2章 未知との遭遇
第7話 俺たちの地元
三日後の昼過ぎ、美原の母からメールが入っていた。文面はシンプルに「ムスコヤスミイマチャンス」といったもの。まるで電報だ。変換をめんどくさがるなよと思うものの、片仮名であることが秘密作戦っぽさを演出させていた。
俺は計算して行動するのが苦手だ。ほとんど行き当たりばったりだ。たとえ計算して動いたところで、世の中は思いどおりにいかないことのほうが多い。
なんの考えもない俺はとりあえず美原に電話をかけてみる。
「おう、ひさしぶり」「どしたん? 珍しいやん」「いま電話かまへん?」「ええけど」「いま家?」「おお、そう」「なにしてたん?」「ちょっと寝てたわ」「あ、起こしてもーた?」「え〜よ別に」「お前、モンハンとかやってる?」「ああ、職場の連中とやってたけど、最近はご無沙汰やな。小日向もやってるん?」「うん、俺の場合、一人でやってるんやけど、むなしくなってさ」「ふ〜ん、じゃあ手伝ったろか?」「あ、かまへん?」「うん、うち来て」「ほな一時間後くらいに行くわ」
つきあいが長いぶん、気を使わなくていい。流れによってはオッパイパブに行くことになるかもしれない。女の子に失礼のないよう、清潔にしておこう。俺はシャワーを浴び、ヒゲを剃り、歯を磨いて丁寧にウガイをした。
★
自転車に乗ってみたが失敗した。今日もまた格段と暑い。水のはられた田んぼが日光を反射し、上から下からと俺の肌を焼く。
俺が住んでいるところは京都。とはいえ京都市ではなく隣の宇治市だ。全国的に有名なお茶の特産地でもある。県民性を紹介するバラエティ番組で『宇治市の全小学校では蛇口をひねるとお茶が出てくる』という事実を公表し、スタジオ内が騒然としていた。子供のときは当たり前すぎて疑問にも思わなかったが、よくよく考えてみれば非常識だ、笑える。
とあるタレントが『宇治市の人間は京都市にたいしてコンプレックスを持ってるんですよ』とこぼしたことがあるが、俺は宇治市にたいして多少の郷土愛は持ち合わせている。読んだことはないが、源氏物語の舞台にもなっている。かつては貴族たちの別荘地でもあった宇治を俺は愛している。
俗悪な宮本くんは東京で「実家はどこなの?」と聞かれたら、すかさず財布をあけ「これ! これがあるとこ!」と十円玉に刻まれている平等院鳳凰堂を見せつけるらしい。外の人間は古都のイメージを抱いてくれるだろう。だが、実際に古都の名残を感じさせるのは宇治駅近辺の観光コースだけで、宇治市のほとんどは田んぼや茶畑、竹薮、それに住宅街でしめられている気がする。
小学校、中学校ともに学校の周辺は田んぼだった。昭和初期までその田んぼは巨椋池という巨大な池だったらしい。池といっても周囲約十六キロにおよぶ大きさで、サイズ的には湖といったほうがいいだろう。
先祖代々受け継がれてきた俺の家は、地名に『島』がつく場所にあるが、美原や宮本くんの住んでいる地域には『池』という字がつき歴史をしのばせる。
池を埋め立てて作り上げた新興住宅地。そこには京都といえども、天狗も狐狸も陰陽師もなく、それを匂わす神秘的なムードもなく、ただヤンキーが多いだけの荒んだ田舎の一つだった。美原もまた中学、高校と変形ズボンを履き、トイレや校舎裏で煙草をたしなんでいたタイプだったが、その実、アイドルやギャルゲー好きというオタク的趣味嗜好の持ち主であった。なのにヤンキーから好かれてしまうという自身の特性にかつては葛藤していたようだったが、一年前に会った感じだと、オタクでもヤンキーでもなくニュートラルな印象だった。
美原の家についた。俺はドアをあけ、勝手に二階に上がっていく。それがこの家の作法だった。
★
モンハン。それはモンスターハンターの略。巨大なモンスターを落とし穴にはめたりしつつ、剣や槍などの原始的な武器で倒すというゲームである。一人だと倒すのにも苦労はするが、友人四人でプレイすると効率よくボコボコにすることができる。
昼間だというのにカーテンを閉め切った美原の部屋で、たがいの手にPSPを持ち、モンハンをプレイする俺たち。身の丈の倍はある、ヘルニアになりそうな大剣を構える俺と、オーソドックスに剣と盾を構えた美原は、大空を飛翔するドラゴンを狩りに、森丘に出かけていた。
「罠を仕掛けるのは俺がやるから、小日向はアタックに専念してくれ」
「おお、すまんな。まずは尻尾をぶった斬ってやるぜ!」
プレイし始めは狩人としての会話に専念しているが、モンスターの動きに慣れ始めた途端、ゲームは作業的になってくる。
「中学の時の島田覚えてる? 離婚してんってさ」
「バスケ部のやつやっけ? 離婚って凄いな、俺ら結婚もまだやし、彼女もおらんっつうのに、ハハ」
などとドラゴンをボコボコにしつつも、会話のほうは世間話に興じていたりする。
携帯型ゲーム機、それは囲碁や将棋にとって変わった若者たちのコミュニケーションツールだと思える。
実際、ヨーグルト工場に入ってきた二十前半の若者たちにはモンハンをやっているものが多く、仲良くなるきっかけとして利用できたらしい。たとえば昼休み、一人淋しくゲームをしている新人を見つけた途端に「いっしょに狩りに行こうぜ!」と声をかけ、狩り仲間を増やしていった。食堂の隅のほうにはゲーム機を持った十数人の一団が形成された。ゲームを全くやらない上の世代からは眉をひそめられていたらしいが、美原はそこで若者たちのハートをがっちりとつかんでいた。 寡黙な人間が多い中、美原は協力して狩りをするというゲームを通じて、同僚たちとの信頼関係を築き上げることができ、班長にまで出世することができたらしい。モミハラのくせに。
「けどさぁ、職場ではもうやってへんのよ。みんな飽きてしもたんかねえ」
オッパイパブに誘うことが原因で避けられていることを、本人はつゆほどにも感じていないらしい。
「小日向は一人でゲームやってるん?」
「オンラインで対戦したりしてるわ」
「そっか〜、オンライン環境あるんや〜。それやったら淋しくないやろ〜」
「んなことないよ。ゲームなんてただのヒマつぶしやって。やってる時になんぼ楽しくてもやめた後に虚しくなってくるもん。気晴らしになってるのかよくわからんわ」
「気晴らししたいん?」
「ストレス解消したいな〜。パーッといきたいわ〜!」
「パーッとしたいん?」
「そやね、夏やからね。派手に遊びたいよな〜」
じゃあ、オッパイパブに行こう。
美原がじっと俺を見ていた。まっすぐに俺を見ていた。その瞳が少し潤んでいて、あまりにも綺麗だったので笑いそうになった。
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