3章 指令と指名

第11話 親戚たちの集い

 二日酔い。それはひさしぶりの二日酔いだった。

 外の仕事でストレスをためることのない俺は、暴飲することはなかった。また連れ立って飲みに歩く友人もほぼいない。かりに外で飲むことがあってもペースを考え、他人に迷惑をかけることがなかった。そんな俺を少しからんだだけで悪酔いさせるとは、さすがミツルおじさん。俺はどれだけ彼のことが嫌いなんだろう。オッパイパブの帰りで上機嫌だったというのに……。

 

 昨夜、わが家のリビングには親戚たちが集まっていた。二人の姉も子どもをつれて帰ってきていたし、三つ下の従兄弟のヤスアキも娘を連れてきていた。玄関の靴を見たところ、十五人ほどリビングにいたのだろう。

 田舎の人間はことあるごとに集まったりするので、俺はうんざりしている。これというのも歩いてすぐのところに家があるからだろう。そのほとんどが宇治市に住んでいて、彼らがせまい世界に住んでいることを痛感する。


 身内からも変わり者のレッテルを貼られている俺は団欒には参加せず、二階の自室に籠城していた。

 が、トイレに行くときにリビングの様子が見え、俺の気が変わった。こともあろうに俺をさしおいて寿司を食っていやがったのだ。

 少し迷ったが、俺もその中に飛び込むことにした。七才になる姉貴の息子大地くんが任天堂DSを持って俺の隣にくる。エビやホタテをつまみがてら、俺は大地君にスーパーマリオのヒントやコツを教え、尊敬を勝ち取る。これぞ良好なオジとオイの関係だ。

 だが、険悪なオジとオイの関係もある。

「さて、では、そろそろ、恒例の話しにいくとするか」

 凛とした低音の声が響き渡る。静まり返る一座。声の主はミツルおじさんだ。ほんのりと顔が桜色に染まっている。

「恒例の話な、大助は今、なにをしているんや?」

 親戚の一同が注目するようにしむけてから聞くのがミツルおじさんのやり方なのだ。

「ん、見りゃわかるやろ? 甘海老の尻尾をとってるとこやん」

 それをわかっていて挑発するのは俺のやり方だ。

「はははは……そういうことではなくてだな。大助は今、どんなところで働いているかを聞いているわけだな」

 おおよその見当はついているはずなのに、わざわざ一同の前で聞くそのやり方がしゃくにさわる。

「ん〜、まぁ、働いてへんよ〜」

 なるべく無関心に、興味なさげに言い放ち、ちょっと貸して!と大地くんのDSをいじってみたりする。

「おや、おやおやおや……働いていない? 大助は働いていない? 困ったぞ。こいつは困ったぞ。兄さん、僕のほうから言わせてもらっていいかな? いや、言わせてもらうよ」

 父は面倒くさそうに苦笑い。そしてミツルおじさんは説教を始めるのだ。彼は京都市の中学で国語を教えている。その説教の例え話に芥川龍之介の短編や、昔の中国の英雄の言葉や、はたまた岡本太郎の母親の言葉を引き合いに出してくる。

 あんた自身の言葉で語れ。


 ミツルおじさんは二年前に離婚をしている。詳しい経緯はよく知らないが、ミツルおじさんの人間性に問題があったんじゃないかと俺は思っている。本人に自覚はないようだが、弱い立場の者に説教するのは愉悦がともなうもの。お前のために言うているという上から目線も腹たつが、それ以上に腹が立つのはミツルおじさんのそのルックスにあった。


 東南アジアにかぶれているオジは、インドの民族衣装を身に纏っていたのだ。ふだんはグレーのスーツ姿のお固い国語教師も夏休みになると反動でラフな格好がしたくなるのだろうか。ミツルおじさんの右肩はすっかり露出している。さらに自分のことを徳を積んだ人物のように演出したいのか、額には第三の目が開眼しているのである。ミツルおじさんの顔に増えた瞳、もちろんシールである。春休み、インドに旅行した時、現地の土産屋で買ったタトゥーシールらしい。以前はせいぜい自己演出といっても額につけボクロ程度だったのに、第三の目が開眼していることで、やることなすこと全てうさんくさく見えてしまう。

 そのうちにこいつ、腕が六本になっていそうだ……。


「まぁ、大助も少し飲めい!」

 空いたグラスに焼酎をそそぎ、俺にすすめるミツルおじさん。どうやらこれは酒でグダグダになり、そのグダグダを相手にも伝染させ、ともにわかりあった気分に持ち込もうという戦略なのだ。田舎における人間づきあいの基礎テクニック。そんな手にはのらないぞ。アルコールが人付き合いの潤滑油として機能する昭和のルールなど俺には通用しない。

「なぁ、僕は大助のことを思って言うてるんやぞ。いじめてるわけではなく、僕も傷ついているんや。大助はほんまはできる男なんや。目が違う。目の輝きがぜんぜん違うよなぁ〜。ほんまなかなか〜」

 すでにミツルおじさんは俺にもたれかかり、酒臭い息を吹きかけてくる。人間の弱さが露出していて、そのうち泣きだしそうだ。そして俺にも同じ態度を求めているように見える。だが、俺は泣き上戸ではなく、酔うとアッパー系になるタイプなのだ。

「おじさんも、なかなか立派な目をしているよ! だから俺が、消えへんようにしたるわ、ボケ〜!」

 俺はミツルおじさんを押し倒した。彼の腕がテーブルにあたり、刺身やビールがぶちまけられる。アルコールでヘロヘロになっていた彼の力は弱く、俺は額のシールを剥がし、電話機のそばに置いてあった油性マジックを手にとった。

「おい、大助、それ! 油性ではないよな。水性だよな!」

 じたばたともがくミツルおじさんの手が俺の鼻にあたり、涙が出てくる。これじゃうまく目が描けない。

「大地くん! ミツルの左手をおさえといてくれ! そう、そこ。尻を乗せるんや、ナイス! 今度またDSのゲーム買ったるわ!」

 近くにいた甥っ子に命令。歯を使ってマジックのキャップを外し、額に目を描いた。暴れるので少しぶれたが、長めのまつ毛を書き入れるとフジテレビのマークみたいになった。

 ゲラゲラと笑う大地くん。俺を引きはがす親戚たち。肩で息をするミツルおじさん。ビールの匂い、醤油の匂い、熟年男の汗の匂い。

「か、鏡……誰か鏡を見せてくれないやろうか?」

 散らかったテーブルや絨毯を片づけていた姉がミツルおじさんの言葉に反応する。

「いちおうあるけど、後で見たほうがええと思うわ」

 そろりそろりとミツルおじさんに鏡を渡す姉。彼はコンパクトを開くなり、絶叫した。

「なんじゃあ〜、こりゃあ〜!」

 そのあまりに大きな咆哮に、大地くんはビックリして泣き叫んでしまった。

 泣きわめく七才児。一瞬で我にかえる大人たち。完全に酔いが醒めてしまった。母が俺をにらんでいる。父はわれ関せずと新聞を白々しくめくっている。ミツルおじさんは背中を丸めていた。なのに俺が責められないのはミツルおじさんもまた、俺と同様に親戚連中の内では扱いにくい存在ということが伝わった。

「俺、もう寝るわ」

 大地くんの頭をくしゃくしゃと撫でると俺は立ち上がった。その後、リビングがどうなったかは知らない。そのままおひらきか、もしかしたら持ち直して宴は続いたのか……。なんにしても後味が悪かった。


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