第14話 ねぶられとるんやど
★
「まったく、神様も意地悪やで。あんな奇跡的なタイミングありえへんわ。浮気現場を発見したときってああいう気分なんかなって思ったわ」
河原で涼んでいるうちに頭が冷えたのか、美原の口調はおだやかになっていた。
「いや、そもそも浮気ちゃうやん。好きな女が労働している姿を見ただけやんか」
まさか美原と鉢合わせてしまうとは思わなかったが、見つかってしまったものはしかたない。多少、荒療治ではあるが現実をつきつけてやるいい機会かもしれない。一気に片をつけてやろう。
「美原よ、俺はお前に殴られるようなことをなに一つしてへん。『ぱふぱふ』のユウナという子が最高やって伝えたのはお前やろ? たとえば俺が横綱ラーメンのネギチャーシューが最高やったとお前に伝えたとする。そしたら食べに行きたくなるやろ?」
「か、彼女はネギチャーシューなんかと違うよ!」
本当に、俺たちはこんなところでなにをやっているのだろう。
世間はまだ夏休みの最中だ。京都には大学が多い。若い男女が氾濫しているということはイコール、カップルも多いということ。ここ、鴨川の河原にはカップルたちがだいたい二メートルおきの等間隔にならんでいて、その中に異質な存在として俺と美原がいる。闇にまぎれてキスや膝枕、はたまたペッティングにおよぶカップルたちの密着度と比べ、俺と美原のあいだには子供一人分の空白はある。それでもはたからはゲイカップルに思われているのかもしれない。
「まぁ、ネギチャーシューってのは一つの例えやんか。冷静に考えてもみろよ。お前が色んな女の乳首を舐めているように、あの女もいろんな客に、いろんな男に、いろんなオジサンに乳首を舐められているんだよ」
「う、うぐ……聞きたくない聞きたくない」
美原は自分の両膝のあいだに頭を抱えこむ。
「ねぶられとるんやど」
より下品さを強調させるため『舐められる』を『ねぶられる』と言い換えてみた。口にしてみて、ちょっと笑いそうになった。
美原は返事しない。
「なぁ、美原さぁ、せっかく女性も働いている職場におるんやんけ。出会いのないニートの俺には羨ましいかぎりやぞ。変わってもらいたいくらいやわ。そんなもん、なんぼでも彼女ができるチャンスがあるやんけ!」
「ぅあかんねん……」消え入りそうな声で美原は答えた。
「は? なんて?」
「だって地味な女多いねんもん! 食品を扱う工場やから派手にできひんねんて。化粧も髪も地味やねん。給食のスモックみたいなん着て、ゴムのはいった帽子をかぶって、そんなもん見て欲情できるのはよほどのマニアだけやっちゅーねん! 金返せ!」
可愛そうに。美原のやつはアダルトビデオで綺麗なAV女優を見すぎたせいか、女の理想がすっかり高くなっているのだ。
「……金返せってなんやねん。あのさ、妥協ってものを知ろうや。その子たちも仕事が終わったら私服姿になるんやろ? 多少は女っぽくなるんじゃないの? それにみんな、このレベルの相手ならつきあえる、とか、この人なら自分とつりあってる、とか、そんな打算的なことを考えて告白したりするんじゃないの?」
「そんなものはただの欺瞞や。純粋じゃないよ。俺はやっぱり自分と関わりある子の中で、一番可愛いと思える相手とつきあいたいねん」
見合い結婚のシステムを完全否定するような美原の決意。これが現代的な考え方だろうか。結婚率の低下もなんとなくうなづける。
「そ、そやけど、それでオッパイパブ? オッパイパブ嬢に恋? そんなのに金を使うんやったらさ、カップリング・パーティにでも通ってみたら?」
「お前、勘違いするなよ。俺は誰でもいいから恋人が欲しいというわけじゃないねん。それにオッパイパブ嬢に恋をしたというのは語弊がある。恋に落ちた相手がたまたまオッパイパブ嬢だっただけやねん」
「あ、あほかボケ! 前回、店行ったとき指名してへんやんけ! ぜんぜんお前の恋に関係あらへんやんけ!」
「あ、あれは、彼女の出勤日と違ったからやんけ! たまには他の子のオッパイも吸ってみて、やっぱりユウナのオッパイは最高やなって再確認するのも必要な……気がせえへん? せえへんよなぁ」
美原は近くにあった石を川に投げた。ぼちゃりとマヌケな音が響いた。
「なぁ、さっきからなんで俺の恋を馬鹿にするねん? 相手がオッパブ嬢やからか? それって職業差別じゃないの?」
美原が睨みつけてきた。さっき胸倉をつかまれたことを思い出す。俺のTシャツは首のまわりがすっかりよれていた。
「いや、職業差別じゃなくて、お前が一番そのことを気にしてるんやないの? さっき、俺が指名しただけでずいぶん怒ってたやん」
遠くでロケット花火の音が聞こえる。馬鹿な大学生たちが対岸にむかって飛ばしあっているようだ。
「そもそもユウナは無理やって。確かに楽しかったけど、つきあえへんって。彼女、一流のエンターティナーやと思うけど、素の部分をほとんど見せてくれへんかったもん。しいていえばキスの最中によそ見してた時が素やったな。だから考え方を変えてさぁ……行きつけの美容院で指名する美容師がおる感じで『いい仕事をするオッパブ嬢がおるから指名する』というカジュアルな感覚でどうやろう?」
それだけ伝えると、美原は考えこむようにうつむいた。しばらくそっとしておこうと夜空を見上げてみたが、曇っていて星はほとんど見えなかった。
「そ、そうか、よくわかったわ」
清々しいまでの笑顔を見せる美原。どうやら吹っ切れたようだ。
「これからは入店一週間くらいの右も左もわからんような子を狙うわ! 最初に指名してくれた客を好きになるってこともじゅうぶんありえるもんな」
前言撤回。こいつは駄目な意味でポジティブすぎる。
「い、いやぁ……ないと思うなぁ」
「なんで? 生まれたばかりのヒナ鳥は最初に目に入ったものを親やと思うやん。同じ要領で最初に指名した客のことを……」
「なりません」
「え? え? なんで断言できるの? え? え?」
美原は真に動揺しているらしく、高速でまばたきをしている。
「お金を払って乳を吸いにくる男を女が好きになると思うのか?」
「え? えや? そこのところはもう、お金を払ってまでオッパイを吸いにくるなんて男の人って本当にいつまでも子供みたいで可愛い……って好意的に見てくれてるんじゃないの? かもしんないやん、ねぇ?」
美原の声はかぎりなく弱々しく、か細かった。そして、しばらくの沈黙の後に
「ごめん。ちょっと一人にしてくれないか」
まるで決意したかのように言った。
俺が言いたいことはもう言った。あとは美原にゆだねるしかない。俺は黙って立ち上がった。背をむけ、立ち去ろうとすると
「なぁ、大助」美原が呼び止めた。
「ん?」
「まわりはカップルだらけやのにさ。俺らはしょうもないことを真剣に話し合ってたやん。俺は今も悩んでいる。これってめっちゃ異質なことやん? かっこ悪いように見えて、逆にかっこいいと思わへん?」
女だったら惚れてしまいそうなくらい爽やかな笑顔だった。
「いや、逆もなにも……単純にかっこ悪いやろ、そんなもの」
「え、そうなの?」
「あのな美原……お前が指名しているあの女な……めっちゃ柔らかくて気持ちよかったぞ!」
それだけ言うと、俺はダッシュで逃げた。ぶん殴られる前に。
俺は振り返ることもなく、京阪電車に乗って帰った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます