第6話 ややこしいミッション
異変を感じたのは三ヶ月前、息子の洗濯物に紛れ込んでいた定期入れ、その中から小さな名刺が出てきた。ビジネス的なきちんとしたものではなく、ピンクのラメ入り蛍光ペンで女の名前が書きなぐられたものが数枚出てきたのだ。おそらくキャバクラ的なところで遊んでいる。いつまでも子供だと思っていたが、収入も増え、いっぱしの大人の遊びを覚えていたのだ。そのことをどうこう言うつもりはなかった。家には規定の食費をきっちりと納めているし、まともに働いているだけ成長したともいえる。
そう、息子は残業をしている。よく働いている。が、それにしても遅すぎるときがある。以前は残業をしてもせいぜい九時には帰ってきたが、十一時を越える日が珍しくなくなった。おそらく残業と夜遊びが混合しているのだ。
母は息子が心配になった。母は心配のあまり、興信所に息子を張り込んでもらうことにした。
「ちょと待って! なんで探偵使うん? 直接、問いただしたらええやん!」
「父親に似ていて、屁理屈や言い逃れの才能があるからな。証拠を突きつけたろうと思ってんや」
調査の結果、息子が通っていたのはキャバクラではなく、オッパイパブだった。しかも残業というのは半分嘘。美原は週三ペースで通いつめており、時には延長もしたり、二軒め、三軒めとハシゴすることもあるらしい。
母親はそれだけの情報では満足せず、大幅に料金を上乗せし、探偵を一人、美原の職場にバイトとして送り込んだ。職場での評判だと、当初、美原は同僚たちとオッパイパブに繰り出していたのだが、あまりのペースの速さに、つきあってくれる人も減っていき、今度は後輩たちを誘うようになった。全額おごるかのようなビッグマウス(今夜は大船に乗った気でおれい!とかほんまに言う)でいながら必ず割り勘。また、職場の連中と居酒屋で飲んだ後も、必ず二軒めとしてオッパイパブをしつこく熱望するので、そのうち職場の連中からは飲みにも誘われなくなってしまったらしい。
「でもさぁ、もともとあいつは群れるようなタイプとちゃうやん。たとえ孤立してもタフに生きてけるって。仕事辞めたりせーへんって!」
「違うねん。うちが危惧しているのはそんなことじゃないんや。ほら、女性の多い会社やろ。すぐに彼女の一人くらいはできると思ってたんや。それが……」
職場での評判をすっかり落とした美原は、オッパイ星人と陰で噂されるようになり、やがて工場全体に知れ渡るようになった。アダ名はオッパイ星人から始まり、オッパイ班長というストレートなアダ名。それじゃまずいと判断したのか、オッパイ大名、オッパイ男爵、オッパイ征夷大将軍、はたまたオッパイ鍋奉行などというイメージしにくいアダ名に変化していったが、最終的にはモミハラというアダ名におさまったらしい。シンプル・イズ・ベスト。名付け親のセンスを俺は評価したい。
これだけの規模で噂になっているのだから、当然、女子たちの耳にも入っている。オッパイ好きが広まる以前は「シャイでとっつきにくいところもあるけど、よく見れば可愛いかも」などと好意的な目もあったらしいが、評価は一変。「絶対に浮気をしそう」「ムッツリだよね」「そういう店ばかり行く人って男尊女卑やし」「経済観念がなさそう」など、すっかり婚活の対象外にされてしまったらしい。
また、素人女性にたいして慣れていない美原は、女性と話すとき、目線を少し下にずらす癖があるのだが、それも「モミハラのやつって人と話してるときも顔を見ないで、胸ばかり気にして見てるよね」と評価を下げる原因になってしまったらしい。
「探偵のやつがな。うちに言うたんや。申し上げにくいのですが、職場での評価は『キモイ』の一歩手前ってところですね……やって。なにが申し上げにくいや! 半笑いやったやないか!」
「それでオバちゃん、俺に頼みたいことってなによ? 具体的に俺はどうすればええのよ?」
「探偵はな、調べることしかしてくれへんねん。干渉はしてくれへんのや。だからな、あんたに息子を更生させてほしいんや。親友であるあんたにしかできひんことや!」
親友という言葉には語弊がある。なぜなら一度たりとも美原のことを感心したり、尊敬したり、いいやつだなんて思ったことがないからだ。まあ……見ているぶんには面白い人というのが正直な気持ちだ。それって親友といえるのか? 俺がメロスなら、しばらく走って、お腹が痛くなってきた時点で美原のことはあきらめるだろう。友だちというより、ただの知人かもしれない。
「え〜、そんなん身内で解決して〜や。親戚とかで集まらへんの? 親戚連中の前でさっきの写真バラまいたら、いくらあいつでも落ち込むって」
「余計に屈折してしまうわ。それにな。なんも言うてへんわけやない。一度怒ったことがある。夜、遅くに帰ってきて、頬を赤く上気してヘラヘラしてる息子見てたら頭に血が上ってな」
こんな遅くまでいつもなにしてるねん。心配するやないか。残業じゃないやろ! と母は息子に詰め寄ったらしい。それにたいして息子は「どこでなにしようが俺の勝手やんけ!」とありきたりな反応。さらに母は「うちの敷居をまたいでいるうちは勝手なことさせへん!」と退屈な文句を飛ばす。話の本質、すべての元凶である『オッパイパブ』というフレーズが出ぬまま、親子の激しい言い争いが続いた。
シリアスでしかるべきシーンに『オッパイ』という言葉を持ち出すと、途端にコミカルな雰囲気になってしまいそうだった。それぐらい『オッパイ』という日本語らしからぬ語感は強い。
感情のぶつけ合いで、まったく具体的な話に展開しない。
「あんたな、隠しとおせる思ったら大間違いやで! 残業とか言うて、ほんまはセクシーパブに入れあげてるんやろ?」
業を煮やした母は、機転を効かせ『オッパイパブ』という言葉でなく『セクシーパブ』という別呼称を使うことで、ふみこむことに成功した。
それでも母親から『セクシー』なんて言葉を使われると、息子はテレる。なんとも言えない嫌な気分になる。
「お、お前、セクシーとか言うてんな! オバはんのくせして気持ち悪い!」
「うちかて、言いたくて言うてるわけやないよ! 人聞きの悪い!」
「ま、まあええわ。俺、そんな店行ってへんからな! 証拠はあるんか? 適当なこと言うてんなよ!」
証拠はある。ハッキリと写真にうつっている。画像だけでなく、テープまで持っている。が、興信所まで使ったことを知ると、息子はめちゃくちゃ引くだろう。母と子でなく、恋人同士の関係だったら確実に破局ものだ。男のプライドはボロボロになってしまう。
「そんなもんは第六感や! 女はみんな勘がええんや! シャーマンなんやで女は! あんたがセクシーパブに通いつめてることは、死んだおばあちゃんが教えてくれたわ。夢の中にわざわざ出てきてくれてんやで。守護霊辞めたいって泣いてはったわ。あ、なんや水晶玉にも写ってたわ。あんたがセクシーパブにおる情けない姿!」
「な、情けないとか言うなや! そんなん店で働いてる女の人に失礼やろ! 職業差別やぞ、お前!」
「なんも店に行くのが悪いとは言うてへん。ただな、ほどほどにせえ言うてるねん。もう大人やねんから、少しは自重せえ言うてるだけや!」
息子は黙った。返す言葉もなかったらしい。そして、なんとなく気まずい状態のまま、親子喧嘩は終了した。美原もしばらくはオッパイパブをひかえた。が、母はそれで安心しなかった。長年のつきあいにより、息子の自制はたんなるポーズに過ぎないと気づいていた。予想どおり、一週間後には息子のオッパイパブ通いは再開した。
もはや自分の力ではどうしようもない。そこで息子と同じ目線を備えた俺を頼ることにしたらしい。
「まったく情けない母親やと自分でも思うわ。やっぱり、あれかな……母乳やなくて粉ミルクで育てたんが原因なんかな……」
「いやいや、気にしすぎやって! それは関係ないと思うで! そんなことで責任感じなくてええよ!」
「そうかなあ。深層心理に原因があると思うんやけど。で、小日向くん。頼りにしてええんやろか?」
正直なところ、めんどくさい。
「オバちゃん、ちょっと過保護なんちゃうん? そのうち飽きると思うで。パチスロにのめりこんで借金するよりマシなんとちゃうか〜」
「わかってへんな。小日向くんもオッパイパブの恐ろしさが全然わかってへんわ。浦島太郎って昔話あるやろ。竜宮城って出てくるやんか。あれは実はオッパイパブなんやで。子供向きの話やから、細かい描写は省略してるけど、あれはオッパイパブで、まず間違いないわ。店に通いつめているうちに、嫁をとることも忘れて、あっというまにお爺さんになってしまうんやわ」
「え〜、こじつけてへんか〜。ネガティブすぎるで、オバちゃん。でもさぁ、具体的に俺にどうしてほしいんよ? 俺が注意しても、あいつが素直に聞くわけないやんか」
「そこはな、考えてある。敵を知り、己を知れば百戦危うからずって言うやろ。まずは敵を知ることや。あんたにはな、息子と一緒にさりげなくオッパイパブに行ってほしいねん。しっかり観察してほしい。できれば心情とかも聞いておいてくれると助かるわ」
「でもな〜、俺かてヒマやないねんて。仕事探さなあかんし、オッパイパブで高い金払う余裕なんかないわ」
美原の母はニヤリと笑った。
「お金のことやったら心配せんでええ。オッパイパブ代くらいは払うわ。それでどうやろ?」
「よっしゃ! ぜんぜんOK!」
隣のテーブルの客がふりむくくらいの大声を出してしまった。
「あんた……わかりやすすぎる人間性やなあ。じゃあ、息子のことを頼んだで。オッパイパブから足を洗って、きちんと婚活をして、孫の顔を見せてほしいねん。息子がヒマにしてる時、メールで教えるから」
「あんまプレッシャーかけんといてよ。とりあえずやで」
そして、美原母とメールアドレスを交換した。
「最後に一つだけ。ミイラ取りがミイラになるって言うけどやで、もしあんたまで、あっち側の世界に引きずられそうになったら、その時は迷わずバカ息子を見捨てて戻ってくるんやで」
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