないのだ。
そして店の中で会い続けるかぎり、しょせん『嬢と客の関係』でしかない障壁が立ちはだかる。俺の願いはただ一つ『こんないい子と普通に知り合いたかった』ということで、それはもう手遅れだ。
もちろんコンパや出会い系などで、マヒルと知り合った場合にもそれなりの葛藤はあるだろう。宮本くんは昔、出会い系サイトで一人の美少女と友達になったが、彼女が実はソープランドで働いてると知り、ショックを受けたらしい。
「本当に可愛い子でさぁ、彼女のことを一度でも抱いたことのある客たちが羨ましくてしかたなかったな。最低な話やけど、店に行ってでも彼女と本番行為をしておくべきやったわ。まぁ、軽蔑されるのが怖くて店の名前なんて、とても聞けへんかったけどな。でもまぁ、どっちがいい悪いではなく、スタート地点が根本的に違うんやろな。出会い系サイトやとなんのしがらみも遠慮もないし、彼女にはろくに触れることはできんかったけど、なんでソープで働いてんの? なんて気軽に聞けたしな」
こんな意見を聞くと、店の外で知り合った男性に、客はけしてかなわない気がする。金を払ってマヒルを消費する割りきった考え方ができれば楽なのに。自分だけが彼女の特別な客であることを信じようとしている。
ときおり、マヒルに手を出したくてたまらなかった。キスしたい。オッパイも吸いたい。だけどそれをした瞬間に「なんだ、私のことを好きだと言ってるけど、体目当てのエロ客じゃん」と思われるのが怖かった。ヘルプに激しく手を出している時点で間違いなくエロ客なのだが、たとえそんな俺の姿を見られていたとしても、マヒルだけは特別だというアピールを続けなければならない。
店の女の子の顔をだいたい覚えてしまった俺は『ぱふぱふ』を出た後に別のオッパイパブにも通うようにすらなった。進展しないマヒルへの恋や、退屈極まりない労働が俺を抑圧する。
たまたま入った『レジスタンス』という店では、入店前に爪切りとヤスリを渡された。もはやオッパイだけでなく、パンツの中にも指を入れることを許されている素晴らしい店である。
女の子のルックスは少し落ちるが、料金も千円程度しか変わらないのに、このサービスの良さはなんなのだろう? 衛生上、女の子が交代する時には消毒液を指に吹きかけられた。そんな自分の滑稽さに、醒めてしまうこともあったが、プレイ中の熱狂度は半端ではなかった。ソファではなく靴を脱いで畳に上がるスタイルだが、確保されている面積がせまい。畳二枚ほどの広さしかなく、男女一組が入ると密着せざるをえない。そんなせまいスペースで、無理な体勢で女の子の下半身を責め続けたことで、左肩を負傷したことがある。そこまで我を忘れて熱中することは『ぱふぱふ』ではありえなかった。
これが下半身の魔力というやつなのだ。
それに『ぱふぱふ』では嬢を膝上に乗せ、乳首を吸っても、リアクションが薄かった。ときおり体がびくんと反応する程度で、めったなことでは声を立てなかったが『レジスタンス』は違う。彼女たちの性器は最初から濡れていた。おそらくローションでもしこんでいるのだろう。ただそこを優しくさするだけで嬢たちは面白いように声をあげ、肩に爪をくいこませ、潤んだ目で身をふるわせるのだ。
かくして俺は、乳首以上にはるかに複雑な形状をした女性器に対して執着をしめすようになった。
★
ある朝、送迎バスの中で俺は2ちゃんねるの『ぱふぱふ』スレを見ていると、驚くべきことが書いてあった。上半身のお触りしか許可されていない『ぱふぱふ』であるが、女の子によってはこっそりと女性器を触らせてくれるらしい。
美原の指名嬢のようにチンコを触ってきたり、こちらの乳首を舐めてくる子がいるのだから、あながちデマとは思えない。店サイドは奨励しない行為だろうが、嬢の方からすすんでサービスするぶんには目をつぶっているのが現状だろう。話のもっていき方次第ではマヒルの下を触ることができるかもしれない。
文字通り、俺の中での下心がふくれあがった。
今までにつちかってきた純愛路線を、俺はすっかり忘れつつあった。
仕事中もそのことばかりを考えていた。期待と不安でいっぱいだった。もし頼んでも触らせてくれなかったらどうしよう……いや、それ以上に酷なのは俺以外の客にはすでに触らせているのに、俺だけには触らせないというケースだ。でも……大ちゃんは特別な人だから、触られるのは恥ずかしいよう、などと言ったらどうしよう。ちょっとは嬉しいか? そんな言葉信じられるかよ。
思考がぐるぐるとまわり、午前中はあっというまにすぎた。
ただ、あっというまとはいえ、頭の中でメロディを流しているときと違い、思考が複雑化しているせいか、明らかに仕事のペースは落ちていた。ふだんこなす量の三分のニ程度しか検品ができていないので、班長的存在である刈谷さんに仕事の態度をとがめられた。
「これ、いつもの仕事量とぜんぜん違うよね。あきらかに手をぬいているみたいやし、やる気がないなら帰ってくれてかまわへんよ。チーム全体の雰囲気も悪くなるし、効率が悪くなるんだよね」
素直にだまって説教を受けていると、ねちねちねちねちと同じ内容を繰り返していて、午後の仕事が始まってから十分以上経過していた。
「あのう、こうしている時間こそ無駄なんで、仕事戻りますわ」
背を向け、持ち場に戻ろうとした俺の肩を、刈谷さんがつかんだ。その瞬間、俺の中のなにかがはじけた。
「もう仕事なんかよりオッパイパブのことしかないねん! ほんまどうでもええですわ!」
頭で考えてから言葉にしたのではない。脊髄反射的に叫んでいたのだ。しかも腹式呼吸で。
唖然とした刈谷さんはなにも言わずに立ち去った。俺は自分の言葉にショックを受けていた。オッパイパブしかないねん……無意識で言ったにせよ、それが事実だとしたら俺はなんと淋しい人生を送っているのだろうか……オッパイパブしかない人生……。
仕事後も動揺したまま、俺はオッパイパブに向かった。マヒルのもとではない。こんな情緒不安定な状態ではなにを口走ってしまうかわからない。行ったのはここのところハマっていた下半身OKのパブ『レジスタンス』だ。
俺はウーロンハイを何杯も飲んだ。アルコールがまわるにつれ、だんだんと悲しくなり、号泣しながらもハードな指入れを遂行する俺は人格破綻者そのものであり、店の子たちも引いていた。
店を出て俺は思った。
俺が本当にやりたいのはこんなことではない。俺は自分の気持ちから目をそむけていた。俺がやりたいこと、それは……。
マヒルに店を辞めさせることでもなく、
マヒルとつきあうことでもなく、
マヒルとデートすることでもなく、
マヒルの下を触ることなのだ。
★
裏メニューというものがある。
常連客の特権として、まかない料理を食べさせてもらったり、そんなたぐいのものだ。
『ぱふぱふ』で下を触るというのも、それと同じぐらいのハードルじゃないかな。もはや俺はマヒル以外の女の子数名にも顔と名前を覚えられている常連客なのだ。
「本日はご指名の方は?」
受付けでボーイが聞いてくる。
「いつもの」
「マヒルさんでよろしいですね?」
ボーイが笑う。そして俺は、なぜだかわからないけどボーイにハイタッチをする。気分良好。すっかり涙は渇いていた。
俺はボーイの脇を通り、店に入ろうとして
「あ、お客さん! 前払い! 前払い!」
と呼び止められてしまう。どうやらアルコールの方は存分に残っているらしい。
「ね〜、なんか大助ちゃん顔色悪いよ。なんかあったの?」
マヒルが俺の頬に手をあてた。
「うん、ちょっと別の店で飲んできたっていうかさ……」
「仕事帰りに飲んでたの? 職場の人?」
「いやぁ、職場で色々あったからこそ、一人で飲んできたんや……」
「そっかぁ、私も色々あるけど大助ちゃんも色々あるんだね。今日はいっぱい吐き出していくといいよ」
「マヒルは優しいんやね」
目と目を合わせる。俺は哀しげに笑う。
「俺は落ち込んでいるねん。だからこそ、お願いがあるねん。下を触らせてほしい」
……まだだ。まだ、こんなセリフを口にするタイミングではない。具体的なモーションは後でかけよう。けして俺は臆病者ではない。映画でもクライマックスは後半に用意されている。
序盤はアルコールを摂取しつつ、仕事の愚痴、家庭の不和などを俺は語っていた。そしてそのまま十分が経過し、マヒルは去り、一人めのヘルプがやってきた。
一人めのヘルプはアキホだった。彼女は俺に三回ほどついたことがある。推定年齢27、28才といったところで、けして不美人ではないのだが、笑顔が時々ジャッキー・チェンに見えるのが残念だった。
とはいえ彼女がつくのが嫌ではなかった。アキホは下ネタにたいしてもユーモラスな受け答えができる人で、スポーツ、芸能、政治、アニメにいたるまで幅広い話題を持っていた。知り合ったのが店の中ではなく、同じバイト先だったなら俺たちは男女関係を越えた友情を築けたかもしれない。
話が盛り上がるあまりにオッパイを吸いそこねることも多々あるくらいだった。
そんなアキホに『受付けにて爪切りを渡されるオッパイパブ』の話をしたら、おおいに驚いていた。
アキホは俺の爪を見て「ほんまや! 爪の白い部分が全然ないやん! 深爪してるやん、それ!」と笑った。
「そんなに笑うなや。他人に睨まれながら爪切るのってやりにくいで実際。で、これ真面目な話やねんけど、この店の中でも下を触らせてくれる嬢というのがいるみたい。誰のことかわかる?」
「え、それ、なに情報なん?」
「2ちゃんねるに書いてあったわ」
「そんなん信じるんや。でも実際おるやろな。うちはあんま出勤してへんから他の子と話せえへんから断言できひんけど、指名とるのに必死な子はそれくらいしててもおかしくないやろね」
マヒルは指名をとろうとガツガツしているタイプではない。
「じゃあさ、たとえば俺が片っ端から女の子に下を触らせてくれと頼んだら、何割の子が触らせてくれると思う?」
「ん、ん〜、初めて受ける質問やわ」
「そ、そや。指名! 指名受けてる客で、生理的に無理めなオッさんではなく、憎からず思ってる客やと下くらい触らせるんちゃう?」
「必死やな。それ質問ちゃうで。うんって言わせたいだけやろ? その子次第とちゃうかな。指名だろうとヘルプだろうと触らせる子は触らせるし、触らせへん子は触らせへんのとちゃう」
「そんなものはアドバイスじゃない」
「うー、そんなに触りたいんだったら手当り次第に頼んでみたら?」
「え……手当り次第に頼むの? 節操もなく」
「こんな店に来てる時点で紳士ぶったって遅いって。欲望に素直になりーや」
他の子に頼むのを、本命に備えてのリハーサルだと思おう。
「そっか……じゃあ、いきなりやけど、下を触らせてくれないだろうか?」
「え、うち? ほんま人を選んでへんな」
店の子や他の客には言わないように、念をおしてから、アキホは触る許可をくれた。
横に並んだ状態でパンツに手をのばすとバレバレなので、アキホには上にまたがってもらうことにした。ドレスによって手を隠し、パンツの脇から指を入れるのだ。
触っても、濡れていなかったので、念入りにキスをしたり、乳首を舐めてみた。ころあいを見て指をさしこむと、今度はわずかに濡れていた。
さ、これから! とテンションが上がるのもつかのま、アキホはボーイに呼ばれてしまった。
二人めのヘルプは見覚えのない子だった。というよりたまたま俺に当たったことがないだけで、一年以上『ぱふぱふ』で働いていたらしい。
「でもね、今日で店を辞めるの」
話を聞くと、ある程度の貯金ができたので、これからは滋賀県の実家にもどって、のんびりと職を探すらしい。
そんな話を聞いても、彼女を休ませる気は毛頭ない。みっちりと働いてもらわねば……膝の上に乗せ、お決まりのキス&ペッティング・コース。そしてラストということで、君から俺への手向けというか、錦を飾るというか、どうだろう? できれば辞める記念に下を触らせてほしいんだが……俺はそう提案してみた。
ひどく怒られた。
働いていて精神的に追いつめられ、自殺しようとしたり、嫌で嫌でしかたなかったとカミングアウトされた。彼女は困惑していると同時に明らかに怒っていた。
気まずくなった俺は、それ以降は彼女とキスもできず、乳も吸えず、かといって会話もできず、逃避の材料としてアルコールに頼った。
ミツルおじさんや職場の刈谷さんに怒られてるよりも辛かった。金を払って遊びにきている場所で注意されるのは惨めなものだ。
その子が去り、五分くらい待たされているあいだに俺はさらにカルピスサワーを二杯飲んだ。オッパイパブの飲み方ではない。女の子に嫌がられた自分自身を認めたくなかったのだ。だけど、客は欲望をぶつけて女の子はストレスをためる……それこそが店の本質ではないか! 嬢が客にたいして恋愛感情を抱いている素振りを見せる営業方法があるが、それも欺瞞ではなく、こういった本質を誤摩化す方法でもあり、必要悪ともいえるかもしれない。
……あぁ、今はそんなことはどうでもええわ。俺はただ、マヒルの下を触りたいんだっけ。
隣に座るなり、マヒルは俺にたいして責め立てた。さっきの女の子から俺のことを聞かされたのだろう。どうして俺は安くはない金を払い、人間性を正すようにさとされているのだろう。
マヒルとなにを話したのか記憶が曖昧でさだかではない。彼女が珍しく不機嫌だったことはなんとなく覚えている。そして、なぜそんな凶行に走ったのかまったく自分でも説明できないが、突如、ソファの上に立ち上がった俺は、マヒルの眼前で下半身を露出したことは覚えている。
当然、その後、スタッフ二人に脇を抱えられ、楽屋らしきところに連れて行かれる。パイプ椅子に座らされた俺は水を飲まされ、退店を命じられた。ボコボコにされたらどうしようと怖じ気ついたが、対応は意外と紳士的だった。残った時間分の料金として千円を返された。
ただし、今後の入店禁止という厳しいジャッジがくだされ、デジカメでバストアップの撮影をされてしまった。受付担当のボーイたちに、その写真を持たせるらしい。
店の外で、タクシーを呼ぶかとボーイに聞かれたが、俺は断った。いっそ、野垂れ死にたい気分だったが、酔っぱらいに帰巣本能が備わっているというのは本当らしい。電車の乗り換えをした記憶もほとんどないまま、気がつくと俺は私服姿のままで家の布団の中に入っていた。
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