第11話 199X年夏~恵南短大1年生・萩野目洋子19歳③
私は雑誌を並べながら、必死になって思い出そうとしていた。中学の時?高校の時?それとも、恵南のキャンパスで?合コンの席で?それとも全然違う場所で?・・・いや、違う、何か強烈な印象を残した奴に似てるから、これまでにない位の衝撃を覚えたんだ。
そうだ・・・あいつだ。あいつに似ている・・・。
半年前、湯川温泉駅で出会って釧路駅まで城太郎さんの車で送っていったあいつに似ている・・・でも、こんなに体の線が細い奴だったかなあ。あ、前の時は真冬だからお互いかなり着込んでいたのも事実だから、体の線が太いか細いかは確認できてないけど、丸々太った奴ではなかった。どちらかと言えばスリム、いや、スリムを通り越して痩せすぎくらいの男だったのは間違いない。駅舎の中でお茶を飲んでいた時や車内にいた時は上着を脱いで横に置いて厚手のセーターになっていたから、もしセーターを脱いだら、この位の体の線だったとしてもおかしくはない!しかも身長は180センチくらいだから、だいたい合っている。それに、この男からは煙草のにおいがしない。
ただ、あいつは東京に帰ったはず・・・。
思い出した・・・あいつはたしか「森崎乳業に内定している」「配属先は出来れば北海道を希望したいと思ってます」・・・駅長さんの前でこう言っていた。恵南市には森崎乳業の札幌工場があるから、あいつが配属された可能性はゼロではない・・・。
どうしよう・・・もし本当にあいつだったら・・・どうやって話しかければ、この男があいつかどうかを確認する事が出来るんだろう・・・。
くっそー、そう考えると、あいつの名前を聞いておけば良かった・・・それなら横から近づいて「あのー、ひょっとして〇〇さんではないですか?」と言えた・・・しまったあ!逆にあいつも私の事は「ようこ」という名前しか知らないはずだ。あの時、車内で2時間近く喋っていたけど、お姉ちゃんも城太郎さんも、それに私も一度も『萩野目』という姓を名乗らなかった。だから仮に私の事を覚えいていたとしても「ようこ」としか分からないはず・・・それに、もっと重要な問題はあいつは私が恵南短大に進学した事なんか知らないから、まさか私がここのサコマでバイトをしているなんて思ってない筈だ。仮にこの男があいつだったとしても、ここにいる私が『あの時の女の子』だと想像できる訳がないから仮に覚えていてくれたとしても「他人の空似」程度でスルーされるのがオチだ。
でも、私も雑誌を並べ終わったのにここにいるのも不自然だ。だからあいつが視覚に入る位置、カウンター近くで商品を並べたり清掃したりして、あいつの挙動を観察しているけど、まだ立ち読みを続けている。もう10分くらい読んでるけど、この後どうするつもりだ?
せめて何か喋ってくれればあいつかどうかが分かるのに・・・あれ?立ち読みを止めたぞ。どうする気だ?まさか帰るのか?それではあいつかどうかを確認できなくなるから嫌だ・・・店の奥へ入っていったけど・・・やった、缶コーヒを手に取ったぞ!という事は買っていく筈だからレジに来る。その時にわざとレジに誰もいなければ、絶対に店員である私に声を掛けるはずだ。今、他のバイトの子は品出しをしているからレジの近くにいない。だから、声を掛けるとすれば私以外にあり得ない!
「あのー、すみませーん」
「あー、はーい、今お伺いしまーす」
この声はたしかにあいつの声に似ている・・・私の心臓の鼓動はさっきまでとは比べ物にならない位に早くなっている、それに、手のひらが汗でびっしょりだ・・・あとは、この男があいつであるという事を調べる方法を思いつけばいい。
でも、どうやって?
もし別人だった場合、お客さんに不快な思いをさせる事にもなりかねない。それは私も望んでない。だけど、見知らぬ人に「今年の1月に道東の湯川温泉駅に来ていませんでしたか?」などと言って、もし違っていたら私の方が超がつく位に恥ずかしい事になる!それは勘弁してほしい。他のバイトの子もいるのだから、後から変な詮索をされる恐れもある・・・どうしよう・・・。
そうだ・・・もしここにいるのがあいつなら・・・いや、これは一種の賭けだ。だが、もし本物のあいつなら、この言葉を覚えているはずだ。萩野目洋子、一世一代の大勝負を掛けるのは、今まさにこの時だ!
「・・・103円(作者注)になります」
「・・・・・」
その男は黙って右のポケットから財布を出し、100円を1枚、10円玉を1枚カウンターの上に置いた。
「・・・110円お預かりします」
そう言うと私は2枚の硬貨をレジカウンターから取り上げてレジの中に入れ、代わりに5円玉を1枚、1円玉を2枚、それとレシートを右手に取った。
さあ、ここからが勝負だ!
作者注
消費税が導入されたのは平成元年(1989年)4月1日だが、当初は3%であった。
消費税が5%になったのは平成9年(1997年)4月1日、8%になったのは平成26年(2014年)4月1日。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます